ご本尊をお迎えする

このほどご自宅にご本尊をお迎えされるご門徒さんがお寺にお見えになりました。お仏壇の大きさに合うご本尊をお知らせし、希望をうかがい本願寺に注文しました。

「今を生きている私が、親鸞聖人によって阿弥陀さまのみ教えを聞かせていただき、『南無阿弥陀仏』とお念仏を称えさせていただく場、それが浄土真宗の家庭です。その家庭に阿弥陀さまをお迎えし、手を合わせ、日々の読経・お給仕を通して、阿弥陀さまを仰ぐ心を育み、身も心も豊かに育てられていくところが、阿弥陀さまをご本尊とした浄土真宗の仏壇です」

新しくご本尊をお迎えするご門徒さんにお話しする際、「阿弥陀さまと私」という本願寺鷺宮別院(和歌山)で作られたパンフレットを参考にしています。

真宗ご門徒の方は、このイラストをごらんになって、ご自宅のお仏壇をチェックしてみてください。

報恩講2日目

昨日に続いて天候にめぐまれての報恩講でした。

午前中は網代布教所、午後は田後薬師堂が会場です。網代では24人での法要となりました。イスがたりなくなり、近所のご門徒さんから長椅子をお借りしました。田後では21人がお参りされ、はじめて報恩講にこられた方が3人もいらっしゃいました。うれしかったです!

網代にて

ご講師の佐々木さんは、さまざまな入り口、材料から、わたしを決して見捨てず救わんとはたらきつづける仏のお慈悲を語られました。笑いあり、しんみりする時間ありです。みなさん、あたたかく、心地よい時間をすごされたのではないでしょうか。笑顔で帰っていかれました。

住職からは生前に法名をいただいてほしいとお願いしました。4人の方から申込みがあり、「主人にも勧めたい」というご門徒さんも。来年3月の本山参拝も2人から申し込みがありました。

お参りの方に『拝読 浄土真宗のみ教え』(書籍)を合計59冊お渡ししました。ですから59名のご門徒さんがお参りされたということになります。昨日と今日続けてお参りされたご門徒さんも複数いらっしゃいます。本堂、網代、田後3会場にのべ75人のご門徒さんがお参りされました。

みなさんのおかげで今年も報恩講をお勤めすることがでしました。ありがとうございました。

報恩講初日

秋晴れの1日、報恩講をお勤めしました。親鸞聖人のご命日にちなんだ法要です。30人がお参りでした。

コロナの第8波なのでしょう。県内でも再び感染が広がり、申し訳ないことでしたが、読経は住職、前住職のみであたりました。

この日のためにとりよせた『るるぶ 親鸞ゆかりの地』。来年の親鸞聖人のご誕生850年にあわせて発売されたばかりのガイドです。20人の方が手にされました。興味のある方はぜひお買い求めください。

法話を担当されたのは出雲覚専寺ご住職の佐々木俊教さん。遠路、4年続けて来ていただきました。「誰かを責めないと落ち着かない私の悲しさに気づくことに仏教の役割があるのでは」。本当にその通りだなとうなづくばかり。親鸞聖人を通して私たちに伝わった阿弥陀仏の教えについてお話ししていただきました。

「死ぬまでにもう一度と思って3年ぶりに報恩講にお参りしました」と話すご門徒さん。冗談抜きです。それこそ命懸けでご聴聞されているのです。

最高齢の方は95歳です。毎年、娘さんとお参りしてくださいます。

いまカニ漁で忙しい漁師さんは、「今日は忙しいけえ、あした網代でお参りします」とカニを届けてくださいました。

私をよく知るMさんは、「住職はお坊さんが様になってきたなぁ」とヒソヒソ話をしていたそうですが、その声は大きくて、坊守の耳にも届いたそうです。

明日は網代と田後でのお勤めです。ご門徒さんとお会いできることを楽しみにしています。

仏さまのお下がりのお餅。お土産用です

報恩講前夜

坊守です。
明日明後日と、2022年の報恩講をおつとめすることになっています。
ふだんは「不坊守」(ぼうもらず)を堂々と標榜しているわたしも、さすがに昼から仕事を休み、住職の準備に合流しました。といっても、お花をたてたり、お菓子の算段をしたりと、楽しいことばかりの担当です。笑

