8月6日 午前8時15分(広島原爆投下)
8月9日 午前11時02分(長崎原爆投下)
8月15日 正午(終戦)
先日、お亡くなりになった益川敏英さんは、「戦争は200年もすればなくなる」とおっしゃっていました。
日本が、これからも戦後を続けていけるかどうか。私たちの役割は大きいと考えます。
小さなことではありますが、今年も平和の鐘をつきたいと思います。
8月6日 午前8時15分(広島原爆投下)
8月9日 午前11時02分(長崎原爆投下)
8月15日 正午(終戦)
先日、お亡くなりになった益川敏英さんは、「戦争は200年もすればなくなる」とおっしゃっていました。
日本が、これからも戦後を続けていけるかどうか。私たちの役割は大きいと考えます。
小さなことではありますが、今年も平和の鐘をつきたいと思います。
善悪の字しりがおは おおそらごとのかたちなり。
親鸞聖人・88才当時の和讃(詩)です。

掲示板では一部、漢字にしました。何を親鸞聖人は言いたかったのか、ぜひ想像してみてください。
8月に入りました。
この月は、私たち日本人にとって特別の月です。あの国は悪だ、あの人間たちは悪だ、私は善だとやってしまった大きなあやまりを記憶して、再び繰り返さない決意を新たにしたいと思います。
県内に新型コロナ特別警報が発令されています。感染予防の観点からお盆参りは中止することにしました。
きょうは案内をもって町内をまわりました。
山間地から漁村まで。走行距離は70キロほどでした。






山は青きふるさと、水は清きふるさと
岩美町を感じることができました。
西法寺の動植物係・坊守です。
コロナの感染対策がらみで、本業(どっちも)にあれこれ影響が出て、鼻血が出そうな月末でした。
そんな7月をしめくくるような出来事が、夕方帰宅してからありました。
ナモを抱っこして、縁側に行くと、縁の下から細いネコの声が、途切れなく聞こえてきたのです。
庭先に出ると、常連のシマ氏が木陰に寝そべっていましたが、細い声の主は見当たりません。数分ほどして、黒い影が猛然と庭を横切りました。
かなり小さな子ネコでしたが、逃げられたなぁ、母ネコも飼い主もどうしたんだろう…と、心配しながらシマ氏に夕飯をあげていると、黒い仔猫がふたたび姿をあらわしました。
前庭から中庭に逃げたけれど、一周まわって、またもとの縁の下に戻ったようでした。
そして、シマ氏をおしのけて、食べようとします。制裁を受けるか…と、ヒヤッとしましたが、なんとシマ氏は、怒ることなくその場をゆずって、傍から見守りはじめました。

子猫はよほどお腹が空いていたようで、ペースト状の餌にむしゃぶりつきました。
そこを縁側からすくいとって、ナモの檻へ。
というわけで、まったくのノープランで、小さいのを家に入れてしてしまいましたが、こんな暑さの中、1匹で外にいては、どんなことになるか、目に見えていますので、保護を優先しました。
ゆっくり、キミのおうちを探しましょうか。優しい人たちがいるおうちを
6人のご門徒さんにきていただいて、朝から境内の草刈りです。十分な距離をとりつつ。みなさん、お世話になりました。

