自分のしたこと、しなかったったこと

「他人の過失をみるなかれ。他人のしたことと、しなかったことを見るな。ただ、自分のしたことと、しなかったことだけを見よ」(岩波文庫『ブッダ 真理のことば 感興のことば』中村元訳・17ページ)

このことばは、よく人間関係において使われます。相手のダメなところを指摘すると口論になるから、自分のことに専念すれば口論にならないといった。たしかにそう思います。

ですが、いま新型コロナウイルスに向き合う日々のなかで、ブッダのことばは、抜き差しならない現実をあぶりだしていると思います。あまりいい意味ではなく、欠点・課題として。

外出自粛要請のなか、外に出かけてしまった人たちをわさわわざテレビカメラを持って報じるワイドショーは、あきらかに他人の過失を罰しています。

PCR検査を増やすという約束を守れなかった加藤厚労大臣は、「2万件やると申し上げているわけではありません」と、自らのしなかったことを見ようともしません。

安倍首相は、緊急事態宣言を1月のばすようですが、さらなる痛みを強いられる人びとが増えるでしょう。失業者は77万人生まれると予想されています。

政府は、したこと、しなかったことをどう検証しているのでしょうか? 思うに、要請に従うものにも十分な補償はしない、従わないものには社会的制裁ではありませんか。

宣言が延長される主たる要因はもちろんコロナウイルスの感染拡大でしょう。ですが、自粛を守れない国民にも責任があるなどと転嫁されるのはたまりません。

したこと、しなかったことを謙虚に見つめて、政治の責任を果たしていただきたい。

メーデーは、コロナ電話相談

労働者諸君!(寅さん風に) 坊守です。

きょうは「メーデー」100周年らしいですが、こんな時なので中止。かわりに、鳥取県内ではコロナ電話相談が明日まで持たれます。

わたしも網代の草刈り後、電話をとってきました。労働組合の経験はあまりないのですが、知らない方のお話をうかがったり、生活相談なら大丈夫なので、少しでも何かしようと相談係に手を挙げました。

電話はそんなにたくさん入っていませんでしたが、「仕事が待機になり、おうちのローンが払えるか不安」という方と話しました。ダブルワークしていたが、ひとつダメになったという方もいました。収入半減どころか8割減でした。

同じ時間に係をした病院職員から、鳥取でもコロナの影響を受け始めた患者さんが出てきたことを教えてもらいました。「大変な方々が出るのは、これからでしょう」と彼女。

また、彼女は「お寺の方たちにもきいてほしい話がある」と。経済的困難を抱えた患者さんが、葬儀やお墓をどうしようかも死後のことにも悩みながらあられることを話してくれました。いまは献体ですら、コロナ問題を理由に受け付けてもらえなくなっているそうです。

僧侶の皆さんには貧困の現状を、一端でも良いので知ってもらえる機会があればいいな、と思いつつ戻ってきました。いくらでも情報提供できます。宗派も問いません。

明日も相談は受け付けます。お近くで不安な方がいたら、知らせてあげてください。

GWの城原海岸

網代道場の花壇おこし終了しました。集落を歩いているとご門徒さんが草花に水撒き中。話題はコロナ。「怖いですなぁ。早くおさまってくれないと」と。緊急事態宣言も延長の見込み。田舎では3密になりにくいとはいえ、手洗いなど引き続き対策の必要な日々が続きそうです。

田後に届け物があって、網代から田後の海岸線を走行。途中、城原海岸のビューポイントで写真を撮りました。

しらわら海岸と読みます

山陰のいちばんいい季節なのですがねー。

田後港

道場の草刈りへ

午前中、網代道場の草刈りへ。

ビフォー

アフター

花壇にひまわりを植えようかと思いましたが、これではムリ。

昨年、網代のMさんが花壇に「春菊植えさせて」と種を撒いて収穫されましたが、その次の世代が自生したのでしょう。花が咲いていました。

午後からも再び草を刈ってきます。

ツツジが満開です

お寺の掲示板(5月)

きょうは月末ですが、5月の掲示板はこれでいきたいと思います。

本願寺派が作成したメッセージポスターです。

いま 私にできること

私のいのちを 大切にすること

他の人の いのちを 大切にすること

自分は大丈夫と 過信しない。

必要なものは 人と分かちあう。

根拠のない情報に 振り回されない。

不安が生み出す偏見や差別の心を 持たない。

厳しい状況の中 力を尽くしている方々に 感謝する。

ポスターには、そのように記されています。不安が恐怖と排除を生み、あからさまな差別的言動が見受けられます。一部では、エスカレートして行動にまであらわれています。戦前の時代には、デマにより朝鮮人を殺害したり、隣組でおたがいを監視しあったりしていました。こういうことをみていると過去の愚行を繰り返さない保証はないのではと、とても危惧しています。

誰だってうつるかもしれないし、うつすかもしれないのです。差別したり、排除したり、密告したりする前に、私には、あなたにはできること、やるべきことがあると思います。いま社会に必要なのは、弱いものをいじめる自警団ではありません。

そんなことをこの4月は思っていたので、本願寺派のポスターの見識に、私は救われる思いがします。

「隣る」

朝、NHKの「ここから」を見ました。タレントの中川翔子さんのインタビューです。彼女はいじめ体験を語っていました。


「隣る」


中川さんの言葉です。いじめを受けた中川さんには、いつも隣にいてくれた親友がいて、その存在が大きな支えとなったそうです。
「いじめられている側は、ぜったに悪くない」との中川さんの言葉を、「いや、そうは言っても」といじめられる側に非をもとめる限り、この社会からいじめはなくせないと思います。


