あれこれ準備中です

来週は最強カンパがやってくるとのことで、朝から除雪機のガソリンを満タンに、お寺中のストーブの灯油も満タンにしました。車のガソリンも入れておいた方がよさそうです。同じ町内会に住む方が、「雪かき用に現場から機械を持って帰ってこんといけんなあ」と実に頼もしいことをおっしゃっていました。もし大雪になったら、重機による雪かきの風景を紹介できると思います。あまり積もらない方がもちろんいいのですが。

本業の方では、5月28日の帰敬式の申し込みが新たにあって17人になりました。先日の寺院サポート講座の際、講師さんが、法名を飾れる額を九州の教区が以前販売していたというお話をされていました。紙に書かれた法名をお持ちの方の多くは仏壇にしまっているのではと思います。飾るというのはいいですね。何かいい手立てがないか、考えてみたいと思います。

そして、3月30日から31日の本願寺参拝の方は昨日2人の方から申し込みがあり、定員まであと1人となる19人となりました。

大まかな日程は、30日の早朝出発、昼に京都着、夕方ホテルへ。31日の前中、親鸞聖人御誕生850年立教開宗800年慶讃法要にお参り、午後大谷本廟で納骨、夜鳥取着です。

有意義な旅行となるように、どこでランチするか、どこを見学するのか、この数日、さんざん考えています。ようやく考えが定まって30日のランチの方は、本願寺からほど近い料理店を先ほど予約しました。次は、食事の後、ホテルにチェックインするまでの時間、京都国立博物館の「親鸞 生涯と名宝」展にいくか、本願寺境内とその周辺を散策するのか、それとも第3の何かいい考えがないものかと頭を悩ましております。

漁師さんはカッコいい

昨日、寺院サポート講座のあと、生前法名を希望されているご門徒さん宅へ。必要な書類に記載していただいて、こたつに入ってコーヒーをいただきながら、楽しい話をうかがいました。

びっくりする話もありました。

「週刊サンケイ」(1985年2月14日号)という週刊誌の広告ページに若き日のご門徒さんとお父さんの姿が! 日本専売公社(現JT)のモデルをつとめたというのです。

お父さんの表情の明るいこと。顔の焼け具合もたくましい。
そして、若き日のご門徒さんのかっこいいことといったら!!!

写真のえときには、次のようなテキストが。
左が機関長の◯◯◯◯さん、60歳。右が長男の◯◯◯◯さん、35歳。いま稼ぎ時だけに夜も昼もない。出港したら2、3日は帰らない。海底約500メートルに底引き網を下す、網を引く、漁獲を選別する、網を下す、網を引く、それを2時間単位で繰り返す。この合間を縫って休息や仮眠をとる。これで睡眠といえるだろうか。頑健さだけが勝負なのだ。「ヨーケハイッタナー、イップクヤラーデェ」その声は活気に満ち、野放図に明るい。

ご門徒さんの毎日の日課は朝夕、仏壇の前に座ってお経をあげることです。実際、5時になると仏壇の前に座られました。

私は、その姿もまた、かっこいいなあーと思うのでした。

寺院サポート講座の最終回

坊守です。
本願寺と寺院をズームでつないで行われてきた講座も本日が最終回でした。寺院運営計画書をそれぞれ持ち時間25分で発表と質疑応答です。

パソコンの横っちょで他のお寺の報告(今日は西法寺を含め5ヶ寺)を興味深く聴きました。
人口3000人の町で、まちおこしの拠点になろうという計画や、都市部に立地して浄土真宗らしい路線をすすめる計画、それぞれの地域や歴史を生かしながら、今後のあり方を考えてこられたんだなぁ、と想像を巡らせる場となりました。


さて、われら西法寺の首尾は…。先週末に住職がウンウン言いながら整理した計画(坊守は半日で作業を離脱しましたが)は、着任してから5年間のとりくみの先に何を目指そうか、という記録でもある気がして、背伸びもしすぎず悪くないと思いました(上から目線)。

