先週、大工さんに山門の赤カビ落としと木材の汚れ落としをしていただきました。見違えるほどきれいになって、少々驚いています。


建立から17年あまり。当分はきれいな山門をくぐっていただけそうです。
先週、大工さんに山門の赤カビ落としと木材の汚れ落としをしていただきました。見違えるほどきれいになって、少々驚いています。


建立から17年あまり。当分はきれいな山門をくぐっていただけそうです。

「人のわろきところはよくよくみゆるなり。わが身のわろきことはおぼえざるものなり。わが身にしられてこころわろきことあらば、よくよくわろければこそ身にしられ候ふとおもひて、心中をあらたむべし。ただ人のいふことをばよく信用すべし。わがわろきことはおぼえざるものなるよし仰せられ候ふ」(蓮如上人『御一代記聞書』より)
室町時代の僧侶で、本願寺第8代の門主である蓮如上人の言葉です。
人の悪いところはよく見えるけれども、自分の悪いところは見えない。
自分でも悪いことをしてしまったと思うようなら、それはよっぽどのことであるから、心がけを改めなければならない。
自分の悪いところは気がつかないものだから、他者の声に耳を傾けなければならない。
ほんと、実に耳が痛い言葉です。
これができれば、人と人との関わりあいも、国と国との関係も、また違ったものになると思うのですが。
ナモです。
ダブ兄ちゃんが、こなくなりました。おめめがさめたら、にいちゃんがつかっていただんぼーるの中をのぞいてみますが、まいにち、からっぽです。

おいたんは、おそとでネコがいそうなばしょをさがしてあるいたけど、みつかりませんでした。「いつなにがあってもおかしくないかんきょうで、いきていたんだもんな」といっていました。
あたいは、兄ちゃんがいつかえってきてもいいように、よるはえんがわでねんねしていたけど、おばたんが、こんなお話をしてくれました。
ダブは、ニンゲンのおじいさんのお庭にあそびにいく野良ネコでした。くいしんぼうのダブが、おかわりをねだっても、にこにこわらって食べさせてくれました。
おじいさんは、ひとりでくらしておったので、ひとりぼっちのダブとは、いいあいぼうでした。
ところが、このふゆは、なんどもおおゆきがふる、さむいふゆになりました。おじいさんは、びょうきがわるくなって、にゅういんしてしまいました。ダブは、ごはんがもらえないので、おなかがぺこぺこになりました。ぱとろーるしていたおうちにすんでいるおぼうさんが、しましまのネコのごはんをわけてくれたので、まいにちそのおうちにいくことにしました。べっどをつくってくれたり、さむいよるには、すとーぶをつけたおへやにいれてくれたり、あんしんできるおうちでした。
でも、ダブはどんなにいごこちがよくても、おぼうさんのところに、いちにちじゅういることはありませんでした。おじいさんがかえっていないか、まいにちおじいさんのおうちをみにいかなければならなかったからです。
ふゆがおわるころ、おじいさんのいえに、あかりがつきました!
ダブはいちもくさんに、おじいさんのところにとんでいきました。
「よくかえったね」と、おじいさんはダブをだっこしました。それからダブは、そのおうちのネコになりました。まいにち、くいしんぼうをして、もっとまるまるとしたネコになりました。
おばたんのお話が、ほんとだったらいいとおもうわ。
「ダブは、まいかい『にゃーん』とあいさつして、さっていくりちぎなネコだったな」と、おいたんがいいました。
こんなきゅうなバイバイがあるとしっていたから、ダブ兄ちゃんは、こんにちは、と、さようならのごあいさつを、ちゃんちゃんとしていたのかもしれません。

あいたいのに、あえないのは、かなしいわ。がまんできなくて、兄ちゃーん!とないちゃうときもあります。そんなときは、おめめをつぶりなさい、とおしえてもらいました。すると、兄ちゃんのきいろいまんまるいおめめや、はいいろの毛がふさふさしたせなかが、みえるのです。
毎月、お寺にこられる法衣店さんを講師に、坊守と住職が、お念珠編みに挑戦しました。
不器用な住職はあてになりませんが、坊守は手順を覚えてくれたようです。器用な人は違いますね。