中川さんのいう「隣る」。実は、法事で歌う「しんらんさま」にもでてきます。「隣る」ではなく、「となり」ですが。


そよかぜわたる あさのまど
はたらく手のひら あわせつつ
南無阿弥陀仏 となえれば
しんらんさまは にこやかに
わたしのとなりに いらっしゃる

この歌を作曲されたのは、朝の連続ドラマ「エール」のモデル、古関裕而さんです。
歌詞も曲もとても情感があります。涙しつつ歌ったり、聴いている方の姿によくふれます。隣にいる、いてくれているのだなあと感じられることは、あたたかく、生きる支えになるのでしょう。


中川さんに「隣る」との言葉を教えていただき、「しんらんさま」にこめられたメッセージにも気がつかされました。そんな歌を残してくださった古関裕而さんにも深く感謝です。

小動物の転落防止策について

連休、通信教育のレポート作成に突入する前に、先日のナモの冒険に関する顚末を報告いたします。坊守より

【報告】高所に登る小動物の転落防止策について

ネコ科ネコ属
推定年齢9カ月 雌

目的)月齢があがり、体力がついて家屋の梁に駆け上がるようになったが、降りる能力が未発達で、転落リスクあり、安全策を検討した

方法)梁に上れない対策を行うことは構造上困難。柱などに釘を打ち付けて棚をかけることは世帯主が許可しないため、それ以外の手段を検討。
梁の直下に鴨居にかける棚と段ボールを置き、その下に突っ張り型の棚2本を設置。棚は高さを違えて階段様にした。

結果)ネコは、段ボールまではスムーズに降下したが、棚には恐怖を示した。世帯主が、カツオ生節(コンビニエンスストアで入手)で誘導し、棚への足の運び方を訓練した。
ネコは以降数日間、棚の移動ができなかったが、4日後、段ボールから棚へと方向転換しながら、自力で床に降りることができるようになった。

考察)「転落防止」という最低限の目的は達成した。
ただ、ネコは降下時にのみ、棚を使用しており「安全安心に高所に昇降する」という保証はない。
今後の課題は、棚の補強。釘は使用できないため、棚には不安定性がある。
また、設置者は、方向転換や後退が苦手なネコの特性にさほど配慮しなかったため、得意な動線にあわせた棚の組み替えが必要である。
ネコ本人は、一定の満足を得ているとみられる

(以上)

僧侶の会議もズームに?

新型コロナウイルスの感染拡大のなかで3密を避けるためオンライン〇〇がすっかり日常語となっています。

僧侶の集まりも今後のことを考えてZoomでできるようになろうと、先日、下準備をしました。私はあかるくないので、鳥取東部の本願寺派寺院の集まり・因幡組(いなばそ)の組長(そちょう)さんの指導のもとセッティングしました。便利なものだなあと感心するばかりです。

Zoomって言われても最近までなんのこと?だったのですが、莫大な利益を得ている企業だと知りました。米国のシンクタンク「政策研究所」は、最裕福の34人のうち8人をパンデミック・プロフィティアーズと命名したそうです。感染症拡大で暴利を貪る者。Zoomの創始者もその一人です。

貧富の格差の拡大が感染爆発の背景にあるとアメリカでは報じられています。危機的な状況の中で、その日ぐらしの人たちは感染の恐怖にさらされ、真っ先に職を失う。技術を駆使して新たなコミュニケーションツールを開発した人はますます富む。

Zoomという単語には拡大、縮小という意味があります。貧富の格差は拡大ではなく縮小しなきゃと思うのでした。

西法寺ミニ農園(仮称)

GW中は法事の予定はほぼありません。どこのお寺さんも似たような状況ではないかと思います。京都から山陰の寺院のところに仏具や衣体の販売で来られる業者さんが昨日、うちにも立ち寄られ、「4月はきびしいですわ」とこぼしていました。

昨日は午前中、カミュ『ペスト』の第2章を読み、午後は畑仕事。

西法寺ミニ農園(仮称)で耕運機を動かしウネをたて、野菜を植えました。サトイモ、プチトマト、ズッキーニ、ピーマン、オクラです。イノシシ、シカ対策をしていないので、さてどうなるか。うまく育ってくれるといいのですが。

あとは今年もひまわりを植えます。

東大寺の祈り

東大寺が宗派の枠をこえ、正午に祈りを捧げようと呼びかけ話題になっています。

4月9日は大仏開眼の日でした。疫病やわざわいを仏の力によって鎮めることを目的として東大寺の大仏は造られました。これほど祈りがふさわしいお寺はないと思います。密閉されたような社会の雰囲気を吹き飛ばせたらというよびかけには共感します。

親鸞聖人は40代前半の頃に、『浄土三部経』を千回読誦しようと思い立たれ、実際に読み始め、しかし数日でやめられています。世の中に飢餓や疫病、自然災害が広がっていたから、どうにかして救いたいと考えられたのでしょう。

読むのをやめたことを従来、真宗では、仏の救いにある(他力)のだから、自力でなんとかするという人の執心を反省されたのだと解釈します。しかし、本願寺総合研究所の丘山新さんは、「現代の私たちが読み取るべきポイントは、親鸞の、共に生きる人々への変わらぬ思いではないか」(『本願寺白熱教室』167ページ)と指摘されます。私はこの指摘に、深く共感しています。

自分の祈りには、病気を治す力はまったくありますん。けれども苦しんでいる方を思うことはできます。患者さんをなんとか助けたいと力を尽くして献身されている方、日常生活を守るために働いてくださっている方に感謝することもできます。正午にできるときは本堂で、仏壇の前で、できないときはその場で手をあわせなんまんだぶととなえたいと思います。

そして、それ以外にも自分にできることを見つけて実践しなければと思います。

親鸞聖人が手紙に記した「祈り」については4月9日にブログでとりあげました。

https://bit.ly/2yLLyqg