昼間にカラオケが本堂でできるのか、実証実験しました。
機材は、プロジェクターとスクリーン、AmazonのFire TV、Bluetoothでつながったスピーカーとマイク。
カラオケアプリをダウンロードして、いざ。
できました!

1人カラオケしましたが、虚しいので2曲でやめました笑
あとは雰囲気作りを考えたいと思います。
昼間にカラオケが本堂でできるのか、実証実験しました。
機材は、プロジェクターとスクリーン、AmazonのFire TV、Bluetoothでつながったスピーカーとマイク。
カラオケアプリをダウンロードして、いざ。
できました!

1人カラオケしましたが、虚しいので2曲でやめました笑
あとは雰囲気作りを考えたいと思います。
岩美町は日中、激しい雨が降っています。午前中はお寺の責任役員会、日中は百箇日の法要をご門徒さんのお宅で、夕方は短時間、町内会の寄り合いを。議題は雪かきです。そんな時期になりました。大雪の場合は除雪をお願いしないと車が通行できません。
百箇日の法要の際に質問がありました。「お正月のお餅はいくつお供えしたらいいですか? 仏具屋さんにはご本尊の前、左右対称に一つずつと教えられ、近所のご門徒の方には3つと教えられました。どっちがいいですか?」
うーん、難問です。
お寺ではご本尊の左右には2つお供えします。供笥(くげ)という供物台は左右対称に2つというのが仏壇では一般的でしょうか。3つというのはどこからきたのか分かりませんが、間違いということでもないでしょう。お仏飯を阿弥陀さん、親鸞聖人、蓮如上人の前にと合計3つお供えする方もいらっしゃるでしょうから。ですから、「どちらでもいいのでは」とお答えしました。
ご存知の方がいらっしゃれば教えてください。
2つか3つかとの話を聞きながら思いました。この10月に新たに求められたお仏壇です。新年を迎えるのも初めてです。お仏飯もお餅もいのちの恵みであり、阿弥陀さまからのお恵みです。そのことに感謝して、手を合わせる生活が、ご門徒さんの家でスタートしたのだなぁと。
今年も残すところあと20日あまりです。
今日は、西法寺通信第15号(新年号)のインタビューのため、Yさんにお寺に来ていただきました。
若い頃、漁のさなかに大きな事故に遭われ、その試練に向きあって生きてこられたこと、
47年間、勤務された漁協、そして地域とのつながり、
本堂修復工事をきっかけにしたお寺との関わり、
「振り返ってみると、波乱万丈の人生でした」
90分ほど、お話をうかがいました。ほんの少しのエピソードしか誌面では紹介できないのが残念です。
平成17年に本堂が修復され、記念の法要がありました。その写真には20年ほど前のYさんの姿があり、離れたところに私と坊守の姿があります。当時は、ただ帰ってきて法要に出席しただけでした。もちろん面識もありません。時を隔てて、Yさんから、こうして親しくお話をうかがう関係になったわけです。そのことをとても嬉しく、ありがたく思います。
今日の午後は、3階目となる講座でした。本願寺と、参加寺院をズームでつないでのオンライン講座です。
今日は、横文字がいっぱいでした。
マーケティング、ターゲット、ペルソナ、、、。
要するに、受けて目線に立って寺院運営を考えようということです。