質疑応答でワタシが個人的に面白いと思った場面は、ネコの名前が「ナモ」「タリ」と住職が紹介すると「うちは犬がナモで、インコがののちゃん」とレスポンスされたお寺があったことです。なんという発想の類似でしょう。

ともあれ、この数カ月間のセミナーの計画書づくりを通じて得られたことは、地域の中の自院のポジショニングだけでなく、行ったこともない地の同宗派のお寺の皆さんが身近になったことではないかな、と笑顔でパソコン画面に向かう住職を見て思うのでした。

計画書の方は、「今後、役員さんと共有して、お寺の運営に生かしていきたい」と住職は申しておりました。

16人から法名の申し込み

5月28日は、午前中、お寺フェス、午後は、親鸞聖人御誕生850年立教開宗800年を記念する法要、終了後、生前法名を授かる帰敬式を予定しています。法名の方は、昨日も2人の方から申し込みがあり、16人になりました。こんなに申し込みがあるとは思っていなかったので、かなり驚いています。

実施日の3か月前までに本願寺に書類などを提出しないといけません。あまりのんびりもしておられないので、今、申し込んでいただいているご門徒さんのところを今週から来週にかけて、回ろうと考えているところです。

昨日は町内のご門徒さんの自宅にうかがいました。「まあまあ、お茶でも飲んでいかれんかえ」と、30分ほどこたつにあたってお話ししました。「一人になると、することがなくていけませんねえ」。ご主人は3年前にご往生されました。

「毎日、昼ごはんを食べに近くで働いている孫が来るです。おばあさんの料理だけえ、美味しいのかなあと思うですけど、なにも言わんと食べとりますで」

よくお参りされる方なので、顔は存じ上げているのですが、せっかくなので少し、昔話を教えていただきました。

高校は私と同じでした。1959年、伊勢湾台風が上陸した際、友達と2人で線路の上を歩いて学校まで登校したそうです。「先生がびっくりして、『今日は休校だで。どうやってきただか?」と聞かれて、『線路を歩いてきました』といったんです。帰る方法がないので、2人でまた線路を歩いて帰りました」。ちなみに列車は運休していたとのこと。

高校卒業後は地元の新聞社に就職。「昼休みに同僚と砂丘まで行ってお弁当を食べたのが楽しかったです。だけど、すすめがあって数ヶ月働いて、こちらに嫁いできました。青春時代というのはほとんどなかったです」「当時は、家同士で相手を決めたり、仲人さんのすすめで結婚したもんです。反対なんてできません。結婚が決まってから初めて主人の顔を見ました」「よかったのか悪かったのか。主人が怒るかもしれんけど(笑)」。私は、「えーそうなんですか」「今とはずいぶん違うんですねー」とただ聞くばかりです。

「80歳を過ぎて、とにかく娘から『こけたらいけん、こけたらいけん』と言われるですが。今日は、天気がいいけえ、ちょっと散歩に出ようと思っとります」

来週にかけて大荒れの天気予報ですが、空模様を見つつ、ご門徒さんのところをお邪魔したいと思っています。

食料無料市の実行委員会

午前中は食料無料市の実行委員会がありました。いつものようにズームでの会議です。会議に参加しつつ、利用された方が記されたアンケートや、聞き取りに目をやりました。

「半額のものばかりたべている」
「暖房を使う時間を決めている」
「これで正月が迎えられる」
「人と繋がりたい、話したい」
「頼れる人がいない」

生活の苦しさとともに、つながりの薄さが浮き彫りになっています。

無料市には看護学生さんたちがボランティアとして参加されました。
「地域の方と話をしたこと自体、勉強になりました」
「血圧が高い人が多かった。部屋の温度が健康に及ぼしているのではないかと心配」

次回の無料市は4月15日(土)に開催予定です。

悲しみということ

昨日、中陰法要にうかがいました。ご往生されてから28日目、四七日(よなのか)の集まりです。仏間の外には小さな庭がありました。「父が元気だった頃はよく手入れをしていました。梅がきれいに咲きます」と娘さん。昔話や世間話に花が咲き、なんとも和やかなひと時でした。小さなひ孫さんも無邪気に遊んでいました。

