お寺フェスに向けて④ 掃除の日

午後、お寺フェスと永代経法要に向けたお寺掃除をしました。境内の草を刈り、本堂の縁や戸を水ぶきです。

「家でもこんなにきれいに草をとらんで」との声も。

お釈迦さまのお弟子さん、周利槃特(しゅりはんどく)は、掃除をしつつ自らの煩悩を滅したと伝えられています。みなさんはどうだったでしょうか?

初参加のご門徒さんはじめ、思いがけず21人も集まったので最後に記念撮影。みなさん、ありがとうございました!

第2回お寺フェスに向けて③

昨日は午後、網代で習字教室があり、久しぶりに参加できました。昼から陽気も良くなったので、帰りに宇治の集落にお寺フェスのチラシを配って歩きました。周辺の田んぼの田おこしも終わり、農家のお宅の庭先では苗が田植えを待っているのでした。

宇治の田んぼ

そして今日の午前中、真名(まな)、長谷(ながたに)、白地(しらじ)集落を配り歩き、岩井の共同浴場の掲示板にもはっていただきました。白地を歩いたのは実に小学生の時以来です。

白地の集落

2時間ほど歩き回って終了。長谷では農作業中のご門徒さんから小松菜とからし菜をいただきました。

明日は昼からお寺フェスに向けたお寺掃除、日曜は役員会の予定。いよいよお寺フェス目前です。

それぞれのGW

午前中、町内のよりあいへ。道の駅に野菜を出しておられる方、コメ農家さんもいらっしゃいます。GW、「楽しみにしていた畑のイチゴが野生動物にほとんど食べれてしまった」という残念な報告も。1000個以上の収穫を見込んでいたところ、口にできたのは数個だったそうです。

コメ農家さんは、「毎日、田んぼをおこしとりました」。月末からはじまる田植えの準備に忙しそう。コウノトリはこのひと月、姿を見てないとのこと。お願い事の相談も少し。

「テレビの大画面でドラマやYouTubeを楽しめるようになって。アレクサつけてといえば見れるから、いいわー」という方も。息子さんがプレゼントしてくれたそうです。「なにそれ?」という反応もありつつ、コーヒーを手に世間話です。

私は、仕事がつまっていたことと、「連休最終日に背中がギクっとなってしまって。法事のときけっこう痛くてまずいなぁと。連休後、仕事以外はなるべく安静にしていました」と報告。実はこの数日、悩まされていましたが、きょうはずいぶん回復したように思います。

せっかくの機会なので、集まっていた方たちにお寺フェスのチラシを配りました。「楽しみにしとりますで」と農家さん。お線香のリクエストも。みなさん来ていただけるとのことでした。

帰りに春キャベツを一人あたり2つお土産としていただきました。いつもながら見栄えの良い野菜をつくられます。春のめぐみ、ちょうだいしました!

八頭のお寺さんへ

今日は寒かったですねー。暖房が必要な天候でした。

午後、八頭町(やずちょう)のお寺さんへ。岩美町から車で約50分ほどかかります。

4年間、県東部の本願寺派の寺院の集まり・鳥取因幡組(いなばそ)の会計係を務めていましたが、この5月から新しい方に交代したので、その引き継ぎのためです。

入出金はインターネットバンキングを利用しています。実際の作業をパソコン上で行ないつつの引き継ぎです。私の任期の間はコロナもあり、思うような活動ができませんでした。今年度からは通常に戻ったので、会計作業も増えそうです。今年度は適宜、いっしょに作業する予定です。徐々に慣れていただければ。

お土産に、大江の郷自然牧場のプリンをいただきました。お寺から車で数分の距離とのこと。うわさには聞いていましたが、食べたことはありません。気を遣っていただいて申し訳ないことです。

五七日のお勤めへ

今日は田後に五七日(いつなのか)のお勤めへ。施主さんと、近所にお住まいの親友の方と私の3人で「正信偈」をあげました。

お勤めが終わり、県内の銘菓「打吹団子」をいただきながら世間話。この間手続きで市内に出られたそうです。車の免許は返上されているのでバスを乗り継いでの移動です。「年金の手続きは一回で終わってよかった。だけど、バスは100円多く運賃箱に入れてしまった」とのこと。

普段の買い物はお二人とも町内のスーパーサンマートへ。親友のKさんは、「1回では持ちきれなくて2回は行きます。それでも前は片道220円。いまは100円だからありがたいです」。

車がないと移動もままならないのが地方の現実です。公共交通も縮小傾向です。どう移動の自由を守るのか、大きな課題です。

お勤めが終わり歩いていると、にぎやかな話し声が。バスの待合室で女性の方々が団らん中です。「和尚さん」との声。ご門徒さんがいらっしゃり、「今度参らせてもらいます」。お寺フェスに来られるとのこと。

田後は、町内でいちばん高齢化率が高い集落です。健康づくりの一助になればと、医療生協のおためし班会をひらきたいと考えています。漁の休み期間の7月の開催を目指して調整したいと思います。みなさん、お楽しみに。

田後(たじり)港

初七日にお参りして

ゴールデンウィークも今日で終わりです。私も昨日と今日の午前中は休みました。

網代の海

午後は網代で初七日のお勤めです。10冊ほど経本をもっていきましたが、全然足りませんでした。「来週も同じくらいになるみたいだから」とご門徒さん。20冊は持ってこないと足りない感じです。

お勤めのあと、お参りの方が私のかごバッグをみて、「どこで買われたですか?」とたずねられました。さらに、「病院で奥さんに声をかけられたことがある」とも。世間は狭いです。