本当なら8日に網代のみなさんとお念珠編みをする予定でしたが、集まりを中止としました。コロナの状況にもよりますが、遠くない時期にみなさんと編んでみたいと思います。

旧岩井小学校グランド

大谷集落の小川沿い

午前は出来上がった西法寺通信を配りがてら町内の桜を見て回りました。


5日から予定していた網代地域の宅参りは、県内が13日まで、感染急拡大警戒期間となったことも受け、中止することにしました。
午後は網代の世話方さんのところを回って中止の案内を各戸に届けていただくようお願いしました。
「残念ですね」「急に増えてきて、仕方がないですね」「やればいいのに」「仏壇掃除してまっとっただがー」と反応はさまざまです。ある方から「長いこと仏壇を拝んでもらってないけえ、また参ってください」と言われたことが胸に刺さりました。新しい試みもしようと思ったていたので、本当に残念です。
行く先々で、手作りの干物やお惣菜など抱え切れないほどのお土産をいただきました。感謝。

浄土真宗では聴聞が大切とされています。仏の教えを聞くことです。私自身は生きる姿勢としても大切だと思っています。でかけていって聴いてみると、聞こえてくることがあるということです。ある僧侶の方が、聴は耳が外に出ている。聞は、中にあると教えてくれました。
聴きにに行って、聞かせていただいたことをカテにして、一歩一歩です。

雪の重みで屋根瓦がズレていることへの対応で、瓦職人さんに見ていただきました。
するすると登っていかれます。
下から見ていると怖い!
雪の重みで、瓦を支えている銅線が部分的にのびてしまったようです。ただ銅線は切れていないので、今のところ瓦が剥がれ落ちる心配はないとのことでした。
たしかな職人さんがいらっしゃって、お寺をはじめ文化財や歴史的建造物は守られているのですねー。
本堂は一度大改修をしていますが、この地に建って150年余。それでも職人さんにいわせると、「若い建物です」。
時間の尺度が違うのかもしれません。
深く深く感謝します。
桜が咲き、木蓮が咲き、水仙が咲き、裏山ではウグイスが鳴いています。
境内に春がやってきました。





お寺の山門が、赤いカビで汚れが目立つようになりました。先日の役員会でも汚れを落とすことを報告したのですが、きょうから大工さんに作業していただいています。

無害の自然素材で汚れを落としていかれます。赤いカビが落ちるとずいぶんキレイになることでしょう。
木の部分も10数年の風雪に耐えて当初の色からはだいぶ変わって黒っぽくなっています。これも一度、汚れを落としていただいています。塗り直しているのではありません。数年間するとまた木の色は徐々に変わっていくそうですから、生きているってことなんでしょうね。

今日は生後4ヶ月の赤ちゃんもお母さんと一緒にお参りしてくれました。泣く様子もなく、終始ごきげんさんでした。
ご家族に、「今日は初参式ですね」とお話ししました。生まれて初めてお寺に参って、そのことを阿弥陀さんに奉告することを初参式といいます。
亡き方からみるとひ孫さんです。
いのちのリレーは不思議です。
量ることができないいのちのつながりのなかでみんな生まれてきて、そして支えられています。
そのことを思うとき、いがみ、憎しみあうことのおろかさを感じさせられます。
きょうお参りしてくれた赤ちゃんは、そして、いまの幼い子どもたちは、私が見ることのない22世紀まで生きていく世代です。
私たち世代の責任を感じつつ、きげんよくお参りしてくれた赤ちゃんの笑顔に癒された週のはじめでした。
お寺で勉強会をしました。年間5回の予定で今日が初回です。住職含め10人の参加でした。
浄土真宗の「教章」について、休憩はさんで80分ほどお話しました。私の話が長すぎて感想交流をする時間がなくなってしまいました。
こうした場にはじめてこられた方が、「なぜか亡くなった両親のことが思い出されて涙が止まらなかったです。自分の心のどの部分にひびいたのか分かりませんが、気持ちのよい時間を過ごさせていただきました」と感想を記してくださって恐縮しています。私の話というよりも、阿弥陀仏のお慈悲はこころに響く、そういうことだと思います。

次回は5月30日(日)午後2時からとなります。
