旧友との再会

昨日の法事で中学時代の友人と再会しました。私は全く気が付いていなかったのですが、法事の後、声をかけられてわかりました。「あっ、Kくんか! 髪は少し白くなったけれど、全然変わらないなぁ」「山名くんこそぜんぜん変わってないが」と。冗談ばかりいって笑わせてくれたKくんは、すっかりおじさんになっていました。もちろん私もですが。

網代に住んでいるそうです。住所を聞くと、どうも私はKくんの家の前をしょっちゅう歩いていたことがわかりました。

旧友と再会するのは今月2人目です。お寺の通信も持ち帰ってくれました。

これも亡き方のご縁なのでしょうか。とにかくうれしい再会なのでした。

我が家に蓮がやってきました

「晴れたぞ、いえーい!」と、
ご機嫌でナモに話しかけた日曜日であります。

午前中は、自宅の 草引きざんまいをしました。
寺にお勤めに出る住職と「あたたかくなったなあ」と、家を出てギョギョギョ!
気づけば中庭の地面は、草がのびのび伸び放題で、どこのあばら家であろうか、という風情だったのです(写真)。


自然の少ない都会で長年生活したためか、路肩に咲くタンポポなどは、目を細めて楽しむ派。庭の状態は、そんな調子で緑を楽しんでいた結果なのですが…。

作業は小一時間ですみました。オキザリスやワスレナグサ、ドクダミ、ツユクサといったものは容赦なく引いて、ニワゼキショウ的な植物や、シダ類は残しました。庭石に沿うようにして出てくるシダがいい感じです。


おととし、日陰に植えておいたツルニチニチソウも着地して、思いがけない場所から生えてきています。

植木屋さんにお願いしていたハスも、火鉢に入って届きました。水を注ぐと、「ホントに泥の中で育つんだなあ」と住職(笑)。
ハスの観察日記が時々書けそうですね。

ホームページ丸2年

2019年4月24日に開設した西法寺のホームページ。本日で丸2年となりました。

毎日更新する予定ではなかったのですが、住職と坊守、そしてナモ(ネコ・ペット)、元気にしているのかなあダブ兄さん(ノラネコ)で更新してきました。

ご覧になっていただいているみなさまに感謝です。

鳥取に帰ってくる前の年、本願寺のある方が学習会の折に、「お寺のホームページがないということは、そのお寺は社会に存在していないに等しい」と言われました。そのくらいなら自分にもできるかなとはじめました。

今後も毎日更新をめざしたいと思いますので、引き続きよろしくお願いします。

追伸。午前の法事の最中に、ウグイスが境内で鳴いていました。「法を聞けよ、法を聞けよ」と。

むずかしいことをやさしく

浄土真宗本願寺派における国会とでもいうべき宗会で行われた報告が本願寺派の月刊誌『宗報』に掲載され、午後、かなりの時間をとって読みました。

コロナ禍のなか、緊縮財政であることなど、なかなかの苦境です。

ですが、それはお寺に限らないことです。問題は、コロナが仮に終息したとして、浄土真宗のみ教えは果たして継続・相続されていくのかということです。

報告の中心的なテーマは「伝わる伝道」にあります。
「伝える」というお坊さん目線ではなく、「伝わる」という受け手目線です。

「人々の価値観が変化する現代社会において、常に現場や受け手目線を忘れず、『伝わる伝道』への本質的な転換を図る」とあります。

本願寺派では、コロナ感染症対策の一環として『本願寺新報』(新聞です)の見開きページを使ってメッセージポスターを発信しました。

当初は、うちのお寺でも掲示板に貼り出したのですが、途中でやめました。

理由は、率直に言って意味が分からないからです。

今回の報告では、メッセージポスターについてインターネット調査を利用し、男女500人から千人を対象にしたアンケート調査を行ったこと、そして、その厳しい結果についてふれられています。

