お墓について

お寺の畑で一輪目のひまわりが開花しました。向日葵の名前の通りに太陽に向かって咲いています。

昨日は納骨のお勤めがあり、あらためてお墓について考えさせられました。

ちょうど古本で購入した『いまどきの納骨堂』を読み始めたところです。

墓はあっても、あとを守っていく人がいないという悩みを多くの方がお持ちです。墓じまいがふえているのも当然でしょう。一方で、入る墓がないという方、墓じまいされた方の納骨の先として納骨堂の必要性が増しているのもうなづけます。

先祖累代のお墓を守っていく形がとれればそれもよしですが、お墓は納骨堂に形を変えつつあります。

亡くなられた方のご遺骨を一緒に埋葬する共同墓のような形もいいのではと思います。自分の死後のためにお金を残せる人ばかりでもないし、みんないっしょに仏さんになって生きる私たちを支えてくれているというお墓がもっとあっていいのでは。浄土真宗にはそういうお墓が似合うと思うのですが。

いずれにせよ、これからのお墓について、お寺にできることについて門信徒のみなさんとよく話し合っていかなければなりません。

仏教の精神はシェアにあり

竹中平蔵さんはかつて、所得の再配分を「子どもに説明のつかない行為」であると言い放ったことがあります。

『みんなの経済学』というご自身の著書において。

今日、「毎日新聞」を見ていると、皆保険について後期高齢者に「仕送り」35万円との記事がありました。

仏教では、分かち合うこと=シェアすることの大切さを説きますが、現実はなかなかそうはなりません。

社会保障制度を守ろうと思った場合、お金の使い方の優先順位を切り替えて生活を一番に置かなければいけないのでしょう。

しかし、年金制度で見れば、株価を下支えするために大事な掛け金が使われています。

安倍首相は、もうかっているといっていますが、貧しい年金に充てるために使うなどとはいいません。

待っているのは、マクロスライドによる年金カットの方向です。

保険料は頭打ちで、持っている人には応分のシェアを求めず、持っていない人にシェアを強制する、いまの仕組みに問題があるのでは。

いずれにしても、公正にシェアすることをどう実現するのか知恵をしぼることの方が、血眼になってもうけを追求することより、世代間の対立をあおることより、心地よいと思うのですが。

国保の高さに驚く

昨日、町役場に国保の申請にいって実感しました。負担が本当に大変ということをです。

職員の方からペーパーを渡され、保険料率に目をやって愕然とする思い。

国保加入者の4割は無職、3割は非正規です。高すぎて支払えない方が多くいるのもうなづけます。

国保は、協会けんぽの3割増し、大企業の労働者と比較すれば7割近く高いといいます。

勘違いされることがありますが、僧侶は社会保険料、税金を納めます。お布施には税はかかりませんが、他をみれば自営業者の方とそう変わりはありません。

国保はさらなる値上げの方向です。秋から消費税のアップ、年金への不安。

この国の政治はいったいどうなっているのでしょうか?

世話方さんのこと

お寺と門信徒のみなさんをつなぐ架け橋として、さまざまな協力をいただいている方を世話方さんといいます。各集落に数人、お寺の活動を支えてくださっています。

完成した西法寺通信、そして夏のお知らせなどを世話方さんに届けるため、今日はほぼ終日、作業をしていました。

数十人の方が世話人を勤めてくださっています。改めてありがたいことだなあと実感します。

これまでは法要の懇志のお願いなどに回っていただくことが多かったのですが、今後は、お寺からの情報発信に力を入れていきたいと思います。

お寺に関わってくださる方を増やしたいという目標を持って、一歩一歩です。

実務の方はかなり手間取りました。

エクセルの住所録からワードの宛名ラベルにする方法をすっかり忘れてしまい、インターネットとにらめっこしつつなんとか完成。

ついで輪転機と格闘。封筒にお寺の住所を印刷したのですが、輪転機と封筒はあまり相性が良くないですねー。

その間に役場に行って諸手続きと慌ただしい1日でした。

明日もこの続きで実務・郵送作業などにあたります。

こうした作業も、お手伝いをしてくださる方を募って楽しくやっていけるように改善していきたいと思います。

向日葵が咲きました

午前中の法事を終えて、住職の運転で網代の道場へ。県外の葬儀への出動などがあり、10日ほど間があきました。すると、花壇のヒマワリが一気に咲いているではありませんか!

