磁石のごとし

先日、テレビを見ていたら、磁石の謎、なぜくっつくのか?を解説していました。

ふだんはバラバラの原子が磁石を向けると磁石の方向を向くのでくっつくということでした。

そういえば親鸞聖人も磁石のたとえを使って教えを説かれていたなあ、どこだったかな?と探していたらありました。

「なほ磁石のごとし、本願の因を吸ふがゆゑに」と『教行信証』で記されています。

仏様の「必ず救うぞ」のはたらきが私たちを仏様の方向に吸いつけていく、それは磁石のように、という意味でしょう。

仏など関係ないと思って生きている私が、何かをきっかけにして、仏法を聞くように変わっていく不思議さを磁石になってしまった鉄にたとえたのでしょう。

磁石化した鉄は、離れるともとに戻ってしまいますが、仏様はお構いなしに決して捨てないとはたらきつづけます。そうなると、私は磁石でありつづける状態に置かれます。つまり、少しずつ仏様の方に向かって動いていく、少しずつマシな人間になってゆく、そんなふうに教えと私との関係を親鸞聖人は味わっておられます。

ヒトが猫に吸いつけられるのはナゼ。網代にて

草花が芽吹く

網代布教所に植えたオキザリスとヒマワリが芽吹いていました。晴れ続きでどうなるかと心配でしたが、まずはよかった。

仏教では原因があり結果があるということを因果といいます。タネが因でハナが果。水や太陽が縁といえるでしょう。

明日から隔週木曜は終日、網代にいる予定です。布教所をもっと活用するべくみなさんと知恵をだしあえればというところです。

庭の方はやはり草が伸び始めていましたので、さっそく明日は草刈りが必要になるでしょう。

それから、ベテラン世代の方に混じって習字も習うことになったので、少しでも上手な字が書けるようになれば。

もちろん、それだけでなく、さまざまな縁が生まれると楽しいひとときになることでしょう。

恩を知る

新坊守のお父さんお母さんが法要に参詣してくださいました。

法要が終わった日曜の夜、お父さんの亡きお母さんの生前のエピソードを聞かせてもらいました。

「とにかく困った人がいると放っておけない」
「誰に対しても分け隔てがない」

裕福ではなかった暮らしのなかで、貧しい人、困っている人がいれば当たり前のように助ける、そんな方だったそうです。

そして、そのことを一切、鼻にかけないでやってしまう。

「あんなに慈悲深い方に出会えたことに、いまでも感謝している」とお母さんはおっしゃっていました。

なかでも、お父さんの友人が、精神的に不安定になった時、お母さんが1年半に渡って身の回りの世話をしたという話には、本当に驚かされました。

以前にも少し書きましたが、「恩」という言葉には「私のためにしてくださったことを覚えておく」という意味があります。

そしてその受けた「恩」は到底、受けた人に返せるものではない。

だから、覚えておいて、次の世代の人たちに「報」らせていくことが大切。

「恩」と「報」は仏教にとっても大切な精神です。

亡きお母さんの思い出話を聞きながら、受けた「恩」は、坊守のお父さん、お母さんの生き方にもつよく影響を与えたのだなあと感じた次第です。

本当にありがたいお話でした。

おしゃべりカフェを見学

地域の高齢者の居場所として運営されている「おしゃべりカフェ」(鳥取市内)が3周年を迎えたと聞き、見学に行きました。


会場は個人宅。開始当初は名の通り、お茶を飲みながらおしゃべりする場でしたが、昨春から昼ご飯の提供も始まりました。ひとりより大勢の方がご飯がおいしく、食事量も増えるそうです。


高齢者の食事会は増えていますが、このカフェのように毎週開催は、まだ珍しいとのことでした。「毎週あるからいいわよ」と90歳のNさん。この方の他に、90代の方が何人もおられました。

今日は社協や近所の病院職員も立ち寄り、総勢50人に。


鳥取弁を教えてもらいながら、みんなで食べるカレーの美味しかったこと!

参加費は、昼ごはんあり200円、お茶だけなら100円です。

お寺でもやれないかしら?(坊守)

継職法要を勤めました

100人近い参詣者のみなさんといっしょに継職法要を無事勤め、西法寺は代替わりしました。

39年に渡り住職を勤めた前住職もホッとしたことと思います。

江戸時代の初期に開山し、四百年余。
歴史を積み重ねてこれたのは門信徒のみなさんの尽力があってのことです。

門信徒の皆さんとともにお寺を作っていくこと、

そして、いま御縁のない方達との接点を作っていくこと、

西法寺に何ができるのか、知恵を出し合って寺院運営を進めていきたいと思います。

いよいよ明日

住職継職法要は明日となりました。

最終的な打ち合わせを行い、本堂いっぱいに椅子を並べ、あとは勤めるだけです。

お仕事帰りに手伝いに来てくださった方がいらっしゃいました。

400年以上続いてきたお寺が、次の代を迎えられることは、ひとえにこうした門信徒のみなさんがあってのことです。

これまでお寺を支えて下ったみなさんへ恩を返すことはできないけれど、受けた恩を別の形で、次に伝え、引き継いでゆく。

感謝の気持ちを込めて、いまできる限りの法要をお勤めさせていただきます。

内陣のお飾りについて

本堂は、本尊が安置されている内陣(ないじん)と、お参りの方が座る外陣(げじん)に分かれます。

今日の午後、内陣のお飾り(荘厳ーしょうごん)をしました。

御本尊の真ん中からろうそく、香炉、礼盤(らいばんー座るところ)がまっすぐになるように微調整。

打敷(うちしき)という尊前を飾る装飾布をかけ、

前を飾る卓の上に、ろうそく立て、花瓶をそれぞれ一対。真ん中に香炉(こうろ)をおきます。

普段のお飾りとは違うスペシャルバージョンです。

その違いも楽しんでもらえたら幸いです。

「散華」します

法要のときに散華(さんげ)といって、花びらに見立てた華葩(けは)という紙を投げる作法があります。

中央仏教学院時代には、朝のお勤めで何度か経験しましたが、実家に戻って散華を行うのは日曜の法要が初めてです。

会奉行さんは、「学院ではそっと下に落とすような作法だったと思うけど、大きく投げてもいいですよ」とおっしゃっています。

なので、勢いよく投げてみたいと思いますが、問題はタイミングです。

法要の中では11回、投げる動作があります。

10人のお勤めで11回投げますから、111個の花びらが舞うことに。

「さーんーげーえ」

と読むところと、

念仏「あみだぶ」の「あ」の発声と同時に投げていきます。

この散華は

普段と違う法要だなと参拝された方に思っていただける瞬間かもしれません。

手製の経本づくり

日曜の法要では「讃仏偈」(さんぶつげ)、そして「正信念仏偈 第二種」というお経を唱えることになっています。

この2つを一つに納めたお経本はなく(たぶん)、パソコンの力を借りて手作りしました。

それにしても紙というのは奥が深い。

さまざまな種類と厚さの紙があることを知りました。

表紙は和紙です。

お経の本文は浄土真宗総合研究所のデータベースにあるので、引っ張ってくるのは簡単ですが、お経の横にある「博士」(はかせ)という記号を再現するのはなかなか簡単にはいきません。

作画ソフトを使って一つひとつ書いていきました。

使う機会は一度きりですが、今回、お経をテキストで打ち込んだことは、今後、独自のお経本を作るときに役に立ちそうです。