こちらにきて5年目にもなりましたので、作業効率は良くなりました。
お花選びも、去年から同僚の家族が営む花屋さんにWEBでお願いし、平日の日中に時間がなくてもゆっくり相談して、確保できるようになりました。

明日の本堂での報恩講のお花と、19日の網代の道場のお花も含めて2時間ほどで完成〜。
本堂裏の床掃除にやってきた住職が、
「ほう!!」とひと声、
「鳥が飛んでるように見えるなあ!」と、極楽鳥花をみあげて感想を述べたので、わたしはクスクス。
住職は去年も、極楽鳥花を入れた仏華をみて、同じセリフで感心していたのです。
また1年経ちました。早いものです。

網代の皇帝ダリア

道の駅で買い物をしていたら網代のご門徒さんが仏壇を飾るお花を買っていました。声をかけると、「元気になっただか?」とまずお見舞いの言葉をいただきました。そして、スマホの待受を網代道場で咲いた皇帝ダリアにしているとのことで見せてもらいました。

これは自分の目で見ておかなければと、久しぶりに道場へ。大きな花が次々に咲いています。まだこれから花を咲かせるつぼみもたくさん。

この2ヵ月ほどで背丈も2メートルをこえるほどになっていました。

明々後日は網代での報恩講です。花を見る楽しみもありそうです。

悲しいご縁を通じて

2ヵ月ぶりにお勤めした葬儀が終わりました。お参りされていたご門徒さんから、「いいお経を聞かせてもらいました」と声をかけられました。たしかに大きな声が出たように思います。

施主さんのご家族は、この悲しいご縁を通じてご門徒になられました。

門徒とは、「一門の徒輩」(いちもんのとはい)、ともがら、仲間のことです。

同じ南無阿弥陀仏・念仏を称える者は、社会的地位、性別、年齢などあらゆる違いをこえて、平等であり、友です。

これもひとえに、亡き方のお導きです。

合掌

「私も法名を授かりたい」

来年の5月に、西法寺で親鸞聖人御誕生850年立教開宗800年を記念する法要をお勤めします。その際、本願寺から係の方に来寺していただき、帰敬式(ききょうしき)を本堂で行う予定です。

帰敬式とは、釋〇〇という3文字の法名をいただく儀式です。法名は、お釈迦さまの弟子としていただく名前のことを言います。この世に生まれた時が第一の誕生日、法名をいただくことは第二の誕生日だと思います。

私は釋大朗を名乗っています。「学仏大悲心」という仏教の言葉があります。全ての生きとし生けるものを大悲(慈悲)でつつみ、「必ず救う」という阿弥陀仏のお心に気づかされ、大悲に抱かれて仏道を歩んでいこうという意味です。仏さまの真似事をほんの僅かでもさせてもらわなければと、自分の法名から感じることができます。

10月の西法寺通信とあわせて、全てのご門徒さんに、帰敬式を行うことをお知らせしたところです。そして今日、あるご門徒さんから、「私も法名を授かりたい」との電話がありました。「お経の中にある『説誠実言』から『誠』をとっていただけませんか。それに私の名前から一文字をつけてください」とのことでした。「説誠実言』(せつじょうじつごん)、「(仏たちが)誠の言葉を述べられる」ということです。「私たちは人を疑い、教えを疑い、仏道修行を疑い、自身を疑うというように大変疑い深く、容易に仏法を信じようとしないので、仏たちがみなまことの言葉をもってこの仏法を証明されている」(『聖典セミナー「阿弥陀経」』より)。ご門徒さんの卓見に学ばされました。

今度の報恩講、そして12月と、声かけを強めていきたいと思っていたところだったので、本当に嬉しい電話でした。南無阿弥陀仏を拠り所にして生きていく第一歩として、多くのご門徒さんに法名を授かっていただきたいと願っています。

