大須賀ひできさんコンサート開催

本日、第9回目となる「こころのコンサート」を開催しました。昨年を上回る70人の方が参加されました。初参加の方も少なくなかったようでした。ブログを見てきてくださった方も。みなさんありがとうございました。

出演は元デュークエイセスの大須賀ひできさん(ボーカル)。そして玉木孝治さん(ギター)・拓人さん(ドラム)。お二人は実の親子です。

デュークが残した名曲『女ひとり』『いい湯だな』をはじめ、2時間に渡る熱唱でした。

京都 大原三千院 恋に破れた女がひとり

一定の年齢以上の方はみんなご存知でしょう。『女ひとり』の歌詞です。

2番は、京都 栂尾 高山寺

3番は、京都 嵐山 大覚寺

なのです! 知ってましたか?!

さて、楽しい時間はあっという間に過ぎて行きました。

参加された皆さんから3万6780円の募金を寄せていただきました。被災地に送ります。今現在大変な思いをされているみなさんのことを思うと居ても立っても居られません。少しだけでも力になれたらと思います。

来年は10回目となります。またお会いしましょう。

追伸 岩美町の方へ。後日、ケーブルテレビで紹介されますので、ご覧ください。

台風接近中

台風の目から離れた山陰地方ですが、雨、風とともにひどくなってきました。台風の勢力が弱まらないのは海水温の上昇が要因と考えられています。地球温暖化の影響で、自然災害が深刻化しているというニュースも目にします。

長年、地域に住んでいる方はよく、「台風や自然災害が鳥取は少ないところ」といわれます。しかし、そうともいえない状況が近づいてきているのではないかと心配です。

明日は第9回目となる西法寺・こころのコンサートです。今のところ予定通り開催することにしております。外の雨風の様子を耳にしつつ、本堂のレイアウトをかえました。本堂周辺の飛びそうなものも片付けたところです。

台風が通過する地域のみなさん、きょう明日は万全の対策を!

亡き人の名前を見つける

11月15日ー17日まで3日間に渡って報恩講(ほうおんこう)という法要を勤めます。

浄土真宗の開祖である親鸞聖人の命日にちなんだ法要で、主に11月、全国の寺院で営まれます。

完成した西法寺通信2号でも案内を入れ、本願寺より報恩講のパンフレットも送ってもらい、なんとかお参りをしていただける方を増やしたいと、密かに意気込んでおりました。

準備の関係で、昨年、法要にお参りされた方の名前を確認したところ、そこには今年、お亡くなりになった方の名前があったのです。

教えを聞くことを、聴聞と言います。

生涯かけて聴聞されたのだなと、感謝の気持ちでいっぱいです。

やる気がわきました。

励まされました。

声かけを広げたいと思います。

席を譲ることもお布施なんです

木曜の日課で網代道場にきています。

朝の散歩は網代⇆田後

いつも会うご門徒さんは私が歩き始める頃、田後から戻ってこられたところでした。

海には島巡り遊覧船が浮かんでいます。

市内から自転車で来たという男性は、この風景をみるためによくくるのだとか。競技用自転車、スーツ、ヘルメットと完全装備。さっそうと駆けていかれました。

歩いていると、こんな果実が道端に。

アケビです。先日、道の駅で見かけましたか、こんな風になっているのを見たのはいつ以来でしょうか。

せっかくですから小話を。

昼、なだばたさんにいったら、本日も大繁盛。猛スピードで食べて席を譲りました。

「ありがとう」と声をかけていただきました。これを仏教では、心施(しんせ)といいます。

心から感謝のことばを述べるということです。

私のしたこと。席や地位を譲ることを床座施(しょうざせ)といいます。

早食いは良くないんですけどね。

ありがとう

いえいえ

それだけのことですが、お互いに気持ち良く過ごせますようね。

ちなみにこの二つは、無財の七施のなかの二つです。興味ある方は調べてみて下さい。

無量って数の単位だったの?!

人は次の日になると前日のことの7割は忘れている、という話をきいたことがあります。

しかし、昨日は確実に覚えているであろうことがありました。

本願寺が発行しているパンフレットを読んでいると数の単位がでていました。

一、十、百、千、万、億、兆、京と、ここまでは知っていました。普段の生活では万までしか実感はないし、使うことはありませんが。

その上は、垓がい、穣じょう、溝こう、澗かん、正せい、載さい、極ごく と続くのだそうです。ふうんと読み進め、頭には特に入ってきません。

そのさらに上の世界は、実はよく読むお経に登場するこどばだったのです。

恒河沙ごうがしゃ、阿僧祇あそうぎ、那由他なゆた、無量大数むりょうだいすう

すべてよく読む『阿弥陀経』にでてきます(お経では無量)

