ナモの似顔絵

坊守です。

前の職場時代の先輩から、宅急便が届きました。猫のナモのことをおもしろがってくれる、貴重な存在です。
「お魚を送るからね」
と、連絡はいただいていましたが、開けるとお魚の上に似顔絵が乗っていました。


よく描けています。
思いがけない贈り物に、箱を開けるところをチェックするためにとんできたナモ自身も、一所懸命クンクンしておりました。本人より賢そうに描いて下さったかもしれません。

釧路と岩美町は、地図でみると1800Kmほど離れていますが、この小さなシマシマの生き物に新たな保護者ができたような嬉しい心持ちになり、ゲージの近くに絵を飾りました。

供養ということ

昨年、厳しい別れを体験されたご家族の一周忌のお勤めがありました。法事の終わりに施主さんのごあいさつがありました。

「なぜ、という思い、受け入れることができない思いとともに、時がたつにつれて感謝の気持ちがわいてきました。供養になることは何かと考えてみると、子どもたちをしっかりと社会に送り出すことだと思います。体に気をつけながら、がんばっていきます」

亡き人をうやまい、大切に思うこと、その願いを聞いて生かすことこそ、供養ではないかと思います。何度も何度も亡き方の願いとは何かと考えられたことでしょう。

お寺が本来果たさなければならない仕事は法供養です。法事などの機会に仏の教えに触れていただくことです。もし、そんな時間を曖昧にしてしまえば、生きている人には意味のわからないお経でも亡き人の慰めにはなるのかな、といった誤解をするためにお寺参りをされた、ということになりかねません。

浄土真宗であれば、いったいお浄土とは何かをともに味わってゆくことです。

浄土とは無量光明土のことです。

お互いが照らし合う相照の世界です。それが本来の命のあり方です。私たちはなかなかそれができません。貪りや、怒りや、愚かさからがつきまとうからです。その垣根からでてきなさい、つながりのなかで生き、生かされていることに気付いてくださいと働き続けているのが阿弥陀さんです。亡き方は、決して無になったのではなく、そこから私たちに精一杯生きてくださいと願われる仏になられたのではないでしょうか。仏様の願いとは何かを聞かせてもらい、我が身を振り返り、生きる糧にしていくこと。お寺に参っていただく意味は、そのようなところにあるのではないでしょうか。

きょうの法事はたいへん緊張したので、うまく伝わらなかったかもしれません。けれども、私自身もいかに生きるのか、僧侶とはなんのために存在しているのか、問われる法事でした。

来年は3回忌です。またぜひ施主さんには1年間の思いを話していただければと思います。

本当によくお参りいただきました。ありがたかったです。

彼岸の入りの日に

本日は、9月19日。お彼岸の初日です。お墓参りに出かけられた方もいらっしゃるでしょう。

Twitterを読んでいると、安倍前首相が靖国神社に参拝したと書き込みしていました。首相時代に一度参拝していますが、その後はしていません。退任後直ちにおこなった、というところでしょうか。

本願寺派をはじめ浄土真宗10派でつくる真宗連合教団は、首相及び閣僚が靖国神社を参拝されることに対して、抗議や中止の要請を繰り返し行なっています。

首相・閣僚による靖国神社公式参拝中止要請のこと

9月19日は、安倍首相が在任時代に、おそらく最も力を込めた安保法制を成立させた日でもあります。2015年9月19日のことでした。

最近の報道によると、安保法制の成立に際し、在日米大使館が、本国に対して、「歴史的偉業」と絶賛する公電を送っていたことが明らかになりました。米国政府にとっては、米国の武力行使に日本も加わる道を開いたことは確かに偉業なのかもしれません。

歴代政府が憲法9条のもとでできないとしてきた海外での武力行使に道を開いたのが安保法制です。この5年間は発動の機会はありませんが、自衛隊と米軍の一体化が進んでいるとニュースが報じていました。それが成立した日にわざわざ靖国神社を参拝した安倍さんの心境とはいかに。

新たな「英霊」を生み出すようなことがあってはなりません。

平和の鐘をつきました

本日は東京千鳥ヶ淵にて、第40回千鳥ヶ淵全戦没者追悼法要が行われました。法要にあわせて全国で梵鐘をつくことが呼びかけられていたのです。頭の片隅にはあったのですが、組長さんより改めてお知らせをいただき、先ほど13時15 分につきました。午前中はご葬儀があり、因幡霊場から帰ってきたら13時10分! ぎりぎり間に合いました。

法要にあわせて、作文コンクールがあり、本願寺派の宗門校の生徒さんが平和への願いを寄せています。まず、中学生部門の最優秀作文です。

「世界で一番美しい言葉を」

こちらは高校生部門の最優秀作文です。

「儚いいのち」

子どもたちが宗教に触れることは、人格形成にとって大きな意味があります。読ませていただいて、改めてそう思わされました。

ご自宅でのお通夜

きょうあすは通夜・葬儀です。9月に入ってから3件目です。季節の変わり目とはいえ、常ということはないのだと教えられます。

今日のお通夜はご自宅でとりおこなわれます。通夜をご自宅でということは田舎でも当たり前ではありません。私自身は、お通夜をご自宅でさせていただくのはありがたく思っています。仏間のお仏壇の阿弥陀さんの慈悲をいただきながら式を行えるからです。阿弥陀さんが私たちに語りかけ、願われていることは何なのか、ともに味わう時間をもてるからです。その方が過ごされた時間を少しでも共有できると思うからです。