これはある本に書いてあったことです。随筆家の若松英輔さんの著書『悲しみの秘儀』に次のような話があるそうです。「悲しい」という言葉は、悲しい・哀しいだけでなく、「愛(かな)し」あるいは「美(かな)し」という漢字をあててきたそうです。「悲しみにはいつも、愛しむ心が生きていて、そこには美としか呼ぶことができない何かが宿っているというのである」

法要に集まった方たちのお話を聞きながら思っていたのです。若松さんがおっしゃる通りだ。悲しいとは愛おしい、美しいことなんだなあ、そこには日本人が古くから大切にしてきた心があるのだなあと。

先生の言葉がよみがえる

今日の法事のあとのことです。
お参りされたご門徒さんがこんな話をしてくれました。

「昨日、お寺のホームページを読みました。それで思い出したんです。学生時代に仏教学の講義がありました。担当のT先生は、『いのちは光輝くものです』と私たちに話されました。今日、お経を見ながら、ここにはそんなことが書かれているのかなと考えていたら、泣きそうになりました」

ふだんは小学校の先生をされているそうです。若い日の記憶が、大きな励ましとなって今、思い出されてきたのではないでしょうか。

年回法要は、長い時間軸で物事を考えさせてくれます。亡き方が、そんな時間を用意してくださったのだと思います。

阿弥陀はアミタ。その意味は、無量です。
「量ることができません」

本来、「いのち」は量ることはできないのに、比較して、優劣をつけて生きるのが私たちです。そのことを誰よりも悲しく思い、だからこそ、救わなければと阿弥陀さまは、私たちに前屈みで立っておられます。

「誰かの目」ではなく、「仏さまの目」から自分を見つめてみた時、「これではいけない」という思いとともに、あたたかさを感じることができるのではないでしょうか。

勉強はしてみるものです

合間を見つけては視聴できていなかった真宗講座(本願寺広島別院主催)を視聴しています。

今日の話はマニアックなので、お読みすることは特に薦めません…。

今日まで続く寺檀制度というものがあります。どこかのお寺に所属するということです。はじまったのは江戸時代から。私は、徳川幕府が、キリシタン規制のために、どこかのお寺に所属するようにと民に強制したのだと思っていました。

しかし、「本願寺の歴史3」という講義の中で講師の三浦真証さんが、実際にはどうだったのかというお話をされました。

それによると、江戸時代になり、農業生産が安定するようになり、家族という単位が確立し、村が発展し、その中で先祖を供養するという欲求が高まり、集落にお寺が必要になってきた、ということでした。そして増えていくお寺を把握するために生まれたのが寺檀制度ではないか、という説明でした。

16世紀の初め頃には数百だった本願寺派の寺院は、17世紀末には8000をこえるまでに増えているそうです。西法寺も江戸時代初期に創建されました。他宗派も同じような変遷を経ているとのこと。

三浦さんは、「教団の運営は、家制度の変化によって規定される。家族の感覚が変わるならば教団は変わらざるを得ないということ」とお話しされました。

上からの強制で生まれたと思っていましたが、下からの欲求で生まれてきた制度とも言えそうです。私にとっては新たな知見でありました。

ちゃんと歴史を踏まえて、これからを考えないといけないなと思った次第です。

勉強はしてみるものです。

岩井屋さんにて新年会

きょうは地元岩井の岩井屋さんで町内会の新年会です。目にも美味しい料理をいただき、世間話に花を咲かせています。高齢の方も多いので、アルコールは少々。年に一度のことですが、こういう会がいつまでも続いていくといいなぁと思います。

今年最初の習字教室にて

「手本から好きな文字を一字選んで半紙に大きく書きましょう」との趣向で、私は「寶」を書きました。宝の旧字です。

過去帳に記載する際の習字は緊張の時間ですが、網代の習字教室は、2週に1回の楽しい時間ですね。

教室後は網代の集落を配り物をしつつ歩きました。雪は12月に一度積もったきりです。真冬とは思えません。数日、この陽気がつづくようです。