葬儀・お墓について考える

葬儀とは何か、お墓とは何か。
歴史を重ね育まれてきた文化だと思います。
その形は時代、社会のあり方、家族形態などによって変わるものです。

数十年前までは、地域で葬儀を出し、葬儀会社も地域の中から生まれたそうです。現在、葬儀は大手も含め葬儀会社に委託され、お寺への連絡も葬儀会社から来るケースがほとんどです。

私自身で考えてみても、おおよそどの程度の金額が葬儀にはかかるのか、書物などで平均値は知っていても、ご門徒のみなさんの負担はどのくらいか、それをどう思っているかについてうかがったことがありません。先日、ある葬儀会社の方に、今主流となっている家族葬は60から80万円程度で行なっていると教えていただきました。そこにはお寺へのお布施やそのほか、飲食などにかかる費用は含まれていません。

お墓についても、次の世代と同居されている方はまだ安心のご様子ですが、そうではないない方の間からは、お墓をどうするか心配の声が聞かれます。

岩井に帰ってきて1年と数ヶ月。
これまで十分考えきれずに葬儀・お墓への納骨など勤めてきました。うまく読めるか、何を伝えられるのかが関心の中心であり、それは今後も変わりませんが、もっと視野を広げないと役割を果たしたといえないと感じます。葬儀・お墓についてよくよく考えなければならないこと、知らないでは済まされないことが多くあります。

とりあえずインターネットで近年のお墓・葬儀事情を取り上げた書を4冊購入し、昨日から読み始めました。
この秋、ご門徒さんから話をうかがうとともに、各地の実践からも学んでいきたいと思います。

漁師さんから話をうかがう

今日の午前中、法事がありました。

海はこれから漁業の時期。晩秋がお父さんのご命日でしたので漁に出る前にされたのでした。

網代、田後地区ではインドネシアから若者たちを3年交代でうけいれています。

今日お見えになった漁師さんによると、「みなよく働いてくれる。来てすぐは国が恋しく、帰りたいといっているが、3年も経つと、もっといたいといってるよ」

カニのシーズンは11月からです。「カニを高く売りたいが、高すぎると買えなくなる。難しいだがあ」

カニ漁にはもろもろ約束事もあるそうで、漁師さんのご苦労には頭が下がります。食べ物を粗末にしてはいけないですね。もっとも松葉カニを食べることは滅多にありませんが。

今日お参りの漁師さんは8/31に出港されるそうです。どうか気をつけて。

手水鉢にトンボが

坊守です。

朝夕はめっきり涼しくなってきました。庭仕事にとりくむ元気もでてきました。蚊も活動を再開しているので、気をつけながら。

今朝は中庭の水まわりを掃除していると、広くなった水面をめがけてトンボがアタック!

どうやら、たまごをうみにきたようです。春先に手水鉢(ちょうずばち)の底と泥をかきだしたら、ヤゴが何匹も這いだしてきたので、あわてて戻したことを思い出しました。手水鉢はもともと神前や仏前で口をゆすぐためにあったそうです。みなさん知ってました?

小さなスペースにもいのちの循環があるのですね。

仏教では生き物を生まれ方によって4種類に分類しているそうです。胎生・卵生・湿生・化生の4種。トンボは、卵生になるのかな。

ここの主だったカエル氏は、長雨の間にどこかに出かけたまま帰りません。宿替えしたのかなぁ。

仏教壮年会でお寺トーク

県内本願寺派寺院で活動する仏教壮年会の研修会が鳥取市鹿野町でありました。

午前中の講演をうけ、午後はお墓や仏壇、終活についての参加者同士の意見交換でした。

地域に風習として受け継がれるお盆の迎え方、お墓に見栄をはってしまい後悔した体験談、仏壇をもつ家が減り、手を合わせる機会がなくなりつつある日常を心配しているという声、はじめは救われたいと思ってたくさんの念仏をしていたが、だんだん心境に変化があらわれてきた、などなど。

「そもそもお墓のなかった地域で、家族のお墓ができはじめたのは近年。遺骨の一部をお寺にもっていき、遺骨で仏さんをつくるようになり、現在3体目をつくっているところ」といった話もありました。

私などは数年前まで、阿弥陀さん、はぁ?

