日曜日の法事で、浄土真宗でよく言われる「凡夫」について、以下のようなお話をしました。
①自分にとって都合のいい人にはいつまでもいて欲しいと思う心
②自分にとって邪魔な人に対して腹を立ててしまう心
③自分にとって都合がいいか、悪いかで判断する心
そうした心から離れられない私のことを凡夫といい、悲しむべき自分を見つめることが大切ではないか。
そんな私のことをお見通しで、「必ず救う、我に任せよ」と働き続けているのが阿弥陀如来の慈悲の心であると親鸞聖人は受け取っています。
そこには、悲しむべき自分を見つめつつ、慈悲に照らされた新しい生き方があると思います。
「どうせ凡夫だから」と開き直るのではなく、
人と人との関係から、平和、人権、環境問題への関わり方などなど、
山積する問題にどのように向き合っていくのか、
時代を切り開いていく凡夫としての生き方が問われているように思うのです。