田辺聖子さんの訃報にふれて。好きな作家さんのひとりでした。
未婚の中年女性、再婚同士の家族…世間の既定路線からは少し外れた人たちを生き生きと描く、関西弁まじりの、あたたかさと笑い溢れる小説で知られていますね。
私はこうした小説も好きですが、
昭和ひと桁に生まれ、戦中戦後を生きた人の証言ともいうべき自伝(『楽天少女通ります』『欲しがりません勝つまでは』)や、
阪神淡路大震災を体験して書かれたエッセイには、大きく心動かされました。
いのちのかけがえのなさ、人のあたたかさ、私たちは何を大切にしていけばエエんやろ?という問い…。
阪神大震災後のエッセイにはこんな一文があります。少し長いですが引用します。
「活断層の上であっても、また生き直せるという風な思想を私たちは育てなければいけない。(中略)それは自分だけが助かろうというのではなく、みんなで手をさしのべあって生きてゆく、という思想です。」「空襲と震災のちがうところはもう一つ。空襲にあった人たちは煤と泥だらけで真っ黒になりながら、次から次へと田舎へ脱出していきました。震災では反対に外から肉親、友人を案じて、水と食料を背負った人が、続々と阪神間や神戸をさしてやってきました。寸断された道路を歩きつづけ、瓦礫をふみこえて焦土に入ってきました。知人や身内のいない人も『おにぎりあります』と背中に書いて歩きました。それを思えば人間の原型はここにあると思います。活断層の上でも生きられる理由です」(『ナンギやけれど…わたしの震災記』より)
前の仕事の関係で、ご自宅に取材にあがったことがありました。
田辺さんが連続テレビ小説のモデルになった時のこと。〆切に追われていたにも関わらず
、対応は丁寧で優しかった。舞い上がりすぎて、サインをお願いすることさえ忘れましたが、原稿に赤入れしてもらったFAXはとってあります。
看取った旦那さんとは、お浄土で「また会える」と聴いておられたそうです。そして、「自分のお葬式にはどんちゃん騒ぎしてほしい」とも書いておられました。でも、やっぱり、身近な人たちには寂しいに違いありません。私でさえ寂しいのですから。(坊守)
