仏教は遺されたもののために

きょうは四十九日のお参りでした。

お参りの方からお勤め後に話しかけられまた。「私は他宗ですが、妻を7年前に亡くし、ことしは99まで生きた母の3回忌でした。妻が亡くなってから少し仏教にふれました。きょうのお話もそうでしたが、仏教というものは、亡くなった人のためでなく、遺されたもののためにあるんですなぁ」。

きびしい別れではあったけれども、それもご縁に仏教にふれられたのでしょう。

別の方からは、「しんらんさまの歌詞カード、いただいてもいいですか?」と。「どうぞ、どうぞ」と差し上げました。本堂の内陣が金色であることに驚いておられたので、その理由についても少しだけお話ししました。

あしたも四十九日のお勤めです。気持ちを込めてのぞみたいと思います。

ちょっと驚きました

大きな字については、僅かではありますが進歩の兆しがあるように思うのですが、小さい字を書くことは大の苦手で、肩の力が余計に入ったり、気がつくと息を止めて書いていたりとなかなか平常心で書けません。そうなると余計に下手くそになってしまい、書き終わってガッカリすることがあります。

このたび過去帳を新調されたご門徒さんより記載を依頼され、先ほど書き終わりました。

過去帳は小さいですから、必然的に小さな字を書かなければなりません。書き終わってみると、これでは申し訳ないなあといつも思いつつ書かせていただいています。

しかし、急には上手になりませんから、希望は持って練習しているところです。

今日は書いていてちょっと驚くことがありました。ずいぶん以前にお亡くなりになったお父さんと、昨年お亡くなりになったお母さんのご命日が全く同じだったのです。お父さんのご命日は旧暦で表示されており、新暦に換算するとお母さんのご命日と一緒であることがわかりました。

偶然のことではありますが、過去帳の見開きのページに、お父さん、お母さんのご法名と俗名を記載することができました。

上手ではなくて恐縮ではありますが、お仏壇の前に座り、まず阿弥陀さんを拝んでいただいて、そして、お父さんお母さんのことを思い拝んでいただけたらありがたいなあと思うのでした。

墓地からもどつて来ても一人

お彼岸も終わり、お寺の内陣のおかざりももう普段通りです。網代地域のお墓に彼岸の最中にお参りしましたが、数百はあるお墓にお花が飾られて、それはきれいでした。

さて、きょうは習字教室です。引き続き放哉を書いています。

「墓地から戻って来ても一人」

「あらしがすっかり青空にしてしまつた」

放哉は墓参りにひとりで行って、帰って来てもひとりという淋しさを読んだのでしょうか。

小豆島で過ごした晩年の8ヶ月で3000もの句をつくっています。世間とは折り合いがつけられず、極貧の生活を送り、病気も抱えていました。最後は大自然のなかに溶け込んで生きよう、自分の生きた証を句に遺そうとしたのでしょうか。近いうちに時系列的に彼の作品を読んでみたいと思います。

習字教室の方は、新たにこられるようになった方、再開した方と、少しにぎやかになってきました。次回からはさらに2人の方が新たに参加されるそうです。

僧侶の意見交換会に参加して

第4回目となる僧侶の意見交換会に参加しました。会場は鳥取市内の養源寺さんです。

まず養源寺さんよりとりくんできたことの紹介があり、その後、お寺内を見学して回りました。

門徒会館は、お通夜ができる施設です。霊柩車が玄関先につけて台車に棺桶をのせ、そのまま御本尊のところまで運ぶことができるそうです。また、ご遺族が宿泊できるようになっています。葬儀は本堂でお勤めされ、門徒会館からもお参りできるようにスクリーンも設置されています。

学ばさせていただいたことをうちのお寺でも役員のみなさんと共有したいと思います。

お寺での集いにむけて

次の日曜の午後、お寺で勉強会があります。

浄土真宗本願寺派には「教章」という短い文章があります。同じ宗門に集う方たちに、浄土真宗の要旨を伝えるとともに、新しくご縁のできた方々に知っていただく自己紹介といったテキストです。

https://hongwanji-shuppan.com/source/download/k_a4.pdf

この「教章」の解説を私が行うことになっていて、昨日からにわか勉強をしています。

初めて知ることもあって、なかなかおもしろい。

例えば山号。お寺は○○寺の前に○○山とついていることをご存知でしょうか。

本願寺は龍谷山本願寺が正式な名称です。龍谷という山号。本願寺の原初が京都東山のおおたににあったことが由来です。漢字で変換できないのですが、このおおたに、「谷龍」の一文字の漢字で「おおたに」と読むそうです。だから龍谷という名称の学校法人があるのですね。

西法寺の山号は浄教山。地図を探してもうちの近所にそんな山はありません。お隣の天台寺院さんは医王山。薬師如来の別名は大医王仏です。そこからとられているのだと思います。

と、こんな話は教えとあまり関わりのないことなのですが、みなさんに興味をもってもらえるようなエピソードも盛り込んで、楽しい勉強会にしたいと思います。

『日本のSDGs』を読む

おもしろく、ためになる本です。

SDGsとは、「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の略称です。

本の著者・高橋真樹さんは、そのことを、「いまの世代のニーズを満たすことだけを優先して、将来世代の可能性を奪ってはならない」とわかりやすく言い直しています。

我が亡き後に洪水は来たれ! とルイ15世の愛人・ポンパドール婦人は言い放ったそうですが、現代は我ある時にすでに洪水がきている状況です。さらにひどい事態を次の世代にひきつぐことはしたくありません。

本書では、どうすれば本当に持続可能な社会に進むことができるのか、政府や企業の取り組みとその問題点(経団連の推進するソサイエティ5.0など)が浮き彫りにされます。そして、持続可能性という観点から貧困、働き方、地球環境などの課題をとらえることができます。さらには各地の実践の紹介もあります。

私もSDGsには強い関心をもっています。お寺の掲示板にも先日、ロゴを貼り出しました。

仏教には少欲知足という教えがあります。なんちゃってSDGsにならないように実践していきたいと思います。

どこでもドアが来た?

