無量って数の単位だったの?!

人は次の日になると前日のことの7割は忘れている、という話をきいたことがあります。

しかし、昨日は確実に覚えているであろうことがありました。

本願寺が発行しているパンフレットを読んでいると数の単位がでていました。

一、十、百、千、万、億、兆、京と、ここまでは知っていました。普段の生活では万までしか実感はないし、使うことはありませんが。

その上は、垓がい、穣じょう、溝こう、澗かん、正せい、載さい、極ごく と続くのだそうです。ふうんと読み進め、頭には特に入ってきません。

そのさらに上の世界は、実はよく読むお経に登場するこどばだったのです。

恒河沙ごうがしゃ、阿僧祇あそうぎ、那由他なゆた、無量大数むりょうだいすう

すべてよく読む『阿弥陀経』にでてきます(お経では無量)

たくさんを表しているとは知っていましたが、数の単位であったとは。

阿弥陀=無量光ですから、まさに無限に届く光を放っている、ということになります。

なるほどそうだったのか、とびっくりしたので坊守に話すと、「知ってたよ」の返答が。

というわけで、恒河沙以上の単位と坊守の一言は、多分忘れないだろうと思います。

お寺業界のカレンダー

来年のカレンダーの見本をあちこちで見かけるようになりました。

お寺業界にももちろんカレンダーはあります。

浄土真宗は、いわゆる六曜を迷信として退けておりますので、カレンダーもすっきりしています。仏滅はもともと物滅と表記されておりました。六曜と仏教とはなんの関係もないのが実際のところです。

前置きはこのくらいにして、資料として山陰妙好人カレンダーが届きました。

念仏に生きる人、信心のあつい人のことを浄土真宗では、妙好人といいます。山陰地方の4人の方のことばをカレンダーにしたものですが、味わい深いことばがつづられています。

なもあみだぶつの さとにかえるぞ うれしや

と浅原才市さん(1850-1932)は詠まれています。

いつも仏の慈悲の光の中に私はいきているなあ。帰って行くふるさとがあるのだなあ。

そんな味わいを詠まれたのかなと想像します。

発行元は山陰教区教務所。一部100円です。長形3号封筒に入る幅で、コンパクトです。西法寺ではお世話になっている総代さん・世話方さんにさしあげようかなと考えているところです。

値上げラッシュ

10月からの消費税の増税に伴う値上げ請求を知らせる通知が、取引のある会社から届きました。

小さい業者さんだと、年度の途中から年間契約を変更されずに自腹を切られるところもあるでしょう。大手になると、こんな通知であげるのかと。いや、お世話になっている業者さんに罪があるわけではありません。

増税分をかぶる業者さんも山ほどあるでしょう。日本中で、あげるにあげられない業者さんたちに身を切るようなことをさせるこの増税とは、いったいなんなのでしょうか。

線香、ろうそく、お仏壇など仏具ももちろん増税されました。

それが持つ意味の大きさを、ネット上に上がっていた記事から教えられました。

ある仏具屋さんのコメントです。

「いままでは朝夕、お線香をあげていたところを朝だけにする、というような状況になっていると感じます。生活の厳しさが増し、お供えをするような心の余裕がなくなっているのではないか」

出石はそばの町、お寺の町

昨日はお隣の兵庫県にある出石(いずし)町に行ってきました。法事がなく、坊守も仕事が休みでしたので、小旅行といったところです。

岩美町から約90分で到着。

出石はそば処として有名です。

そばは信州からお殿様の国替えとともにこの地に伝わったのだとか。小皿で供され、塩、わさび、ネギ、卵、とろろなどさまざまな薬味で楽しむのが出石そばのスタイルのようです。

蕎麦通ではありませんが、美味しかった!

出石は5万8千石の城下町です。街歩きも楽しいところでした。

赤い土壁の建物は酒蔵です
辰鼓楼(しんころう)。明治にできた時計台

街を歩いてびっくりしたのは、浄土真宗本願寺派の寺院があちこちにあること。

理由をご存知の方がいらっしゃったら、ぜひ教えてください。

イモムシたちのその後

アゲハチョウの幼虫、イモ子ズは、台風を経て6匹から3匹に減りました。

残った子たちは我が家の玄関で保護していますが、それぞれが好きにやっております。

Lサイズの個体は、葉っぱを喰うのをやめて天井徘徊をはじめました。Sサイズは枝に停滞、目を離した隙に、水面にダイブしかけて救出する羽目に。

SSサイズは、瓶の壁面にくっついたと思ったら、半日で小さな小さなサナギになっていました。

天井のLサイズは、救出して柚子の葉に戻した方がいいのか、好きにさせておいていいのか、イマイチわかりませんでしたが、どうやらこの場所でサナギになりそうな気配。

無事、蝶になるといいのですが。

映画を見てきました

県中部の北栄町まで映画を見に行きました。

『明日へ〜戦争は罪悪である』

戦前、戦争で死ぬことを肯定し、戦地に送り出す役割を果たしていた僧侶が、ある出来事をきっかけにして、深く懺悔し、戦争は罪悪であると発言し、その主張を曲げずに貫いた姿が描かれていました。