仏間での式はどうしても正座になりますので、できない方は無理をなされずと声をかけてから始めるようにしています。

通夜・葬儀で読む手製の勤行集を配布し、読める方にはいっしょに読んでいただいています。法話についても、紙にプリントしたものを配布するようにしています。

このようなあり方で果たして良いのだろうかといつも悩みつつなのですが、どんなに力不足であろうとも、厳しい別れに立たされたご家族のことを思いつつ、大きな声で、精一杯つとめさせていただきます。

親心は

坊守です。
午前中、秋の彼岸法要をおつとめしました。ことしはご講師さんは無かったのですが、3月も5月も8月も法要は寺族中心でおこないましたので、お参りいただいての法要は久しぶりでした。
法話は住職が。テニスで活躍中の大坂なおみ選手が人種差別問題にかかわって発信していることを切り口に、阿弥陀さんの願いについて語るものでした。

そろそろそんな法話も終わるかな、というタイミングで、手すりを伝いながら本堂に歩いてくるおばあちゃんの姿が視界に入りました。
お見かけしたことのない顔で、終わってから声をかけると「きょうが娘婿の祥月命日なので、お経をあげてほしい」とおっしゃいます。昨年亡くなった門徒さんの姑さんでした。
足も悪くずいぶん高齢にみえるのですが、バスを使ってひとりで来たとおっしゃるので、帰りは送らせてもらうことにしました。
ご自宅に着くと「乳母車を置いてきたなあ」と思い出されました。


ずいぶん遠慮されましたが、置き場所を聞き出して向かうと、ありました。バス停の脇の植え込みに。クルマでも数分かかる道のりを、乳母車をたよりにバス停まで歩いて、寺に来られたのかと改めて驚きました。彼岸に渡った娘婿への思いは、もっと早くに亡くなったという娘さんにもつながっているのかな、と想像しました。

住職には、お気持ちをしっかり受けてお勤めしてもらいます、と話しました。

亡き方から背中を押される

本日は葬儀がありました。

遺族のあいさつに、息子さんとともに高校3年生のお孫さんが立たれました。亡きおじいさんに釣りに連れていてもらったり、褒めてもらったりと楽しかった思い出を語るとともに、「まだまだおじいちゃんに甘えたかったけれど、僕は夢に向かって頑張るので見守って欲しい」と挨拶されました。

愛するものと離れること、愛別離苦は、私たちが体験する苦しみのなかでも格別だと思います。悲しい時は同じ悲しみを抱えているもの同士、ともに悲しみ、支え合う。それが悲しみと向き合う力になるのではないかと思います。

お釈迦さまに連れ添って25年間、説法のお供をつとめたアナン尊者にたいし、臨終がちかいことをさとったお釈迦さまは、「嘆くな、悲しむな。愛するものと離れなければならないと、私はいつもいってきたではないか」と諭されます。アナンはいよいよお釈迦さまが臨終され、悲しみに暮れていましたが、同じ修行仲間にも励まされ、お釈迦さまから聞いた教えを後世に伝える役割を果たされました。「如是我聞」とはじまるお経の「我」とはアナンのことです。

愛別離苦の悲しみは、それを契機にして、自らの生き方を考え、亡き人に恥ずかしくない道を進もうと背中を押すこともあると思います。

浄土真宗は還相(げんそう)といって、阿弥陀仏の救いによりお浄土に生まれたものが、現世を生きる私たちを励まし、導いてくださるという教えを大切にしています。

お孫さんが語られた淋しさとともに決意のあいさつに触れ、亡き方がこのようにお孫さんのところに還ってこられ、励まし、育ているのだなあとしみじみと感じるのでした。彼の背中を押したのは亡きおじいさんなのですから。

若い方から、そして、亡き方から大切なことを教えていただきました。

合掌

やられました

里芋がなぎ倒され、掘り返されたあとが…。動物の仕業でしょう。まだ大きくなってなかったので、おいしかったかどうかわかりません。

ご近所の皆さんの畑は囲いがしてあります。それでも被害を受けることがあるそうなので、うちのように何もしていない畑は動物にとってはありがたいのかもしれません。

西法寺農園は秋以降、お花中心でいきたいと思います。

おばあちゃんの教え

きょうは三回忌の法事がありました。亡き方のお孫さん・Aくんは当時、小学2年生。通夜のお勤めの前に私の控え室にやってきて、突然の別れにおばあちゃんが好きだったこと、会えなくなり寂しいこと、おばあちゃんが「人には優しく」と言っていたことを私に教えてくれたのでした。

昨年の夏にはお寺主催の寺子屋にきてくれ、時々、通学路でみかけたりすると挨拶もしてくれます。

「あの時、部屋にきてくれたことを覚えてる?」ときいてみると、「うん」と。きょうは本堂のいちばん前に座り、法事にお参りされた方にお弁当を渡すお手伝いもしていました。

おばあちゃんの教えはAくんのなかに生きています。そのことがとてもうれしく、たのもしく感じるのでした。

犬のおまわりさん

西法寺通信の第6号のインタビューで、鳥取市内のMさんのお宅へ。

Mさんが7年前から飼っているゴールデンレドリバーのジュン(オス・7歳)は、嘱託警察犬をつとめています。

ゴールデンレドリバーは、大きな犬です。小さい頃にしつけをきちんとすることがかかせません。しつけをお願いした訓練所の方から「警察犬としての素質がある」とのすすめがあって、訓練会に参加したそうです。

鳥取県警主催の訓練会が春と秋にあり、足跡追及、服従、臭気選別の3つの試験をパスすると、犬は嘱託警察犬に、飼い主は指導手として登録されるそうです。上の写真はジュン、引っ張っているのがMさんです。

「あまり活躍はしてないですけど」とのことでしたが、きちんとおすわりをして、とってもかしこいジュンちゃんでした。

犬のおまわりさん、これからもがんばってね!