町内各所へ配達

午前中かけて年末・年始の案内を手に岩美町内を回りました。

銀山→長谷→浦富→田後→網代です。町内を山から海辺までご門徒さんの住んでいるところは広範囲です。約50キロほどの運転となりました。

銀山は谷あいの集落です
長谷。ながたにと読みます。
田後の漁協近くに住むネコ。
田後。たじりのお地蔵さんにごあいさつ

田後では道端でご門徒さんと出会い、しばらく立ち話。寒ければそれどころではありませんが、きょうは変な天候です。強い風ですが、まったく寒くありません。

網代。なだばたです。

では帰ってナムちゃん(子猫)のご機嫌をうかがうとしましょう。

本日は実務の日です

除夜の鐘・修正会、そして年明けのごあいさつの日程を案内するための作業を午後行いました。あす、町内を配って回ります。

元旦会・修正会は初めての開催となります。

修正会は1月の法会のこと。浄土真宗の修正会は、初詣のように、叶えてほしい願い事をするわけではありません。むしろ、それらのことに心を煩わして生きている私の心を見つめ直し、仏様の教えに照らされて生きていこうとの思いを、改めて確認する機会です。

どうか大雪にならないように。おっと、こういうのが叶わぬ願いなのかも(苦笑)

味噌づくり

きょうは坊守日記です。

きのうの午前中は、庫裡の台所で味噌づくりをしました。
Uターンするまでは、出来上がりを貰うだけの私たちでしたが、昨年からは、仕込みから参加。

茹でた大豆をつぶして、麹や塩を混ぜ込み、ぎゅうぎゅうのぎゅう!と、お団子にして容器に投げ込んでいきます。指揮官は前坊守。泥団子づくりの腕をかわれた小学1年生の姪っ子も参加して、楽しく作業しました。台所には、湯気と香ばしい匂いがたちこめます。
ここからは、麹菌たちに頑張ってもらい、3か月もすれば、完成。

アルコールで殺菌はしますが、さらに用心をして、アルミカップにワサビを5センチほどいれて、お味噌のてっぺんにのせ、カビ対策としました。

気温が下がってきましたが、こんな季節も、手作り味噌で作った根菜のお味噌汁があれば、ホカホカです。

お味見を希望の方は、お声かけ下さい。

対米英開戦から78年目にあたって

戦前の日本が、ハワイ真珠湾、イギリス領であったマレー半島のコタバルを奇襲した1941年12月8日から78年の日を迎えました。

「かれらもわたくしたちと同様であり、わたくしもかれらと同様である、と思って、わが身に引きくらべ生きものを殺してはならぬ。また他人をして殺させてはならぬ」(『ブッダのことば』岩波文庫)

「仏が歩み行かれるところには、国も町も村も、その教えに導かれないところはない。そのため世の中は平和に治まり・・・民衆は平穏に暮らし、武器をとって争うこともなくなる」(『仏説無量寿経』より)

これが仏教本来の教えです。しかし、浄土真宗は、これを貫けず、戦争を肯定し、戦争に乗じてアジアに500弱の拠点をを作っていった歴史を持っています。戦後、接収・破壊されたのは当然のことでした。

前ご門主の大谷光真氏は、1995年に次のように述べています。
「人間の罪業ともいうべき戦争は、人間の根源的な欲望である煩悩にもとづいて、集団によって起こされる暴力的衝突であります。そこでは非人間的行為が当然の事となり、『いのち』は物として扱われ、環境が破壊されます。それへの参加を念仏者の本分であると説き、門信徒を指導した過ちを厳しく見据えたいと思います。宗祖の教えに背き、仏法の名において戦争に積極的に協力していった過去の事実を仏祖の前に慚愧せずにはおられません」