臨終勤行にうかがって

冷たい雨が落ちる岩美町です。
午前中は3回忌のお勤めがありました。20人近いお参りでにぎやかな法要でした。奥さまが過去帳と写真を持ってこられ、前においてのお勤めでした。「過去帳を家から出したのは初めてです。今日は遠出しました」。ご自宅でお通夜をお勤めしたこと、大雪でタイヤ法要にお参りできなかったことがあったこと、お仏壇を迎えての法要をお勤めしたこと、新しくお墓を建てられ、いっしょに手をあわせたことなど、さまざま思い出しつつ、経を読みました。


午後は、朝早くにご往生された方のご自宅にうかがい、臨終法要をお勤めしました。

数カ月前、お寺にお参りされたご主人さんから、「長く闘病生活を送っている妻が、いよいよ厳しい状況になってきました。もしもの時は葬儀をお願いします」とのお話がありました。その日がなるべく先になるといいのだけれどと思っていたのですが、今日、その日を迎えました。

ご主人とご家族のみなさんと一緒に『阿弥陀経』を読みました。ご主人から長年にわたった介護の一端を教えていただきました。「着替えからご飯の介助、トイレのこと、なんでもやりました。妻はよく『すまない、すまない』と話していました。私が元気だったから家で介護することができました。もっともっと生きていて欲しかったけど、こればかりはどうしようもありません。苦しまず、安らかな顔をしています」

妹さんは、「人あたりがよく、面倒見がよい人でした。私が働いていた頃、子どもたちをよく預かってくれ、『お母さんの料理より、おばちゃんの方が美味しい」と子どもがいっていました。姉のことを悪くいう人を見たことがありません」と涙。

こういうお話をうかがうと、胸が詰まって言葉が出てきません。

同居する息子さん夫婦は、「父は毎日、母親の介護をして、規則正しく生活していました。ガックリしないかと心配です」とお話しでした。

帰り際、ご主人から「わからんことばかりですから、これからお寺さんにはお世話になります」との言葉をいただきました。

明日、明後日のお通夜・葬儀、精一杯、お勤めさせていただきます。

若桜町での研修

坊守です。
住職が復帰して「やれやれ」といいましたが、
仕事の方面がラッシュで毎日小走りです。
通常業務の合間に、複数の研修や採用面接や、近いうちに予定されている企画がさまざまあって、気合の他に体力が必要です。団体交渉のあった一昨日の夜は「ひと休み」と思ったら記憶がなく、深夜になって自分が敷布団の「下」に居ることに気づきました。
ホットカーペットがあたたかくて、寝室に行かずにそのまま寝てしまうことを我が家では「野宿」と呼んでいますが、布団を敷く作業半ばで力尽きた場合は何と呼びましょう。「落武者?」意味不明か。

はい、落武者と言えば、かつて落武者が隠れ住んでいたといわれる集落のある、若桜町にきょうはひとっ走りしてきました。岩美の3分の1程の人口の自治体です。
同町には医療生協(私が勤めている協同組合です)の診療所があり、高齢化する地域のニーズに少しでもこたえようと、これから高齢者住宅をつくる動きになっています。そこを、入職して半年目を向かえた職員たちと訪問しよう、という研修だったのです。


レトロな列車が停車する若桜駅からクルマで10分ほど山間に入り、この先に人が住んでいるの?等と思っていたら、少しひらけて集落がありました。見上げると切り立った山。道路は半分落ち葉で埋まり、「なだれ注意」の大きな看板が立っていました。「不便でも、自分の家でさいごまで過ごしたいけぇなあ」と、地元の組合員さんが話してくれていたことが、ずーんと響きました。
若桜町の話は岩美のわたしたちにとっても他人事じゃなさそうです。

学んだあとのお昼ご飯は道の駅さくらんぼで鹿肉カレー。


食料無料市にお肉を提供してくれる、地元の豚肉専門店・オンリーbooさんの肉巻きおにぎり(冷凍)も手に入れました。
そんな時間を過ごしたおかげで、週の締めくくりはリフレッシュできた感じです。
今夜は落武者にならないよう気をつけます。