境内の蓮は、今季いちばんの輝をはなっています。一番喜んでいるのは、小さな虫たちかもしれません。

近所の方が、「朝早く蓮を見に来ておられた人がいましたよ」と教えてくれました。ブログか西法寺通信を見てきてくださったのでしょうか。ありがとうございました。
オリンピックに出場した選手が、SNS上で受けた誹謗中傷について、「(五輪に)反対する人も知っているし、もちろん分かるし。だけど(誹謗中傷は)見たくなくても見てしまう、勝手に入ってきてしまう、すごく残念だなって、悲しかったな」と涙ながらにコメントされたそうです。コロナ禍のもと、スポーツに打ち込むことも厳しい環境に置かれた選手に冷や水を浴びせる。面と向かってではなく、匿名のネット上で。これは、陰湿ないじめではありませんか。
「あなたと意見は違うけれどもそれを擁護する」というのが民主主義の基本ではないのでしょうか。
私自身も、コロナ禍の中でのオリンピック開催には反対でした。コロナに対処するために、フェアな環境で勝負をするために、ただちに中止・中断するのが良いのではと思います。かといって、頑張っている選手を責めようなどという気持ちは全くありません。
日常生活の上で付き合いのあるもの同士であったならば、誹謗中傷を浴びせることがほぼできないでしょう。自分の素性をさらさずに相手を攻撃する、そんなことのために、この技術は作られたのではありません。欲求不満を解消する道具ではないのです。
「こんなことをしたら相手の方はどう思うだろうか?」という自制が効かない人がなぜいるのでしょうか。
昔なら、「そんなことをしたら仏さんが悲しむで」と言ってくれる方がいたのかもしれません。大きな存在の前に、自分の小ささを知る機会があったということでしょう。今そんなことを言ってくれる方がいればありがたいことです。逆に、自我ばかりが大きくなっているような人と出会って唖然とさせられた経験をお持ちの方もいらっしゃるでしょう。いや、もしかしたら自分もその一人かもしれないのです。
敵と味方、優と劣、美と醜。二項対立で捉えがちの私たちと違って仏の尺度は、「将来、みんな仏となる大切ないのちを生きている。だから、みな平等」です。むさぼりや、怒りや、自分中心の見方で生きるのではないぞ、それに気付けよ、気付けよと私に対してよびかけ、働きかけ続けているのが仏なのです。みなを救いとることができるのなら、自分は毒の中に身を沈めても後悔しない。それを仏のお慈悲と言うのです。
私は、この見方に出会ったとき、恥ずかしさと共に、ああ、これなら多くの人が救われるのではないかと思いました。2500年間、人のこころを見つめ続けてきた仏教というのは、侮りがたしなのです。
人をののしって生きる人を仏教では畜生といいます。世間で「頭のいい人」と言われる人たちの中にも見受けられます。獣のことではありません。
ともあれ、選手、そして個人への誹謗・中傷からガードする仕組みを作ることも、この機会に整備して欲しいと願います。
今日は網代の習字教室の日。お互い距離を取り、マスクをつけてのひとときです。この形が普通になりました。来月は教室はおやすみです。

夕空見てから夜食の箸とる
いまはテレビを見ながら夜食の箸とる、でしょうか。
オリンピック一色のなか、コロナの爆発的感染が心配される状況です。医療現場からは、待っている間に自宅で亡くなる人が広がりかねないとの危機感が。
きょう、政府コロナ分科会の尾身会長は、「政府・組織委員会はオリンピックをやると決定したわけですから、オリンピックの期間中に何とかして感染拡大、医療ひっ迫を防ぐためにすべきことは全て全力でやってもらうことが政府・組織委員会の当然の責任だと思う」と国会で発言されました。
メディアはメダルラッシュを繰り返し報じています。お祭りムードが演出され、危機感が持ちづらいなかでひろがる感染拡大。
とても心配です。
本日は暑さも小休止。この時を逃してはもったいない。ということで、草で覆われた西法寺農園の草刈りに精を出しました。

土が見えないほど一面、草に覆われていたのでずいぶんキレイになりました。そうは見えないかもしれませんが。

農園でたくさん咲いてくれたグラジオラスは仏華として大活躍。もとは和歌山のお義母さんからいただいた球根です。

地生えのコスモスが次々、花を咲かせています。
さらに草を借り、耕運機で起こして次の季節の花を植えるとしましょうか。
我が家の蓮ですが、葉っぱは巨大に成長したものの、肝心の花がなかなか咲いてくれません。つぼみまでいったものもありましたが、結局枯れてしまいました。
期待できるのは、いまのところ、この一つ。

なんとか花を咲かせてほしいところです。
お寺の蓮は順調に咲いているのですが。何が違うのかなぁ。
お通夜・葬儀を行わず、自宅や病院、あるいは葬儀会館から直接、火葬場に運び火葬することを直葬といいます。
今日は、火葬場で読経してほしいとのご依頼を受けて私もはじめて直葬のお勤めでした。それだけでは申し訳なく、葬儀会館でも短いお勤めと短い法話をさせていただきました。
お寺との関わりがなく必要性を感じない、金銭的な余裕がないなど理由は様々です。葬儀会館の方は鳥取市内でも増えていると話していました。
葬儀会館は、必要性を感じない、金銭的余裕がないというご家族に、通夜・葬式・僧侶抜きのプランを用意されているわけです。
必要性を感じない方についてはその意思を尊重すべきだと思います。葬式をしたいけれども、金銭的な余裕がないという方、ご家族にはこたえなければと思います。
私は、西法寺はその在り方を問われていると痛切に感じました。