でしたから、みなさんのお寺トークを興味深く聞かせていただきました。

西法寺から参加していただいた方と、会場となったお寺の駐車場で案内をされていた方はなんと職場の同僚同士。どこのお寺の門徒なのかといったことは会話ではでてこないでしょう。お互いにびっくりされていましたが、これからはお寺トークができるのかもしれませんね。

葬儀をおつとめして

本日は8月3件目となる葬儀がありました。

お孫さんに聞くと、「夏休みはいつも実家のおじいちゃんのところに行くのが楽しみでした。いい思い出しかない」と別れを悲しんでおられました。

そういってもらえるじいちゃんは幸せだったに違いない。

涙の中にも感謝を感じる1日でした。

地元から旅立って新しい場所を故郷にする人、残って人生を送る人。それぞれだけど、この岩美町はいつでも帰ってこれる故郷としてあってほしい。

地域のため、自分にもできることをさせてもらおうと思わされた今日の葬儀でした。

合掌

遠くて身近な、、、。

坊守です。ご無沙汰です。

先週末、道の駅のお花コーナーに栗の枝がありました。

ちょうど、関西にいるセンパイご一家が立ち寄ってくれる予定だったので、我々の古家の玄関にいけました。

短時間でしたが、わははははーっと、笑顔をかわして、5時の鐘もついてもらって、ホッコリしました。

10年、20年来の友人たちは、ふだんは遠く離れていても、身近な存在です。

ことしの盆参りロードの車内では、そんな友人の1人が編集制作して送ってくれた、上方落語の特別版を聴いて走りました。何が「特別」って、お寺やお坊さんが出てくる落語ばかりなんです。

人生の路線を切り替えた私たちの決断を、おもしろがりながら応援してくれる友人たちの、ありがたいこと!

わたしたちは、そんな友人たちにとってどんな存在になれるのか? 時々意識しながら、やっていきたいと思います。

お寺落語、面白いですよ。いつかお寺で、みんなで聴けても良いな。

現代人の幸福と宗教

浄土真宗本願寺派が発行している月刊誌『宗報』に北海道大学の櫻井義秀さんの講演が紹介されており、一読しました。

内容は全国1000名の方と面接し、「幸せ」について尋ねたアンケート調査から何が見えてくるのか、というものです。

宗教的な心は大切であるとする人や、先祖を大切にする人の幸福感は高い。
宗教施設に通う頻度の高い人の主観的幸福感も高い。

このように分析がなされていました。

主観的幸福感とは、「その人が幸せと感じているかどうかを、感情や認知を手がかりに測定したもの」ということです。

櫻井教授は、「幸せ」を「よき生」だけで捉えてきたけれど、「よき死」も考えるべきと提起され、次のように講演を結ばれています。

「宗教施設や宗教者は、人生の最終段階におけるスピリチュアルケア、死後の葬儀・追悼におけるグリーフケアなどを含むケアの領域において、今後どのようにして日本人の幸福感を高めるような役割を果たしていきのか。これこそが、現代仏教の課題となる」

「玄妙なる門」を修理

庫裡の玄関レールが壊れてしまい、建具屋さんに修理に来ていただきました。

建具屋さんはご町内のお寺の役員も勤められているそうで、修理の最中、お寺トークとなり、いろいろ教えていただきました。

レールを直すことはできず、新しいものと取り替えなければならないとのこと。とりあえずの応急修理を施し、後日、本格的にとなりました。

玄関とはもともと仏教語で、「玄妙なる関門」が縮まって玄関というようになったそうです。

今の状況は、玄妙というより、危うい門となっていますので、しっかりと直していきたいと思います。

東の友人からハガキをいただく

東京時代に知り合った方からハガキをいただきました。

その方は、原発をなくす市民運動に関わっておられ、不肖私も3.11東日本大震災と原発事故を経て、何かしなければと国会前にかけつけた1人です。頼まれて運動を下支えするお手伝いするようになり、新たにたくさんの知り合いができました。私には財産と呼べるようなものはありませんが、この方たちと知り合えたことは財産だと思っています。

本願寺派の大谷光真前門主は原発事故を経て、原発に反対の意思表示をされており、心強く感じたものです。

原発はなくなってはいませんが、国民世論は大きく変化しました。原発輸出も事実上できなくなり、廃棄を含め莫大なコストがかかることが自明となり、コストが安いという政府のPRも通用しなくなっています。

いまも毎週金曜日に国会前で、一日も早く原発をなくそうとねばりづよく、あきらめず頑張っておられるみなさんに心からのエールを送ります。

ハガキの返事もちゃんと書かなきゃ。