ナモの日記(2023年2月)

ナモです。
きのう「あしたはナモのにっきをたのしみにしてるわ」と、おいたんにおはなししているひとがおんさりました。きょう、あたいがにっきのおとうばんだと、なんでわかったのかな。
ねこが、にっきをかくのはたいへんなので、たのしみにしてくれると、うれしいです。

きょうのおるすばんのじかんは、2匹でおこたのなかにいました。そして、おばたんがおしごとからかえると、ター坊はおばたんによじのぼりました。
おばたんがかじっていたどらやきをよこどりしようとおもったみたいです。あたいはおさかなしかたべないので、ぱんと、けーきがすきなター坊のきもちがわかりません。

もしかしたら、のらねこのときに、ター坊は、すててあったぱんをよばれて、すきになったのかもしれないとおもいます。

「うちにくるねこは、おなかをへらしたらダメだで」と、おばたんがいって、おそとのシマちゃんにもごはんがでます。シマちゃんはこのまえからのおおゆきのあいだ、おげんかのなかにいれてもらって、しばらくきゅうけいしていることがありました。
おげんかんはさむいので、きょうはおいたんが、ゆたんぽをつかわせてあげるそうです。

はやくはるにならないかなあ。

鬼とは誰のこと

きょうは節分です。最近では恵方巻きを食べる日として認知されているようで、鬼の出番も減っているのかもしれません。かくいう私も、スーパーの恵方巻きコーナーで買ってしまいました。

ついでに最寄りの道の駅によったのですが、豆の売り場にドーンと鬼がいて、笑ってしまいました。

鬼は隠れていて普段は現れないので、もともとは隠(おん)といい、それから鬼になったそうです。

ツノを隠して生きているのはだれなのでしょうか?

貪(むさぼり)という煩悩に引きずられて、よろこびを失い、不足だけで生きている「いのち」を餓鬼といいます。

だとすれば、鬼は私であり、世界中にあふれているのではないでしょうか。

節分は、みんなが鬼であるという自覚を新たにして、みずからを見つめ直す日にするというのはどうでしょうか。

除雪機に名前をつけました

熱心にブログを読んでくださっている方の期待にこたえなければ(?)と、昨日、仕事の合間に考えました。

その名は、十方(じっぽう)

東西南北とそれぞれのあいだ(四維・しい)そして上下。あらゆる方向のことを十方とよびます。

お経には、仏の智慧と慈悲が十方を照らす、といった表現がよく登場します。

この除雪機は、あらゆる方向に雪を飛ばしてくれるので、そのように命名しました。

これからも頼りにしています。でも、もう今年の出番は少なくていいかな。

(当初、アップした日付が2/1になっていましたが、2日にアップしたので、日付を訂正しました)

鳥取砂丘も真っ白です

網代のご門徒さんの自宅に用事でうかがいました。生前法名を希望されています。両親、両祖父母も本山にお参りされ、法名をいただいていたそうです。

ご門徒さんの家から少し歩くと海辺です。なだばたからのぞむ対岸には鳥取砂丘がひろがります。砂丘は一面の銀世界のようです。

冷たい風が吹き、山陰の冬を感じさせられます。ただ、予報によると春の到来は早いそうです。雪に覆われたうちの庭ですが、よく見ると梅もつぼみが少し膨らんでいました。

1月も終わりです

今日は晴れ間の多い1日でした。

午前中、法事でお参りのご門徒さん夫妻から法名の申し込みがありました。これで合計24人となりました。たくさんの方に申し込みいただき、嬉しい限りです。5月28日当日が非常に楽しみです。

同日の午前中に予定している「お寺フェス」はプロの落語家さんにきていただけることになり、一安心です。

3月末の本山参拝の方は19人でのお参りとなりそうです。ルートもほぼ決めたので、今週中にはみなさんに旅の案内をお届けしたいと思います。

今日で1月も終わりです。最近は雪かきばかりしていたような…。来月もみなさまよろしくお願いします。

雪塊をかきわける

朝の葬儀から帰って、玄関前をふさぐ屋根から落ちた雪の塊を片付けました。1メートル50センチほどの高さ。人力だとかなりかかると思いますが、除雪機のおかげで20分ほどで終了しました。

今年は連投につぐ連投ですが、動きは軽快です。本当に頼りになる相棒です。

量ることができ無い

30センチの定規では測定できません。この2日ほどのあいだにこんなに積もりました。

量ることができ無い=無量=阿弥陀なのです。

と冗談はさておき。60センチほど積もっています。

朝起きて外を見ると、この寒波中、いちばんの積雪でした。除雪機を動かして、早朝から駐車場と近所の道の雪をかきました。この数日、同じことの繰り返しです。

午前中の法事は2件予定されていましたが、1件は延期に。お参りされた方も大雪のなか大変なことでした。

私の部屋のエアコン用の室外機も雪に埋もれてしまいました。屋根から次々に雪が落ちるのでどうにもなりません。

夕方は鳥取市内でお通夜のお勤めです。安全運転でいってきます。

雪がやみません

昨日の夕方から雪がずっと降っています。一夜にして20センチほど積もりました。夜まで降る予報のようです。

予定されていた法事は延期になりました。町内の防災無線は、不要不急の外出は控えましょうのアナウンス。

温泉旅館の駐車場から車が出せないとのことで、近所の高校生が除雪機を動かしていました。エラい!

