無事につとめを終えました

今日は朝からお寺の役員会に提案する資料づくりにあたり、10時からは町内の墓地で納骨のお勤めでした。終わってお寺に帰って資料づくりの続きを午前中いっぱい。午後は法事が1件、午後3時から責任役員会を1時間ほど。忙しい1週間でしたが、なんとか無事に法務を終えることができました。

午後の法要では、お参りされたみなさんが私と一緒に熱心に声を出されました。途中から節回しが変わるところの読み方を説明したところ、そこもみなさん上手についてこられました。浄土真宗のお聖教は、一緒に声を出してこそだと思います。声を出せば気持ちもいいし、これはどういう意味なのかなと気にもなるものです。住職はお疲れモードだったのですが、みなさんの姿にふれてなんだか元気になりました。

親戚の方は明石からJRで来られ、法事の後、実家で待つ98歳のおばあちゃんの顔を見て、すぐにとんぼがえりされるそうです。「田舎はいいでー」と施主さん。しかし、若い方は、「小さい虫でもダメなので…」。法事の前に、目につくカメムシさんに全部、本堂外に出ていただいたので、よかったです。

責任役員会では、「これからの西法寺アンケート」について、その結果を報告しました。来週の総代会(役員会)でも報告し、4月発行の西法寺通信第20号で、みなさんにお知らせします。ご門徒さんから寄せていただいた114通の回答を、今後の西法寺に生かしていきたいと思います。

彼岸法要をおつとめしました

土曜日という日程にめぐまれたこともあり、午前中の彼岸法要には26人がお参りでした。

法話を担当されたのは島根の布教使さん。30代の若い方です。お寺があるところは広島県との境、三次市の近くとのこと。昨日は県東南部の八頭町、今日は鳥取県の東端の岩美町、午後は県中部の倉吉市とけっこうな移動距離だと思います。

うちは春と秋、本願寺派山陰教区に講師さんをお願いしています。若い方の研鑽の場として法要に来ていただければありがたいことです。

仏さまの願いに身を浸し、自らをかえりみる時間をお参りの方たちはもたれたことと思います。最近、ごきょうだいとお別れされた方は、「しんらんさま」を歌い、涙されたそうです。お寺は笑いあり、涙ありなのです。

午後は四十九日の法要でした。お参りの方の中に中学時代の同級生が。同じクラスになったことはありませんでしたが、私のことは知っていたそうです。数年前に貸切バスを利用したこのとのある業者さんでした。これからお世話になることがあるかもしれません。いい再会でした。

ター坊、風邪をもらう

動物係の坊守です。

ター坊、昨日からくしゅん、くしゅんしていたのですが、今朝、ついにハナタレ猫になっていました。オンちゃんから風邪をもらったようです。

オンちゃんは1週間前にご飯も食べられないほど不調におちいり、お薬を飲んで復調してきたところです。

ものが言えない動物は「いつもと違うかな?」と、ニンゲンが気づく頃には病状がすすんでいることが多いそう。今日は午前中WEB会議で、昼から岩美町の温暖化対策の委員会に出るため半日お休みを入れていましたので、午後の会議前にひとっ走り、鳥取の動物病院に連れていきました。


内弁慶のター坊なので、診察台に乗せようとしても、なかなかバッグから出ません。
優しい先生にヨイショと引っ張り出されて、耳を伏せてカチカチに固まっていました。
熱をはかるために、お尻の穴にプスッと体温計が入った時にニャッ!と小さく鳴いたほかは、されるがまま。
「はい、おしまい」と声をかけられると、大急ぎで自らバッグに入りました。
鼻炎のお薬と、点眼・点鼻薬を出していただいたので、しばらくケージの中で養生してもらいます。

食欲はあります

お寺でのお通夜

午前中の葬儀、午後の還骨法要についで、夕方はお寺でのお通夜でした。

納棺のようすも間近に拝見し、勉強になりました。棺に故人さまとご家族の思い出の写真を入れ、手をあわせました。

葬儀会社の方によるとお寺での葬儀はふえているそうです。午前中の葬儀の際には、お寺での葬儀を専門にしている業者さんが助っ人として司会を担当されました。そういう仕事が成り立つということなのでしょう。

昨日、近所の方から、「私の同級生が、『西法寺さんで私も葬儀をしてもらいたい。夏の盆参りの時に聞いてみようか』といっでしたよ」と声をかけられました。おそらく、お寺のアンケートをご覧になったご門徒さんでしょう。

