晴れた日の休日は

坊守です。

晴天の日曜日!
というだけでも山陰には嬉しいことなのに、さらにきょうは住職もOFFという稀有な巡りあわせでありました。朝からやる気が出る私。笑

昨夜作った大根とすじ肉の煮込みのスープに冷やご飯を入れて、コムタンクッパ風の雑炊で朝ご飯。
洗濯を2ラウンドする間にネコが破いてホロホロにしたふすまの修繕作業。薄い因州和紙を貼り重ねると、けっこうおもしろい風情だが、住職の共感は得られない。

10時になったので、町内の窯元で行っている「ふゆむかえまつり」へ。窯元のつながりの店舗がいくつか出店しており、なにもかも素敵。あたたかそうなベストを買ってもらえて、ラッキー。3か月前の誕生日プレゼントだそうだ。

昼ご飯後、前庭の草引きや落ち葉拾いをしたのち、クロッカス30球と、ムスカリ40球を植える。草引きは、スミレやサギゴケを避けたり、きれいなロゼッタをつくっている雑草がかわいそうになったりで相変わらず徹底的には引けない。
すっかり庭も冬の様相を呈し、5箇所に植えたギボウシは消失、サザンカが咲いて、南天の実も真っ赤に色づいた。


続いて住職を中庭に呼んで、2度目の柚子の収穫。バケツ2杯120個強とれてもまだ枝に100個以上ありそう。ことしもこれで柚子胡椒を作ることにする。

2時間外で作業するとさすがに冷えて、コタツにもぐりこんで3時のお茶。
あたたかさが気持ち良すぎて知らぬ間に眠っており、こんな毎日ならネコになりたいなぁ、と月並みなことを思ったりして、二度寝に突入。

夜には秋田からりんごが届きました。しあわせな休日でした。

西法寺通信作成中

新年号の通信を急ピッチで作成中です。

年末にはご門徒みなさんにお届けする予定です。今週前半にには印刷に回せるよう、いつもより急ピッチで作業しています。

これが終われば来年の年回法要のお知らせづくり、そして同じく来年開催予定の勉強会(年5回)の案内チラシをつくる予定です。除夜の鐘の案内チラシをつくって岩井温泉共同浴場内の掲示板にもはりたいと思っています。

このところ大晦日も雪はありませんでした。この冬は雪が降るのではといわれていますが、果たしてどうなんでしょうか。

打ち合わせで大山町へ

1日、大山(だいせん)を一望できる同町の正福寺さんにうかがいました。私が名ばかりの事務局長をつとめている鳥取宗教者平和協議会の打ち合わせがあったのです。宗派をこえて平和や人権について考えて、行動していきましょうという集まりです。岩美町から大山町は百キロ近く離れています。ちょっとしたドライブでした。


浄土真宗の僧侶が2人、曹洞宗、プロテスタントの牧師さんの計4人で近況を交流しつつ話し合いました。


プロテスタントの牧師さんとお話できたのは初めてです。教会でパンと葡萄酒をいただくことができなくなったこと、礼拝の日程を分散させたり、ネット配信するなど、集まれない中でも知恵を絞って活動していらっしゃいます。


会場の正福寺さんは曹洞宗のお寺さんです。長年、樹木葬に力を入れておられます。いまも毎月、数人の方から申し込みがあるそうです。なんと専任の事務局員さんも働いています。掃除、手入れが行き届いているのもうなづけます。
花が咲く時期には綺麗でしょうねー。

雪をかぶっているのは大山です

小さな墓石が大山の方に向かって配置されています。私が訪れた日にも、お墓に手を合わせる方の姿がありました。

大山を一望できる素晴らしいロケーション、そしておそらく他の寺院が運営している樹木葬や納骨堂に比べて料金がかなり安いと思います。樹木葬を担当されている前住職の渡辺さんは、経済的に恵まれなかった方の葬儀も快くつとめていらっしゃいます。なので頼りにされる存在です。
この方から頼まれたので、私は名ばかりですが、事務局長を引き受けることにしました。


話し合いの結果、会員の方々から、コロナ禍のなか、どう過ごされているかよせていただいて、私がニュースにして交流しましょう、となりました。


もう一点。日本政府に核兵器禁止条約への批准を求める署名に取り組みましょうと相談しました。うちのお寺にも置きますので、署名をぜひお願いします。

ナモの日記(12月)

みなさま、こんにちは。
きょうはナモのにっきです。

おうちのなかはぬくくて、おにわにあそびにくるトリさんもふえました。

あかるいうちは、おばたんはブウブでどこかにいくし、おいたんはおてらでおしごとしてるので、あたいがおうちのけいびいんなの。
でも、ぱとろーるにあるきまわるのは、ばんごはんのあとにしています。おるすばんのじかんは、まんまるになってねんねしているので、どろぼうがきてもわからないかもしれません。

このごろ、ねっちゅうしているのは、おだいどころのだいから、にかいに、ぴょーん!ととびあがることです。
それで、とびあがったら、かいだんにまわっていっかいにおります。そしてまた、ぴょーん!とじゃんぷします。

「かっこいいね」と、おばたんはいいます。おいたんは「すごい、うんどうのうりょくだね」といいます。

そうそう
あたい、いまのおうちのこになってから、きょうで1年になったの。
からだはちょっとだけおおきくなったくらいだけど「ナモちゃん」て、よんでくれるひとがあちこちにできて、うれしいのよ。
じゃあ、ばいばい