なぜ変わったのか。それがこの映画の大きな見どころです。

主演は中原丈雄さん。『花子とアン』などテレビドラマでおなじみです。私としては、『植物男子ベランダー』のおじさん役がイチオシでしたが、この映画、熱演でした。

戦争で人殺しだけはするな。

いったん起きてしまえば、殺すしかなくなる。戦争は人を狂わす。

人の命より尊いものがあるのなら、教えてください。命をなきものにする全ての行いは、悪だ。

人の道を説くものが若者を戦争に送り出した罪は重い。戦争は罪悪だ。

耳に残るセリフもたくさんありました。

モデルは真宗大谷派の竹中彰元さん。(映画では大谷派の僧侶としては描かれていませんでした)

当時の仏教者が戦争を合理化した、今となってはへ理屈に、一殺多生があります。釈尊の不殺生の教えを、多くの生命を助けるためには多少殺しても構わないとしたのです。そのあたりの下りも描かれており、考えさせられます。

うちでも上映会してみようかなあ。

過去帳を書く

字の下手な私にとって最大のプレッシャーは過去帳に記載することです。

位牌のない浄土真宗では、法名(釋〇〇)、名前、なくなった日(仏として生まれた日)、年齢などを過去帳に記載します。

午前中、何度も下書きして先ほど過去帳に記載しましたが、やはりというか下手な字でいけません。

過去帳をめくるとそのご家族のご先祖さんのお名前がたくさんかかれています。最初の方は明治にさかのぼります。

いや、それにとどまらず、人類のいのちのリレーは数百万年、地球に最初に生まれたいのちは38億年もさかのぼれるそうです。

いのちって不思議だなあと感慨にふけっていると、私の下手くそな字が飛び込んできて、また現実に連れ戻されるのでありました。

昼ごはん、あじろのなだばたさんは大繁盛でした。「小さな旅」の影響でしょうか。いつもならおばちゃん方と世間話するんですが、その隙間なし。ごくろうさまです。

西法寺便り第2号

寺報の第2号を作成中です。

何を書こうかと思いましたが、4月から連日更新しているホームページをご門徒さんにお知らせすることにしました。

読み返してみると、この5カ月の記憶が蘇ってきました。書いてなければ大半忘れていたかもしれません。

多い日には50人の方にアクセスしていただいています。小さなことであっても連日の更新が続くようにつとめます。みなさんに感謝です。

便りの方は10月の半ばから配れるように、すみやかな完成をめざします。

お寺の掲示板

お寺の前に置かれた掲示板。目にするのは前を通る人に限られますが、インターネット上で交流され、昨年は「輝け!お寺の掲示板大賞2018」が開催されました。そこに投稿された作品を集めた一冊がこのほど発売され、購入しました。

大賞は、おまえも死ぬぞ

釈尊の言葉「生まれた者が死なないということはあり得ない」を岐阜・願蓮寺の住職さんが、より直接的な物言いにしたもののようです。

これなんか、その通りだなぁと思いませんか。

当西法寺の掲示板は、印刷された標語を月替わりで貼り出しています。掲示板での布教を掲示伝道といいます。ネット社会のなかで新たな注目を集めているのでしょう。ウチも書いてみようかなぁ。

NHKの「小さな旅」で

昨日(9月29日)の朝、NHK「小さな旅」で網代が紹介されました。

タイトルは「なだばたとお地蔵さん」

昨日朝にお参りされた網代の方は、「知り合いがたくさん出ていた」と話していました。

浜辺をなだばたと地元では昔から呼んできました。海に暮らし、なだばたに集まって話し合い、助け合って生きてきた網代の方達の姿が映し出されていました。

あら汁がうまいんですよ。

毎週のようにお邪魔している漁協婦人部の店「なだばた」も紹介されていました。

そして、あきんどさんと呼ばれる女性の姿。トラックでお得意さんにあがったばかりの新鮮な魚を届ける方達です。いまも10人ほどの方があきんどさんとして働いています。

海の安全を祈願するお地蔵さん。部落内各所からなだばたに集め地蔵さんを洗い、お祀りし、祈りをささげます。地蔵盆を網代の方達は大切にされています。来年はぜひ行ってみたいと思いました。

網代の全景。ふだん、こんな角度からみることはないです。ただただキレイでした。