明日は本堂での葬儀です。ご家族のみなさん、そして葬儀会社のみなさん、どうぞよろしくお願いします。

亡きご住職さんに感謝

夕方からの通夜、明日の葬儀とその後のお通夜、明後日の葬儀の事前準備がほぼひと段落ついて、午後2時半、ブログを記しています。

明後日の寺院葬のため、葬儀会社さんから葬儀用の五具足(蝋燭立一対、花瓶一対、香炉)をお借りしました。紙華(しか)、導師(僧侶)用の椅子も貸してくださるとのことで助かっています。寺院葬の機会を増やしていきたいと考えているので自前で揃えることはめざしつつ、借りるという形でも当面いいのかなと思っているところです。

立派な五具足を備えておられるのはいきさつがあるそうです。同じ本願寺派のご住職さんから以前、「仏具がなってないですね」との指摘があり、会社としてレクチャーを受け、しっかりとした仏具を揃えられたそうなのです。「住職さんから受けたレクチャーの資料が今でも残っている」とのことでした。その住職さんはすでにご往生されておられます。私は面識はありませんが、その住職さんのおかげもあって、私も安心して寺院葬をつとめさせていただけるということです。

近々、今のご住職さんにお会いする機会もあることでしょう。その際には忘れずにお礼を申し上げないといけません。

ノドを潰さないように気をつけつつ、しっかりとおつとめしたいと思います。

2日続けての葬儀に

明日通夜、あさって葬儀、その夕方に通夜、翌日に葬儀と2日つづくことになりました。1件目は会館葬、2件目は寺院葬になります。

午前中は1件目の臨終勤行のため葬儀会館へ。思い出話をきかせていただいて、午後はあしたのお通夜の準備など。うれしいことが一つ。午後、「お寺の役員になってくれませんか」とAさんにお願いしたところ、思いの外、すんなり受けてくださいました。美味しいコーヒーがよかったのかもしれません。

そして夕方、2件目の方が到着しました。お寺の一室にご遺体を安置。ご家族とともに手を合わせ読経しました。この部屋には金色に輝くお仏壇があります。昨年、あるご門徒さんのご家族から譲っていただきました。以前は南無阿弥陀仏の軸を置いていました。やっぱりお仏壇があると部屋の雰囲気が違います。

通夜・葬儀とも本堂でのおつとめになります。お寺での葬儀でも葬儀会社の方のお世話になります。ただ、祭壇を組む必要がありませんから、寺院葬は会館葬より低料金で可能です。

2件目の葬儀の次の日、土曜日は春彼岸法要と四十九日、日曜は法要2件、お寺の役員会と日程が詰まってしまいました。これ以上はもう予定をいれようがありません。それぞれ準備もありますので、あわてず落ち着いて1日1日つとめたいと思います。

東日本大震災を忘れない

人は翌日には前日のことの7割を忘れると言います。
だから大事なことは記憶し、忘れないようにしないといけません。

東日本大震災から今日で13年になります。

ここにも記したことがあったと思いますが、当時、私は東京に住んでいました。翌日が祖母の3回忌で、鳥取に戻るべく午後は仕事を休み、地震発生時は最寄りの亀有駅から出て家の方に歩き始めたときでした。大きな揺れが発生し、立っていられないほど。

周りを見渡すと、地面に伏せる人の姿も。電話ボックスが折れるのではないかと思うほど左右に揺れていました。揺れがおさまり、家に急いで帰ると津波が沿岸部をのみこんでいく様子をテレビが報じています。福島原発も津波に襲われ、全電源を喪失、爆発事故も起こりました。

翌日からはかなり極端な間引き運転が始まりました。電車に乗り切れない人たちが多数。駅前から改札、そして駅構内と、乗る順番を待つ人の列です。

3月15日、当時の職場から仙台で主に支援活動の拠点となる事務所の要員を依頼され、翌日、羽田から山形空港へ、そしてバスで仙台市へ。ゴールデンウィーク期間中まで、何回か東京に戻りつつ、仙台で仕事に当たりました。

できる時はボランティアにも参加しました。全壊した市営住宅に住む高齢者の引越しの手伝い、要望を聞いたり、必要な物資の手配をしたり、使える制度を調べたり。

被災地での仕事を終えて以降も、何度か、主に福島県に仕事で行く機会もありました。「山名さん、放射能への不安を誰にも話せず、モヤモヤを抱えて生きている人がたくさんいますよ」
福島市在住の友人が、移動中の車の中でポツリとつぶやいた言葉が、今でも忘れられません。

鳥取に帰ってからも、震災や原発に関する情報はなるべく目を通すようにしています。

朝、NHKニュースを見ていると、災害公営住宅で孤独死される方が相次いでいることを取り上げていました。住民の高齢化が進んでいること、自治会活動などボランティアの方たちも、新たな担い手も少なく、自身も高齢化で十分な役割を果たせなくなっていることなど伝えていました。

