ナモの日記(2023年7月)

ナモです。

あたいのいまのおしごとは、おうちのパトロールです。

おへやにはいってくるムカデをとるしごとは、たーちゃんのたんとうになりました(ことしは4つとったのよ。えらいのよ)。

それで、あたいはよるのあいだはたいていおげんかんにいます。やってくるのがシマちゃんならいいんだけど、しらないネコや、たまに、ネコじゃないどうぶつもやってくるのです。
そんなときは、ううううー!!!とうなりながら、そいつがあるいていくほうこうに、かけあしでさきまわりします。そして、まどがらすから、みはりをつづけます。
たーちゃんは、あたいのうしろについてきて、ううう〜!!と、つよそうなこえをだすようになりました。

あたいたちがこんなふうにパトロールするので、おひるまはいそがしい、おいたんやおばたんは、ぐうすかねておれます。

いいねこでしょう?

子どもの貧困の実態にふれて

きょうは鳥取県内の本願寺派の寺院の研修会でした。テーマは子どもの貧困です。主に10代後半の、家族と同居できない困難を抱えた若者たちの自立を支援している田村崇さん(自立支援ホーム 鳥取フレンド・鳥取スマイル・はればれ 統括寮長)のお話を聞かせていただきました。会場は市内・養源寺さんです。

若者たちの声に耳を傾け、日夜奮闘されている姿にふれ、本当に頭の下がる思いです。田村さんは研修会を通じてお寺とつながりができたことをよろこんでおられました。

講師さんの話をこんなにメモしたのはいつ以来でしょうか。知らなかったことを知り、知った以上は忘れてはいけないなと思いました。

実践運動という目的を持った研修会です。聞いたことを力に動きましょうということです。私には何ができるだろうかと考えさせられました。その問題意識を持って次回の研修会に参加したいと思います。

山の清掃日

今日は朝7時、愛宕山の掃除のからスタート。
出られる住民は総出で、年1回の山の掃除です。 

昨日は大雨でした。山道は、落ち葉に覆われ、この間の雨で地盤が緩み、倒れた木が道を覆っていました。
若い人たちがチェーンソーで枝をはらい、なんとか。通れるようになったようです。
1時間ほどみなさんで作業。今日のところはキレイになりましたが、年に1回ではとても及びませんね。私が幼かった頃は、山の手入れはもっと行き届いていたように思います。

私は山掃除には、アルミ製の熊手を持っていきます。葉っぱをうまいことかき集めてくれるので、作業がはかどります。なので必要以上にがんばってしまいます。それが難点でもあります。

山から降りてシャワーを浴びて午前中は法事が2件。「阿弥陀経」をいっしょに読まれる方が何人かいらっしゃいました。午後は納骨のお勤めが1件ありました。帰ってきてお参りのお礼ハガキを書いて投函。

きょうはこれぐらいにしておきます。

明日はお寺の集まりで子どもの貧困について学ぶ企画もあります。水曜日には印刷された通信が届く予定です。郵送、手渡し作業とお盆参りの詳しい日程の確定。週末には法事、そして、江戸時代から続くご門徒さんの新しい過去帳を作成するという大仕事があります。1日では書き終わらないと思われます…。それ含めて手もとに過去帳が3冊あるので、順々に書いていかないといけません。平日に法事もあります。

来週も蒸し暑い日が続くようです。「本堂にクーラーがあってよかったね」と坊守。水分補給に気をつけて、ほどほどにがんばりましょう。



庭の花たちが仏華に

坊守が、家の庭と西法寺農園に咲いた草木花だけで仏華をたてました。

グラジオラス、アジサイ、ナンテン、ブッドレア 、ヤツデ、アガパンサスです。

グラジオラスはいま次々に咲いています。色とりどりです。真っ白に咲く庭のアジサイは時間の経過とともに青く色がかわってきました。先日お参りされたご門徒さんは、「白いアジサイはあまり見たことがないです。きれいですね」とおっしゃいました。

仏華は仏様の慈悲の心を表しています。慈とは苦を取り除きたいという仏さまの心、悲とは楽を与えたいという仏さまの心です。仏華は、私たちの方を向いています。私に向けてはたらいてくださっている仏さまの救いの心を表しています。そして美しい花が散っていく姿はいのちの無常を表しています。そのように以前教えていただきました。

明日も法事です。仏さまのお慈悲を感じていただけたら。

半年間のホームページ集計

ちょうど半年が経過しましたので、ホームページのアクセスを細かくチェックしました。


今年の記事で一番読まれたのは、「吾輩はシマである」(2月22日更新)でした。
たしかに、あのシマちゃんの記事はおもしろかったですね。最近も毎日、ご飯を食べにやってきています。険しかった顔つきも変わってきたように思います。ただ、歴戦の影響なのか、身体が細くなっています。



その他上位は、「お寺の掲示板」と「ナモの日記」がしめています。

最近、「お寺の掲示板」を更新できていないので、7月からはまた再開できるようにがんばります。

訪問者数はのべ6200人でした。下半期もよろしくお願いします!