例えば、「コロナらしい時はお医者さま、不安になる時は不安になる。『そのまま救う』の弥陀の慈悲。おやさしい南無阿弥陀仏にありがとう」とのメッセージ。確かうちのお寺でも貼り出したと記憶しています。このメッセージ、20代でとてもよくわかったと答えた人は0%です。

「親(弥陀)のご苦労」「そのままの救い」「阿弥陀さまにお任せするしかない」

などなど、本願寺派の布教ではよく使われるフレーズがあります。長い話の中ならば理解できることもありますが、私自身はほぼふれません。そのまま使っても伝わらないということ、そして、現段階では、まだ自分の言葉に語りなおすことができていないからです。おそらく、昔は伝わったのでしょうし、今も、伝わる方はいらっしゃいますが、お寺との関わりが薄い方にこうした話は通じないのが実際です。


ただ、親鸞聖人のみ教えを現代的に捉え直す、わかる言葉で語りなおしていくということについては常日頃より問題意識を持っています。

報告では、NHK『チコちゃんに叱られる』で『般若心経』の心を現代の言葉で同時通訳するという企画を行い、Twitter上で反響があったという話が紹介されていました。

そういえば、昨年、「『般若心経』を暗記しているけど、意味がわからない」という方に、内容をお話し、その上で浄土教の教えについてお話ししたことがあります。ちょど習字教室で『般若心経』を書いている頃で、私も気になって意味を調べたことがひょんな形で生きました。

本願寺派も、私自身も努力方向は明確であると思います。

「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」


井上ひさしさんがおっしゃっている通りです。

いうは易しですが、頑張りましょう。

きょうも放哉を書く

午後は網代の習字教室でした。いつものように課題は放哉の句です。

「土くれのやうに雀居り青草もなし」

「風の中走りて手の中のあつい銭」

いずれも京城(現在のソウル市)、旧満州の長春にいた頃に詠んだ句。放哉が見たり体験した情景なのでしょう。せっかく得た職も禁酒の誓いが守れず、約1年で退社したそうです。

「雨の中泥手を洗ふ」

生涯最後の時期、小豆島時代に詠んだ句の一つです。

私もそうなのですが、「な」のまくりに苦戦しています。言葉で説明するのは難しいのですが、「な」の四画目は、筆を下におろし、ついで左へ、そして右45度に一度もちあげて右に抜くという動きをします。理屈はわかってはいるのですが…。

次回はゴールデンウィークあけとちょっと間があります。先生から宿題用のお手本もいただいたので、連休中も筆を持つ時間をつくるとしましょう。

文化の時代にはじまる

昨日、古い過去帳をお使いのご門徒さんより、新しく書き直す依頼を受けました。今日、過去帳をみて驚きました。いちばん古いご先祖さんのご命日が文化という元号だったのです。

調べてみると文化の元号は1804年から1818年まで。徳川11大将軍家斉の頃なのです。記載されているご法名、お名前は20人以上。こんなにたくさんのお名前を書くのははじめてです。

これだけのいのちが時を経て受け継がれてきたことの不思議さを感じます。そして、その前には過去帳には書ききれない無量のいのちの歴史があるのです。このご門徒さんのご先祖と、私のご先祖も、もしかしたら、どこかで重なっているかもしれません。いや、そうに違いないのです。

そういうことを想像すると、このいのちというのは自分だけのものではないなと思わされます。

「一切の有情は、みなもって世々生々の父母兄弟なり」

親鸞聖人がおっしゃる通りなのです。

よくお会いする日なのです

午前中、田後に用事があり、少し早めに出発して網代→田後を走りました。波の音が聞きたかったのと、おそらく散歩しているであろう2人のご門徒さんに会えるかなと思ってです。

それにしても、いい景色です。

城原海岸(上も)