ニュースは、せっかく生き残った命が誰にも看取られずに失われている現実と、それにに胸を痛める人たちの姿を映していました。


別の報道によると、団地住民を見守る支援相談員はピーク時の半数になっているそうです。

どんなに頑張っても個人の自助努力や共助には限界があります。

「災害には公的なバックアップで支援する。それも支えに、どうか生きましょう」

「公」の仕事とはそういうことだと思うのですが。

震災から13年。
東日本大震災を忘れない。
原発事故を忘れない。
今なお苦しい思いを抱えて生きる人たちのことを忘れない。

シロハタをいただく

今日は午前中の法事のあと、昼間に彼岸法要の案内のため網代集落へ。久しぶりの好天で、海もおだやか。

道場の近くを歩いていると、ご門徒さんの娘さんAさんと、一度お会いしたことのあるBさんと出会いました。なんでもAさんの家で飼っているネコが見当たらなくなり探しているとのことでした。そういえば、うちのナモも脱走したことがあり、夜中に近所を探したことがありました。明け方に庭で固まっているところを発見しました。ネコは無事見つかったのでしょうか?

配り物を終えて漁師さんのご門徒さん宅へ。この度お仏壇を新調され入仏法要です。お勤めのあと、家のルーツや網代に伝わる昔話など聞かせていただきました。

帰りがけ、「あっ、忘れるとこだった。シロハタ食べて。ちっこいのが多いけど」と箱いっぱいいただきました。

息子さんの船でとれたシロハタです。一般的にはハタハタで知られる魚です。大きなサイズは塩焼きや干物、小ぶりのものは煮付けにすると美味です。さっそく夕食の一品に。食べきれませんので町内在住の妹におすそわけしました。感謝。

オンじいさん、風邪を引く

保護ネコオンじいさん、先日のネコの日の独白で私もはじめて心の声を聞いたような。

昨日の夕方、いつものようにご飯をお椀にいれたところ反応なし。ケージのベットから動かず、調子が悪そうです。人の手が近づくと身体をそらせるところ、なすがままでさわらせてくれます。大好物のちゅうるをさしだしてみてもひとなめしてがっつきません。鼻水だらだら、ほほには涙が。結局、夕ご飯を食べることなく、じーっと動かず。

今日は少し身体を動かすようになり、ちゅうるも口にしましたが、風邪症状はかわらず。坊守が動物病院に事情を伝え、風邪薬をもらってきました。

水でといた薬をシリンジ(注射器の胴の部分)で吸い上げて、

ちゅうるとまぜてオンじいさんへ投薬。

薬はネコの好きな味とのこと。オンじいさんはもしかして初の薬かも?

よくなってくれるといいのですが。

今日は「ほよよー」なのです

YouTubeやU-NEXTなど、時間や場所を選ばないで視聴できる動画サービスが全盛です。スマートフォンやタブレットの登場は、一昔前と全く違う日常を作り出したと言えるのでしょう。

思い返せば、小学生から中学生の頃、私が見ていたアニメは、「ガンダム」「銀河鉄道999」「ドカベン」、そして鳥山明さんの「Dr.スランプ」「ドラゴンボール」だったでしょうか。ビデオデッキはまだ高価なモノでした。うちにはなかったので、テレビの前、一発勝負で見ないと再視聴できるチャンスはほぼありませんでした。

1981年に放送が始まった鳥山明さんの「Dr.スランンプ」は大人気でした。衝撃的なアニメでした。キャラクターがすごかった。「ニコちゃん大王」。頭がお尻でした。

アラレちゃんの発する言葉(口ぐせ)がまた面白かった。

「んちゃ」(*こんにちは)
「ばいちゃ」(*さようなら)
「ほよよー」(*驚いたとき)
「かっくいい」(*カッコいい)
「うほほーい」(*喜んだとき)
「わくわく」(ワクワクしているときに使う)
「キーン」(*両手を広げて走る)
「めちゃんこ」(*めちゃくちゃ)

子どもの頃の記憶が蘇ってきました。今でもそらで出てくるほどです。毎週水曜日の午後7時。日本中の子どもたちが、それこそ「わくわく」しつつテレビを見ていたのだと思います。

鳥山明さんが3月1日にお亡くなりになられたことが今日発表され、内外メディアが大きく報じています。日本のアニメ文化を長く牽引された第一人者。私のように主に子ども時代に鳥山さんの作品に触れたものでさえ、なんだか気が抜けたような気分なのですから、影響を受けたクリエイターの方たち、いま作品世界を楽しんでおられるみなさんの悲しみはいかばかりかとお察しいたします。