カレー日和

蒸し暑いですねー。

午前中、本願寺に提出する書類にサインをいただくため組長(そちょう)さんのところへ。本堂の書籍コーナーにおもしろそうな本があり、何冊か購入しました。

その後は、市内のラルゴさんでカレーです。職場が近い坊守も合流。バターチキンカレー、安定の美味しさです。あまり食欲がなかったのですが、食べたら胃が動いて調子が良くなったような気がします。

食べることのほか、お願いがあってやってきました。10月7日予定している「心のコンサート」(出演・大須賀ひできさん)への出張販売です。今回は限定50食ということに。お寺フェスについで2回目のキッチンカーです。

その後、スーパーで早々に買い物を済ませ、直帰。ター坊が朝、高いところに上がって寝ていたので、降りられないかもしれないと。高さは1.8Mほどでしょうか。どうやって上ったのかわかりません。もしかしたら運動神経悪くないのかも。

案の定、まだ下りてませんでした。本人はいたくご機嫌で引っ張ろうとすると断固拒否。それでも30分ほど放っておくと、下りたくなった様子で、私の肩を利用して無事に地上へ。縁側で寝始めたので、もう今日は上がらないのでしょう。

さて夕方5時の鐘がなりました。西法寺通信も明日には入稿できるかな。今日はここまでとしましょう。

あれから1年

早朝から部屋にこもって西法寺通信の作成作業にあたり、夕方ひとまず完成しました。あとは校正です。今月中には入稿できそうです。

外に出ると野良のシマちゃんがお休み中です。ウチのネコたちもこの時間は静かなものです。この写真には3匹のネコがおさまっています。わかりますか。

夕方は雨模様です。西法寺農園ではグラジオラスが花をつけ始めました。

昨年、坊守の勤め先からたのまれて、直葬をおつとめする機会がありました。グラジオラスの花束を持っていったところ、とても喜んでおられたことを思い出しています。

あれからもう1年です。

西法寺通信第17号作成中です

今日は蒸し暑いですねー。岩美町は32℃ありました。

朝から寺報をつくっています。なんとか半分は形になったので、明日がんばればメドはつきそうです。

17号はお寺フェス、帰敬式、そして慶讃法要の紹介が中心です。月末に印刷所にまわして7月上旬にみなさんのところに配る予定。その際は、あわせて盆参りのスケジュールもお知らせします。実に4年ぶりです。この夏は坊守にも盆参りに出勤してもらうかもしれません。そうなったらよろしくお願いします。

1年の半分がまもなく終わります。信じられないスピードで月日が流れていきます。私も歳をとったということなのでしょうね。

なもなもサロンはじまる

網代布教所を会場になもなもサロンをひらきました。サロンの大きな目的は、みんなでいっしょにお弁当を食べることです。「おいしいが」と喜んでいただいたようです。食事後は誕生月の方を拍手でお祝いし、坊守手づくりのシフォンケーキをデザートにしばらく茶話会。

サロンの名前は、なもなもサロンに決定しました。「『なも』について生前、永六輔さんは、『あなたのことが好きです、アイラブユーでもいいんです』と説明されているんですよ」と私から紹介。実にいい言葉なのです。

初回は17人が集まりました。次回は7月31日。声をかけたい人がまだたくさんいらっしゃるので、なもなもの輪を広げたいと思います。

うちのナモにも報告しました

私のせいじゃない

今日は朝からお墓でのお勤め、そして法事が3件と忙しい日曜です。
いずれのお勤めでも、一緒にお聖教をあげてくださる方がいらして、にぎやかな法要でした。「前に住職から阿弥陀さんが前屈みに立っておられるという話を聞いて、私も手を合わせるときに、そうやって助けて下さろうとしているんだなあと思いながら手をあわせるようになりました」。帰りがけにそう声をかけてくださる方もありました。阿弥陀さまは蓮の花の上に立ち、いつも私たちに前屈みです。

境内の蓮は、甕からなかなか茎が伸びてきません。昨年は6月末には花が咲いていたので、少し心配しています。

昨日、金子みすずさんの詩に曲をつけて歌う吉岡しげ美さんの歌声にふれました。
みすずさんに「蓮と鶏」という作品があり、買い求めたCDにあるかなと探してみましたが、残念ながら収録されていませんでした。

泥のなかから
蓮が咲く。

それをするのは
蓮じゃない。

卵のなかから
鶏が出る。

それをするのは
鶏じゃない。

それに私は
気がついた。

それも私の
せいじゃない。

おのずからなることを自然(じねん)といいます。
ものすごいいのちの営みがあるということ
生かされているということ

それにみすゞさんは気がついて、私たちに気づかせてくれます。そして、気づいたのは、私の手柄ではないよということも教えてくれます。

仏さんも同じです。拝んでいるのではなくて、拝まれているということです。それに気がつかされて、また手をあわせるのです。
ちょっと難しいですかね。

蓮に対して私にできることは水をあげることくらいです。
あとは自然の世界におまかせです。

でも、咲いてほしいなあ。