帰ってゆくところ

葬儀を勤めました。

読むのは「正信偈」です。

小・中学生のお孫さんもいっしょに読んでくれました。可愛らしい声が耳元までしっかりと届きました。

お経のなかに、必至無量光明土 ということばがあります。

私たちの命が帰ってゆく先は、はかることもできないほどの光が満ち満ちたところである、ということでしょう。

翻ってみて、私たちの住む世界は、みんなそれぞれ光を放って生きることができるところなのでしょうか。

優劣、損得、同調圧力などなど蔓延しています。

浄土を願うとは、みんなのいのちの輝きを大切にすることこそ理想であるということを抱いて、この現実世界を生き抜いていくことなのでは。

葬儀の後に法話をすることは時間の関係でしてきませんでしたが、短くそのようなことを話しました。

これは、つくられた現実に怯みそうになる自分に言い聞かせていることでもあります。

話をしている自分が、いちばん阿弥陀さんの話を聞かせてもらっているのかもしれません。

田後さんぽ

配り物を持って田後の集落を歩きました。海に面し、平地から家並みが山に向かってのびる漁村の風景です。ここは路地が絵になるところなのです。

行き止まりの小さな道が多く、いったりきたりをしつつ1時間ほどで終了。

11月17日に田後の薬師堂をお借りして報恩講を開きます。その案内をもって歩いたのですが、観光の方も数人写真を撮っていました。田後は「フリー」の舞台としても有名です。

集落の墓地からの眺めは絶景ですよ。

帰りにあじろやさんによると、イカが泳いでいました。

DIYしました。

連休前に尾崎翠の部屋の障子を張り替えました。

Do it yourself です。

外すことができなくなっていた障子を建具屋さんにジャッキを使って外してもらい、私と坊守で障子をはがし、新しいものにかえました。

古い障子紙は格子になっている部分(組子、付子など名称もあるそうです)に水を含んだ雑巾でなぞり、端っこをつまんではがしていくとすっとはがせます。

はがしたあとは格子の部分にのりをつけて、その上に障子紙を置いてのりとしっかりつくように手でなぞればうまく貼れます。

なかなか楽しい作業でした。

続・無量って数の単位だったの?

午前中、町内のお宅にうかがってご家族と『阿弥陀経』を読みました。小学生と中学生のお子さんも一緒に座ってお経をめくっています。

読み終わって、「恒河沙とか無量って単語が出てきたけど、なんのことかわかる?」と聞いてみたところ、中学生の方が、「一、十、百、、、恒河沙、阿僧祇、那由他、不可思議、無量」と諳んじるのです。びっくりでした。

「単位が気になって小学生の時に覚えた」

お経の感想を聞くと、「不可思議ってことばがいっぱいでてきた」

いやー、すごい。好きなことと重ねて仏教に関心を持ってくれるといいなぁと思うのでした。

帰ってきて不可思議は何回でてくるのか数えてみると、9回でてくるのでした(数え間違っていたら訂正します)

大須賀ひできさんコンサート開催

本日、第9回目となる「こころのコンサート」を開催しました。昨年を上回る70人の方が参加されました。初参加の方も少なくなかったようでした。ブログを見てきてくださった方も。みなさんありがとうございました。

出演は元デュークエイセスの大須賀ひできさん(ボーカル)。そして玉木孝治さん(ギター)・拓人さん(ドラム)。お二人は実の親子です。

デュークが残した名曲『女ひとり』『いい湯だな』をはじめ、2時間に渡る熱唱でした。

京都 大原三千院 恋に破れた女がひとり

一定の年齢以上の方はみんなご存知でしょう。『女ひとり』の歌詞です。

2番は、京都 栂尾 高山寺

3番は、京都 嵐山 大覚寺

なのです! 知ってましたか?!

さて、楽しい時間はあっという間に過ぎて行きました。

参加された皆さんから3万6780円の募金を寄せていただきました。被災地に送ります。今現在大変な思いをされているみなさんのことを思うと居ても立っても居られません。少しだけでも力になれたらと思います。

来年は10回目となります。またお会いしましょう。

追伸 岩美町の方へ。後日、ケーブルテレビで紹介されますので、ご覧ください。

台風接近中

台風の目から離れた山陰地方ですが、雨、風とともにひどくなってきました。台風の勢力が弱まらないのは海水温の上昇が要因と考えられています。地球温暖化の影響で、自然災害が深刻化しているというニュースも目にします。

長年、地域に住んでいる方はよく、「台風や自然災害が鳥取は少ないところ」といわれます。しかし、そうともいえない状況が近づいてきているのではないかと心配です。

明日は第9回目となる西法寺・こころのコンサートです。今のところ予定通り開催することにしております。外の雨風の様子を耳にしつつ、本堂のレイアウトをかえました。本堂周辺の飛びそうなものも片付けたところです。

台風が通過する地域のみなさん、きょう明日は万全の対策を!