ゴッホの「ひまわり」のモデルになった品種だそうなのですが、なるほど。ゴッホは、芯の青い、咲き始めのものを中心に描いたのだな、と、ここのヒマワリたちの咲き具合を見比べて発見。

ちなみに、今でこそ有名で超高価なゴッホの絵ですが、本人の生存中は売れず、心を病んで亡くなっています(自分の耳を切り落としちゃったエピソードもありますよね)。

「ひまわり」の作品は、1枚だけでなく何枚も描かれているそうで、この黄金色の大きな花に、どんな気持ちを重ねていたのだろう?と、想像してみることがあります。

ヒマワリが、太陽の光を追いかけるように、ゴッホも明るい希望を追いかけて生きたかったのかもしれません。

ちなみに、檀家のおばあさんが蒔いたシュンギクも、育ち始めていました。ヒマワリとシュンギク、めったにない組み合わせの花壇です。

通りがかった近所の檀家さんから「咲いたね!」と、声もかかりました。

ヒマワリはせっかくなので、お寺にもいけてもらいます。

(坊守)

参院選で宗門推薦

本願寺が参院選にあたり宗門推薦の候補者名を本願寺新報であげています。それほど目立つ記事でもありませんが、目を引きました。

その多くは、門徒である国会議員の人たち。築地聞真会という国会議員の門徒の会のメンバーです。

政策を支持してというよりは門徒であるからということなのでしょうか。推薦しているのは与野党縦断ですから。推薦の内訳は、自民6、国民民主2、無所属1

宗門は過去にもぐるみ選挙のようなことをやって批判をうけたことがあります。

この記事の上には、お慈悲のあたたかさを伝えるとの記事があります。なるほどと思う記事でした。

与党は、秋から消費税10%へのアップをすすめようとしています。とんだお慈悲です。

一人ひとりの僧侶の信条に基づいて支持したり、あるいは選挙に関わることは肯定されるべきですが、宗門推薦という制度はいかがなものなのでしょう。

親鸞聖人は宗門のこのような一面をどのように思われることでしょう。

大阪で葬儀がありました

大阪市内で葬儀がありました。

亡くなられたのは岩美町出身の方。身寄りのない方でしたが、親類の方が法要を営んでくださいました。

一人の人をおくることの大切さ、大変さを感じさせられる、私にとっても勉強の場となりました。

亡くなられる数週間前に岩美町内にある実家のお墓を訪れたそうです。若き日を過ごされたふるさとをどのように感じられたのでしょうか。

来週は親類の方が納骨にこられます。しっかりとお勤めをさせていただきたいと思います。

心をあたためてくれるモノ

坊守です。

このところ、その日に予定していた業務を定時で終えられたためしがなく「もうあかん!帰るっ!」と、帰宅することが続いております。

要領が悪いのでしょうが、予定外の雑務や相談事や対応の多さも原因だナ、と分析中。

いつもなら、目をしょぼつかせて「ただいま」と玄関を上がれば「おかえり」という声が帰るのですが(たとえそれが生返事でも)、今夜はしんとしています。住職が居ないのです。分かっていたこととはいえ、持ち帰った仕事の資料を食卓に放り出し、深いため息。

ところが、です。

冷蔵庫には焼き魚とサラダ、炊飯器にはご飯が炊けており、テーブルに完成予定時刻のメモのついた水出しコーヒーのポットを見つけたとたん、ホッとできました。

これから夕食を作らんで良いので助かった!という側面もありますが、自分のコトを考えてくれる存在があることに、心があたたまったのです。

これ、阿弥陀さんが居て、見守ってくれていることに「ありがたいなぁ」と思う気持ちにも通じるのかしら。