放哉を書いてみる

今日は習字教室です。今週から尾崎放哉の自由律俳句を書いています。放哉は地元鳥取出身です。句集から好きなものを選び、先生の手本を真似てかきましたが、う〜ん。

傘さしかけて心よりそへる

書いた作品は、第13回全国公募書道展に出品されます。先生によると、「出品すればみんな入選ですから」とのこと。これは冗談だと思いますが、面白そうなので、出品したいと思います。

無量のはなし

今日はある方の納骨でした。お孫さんのTくん(中学2年)も学校を早退して参ってくれました。

彼は先生です。というのも、私が49歳にして初めて知ったことを、小学生のころから知っていて、暗記していたからです。

一から十、百と単位を数えていくと、恒河沙、阿僧祇、那由他、不可思議、無量と続きます。お経によく出てくることばです。それが数の単位であったということを私が知ったのは昨年のことでした。

7月発行の西法寺通信で、無量について書きたいと思っていたので、Tくんに書いてもらったのです。

ただし漢字で書くと、単位というのは難しい。音では完璧に暗記しているそうですが、事前に紙に書いて予習をして今日に臨んでくれたのでした。

無量ってどんなイメージなのでしょうか? 無限とは似ているようで違うように思います。無限に広がる宇宙というと、私たちの存在とは関わりなくということでしょう。しかし、無量に例えば光がくっついて無量光となると、私たちの苦しみ悩みがある限り仏は照らし続けるという意味となります。寿命がつくと無量寿命となります。私たちと関係なく仏さんは無限のいのちなのだ、ではないでしょう。生きとし生けるものの悩み、苦しみがある限り、それによりそう仏さんの寿命には限りがないっていうことだと思います。だから無限光とはいわず、無量光、無量寿というのでは、などと考えているのですが、どうなんでしょう。

感無限ではなく感無量。無量の可能性ではなく無限の可能性。無量大でなく無限大。いやー、難しい‥。

先祖とのつながり

3月に葬儀をつとめたご家族の方から、お寺の納骨堂に納めたいとの連絡をいただいて、あすは納骨のお勤めです。お墓を新たにつくる家、墓じまいをして納骨堂に納めたご家族、そしてお墓は建てず直接、納骨堂に納められる方、さまざまですが、先祖とのつながりを大切に思うという点において大きなかわりはないように思います。

納骨堂のまわりをきれいにしておこうと、スギナを刈りましたが、本日、岩美町は33度もあり、すぐに撤収しました。つづきは明日の早朝に。そして、あす参ってくれる中学生に、ちょっとしたお願いをしてあります。さて、こたえてくれるかどうか。明日のお楽しみです。

らっきょう切りのシーズン

鳥取砂丘の名産品といえばらっきょうです。岩美町の西隣旧福部村(現鳥取市)は一大生産地。岩美町内でもらっきょうを切る方たちの姿を見かけるようになりました。

今日、網代の集落を歩いていると、あるご門徒さんも作業の真っ最中。

らっきょうを切りながら、「コロナウイルスのことがあって、もっと役に立つことをしたいと思うようになったんです」と胸の内を話されました。

私も思うことがさまざまあります。何か形にできることはないのか、考えていきたいと思います。

家の前に日除を作ってきっている方もいらっしゃいました。

実はあまり好きじゃないけれど、今年は食べてみようかな。

岩井のいっせい清掃再開

月1回の岩井地区のいっせい清掃が再開されました。

朝7時より川、溝の清掃をして、7時半から30分、それぞれの担当場所での清掃です。

2ヶ月間、コロナウイルス感染防止のため中止だったので作業としてはやりがいもあったような…。

我が家の庭木も伸び放題です。梅雨を前に剪定作業にとりくまなければ!

一つのことに打ち込む

午前中は新しく仏壇を購入されたご家族の入仏(にゅうぶつ)法要がありました。ご主人は70代半ばまで漁師として働いていたそうです。長年の労をねぎらうかのように、感謝状が部屋に飾られていました。

午後はお寺の通信のインタビューのため町内のご門徒さんのお宅へ。郵便配達員として40年にわたり勤務された方です。「委託をしていた集落を除いて町内の95%の家は覚えていましたよ」とのこと。台風の日も、豪雪の日も配達をされたそうです。

長年にわたり一つのことに打ち込む、地に足をつけた仕事にあたる方たちのおかげによって、私たちの日常は守られているのです。深く感謝。

消費税減税…ドイツの話ですが

私の場合、寝ぼけ眼でNHK BS1のワールドニュースを見つつ1日がはじまります。今日の朝、ドイツのZDFがメルケル首相の発表した経済対策を報じていました。かなり目の覚めるニュースでした。
来月から半年間、消費税を19→16%に、食料品などに適用される軽減税率を7→5%にそれぞれ引き下げるそうです。電気自動車購入への補助増額、電気料金の引き下げ、子ども手当(一人当たり日本円で37000円)などもあわせて。

個人消費の回復を図ろうというねらいのようです。


メルケル首相が女性としてはじめて首相に就任して約15年。東日本大震災と原発事故にふれて原発推進から撤退に政策を大転換させたり、付加価値税を、期間限定とはいえ16%に引き下げることを表明するなど、遠い日本から見ていてもすごいリーダーシップだなあと感心します。