亡き人の名前を見つける

11月15日ー17日まで3日間に渡って報恩講(ほうおんこう)という法要を勤めます。

浄土真宗の開祖である親鸞聖人の命日にちなんだ法要で、主に11月、全国の寺院で営まれます。

完成した西法寺通信2号でも案内を入れ、本願寺より報恩講のパンフレットも送ってもらい、なんとかお参りをしていただける方を増やしたいと、密かに意気込んでおりました。

準備の関係で、昨年、法要にお参りされた方の名前を確認したところ、そこには今年、お亡くなりになった方の名前があったのです。

教えを聞くことを、聴聞と言います。

生涯かけて聴聞されたのだなと、感謝の気持ちでいっぱいです。

やる気がわきました。

励まされました。

声かけを広げたいと思います。

席を譲ることもお布施なんです

木曜の日課で網代道場にきています。

朝の散歩は網代⇆田後

いつも会うご門徒さんは私が歩き始める頃、田後から戻ってこられたところでした。

海には島巡り遊覧船が浮かんでいます。

市内から自転車で来たという男性は、この風景をみるためによくくるのだとか。競技用自転車、スーツ、ヘルメットと完全装備。さっそうと駆けていかれました。

歩いていると、こんな果実が道端に。

アケビです。先日、道の駅で見かけましたか、こんな風になっているのを見たのはいつ以来でしょうか。

せっかくですから小話を。

昼、なだばたさんにいったら、本日も大繁盛。猛スピードで食べて席を譲りました。

「ありがとう」と声をかけていただきました。これを仏教では、心施(しんせ)といいます。

心から感謝のことばを述べるということです。

私のしたこと。席や地位を譲ることを床座施(しょうざせ)といいます。

早食いは良くないんですけどね。

ありがとう

いえいえ

それだけのことですが、お互いに気持ち良く過ごせますようね。

ちなみにこの二つは、無財の七施のなかの二つです。興味ある方は調べてみて下さい。

無量って数の単位だったの?!

人は次の日になると前日のことの7割は忘れている、という話をきいたことがあります。

しかし、昨日は確実に覚えているであろうことがありました。

本願寺が発行しているパンフレットを読んでいると数の単位がでていました。

一、十、百、千、万、億、兆、京と、ここまでは知っていました。普段の生活では万までしか実感はないし、使うことはありませんが。

その上は、垓がい、穣じょう、溝こう、澗かん、正せい、載さい、極ごく と続くのだそうです。ふうんと読み進め、頭には特に入ってきません。

そのさらに上の世界は、実はよく読むお経に登場するこどばだったのです。

恒河沙ごうがしゃ、阿僧祇あそうぎ、那由他なゆた、無量大数むりょうだいすう

すべてよく読む『阿弥陀経』にでてきます(お経では無量)

たくさんを表しているとは知っていましたが、数の単位であったとは。

阿弥陀=無量光ですから、まさに無限に届く光を放っている、ということになります。

なるほどそうだったのか、とびっくりしたので坊守に話すと、「知ってたよ」の返答が。

というわけで、恒河沙以上の単位と坊守の一言は、多分忘れないだろうと思います。

お寺業界のカレンダー

来年のカレンダーの見本をあちこちで見かけるようになりました。

お寺業界にももちろんカレンダーはあります。

浄土真宗は、いわゆる六曜を迷信として退けておりますので、カレンダーもすっきりしています。仏滅はもともと物滅と表記されておりました。六曜と仏教とはなんの関係もないのが実際のところです。

前置きはこのくらいにして、資料として山陰妙好人カレンダーが届きました。

念仏に生きる人、信心のあつい人のことを浄土真宗では、妙好人といいます。山陰地方の4人の方のことばをカレンダーにしたものですが、味わい深いことばがつづられています。

なもあみだぶつの さとにかえるぞ うれしや

と浅原才市さん(1850-1932)は詠まれています。

いつも仏の慈悲の光の中に私はいきているなあ。帰って行くふるさとがあるのだなあ。

そんな味わいを詠まれたのかなと想像します。

発行元は山陰教区教務所。一部100円です。長形3号封筒に入る幅で、コンパクトです。西法寺ではお世話になっている総代さん・世話方さんにさしあげようかなと考えているところです。