坊守です

住職、午後も除雪作業をしております。

わたくしが午後に帰宅したところ、景色の中の白が増し増しでした。

野良猫シマちゃんも、我が家の土間で夕飯を食べて、しばし雪から避難しています。

「つながりサポーター」からのお知らせ

坊守です。

1月は寒さのなかで終わりますね。

相変わらず右往左往の近況で、職場のデスクに座っていられる時間が短いのが悩みです。

そんなことで、ふうふう言いながら、机に戻ると、ピンバッヂと学習会のお知らせ、そして鳥取市の「つながりサポーター」の認定証がありました。
12月の日曜日に1日がかりで養成講座を受講した分が、忘れた頃に届いたのでした。

ねらいは、近年問題になっている「社会的孤立」への支援。たとえば8050問題といわれる80代の親が50代の子どもの生活をみている世帯が孤立するケースや、未成年が家族を世話しないといけないヤングケアラーなどがそうした孤立の典型です。
こうした問題は、今までの福祉施策では対応が難しいことも特徴で、支援が届かないまま、とりかえしのつかない事件にも発展しかねないリスクをはらんでいます。
それで、とにかくまずつながって、悩みを抱えた世帯を孤立させない、ということに民間や地域住民の手を借りたい、ということ。

「既存の福祉施策では足りないから、民間や住民の手を借りたい」という発想には、100%賛成できませんが(足りないことに気づいているなら、拡充を考えないのかなぁ?と)、施策の改善を待っている暇がないことも確かなので、とりあえずアタマを突っ込むことにしました。

認定証とともに届いたチラシは、シンポジウムのお知らせでした。

つながることの大切さ、個人・団体で行える支援について考える場にしたいそうです。
事前申し込みは必要ですが、誰でも無料で参加できます。
奥田牧師もふたたび話しに来てくれますので、宗教者が社会にいかに関わればいいのか、お寺関係者にもヒントがもらえる機会になると思います。

【開催日時】
 2月13日(月) 14:00~16:15(開場13:30)

【会 場】
鳥取市民会館 大ホール
【内 容】
鳥取市の取組紹介 深澤市長
基調講演(1) 奥田知志さん(一般社団法人 生活困窮者自立支援全国ネットワーク 代表理事)
基調講演(2) 村木厚子さん(津田塾大学 客員教授/内閣官房 孤独・孤立対策担当室 政策参与)
パネルディスカッション 奥田知志さん・村木厚子さん・中央人権福祉センター 川口寿弘次長

雪かきも2日目です

今日の朝も地面は雪に覆われていました。10センチ超は新たに積もったと思います。

雪かきをする前に、近所を少し歩いて、お寺を眺めました。こういうのを雪景というのでしょうね。見ている分にはキレイなものです。

小一時間ほど除雪機を動かし、お寺の駐車場と納骨堂に向かう境内の雪をかきました。境内の方は昨日かいていないので、30センチほど積もっていました。

昼間、気温は低いものの太陽も顔を出し、いくらか雪も溶けて水に変わっていきます。
「雪が溶けて川になって流れて行きます」という歌には、まだ早いですね。溶けた水はまた氷にかわるかもしれません。

親鸞聖人にもこんな詩(和讃)があります。

「罪障功徳の体となる こおりとみずのごとくにて
 こおりおおきにみずおおし さわりおおきに徳おおし」

こおりがみずにかわっていくのは、0度より高い温度の空気や水にふれるからでしょう。

罪や障(さわり)といった私たちの煩悩が、徳に変わるというのは、自然にそうなるのではありません。仏さまの働きによって、煩悩が、そのままさとりに転じるということです。そのことを親鸞聖人はもったいなく思われたのでしょう。

そんなことを考えてみますと、「仏さまを泣かすようなことはすまい」という心のストッパーが働くのではないでしょうか。

以前にも書いたことがありますが、現代においては、人間の経済活動によって氷を溶かし、海面上昇を招いています。これでは、〝こおりおおきにみずおおし さわりおおきに罪おおし〟です。煩悩との付き合い方を変えないと、取り返しのない事態になりかねません。