改めて不戦への決意を迫られる12月8日です。

西法寺通信を作成中

きょうも冷え込む岩美町です。

ナムはちゃんは本日、午前・午後と熟睡しています。

私はというと、熟睡中のナムちゃんを横目に、年頭のごあいさつの際に、ご門徒さんに届ける寺報(第3号)を作成中です。

数日で完成をめざしていますが、2号までと体裁をかえることもあり、思うようには進みません。

スペシャル企画は、来年百歳を迎えるご門徒さんのインタビューです。

親鸞聖人は「御同行」「とも同朋」という表現を使います。意味するところは、真宗の信者は親しい仲間であるということ、そしてお互いへのうやまいの気持ちです。

限られたスペースですが、これからさまざまな方に登場していただいて、お互いに刺激し合えるようになれば。

遇いがたくして仏法をともに聞く仲間ですからね。

初雪が降りました

きょうは各地で初雪を観測していますが、岩美町も昨日の夜から雪模様。いまは雨ですが庭には雪が数センチ積もりました。

冬タイヤに昨日履き替えたので車周りはひとまず安心です。

午前中は鳥取市内にいたのですが、コンビニで昨日の忘年会に参加された網代在住の87歳のおばあちゃんとばったり。「昨日はごっつぉをよばれました」とよろこんでおられました。ごっつぉとはごちそうのことです。

きょうは句会の忘年会に出席されるとのこと。「きのうほどのごっつぉじゃないだけえ」と。コンビニでコーヒーを買ってイートインスペースに座って開会時間まで待つそうです。寒いなかでもこうして外に出て活動を広げているのだから、すごいものです。

このおばあちゃんは5月にこんな句を詠んでくださいました。

数珠持ちし 若坊守へ風薫る

緑立つ 継職の僧 おほどかに

忘年会をひらきました

西法寺として初の忘年会をひらきました。ことし1年お世話になったみなさんと楽しい時間を過ごしました。

坊守から西法寺の1年のふりかえりがありました

私の席は網代のみなさんといっしょ。魚の行商を50年続けている方は、現在も百軒ほどのお得意さんをまわっているそうです。びっくりしました。

みなさんに今年の振り返りを語っていただいたところ、、。

西本願寺に初めて参拝し、広い本堂に座り、胸がいっぱいに。

お寺との関わりがつよくなった1年だった。

新しい住職・坊守とあたらしいとりくみがはじまった。

さまざま、ありがたい感想がよせられました。

年の瀬や 何かを言わせる 酒の味
と即興の句も。

「お布施の受け取りを出して欲しい」との要望も。これは年明けからそうなるようにしたいと思います。

浄土真宗は、御同朋・御同行です。みんな同じ念仏を称え、同じ浄土をめざす仲間です。

より一層、その精神で勤めていこうと思います。

子ネコをもらいました

名前はまだないです。

出身は網代の猫の泉。一頃10匹ほどいた子猫たちは現在3匹にまで減っていました。飼い主さんにもらわれ、大半は引っ越していったそうです。

ウチにやってきた子ネコは暴れることもなく、ひとしきり外を眺めたのち、コタツの近くで丸まっています。

空也上人と大福茶

坊守です。

元同僚が出張で来鳥し、お土産をもらいました。
わたしが大好きな京都の老舗のほうじ茶。
あわせて入っていた缶は「大福茶」とあります。お正月に飲んでください、と彼女から注釈もありました。

お店の説明書きによると、京都で疫病が大流行した時、空也上人が十一面観音を彫って、都を車でひいて歩いたそうです。そのお供えにしていたお茶を病人に飲ませたところ、疫病が下火になったそうです。
時の天皇がこれにあやかり、元旦にこのお茶を飲むようになり、「皇服茶」「王服茶」に。やがてこの習慣が庶民にも広まり「大福茶」に変わり、今に至るとのこと。
空也さんは、京都五条の六波羅蜜寺の人ですが、口からゾロゾロと小さい阿弥陀さんが出ている印象的な彫像になっています。
それにしても、お坊さんが起源になった物が多いなぁ、と思います。沢庵、金山寺味噌、梅干し…(ああ、思いつくのは食べ物ばかりという知識の貧困)

なお、大福茶は、梅干しと昆布を入れたお湯呑みに煎茶や玄米茶を注げばできるそうです。