お寺の再興をグループで考えましょうということで、蓮教寺さんという過疎地にあるお寺さん(架空)をいかに盛り上げていくのかグループで話し合いました。
蓮教寺さんの現状と課題がA47ページにわたる資料で提示されました。どのようにしてそのお寺さんを盛り上げていくのか、というのが今回のメインテーマでした。
資料に何度か目を通しました。標高500メートル、山の頂きに位置し、雲海に覆われる。坊守さんは、80代の地元のおばあちゃんから郷土料理を教えてもらっている。お参りされる方の7割は男性がしめる。地域の外、車で1時間〜2時間のところに住んでいるご門徒さんも少なくない。次の住職さんは、若い頃、音楽活動に力を入れ、またお寺のホームページを毎日更新している。
こういった点をピックアップして、企画を考えました。
60代の女性に来ていただきたい企画
「頂きでいただきます」
内容は、①雲海を見る、②郷土料理・精進料理を作って食べる、③カラオケ
この3つを平日の午前中から昼の早い時間にかけてやってみてはどうか、とまとまりました。雲海に浮かぶお寺をポスターやチラシにして宣伝しようとなりました。雲海を眺めながら美味しいコーヒーなんて飲めたら最高ですね。
「頂きでいただきます」は私の案です。ダジャレですね。
でも結構、ウケがよかったです。
次回は、参加寺院オリジナルの寺院運営計画書の発表会です。発表は7分でということです。
まだ1行も書いていません。12月22日までに一度提出する必要があるとのこと。年末の作業と同時進行ですが、役員のみなさんにも意見をいただいて、なんとか完成させたいと思います。
坊守です。
日にちが経ちましたが、この前の日曜日(3日)、鳥取市が行った「つながりサポーター養成講座」に参加しました。
講座は、増える孤立をなんとかしよう、行政機関では足りない部分があるので、地域住民・民間の力も集めよう、という問題意識で開催されました。
前半は学習。
「孤立」はなぜ、放っておいてはいけないのか?孤独とはなにが違うか?いのちに関わるような困りごとを抱えても「助けて」と言えない人が増えている背景にはなにがあるのか?
日本福祉大学の原田正樹先生が、わかりやすく解説してくれました。
格差が拡がり貧困が増える方向に変化してしまった社会と、福祉のあり方(タテ割りな上に、困っている当事者が、自分から助けてと言わないと動かない)をつきつけられて、何度もため息が出ました。
病身の親子、シングルマザー、老老介護、少なすぎる年金で一人暮らしする高齢者…食料支援でつながった人たちひとりひとり、思い当たることだらけだったからです。
そこに、先週もお話下さった北九州の奥田牧師の講演が続き、これからの支援は、つながり寄り添うことを大事にする伴走型が求められていることを痛感しました。
「あなたがいる
わたしがいる
なんとかなる」
という講演の最後を締めた言葉が印象的でした。
鳥取市で初のこころみだけあって、開会には市長もあいさつにきて、テレビカメラも入っていました。自治体にはできることがもっとありそうなもんやのに、がんばってェなぁ…というツッコミは今回封印して、1日の講座をまじめに受講しました。

午後からのグループワークも、知らない人同士でしたが「困っている人をひとりでも減らすために何ができるか?」という問題意識を持つ人たちとの話し合いは、充実した時間でした。
こうして誕生した「つながりサポーター」一期生は約40人。これからが肝心なので、ボヤボヤせずにいきたいと思います。
※ご興味ある方は、お声かけください。資料などお見せします
朝8時前から机に座って、来年の法事の案内をパソコンで作っています。
法事は、1周忌、3回忌、7回忌、13回忌、17回忌、25回忌、33回忌、50回忌となります。50回忌は、昭和49年にご往生された方をご縁にした法事となります。
本日の作業は夕方4時半で終了。完成まであと一歩。週末には案内を始められそうです。
うちのお寺では、こんな用紙を使っています。
縦にミシン目が入っていて、3分割できます。
非常に便利です。これをご門徒さんに手渡しや郵送で届けています。

本堂に張り出す年回札は手書きしています。こちらは年末の大仕事になります。来年は今年よりも法事の件数が多くなりそうです。
午前中には地元の日本海ケーブルさんにきていただきました。ズームでの会議や研修の際、映像や音声が途切れることがあり、不便を感じていました。「土壁は電波が届きにくいですから」と業者さん。改善策を提示していただき、27日に工事することになりました。本堂含めてインターネット環境がよくなればと。業者さん、よろしくお願いします。
今月24日、市内の立川団地にて、午前11時より無料市が予定されています。今日は午前中、実行委員会のミーティングがズーム上で行われました。
今回は、団地自治会の方からもボランティアとして参加したいとのお話があったそうです。うれしいことです。
お寺のご門徒さんからも、先日、物資をいただきました。
野菜、日用品など、供出していただけるものがあれば、住職までお声かけください。