いつも元気なKさんは、「くたびれがでとるだが」と。昨日、今日は親せきの方の葬儀にお参りしていたそうです。加えて朝はわかめとり、MLB放送で大谷選手の観戦といそがしい。実は私も朝、みてました。大谷選手、2ホーマーの大活躍でしたね。

手をあわせ、故人をしのび、お経をあげ、みなで語りあう。こういう光景が薄れつつあるだけに、貴重な場を提供していただいているなあとしみじみ。

Yさん、ご苦労だとは思いますが、来週以降もよろしくお願いします。

お寺を明るく

GW中にお寺の玄関と二間続きの20畳の集会室の照明器具、そしてカーテンを新調しました。いずれもこの数年、気になっていたところでした。

照明器具は工務店のご門徒さんにお願いしました。これまで使っていたものはご門徒さんが若かった頃、40年近く前につけたものということでした。「住職に頼まれて。まだ仕事をし始めたばっかりの時だったで」。おかげさまで見違えるように明るくなりました。

玄関
集会室のカーテン

新しいカーテンは坊守が選んだものです。2枚とも防炎。メインのカーテンはラベンダー色(薄紫)で、集会室の椅子の色にあわせました。遮光にしたので部屋で映像などを観たりする際にも活躍してくれそうです。

とりつけも坊守があたってくれたので、節約にもなりました。暑いなかご苦労様でした!

ナモの日記(2024年5月)

ナモです。

ニンゲンはいま、おやすみがいっぱいあるそうで、けっこうなことです。いわいおんせんにあそびにきんさったひとたちも、たくさんおるようで、おそとがいつもより、にぎやかです。
きのうなんか、うらのやまにのぼっただれかが、
「やっほー!」「わー」と、なんべんもわめいているこえがきこえました。おばたんは「たすけて!」とさけんだんじゃないかとびっくりしたそうです。

アタイのおうちでは、おいたんはおやすみのほうがいそがしいし、おばたんがおしごとにいかずに、おにわのくさひきばっかりしているくらいです。アタイたちはまどのちかくで見学して、じきにねてしまいました。

いま、毛がぬけかわっているので、たーちゃんとアタイと、ぶらっしんぐをしてもらったら、まあまあおおきな毛玉がとれました。どちらがだれの毛玉なのか、みなさんにも、わかるかな?

さて、さいごにおしらせです。アタイのことを「かわいい、かわいい」と、ほめてくれるおじさんが、ごほんをだされたそうです。アタイはじがよめませんから、しゃしんをとってもらいました。おはなしのなかに、ねこはでてこないそうです。でも、こまっているひとがすくなくなればいいなあとおもって、かきんさったそうなので、いいごほんです。ごきょうみのでたかたは、ごらんになってください。
とうきょうのどこかのほんやさんでは、かうひとがさんばんめにおおいほんだそうです。

ひ孫さんの「なんまんだぶ」

午後3時過ぎ、お寺での還骨(かんこつ)法要が終わりました。

法要の最中、故人さまから見るとひ孫にあたる男の子が、
「なんまんだぶ」
「もう終わり?」
「ありがとうございました」
と絶妙なあいの手を入れてくれて場が和んだように思います。

「なんまんだぶ」というお念仏は一度聞いたら忘れません。それをひ孫さんが証明してくれました。

お孫さんにあたる社会人の方は、幼かった頃、西法寺本堂の修繕を記念した法要の前に、稚児さんとして歩いてくれたそうです。「写真を見たい」とのことで集会室に掲げられた写真を確認したところ、泣きじゃくっている姿と、その横にはお母さんが! 今まで気が付きませんでした。その頃私は一般人でしたので、背広姿で写真の一番上の方に写っています。時をへて思わぬ形で再会を果たしたことになります。病院勤務は大変なこともあるでしょう。身体に気をつけて!

法要の終わりに「しんらんさま」をかけました。歌いなれている方が多く、本堂に歌声が響きました。

来週の月曜から7日ごとの逮夜法要もおつとめすることになりました。

本日は、早い時間に終わったので、これからお寺フェスのチラシを山あいのご門徒さんのところに届けに行ってきます。

仏前にお礼を申し上げる

昨日、ご門徒さんが往生され、臨終のお勤めに夜、自宅にうかがいました。ご家族、そしてごきょうだい、縁ある人たちが大勢集まっておられます。お経本を7冊持っていきましたが、全然足りませんでした。ご一緒に「阿弥陀経」をあげました。

ご門徒さまの胸には、生前本願寺からいただいたご法名と、記念の式章。ご法名には「尼」が使われていました。1989年以後は尼は使用されていませんので、ずいぶん以前に参拝され、法名を授かったのだと思います。

2018年4月、鳥取に帰ってきた私は、当時の住職(父)とともに、同月の上旬、網代の宅参りをしていました。地図が頭に入っていませんので、「次はあの家」との指示を受けるがまま、お邪魔して短く読経するという形です。

あるご門徒さん宅で勤めを終え、ふと上に目をやると、若い方の写真が飾られれいます。

「この方はどなたですか?」
「私の息子です。20歳で海の事故で亡くなりました」

うながしたわけではありませんが、ご門徒さんはこんな話をしてくださいました。

「事故の前日、港に見送りに行ったことをよく思い出します。息子は何のために私のところに生まれれ来てくれたのかと長い間考えました。今は、こうして私が手をあわせるために生まれてきてくれたのかなと思っています」

衝撃を受けたお話でした。
ご門徒さんとお話しする機会はその後なく、昨日となりました。

あの言葉が、今の私を支えてくれています。ありがたい法話でありました。直接、お礼を伝えられず心残りではありますが、昨日、仏前で、「ありがとうございました」とお礼を申し上げました。線香が煙たかったせいもあったのですが、涙が出ました。