坊守です

世間は連休でしたが、両日とも集まりがありました。コロナ感染対策の必要があり、インターネットを使った企画です。両方とも心を揺さぶられる中身で、参加して良かった…と噛み締めました。
こうした手法で主催したり参加したりを始めて、ちょうど1年になりました。移動手段に乏しい田舎暮らしには、便利な道具が手に入った!という感じです。

さてその勢いで、きょうが誕生日の和歌山の父に、WEB会議システムを使って「おめでとう!」を言う時間を設けました。
こちらにきてから実家には丸3年帰れていません。大阪の妹一家とは、さらなるご無沙汰でした。
前日、母にパソコンを開いてもらって、必要なソフトを取り込んで(ケータイで説明すること50分!それでも出来たのですから素晴らしい)、きょう本番!
三箇所をつないで顔が見られただけで、すっかり満足してしまい、大して話はしませんでした。
「これは、どこでもドアやな」と表した母の言葉がぴったりでした。
これから時々、お互いの顔をみて、安否確認ができそうだ…とニヤリ。
ネコは家族会議が終わってから、寝ぼけまなこで駆けつけていました。こんどはおしゃべりに参加しなさい

法事で苦労話をうかがう

本日は彼岸の中日です。あちこちでお墓参りされる方の姿を見かけます。

コロナがあって、お一人でお参りいただく法事があります。今日は、「親鸞さんに、『助けてほしい』って思うことがあるんです」とこぼされる方の苦労話を聞かせていただきました。介護の苦労です。

私がお経を読んだのは10分ほど。あとは話を聞かせていただいて、少しばかり「仏教ではこんなふうな話が伝わっているんですよ」とお話ししました。

「こういう話はする機会がなくて、自分の中で溜め込んじゃって。なんでこんなことになっちゃったんだろうって落ち込んだり。でも、今日は話せてスッキリしました」と帰っていかれました。

いえ、こちらこそ。またなんでも言ってください。浄土真宗は、御同行・御同朋です。同じ念仏をとなえ、同じお浄土にお参りする仲間なのですから。

2日続けて入仏法要

2日続けて入仏法要でした。ご自宅にご本尊(阿弥陀如来)をお迎えし、お仏壇の前でのお勤めです。

新しく購入されたご家族、そして親から受け継いだ古いお仏壇をきれいにされて法要を迎えられたご家族です。

「仏壇があると部屋が違いますねえ」
「なんだか、ありがたいって思えます」
「仏さんに見られているような気になります。悪いことはできませんね」

そうした感想を聞かせていただけるのも嬉しいことです。

新しくご本尊を迎えられたご家族には、お経本と、お経CDを差し上げています。

仏様に見つめられている自分、そして時間を1日の中で持つことは、心穏やかに生きていく力にもなると思います。

それにしても、古いお仏壇が新品のようにきれいになっていて、驚きました。


実は近々、古いお仏壇を譲り受けることになっています。業者さんにキレイにしてもらって、お寺にしばらく置いて、欲しい方がいらっしゃればお譲りしようかと考えているのです。

廃棄せざるを得ないこともありますが、次の居場所があれば守ってきてくださった方にもご報告できますから。

同性婚の否認は憲法違反

札幌地裁が、同性婚の否認は違憲であり、「法の下の平等に反する」との判決を下しました。画期的な判決だと思いました。


この判決を受けて、あらためて日本国憲法第14条と第24条を読みました。
第14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

第24条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

法の下の平等、性別による差別を禁止、個人の尊厳をうたっています。


なお、両性の合意とあるのは、普通に読めば男女です。しかし、戦前、当事者間ではなく、とくに家長である男親が婚姻を決めていたことに対する両性の合意と解釈すれば、婚姻は当事者間で決めるということになります。当初のGHQ案の第24条は次の通りでした。「婚姻は、両性の法的・社会的平等にもとづいてなされるものとする。そして親による強制ではなく2人の合意に、男性による女性支配ではなく2人の協力に基礎を置く」。わかりやすいですが、長いことから削られてしまったそうです。


朝のお勤めでいいニュースだなあと思いつつ、「阿弥陀経」の一節を口ずさみました。

青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光
みなそれぞれの光で輝くことこそ、本当のいのちの姿だぞ、と阿弥陀さまはお示しです。


現実の世界ではすぐにそうはなりません。だからこそ、そこをめざしてがんばっておられる皆さんに心から敬意を表します。

民法、戸籍法では同性の結婚を認めていません。この判決の方向で法改正・整備が進むことを期待します。