たくさんを表しているとは知っていましたが、数の単位であったとは。

阿弥陀=無量光ですから、まさに無限に届く光を放っている、ということになります。

なるほどそうだったのか、とびっくりしたので坊守に話すと、「知ってたよ」の返答が。

というわけで、恒河沙以上の単位と坊守の一言は、多分忘れないだろうと思います。

お寺業界のカレンダー

来年のカレンダーの見本をあちこちで見かけるようになりました。

お寺業界にももちろんカレンダーはあります。

浄土真宗は、いわゆる六曜を迷信として退けておりますので、カレンダーもすっきりしています。仏滅はもともと物滅と表記されておりました。六曜と仏教とはなんの関係もないのが実際のところです。

前置きはこのくらいにして、資料として山陰妙好人カレンダーが届きました。

念仏に生きる人、信心のあつい人のことを浄土真宗では、妙好人といいます。山陰地方の4人の方のことばをカレンダーにしたものですが、味わい深いことばがつづられています。

なもあみだぶつの さとにかえるぞ うれしや

と浅原才市さん(1850-1932)は詠まれています。

いつも仏の慈悲の光の中に私はいきているなあ。帰って行くふるさとがあるのだなあ。

そんな味わいを詠まれたのかなと想像します。

発行元は山陰教区教務所。一部100円です。長形3号封筒に入る幅で、コンパクトです。西法寺ではお世話になっている総代さん・世話方さんにさしあげようかなと考えているところです。

値上げラッシュ

10月からの消費税の増税に伴う値上げ請求を知らせる通知が、取引のある会社から届きました。

小さい業者さんだと、年度の途中から年間契約を変更されずに自腹を切られるところもあるでしょう。大手になると、こんな通知であげるのかと。いや、お世話になっている業者さんに罪があるわけではありません。

増税分をかぶる業者さんも山ほどあるでしょう。日本中で、あげるにあげられない業者さんたちに身を切るようなことをさせるこの増税とは、いったいなんなのでしょうか。

線香、ろうそく、お仏壇など仏具ももちろん増税されました。

それが持つ意味の大きさを、ネット上に上がっていた記事から教えられました。

ある仏具屋さんのコメントです。

「いままでは朝夕、お線香をあげていたところを朝だけにする、というような状況になっていると感じます。生活の厳しさが増し、お供えをするような心の余裕がなくなっているのではないか」

出石はそばの町、お寺の町

昨日はお隣の兵庫県にある出石(いずし)町に行ってきました。法事がなく、坊守も仕事が休みでしたので、小旅行といったところです。

岩美町から約90分で到着。

出石はそば処として有名です。

そばは信州からお殿様の国替えとともにこの地に伝わったのだとか。小皿で供され、塩、わさび、ネギ、卵、とろろなどさまざまな薬味で楽しむのが出石そばのスタイルのようです。

蕎麦通ではありませんが、美味しかった!

出石は5万8千石の城下町です。街歩きも楽しいところでした。

赤い土壁の建物は酒蔵です
辰鼓楼(しんころう)。明治にできた時計台

街を歩いてびっくりしたのは、浄土真宗本願寺派の寺院があちこちにあること。

理由をご存知の方がいらっしゃったら、ぜひ教えてください。

イモムシたちのその後

アゲハチョウの幼虫、イモ子ズは、台風を経て6匹から3匹に減りました。

残った子たちは我が家の玄関で保護していますが、それぞれが好きにやっております。

Lサイズの個体は、葉っぱを喰うのをやめて天井徘徊をはじめました。Sサイズは枝に停滞、目を離した隙に、水面にダイブしかけて救出する羽目に。

SSサイズは、瓶の壁面にくっついたと思ったら、半日で小さな小さなサナギになっていました。

天井のLサイズは、救出して柚子の葉に戻した方がいいのか、好きにさせておいていいのか、イマイチわかりませんでしたが、どうやらこの場所でサナギになりそうな気配。

無事、蝶になるといいのですが。

映画を見てきました

県中部の北栄町まで映画を見に行きました。

『明日へ〜戦争は罪悪である』

戦前、戦争で死ぬことを肯定し、戦地に送り出す役割を果たしていた僧侶が、ある出来事をきっかけにして、深く懺悔し、戦争は罪悪であると発言し、その主張を曲げずに貫いた姿が描かれていました。

なぜ変わったのか。それがこの映画の大きな見どころです。

主演は中原丈雄さん。『花子とアン』などテレビドラマでおなじみです。私としては、『植物男子ベランダー』のおじさん役がイチオシでしたが、この映画、熱演でした。

戦争で人殺しだけはするな。

いったん起きてしまえば、殺すしかなくなる。戦争は人を狂わす。

人の命より尊いものがあるのなら、教えてください。命をなきものにする全ての行いは、悪だ。

人の道を説くものが若者を戦争に送り出した罪は重い。戦争は罪悪だ。

耳に残るセリフもたくさんありました。

モデルは真宗大谷派の竹中彰元さん。(映画では大谷派の僧侶としては描かれていませんでした)

当時の仏教者が戦争を合理化した、今となってはへ理屈に、一殺多生があります。釈尊の不殺生の教えを、多くの生命を助けるためには多少殺しても構わないとしたのです。そのあたりの下りも描かれており、考えさせられます。

うちでも上映会してみようかなあ。