お寺の掲示板(12月)

お陰様 お互い様 ご苦労様

きょうの午前中に50回忌のお勤めがありました。亡き方はお寺のお参りにも熱心に来られていたそうです。その姿が、お孫さんに「50回忌をしよう」と思わせてくれたのかもしれません。

このブログにも書いたことがありますが、みえなくなった恩のことを、「陰の恩」というようになり、「お陰」となり、様をつけて「お陰様」となったそうです。

あなたのお陰で今、私はあるなぁと思い当たる方をお持ちですか。

思い通りにならない人生をお互いに悪戦苦闘しつつ送っているじゃないかと感じられたとき、気持ちも通うのではないでしょうか。

誰かの献身やご苦労によって今の生活が支えられているのではありませんか。

お陰様は感謝 お互い様は共生 ご苦労様は敬意。そのように感じるのです。もっともすぐ忘れて自分中心な考えに陥ってしまうのですが…。

3つの言葉を大事にして、12月を過ごしていきたいと自らに言い聞かせています。

12月1日のこと

朝、網代で配り物をしていたときのこと。お寺のことをいつも気にかけてくださるYさん宅で話をしていたとき、大事なことをうかがいました。

私が小学生の頃、大きな海難事故があり、乗組員の方々が亡くなられました。その事故の日が、きょう12月1日だったのです。

いまから3年前の春、私は僧侶となって岩美町に帰ってきました。4月に宅参りがあり、網代のご門徒さんのお宅にうかがいました。その際、若い方の写真が掲げられていたお宅がありました。

仏壇の前でいっしょに手を合わせた家の方から、「これは息子です。海の事故でなくなりました。まだ二十歳でした。出港を見送りに行った日のことは忘れられません」

そしてこうおっしゃったのです。

「私が朝晩、こうして手をあわせるようになったのは息子のおかげなのかなと思います」

そのお話はとてもよく覚えているのですが、当時は網代の地図が頭に入っておらず、きょう、それはYさんの家であり、Yさんの義理のお母さんであった知ったのです。

本山から度牒を授かれば僧侶にはなれます。しかし、僧侶に育ててくださるのはYさんのお母さんのような方です。

本日、お母さんは不在でしたが、娘さんにお礼を述べてご自宅をあとにしました。

2021年 ナモのカレンダー

ナモのカレンダーを作成しました。

全国のナモファンのみなさん、どうぞ使ってください。

2月の写真は、プチプチトンネルにご満悦のナモです。

12月4日、ナモがウチにやってきて1周年です。月日がたつのは本当に早いものです。


読んでくださっているみなさんへ

昨日、そして今日は、冬の到来を感じる強風が吹き付けています。届け物で田後にきていますが、きょうはしけ模様です。

さて、ホームページの統計情報によると、昨年11月に当西法寺ホームページを訪問された方は331人でした。それが、この11月は1231人となっています。毎日の訪問者も50人をこえるようになりました。田舎のお寺の小さなブログを読んでくださってありがとうございます。

お寺の掲示板サイトをきっかけに見てくださっている方が多いのでしょうか。

思い通りにならないことを仏教では苦といいますが、仏教や浄土真宗は、苦悩の多い時代をともに生きるための力になるものだと思います。

住職、坊守、そしてナモと3馬力で引き続き書いていきますので、これからもよろしくお願いします。

学生さんにお米を送ります

坊守です。
昨夜の雷雨のせいか、起きたら外は大雪…という夢をみました。タイヤ交換もしてへんから、仕事に行かれへん!と途方に暮れていたところで目覚め、現実は大雨ですんだので出勤。
昼からお寺にとって返して、お米の小分け作業をしました。

というのも、コロナの問題が長引く中、生活が大変になっている若者も少なくなく、わたしの職場が関わっている医系学生たちに、年末の食料支援をしよう、ということになったからです。
お米を何十人分も確保するのは、ひとつのスーパーでは足りないので、どうしようかと考えていたら、住職のまちづくりの会の先輩に米農家のYさんがおられることを思い出しました。お会いしたこともない私が、突然相談したにも関わらず、一俵半、かついできてくださいました。


始終軽口をいいながら作業するYさんでしたが、近ごろ行われ始めた大学生向けの食料支援プロジェクトや、町内の子ども食堂にやはりお米を出しておられると知りました。「良いことばっかりしておられるんですね」と、作業した同僚も驚いていました。

10年前のリーマンショックの前後で、日本でも貧困が社会問題になりましたが、雇用環境の変化で、20年前と比べると、ホワイトカラー層ですら、平均的な収入が100万円単位で下がってきていたといいます。
それを受けてここ数年は、一家の大黒柱が細くなった分、奥さんも子どももパートやアルバイトをして世帯を支えるスタイルが急増。「そんなところにコロナのためにバイトやパートの時間が削られるのだから、どれだけ生活に打撃になるか、想像してください」と、先日、講義を聴いた研究者が話していたことも、お米の重さを計りつつ反芻しました。

政府が税金をうまく回すことや「不安定雇用」のあり方を見直すことが、国民の命を守ることになるとおもいますが、それを待っていては間に合わないことに対しては、Yさんみたいにできることをしたいなと思っています。