その途中、散歩中の網代のご門徒さん2人とも無事、お会いできました。毎日歩かれているのだから、すごい。

田後について歩いていると、車から「お寺さん」との声が。これから畑仕事にいくのだそうです。なんでも心配事が解決したそうで、よかった、よかった。

田後港付近では、これまた散歩中のご門徒さんとごあいさつ。

田後の港でよくみかけるネコ

ついで、ご門徒さんと仏前でお経を読み、しばしお話をうかがいました。小学校に入学したお孫さんと先日、お墓参りをしたそうです。「孫が『立派になって僕がお墓を守る』っていうもんですけえ、うれしいて、子どもにいったですが」とのこと。微笑ましいお話でした。きょうは田後のお祭りです。コロナで縮小し、にぎわいはありません。「おこわを炊いたけえ、もってかえって」。神さまからのおさがりをありがたくいただくとしましょう。

帰りにサンマートによると、これまたご門徒さんとばったり。旦那さんは漁師さんです。「いまは不漁で全然です」とのこと。魚が高いのはそのせいなのでしょう。「もうすぐ孫が生まれるんです。おばあちゃんになれるのはありがたいことです」。それはそれは、おめでとうございます。

きょうはご門徒さんによくお会いする日なのでした。

「しがらみ」か「つながり」か

4月も中旬ですが、大きなあられが降りました。きょうは肌寒く、午前中は本堂のストーブを稼働しての法事となりました。なかなかストーブを片付けられない4月です。

お参りの方のなかに中学時代の同級生の姿も。法事の施主であるお兄さんから私のことを聞いたそうです。せっかくですから、お寺の通信を差し上げました。ホームページをみてくれたらうれしいなぁ。以後、よろしくお願いします。

考えてみると、法事で同級生と会うのは5人目となりました。再会はうれしいことです。

午後は作業をしつつつ、本を読んでいます。西本願寺・第25代門主 大谷光淳氏の著書『仏の教え』のなかにこんな一節が。

「相手の身になって考えることができない。そういう自分への気づきが仏教における原点です」

「人との関係性を『しがらみ』とみるか、『つながり」とみるかで世の中の見え方は大きく違ってきます。他人の過失を見ず、自分の行いを見つめ、整えていくことで、さまざまな人の間にあって、非難にも、また称賛にも動じずいられるでしょう。完全にはできなくともお互いにそういう心持ちであれば、『しがらみ』は『つながり』と見えてくるに違いありません」

私などは、鳥取、山陰という田舎の『しがらみ』がイヤで、お寺の『しがらみ』がイヤで外に出たわけです。ところが、今のとなっては『しがらみ』ではなく、『つながり』であったのだと日々、思い知らされています。ご門主の言われる通りだなあと納得。

「しがらみ」ではなく、「つながり」でいきましょう。

ひまわりを植えました

坊守です。

きょうは週末ですが法事がなく、午前中は住職とともに農家のYさん宅に医系学生応援用のお米を買いに。10匹ほどの猫ちゃんがいて、元気に走り回っていました。その後、蓮を植える火鉢を探しにいくことができました。

農家Yさんちのクロネコ

そして先週、我々ががむしゃらに掘り返した西法寺農園の作業は、降り続く雨により、順延が懸念されていました。


ところが2時半にクロネコさんが段ボール二箱を配達してくださったころに雨があがり、スキとクワ、そして届いたばかりの箱を担いで畑に出ました。


箱の中身は、和歌山の私の実家からの花苗です。小ヒマワリ、ホオズキ、コスモス、ハナワギク、そして青紫蘇が少々。


母によると、去年のこぼれ種があちこちから自生してしまって困っていたものだそうで(うらやましい)、住職が好きな小ヒマワリも沢山ありました。順調に、数カ月後が楽しみです。
それにしても、なんてタイミング良く、晴れてくれたのだろう。


昨秋にタネを蒔いたキンセンカが、あの雪をしのぎ咲きはじめて、キラキラと雨の玉を光らせていました。