私は、スピーカーを持っていっていこうと思います。お寺はクリスマスには縁がありませんが、クリスマスソングでもかけながら、少しでも楽しい気分を演出して、利用されるみなさんを迎えたいと考えています。サンタやトナカイも登場してほしいところです。
日本代表、残念ながらベスト8に届かず。
勝つチャンスもあったと思いますが、同点に追いつかれて以降は、なかなか攻め込むことができず、試合を押し気味に進めたクロアチアが最後、PK戦を制しました。
ワールドカップに向けて、たいへんな努力を傾けてきた選手のみなさん、監督、スタッフの皆さん、お疲れさまでした。ドイツ、スペインに勝てる日が来るなんて思いもしませんでした。
トーナメントはここからいよいよ本番ですが、次回のワールドカップは、少しでも戦禍や貧困から遠かった世界のなかで楽しめるように頑張らないとと思いました。
今日は日中、報恩講に懇志をよせていただいたみなさんに受納書を届けて走りました(歩きました)
銀山→長谷→大谷→網代→田後→岩井です。10,000歩をこえたのでいい運動になりました。

網代の蒲生川河口付近にはたくさんの鴨が羽を休めています。数えると45羽いました。越冬のため大陸から渡ってきたのでしょうか? 寒い中、健気に、たくましく生きています。

帰りにサンマートに寄ったところ、ご門徒さんがいらっしゃって長話に。若い頃からの大変な苦労話をうかがってびっくりしました。「若い頃は血の涙を流すような辛いことがあったけぇ。誰も助けてくれんし、いえんし。今は年もとって、いつまでもでしゃばらず、ちょっとでも人のためになることをしたいと思って過ごしてるだが。日々に感謝だで」と。そのご苦労はとてもここでは書けませんが、強烈にインプットされたので、また機会があれば続編を聞かせていただきたいと思います。
ナモです。

あたいがおいたんにおうちにつれてかえってもらってから、きょうでまる3ねんになったそうです。
そういわれても、きょうは、まいにちあるあさとかわりがありません。
のらねこのシマちゃんは、いつものようにおげんかんのまえで「ニャーン!」と、おおごえでないて、おばたんがげんかんをあけたらまたいつものように「ハーッ」といいました。

あたいは、シマちゃんがもらうカリカリ(おおきなふくろにはいった、おとくなきゃっとふーど)が、いちばんすきなので、シマちゃんがごはんをよばれるところを、じっとみていました。そしたら、おばたんが、ひとにぎり、シマちゃんのごはんをわけてくれました。これは、いつもとはちがうことでした。

「あんたは、あじろのおかあちゃんたちと、おそとにいたんだよ」と、いわれても、あんまりおぼえていません。シマちゃんのごはんをおいしいとおもうのは、あたいがおそとにいたときに、もらっていたごはんと、にているからかもしれません。
ひろわれてきたときは、おみみのなかがまっくろで、おなかにむしがおって、びよいんでおみみそうじをしてもらい、むしをだすおくすりをごっくんしたんだそうです。
おそとは、コタツとか、しゅとーぶもないので、たいへんだとおもいます。
いまは、ふゆになったので、ばんは、おいたんかおばたんのおふとんのうえに、くぼみをつくってねています。ぬくぬくでねむりすぎるので、こないだは、ター坊もオンちゃんもおきたのに、あたいだけ、おふとんのなかで、ねぼすけでした。

おばたんが、だいどころのおいすできゅうけいをはじめたので、おひざにとびあがって、いっしょにしゅとーぶにあたりましょう。