そういえば布マスク、鳥取にはまだ届きません。go toキャンペーンの事務費が3000億円にのぼる、持続化給付金事業の不透明な業務委託…。嘆いても仕方ないけれど、政治の違いを感じます。

ナモの日記

ナモです。
しばらくぶろぐをかいていなかったけど、げんきです。

きょうのあさ、おいたんがオハヨウのだっこしてくれたとき
「あんたがきて、ちょうどはんとしになるよ」と、おはなししてくれました。
はんとしってなに?
おばたんも「そんなになるの?ナモちゃん」と、にこにこしたのでうれしくなりました。

それで、おいたんと、おにごっこしました。
おにごっこは、はしりながらニンゲンのおひざにたっちして、にげるあそびです。もうすぴーどではしれるようになったので、おには、いつもおいたんです。おいたんは、あるきかたをほんとうにこわくするので、あたいはほんきでにげています。
あそびのはなしをしたので、もうひとつだいすきなあそびは「とってこい」です。
ネズちゃんのおにんぎょうを、お2階にぽーんとなげてもらったら、ナモがおいかけて、おくちでくわえて、おおいそぎでおりてきます。
なんかいもしてると、ぱたん!とたおれて、きゅうけい。のどがかわいたら、おげんかんのきんぎょさんたちに、金魚水(きんぎょすい)をわけてもらっています。おばたんは、オエーといいますが、おさかなのあじがして、おいしいのよ。

おふろをのぞいたり、げんかんのおはなであそぶのもすき。


よるは、おばたんのおふとんのはしっこでねんねしますが、おいたんが「いいよ」というときは、おいたんのりょうあしのあいだにできるさんかくのすきまで、ねんねです。
このまえは、おふとんのちかくでムカデもみつけて、ほめてもらいました。

ちゅ〜るもらいました

きんきょうは、このくらいにします。あたい、あじろからきたばかりのときより、ちょっとだけおもくなって、からだはながくなりました。

ネットバンキングデビュー?

午前中は祖長(そちょう)さんに来ていただいてネットバンキングの使い方についてレクチャーをうけました。私は因幡組(そ)の事務局担当者なので、正確に実務をこなさないといけないですし、ネットバンキングなんかしたことがなかったので、使えるようになればお寺の活動にも活かせるかなと思います。

案の定、ナモがやってきたのですが、最初は部屋の前で固まっていました。が、しばらくするとパソコンのキーボードの上に乗ってきたりして組長さんを手荒く歓迎するので、ゲージにお引き取り願いました。

午後は伸び放題になっていた駐車場の草を刈り、随分スッキリしました。

それから7月の法事の予約をいただいたり、本願寺発行の要綱を眺めたり、西法寺通信に出ていただきたい方のところにお願いに行ったり、法事のお礼の葉書を書いたりしているともう夕方です。

さて、明日は我が家にナモがやってきて丸半年となります。おそらくナモが書いてくれることでしょう。お楽しみに!

つい昨日まで黒人だった

ともにアフリカを出発し、西に進路を取る「ヨーロッパ人」と東の「アジア人」が別れたのは、遺伝学の分析によるといまから五万年前から六万年前のことである。アフリカを旅立つとき、「ヨーロッパ人」も「アジア人」もアメリカ先住民も皆、黒人であった。

陽光の弱いヨーロッパ大陸の民は、次第に紫外線を遮断する皮膚のメラニン色素が抜けて白くなり、「アジア人」たちも地域によって多少異なるが、大まかにいって黒人と白人の中間的な色合いの人間になったのである。

西洋的な価値観が世界に蔓延したときから、肌の色で差別するという悪しき人類の伝統がいまも続いているが、肌の色とはたったそれだけのことである。

十万年は決して大昔ではない。つい昨日まで皆黒人だったのである。

『NHKスペシャル 日本人はるかな旅①」より。

アメリカでは毎年、1000人を超える市民が警察によって殺害されているそうです。その割合は、アフリカ系が白人の約3倍にも。しかし、上にあげた本が端的に記しているように、もともとを辿れば、私も含めみんな黒人であったのです。

トランプ大統領は、デモ隊にたいして「軍出動の用意ある」などと暴力による弾圧をほのめかしています。一体、中国が香港で行なっている市民への弾圧と何が違うのでしょうか。

今から2000年ほど前、浄土教の教えが生まれました。阿弥陀仏が立てた48の願いの中の第3番目は、こういう言葉です。

「たとい我、仏を得んに、国の中の人天、ことごとく真金色ならずんば、正覚を取らじ」

当時のインドは奴隷制の社会です。肌の色での差別がありました。そのなかから生まれてきた浄土の教えは、肌の色の違いを超え、皆が光り輝き、お互いに照らしあう存在である、それこそがいのちのあるべき姿であると、私たちに教えてくれます。

アメリカでの黒人差別・人種差別の深刻な実態と、抗議の声が全米に広がっていることをニュースで見て、浄土教の教え、仏教の教えの意味を改めて噛み締めています。

人種差別には絶対に反対です。