一世紀を生きて

大正生まれの方のお通夜がありました。約1世紀の人生。青春時代は戦争です。

徴兵され数度にわたり中国へ。帰国したのち南方に向かうことが決まり、行くことなく昭和20年8月15日の敗戦。身内のなかには戦地で命を落とした方もいらっしゃるそうです。

戦地での体験を奥様が教えてくれました。壮絶なお話でした。

大正に生まれた方々の体験はきちんと引き継がなければならないとあらためて思いました。

その記憶を、再び現実にしないことが、今生きる私たちのつとめであると胸に刻みました。

そういえば、通信教育は…

9月に、中央仏教学院の通信教育部に入ったと、このブログでご報告してから、気づけば5カ月目に入りました。
学校から送られてきた6種(仏教、宗教、真宗、寺と教団、伝道、つとめ)の薄い教科書とお経のCD1枚、出張の移動時間と、週末の法事の待ち時間を中心に開くことにして、とりあえずすべてに手をつけました。CDは、通勤の往復にリピート再生中です。

春にスクーリングがある、と学校からお知らせが来てり、レポートや試験があるやんか、と気づいて、ちょっと焦っています(いまさら?)。
テストがないと真剣に学習に向かえないという、つまらない習性が受験教育によってわたくしの身にもついており、「結局なにをいってるんだっけ?」と、教科書の巻末にある【学習のねらい】を書き出しながら、再読するしかなさそうな仕上がりです。

ただ、やっぱり学ばせてもらうのは、だいじだ、ということは実感しています。
たとえば、日本国憲法は持ち歩いていますが、「信教の自由」を、浄土真宗の関係者の(端っこの)視点から捉えることはいままでありませんでした。
また「伝道」という教科については、最初から「インポッシプル!」と構えていましたが、まあまあ面白い。何を聴くか?どう聴くか?という聞法(もんぽう)についてや、伝道は、教えることではなく伝えること、という姿勢から学習。お説教に来てくださる「ふきょうし」さんを「布教師」ではなく「布教使」と表記するワケだなぁと、お寺で目にする当たり前が解明されていっています。

たぶん、こういったことは、住職や前住がすでに話してくれたことかもしれませんが、
わたしが寺に居る時は、だいたい、お茶だのなんだのでワーワーとなっているので、聞く耳がなかったのでしょう。

今後は、ナモちゃんに邪魔されながら、ノートをつくります。

湯村温泉にて

岩井温泉から東へ。蒲生峠を越えると湯村温泉です。きょうは休みをとってミニ観光でやってきました。

卵をつけると12分ほどで茹で卵に

温泉を開いたのは天台宗の第三世座主の慈覚大師と伝えられているそうです。湯量豊富で湯区内の家庭には温泉が送湯されている! 毎日、家にいながら温泉とはぜいたくですねー。

昼食は但馬牛ラーメンをいただきました

硬い茹で卵は苦手です。約11分でお湯からあげると硬くなく、いい塩梅でした。

明日もまた 山道なれば湯村なる ゆにいざいりて ひと休みせむ 西行法師

『今を生きるための仏教100話』その2

最近、兵庫のローカル局「サンテレビ」で「母を訪ねて三千里」を毎日放送しており、懐かしく見ています。

舞台はアルゼンチンです。イタリアから出稼ぎに同国にやってきた母親との音信が途絶え、少年マルコが母を訪ねて困難な旅をするストーリーです。

アルゼンチンといえば、昨年12月に政権が変わったのですが、新しい省庁「女性・ジェンダー・多様性省」が新設されたことをニュースで知りました。同国では、重要な政策課題を議論する場に女性が立ち会うことが少ないそうです。同省の大臣はSNS上の交流サイト「統治する女性」を立ち上げ、閣僚を始め省庁の要職にある女性約100人が参加し、会合を開いて、公的行事で出席者の男女数の平等を保障するなどの改善策を協議したといいます。

他国のこととはいえ、日本も学ばなければいけないなあと思います。

仏教の世界ではどうなのでしょう。例えば当西法寺の場合、節々の法要でお寺にお参りされる方は、女性の方が圧倒的に多いです。他のお寺でも同様ではないかと思います。ところが、各種役員で見ると男性がほとんど。宗会という浄土真宗の最高議決機関には女性はいません。

植木雅俊さんの『今を生きるための仏教100話』で初めて知ったことなのですが、原始仏典『アングッタラ・ニカーヤ』には女性の仏弟子の名前が多く記されているそうです。ところが釈尊没後の教団からは女性が仏弟子から排除されたというのです。(153-154P)

植木さんは、原始仏典の『スッタパニーダ』をひき、「釈尊は、生物の種・類による違いは認められても、人間の在り方として人間同士には本来、差別はないと断言している」「釈尊は、男女の性差を超えて、人間という視点を持っていた」(143-144P)と記しています。

それが釈尊没後、押しつぶされ、『法華経』で復権したと植木さんは強調されています。一連の解明は目からウロコでした。

何れにしても、仏教における女性の地位の低さは、釈尊没後に作られたものであった、ということがわかりました。男性中心の社会のなか、それに取り込まれてしまったという面があったのだろうと思います。

自然にそうなったわけではなく、作られたものであるのならば、変えなければ。

相当の努力が必要な課題ではありますが、日本の仏教が、男も、女も、様々な性を持つ人も大事にする役割を果たせるようになると本当に素晴らしいでしょうね。

青色青光 白色白光

本日の法事の際に、次の詩を読みました。

人も草木も虫もおなじものは一つも生まれない

いまうまれたもの これからうまれるもの

ごらんください 同じやなくて みな光る

白色白光(びゃくしきびゃっこう) 青色青光(しょうしきしょうこう)

榎本栄一さんという浄土真宗のご門徒さんの詩です。ご門徒のご家庭には「法語カレンダー」をお配りしました。1月のことばです。

『阿弥陀経』に、「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」とあります。それぞれが個性を発揮し、生き生きとしている姿をあらわしています。

みんな光り輝くいのちをいただいて生きているのだなあ、それに感謝し、お互いのいのちを大切に生きていこうということです。お亡くなりになった方のご縁で、そのことに気がつかせていただく機会が年忌法要であると思います。

お寺の運営は合議です

きょうは役員会でした。2カ月に一度、各地域の代表(門徒総代さん)に集まっていただき、お寺の行事の振り返りと、これからについて話し合います。最近の会議では一番多い14人の参加でした。事前のお知らせとともに、町内の方には直接、お宅に伺った効果があったのかもしれません。

浄土真宗では、ご門徒さんが仏教、浄土真宗について学びを深める研修会をおこなっています。そこに参加を希望される方が2人手をあげてくださったのはうれしいことでした。他にも、お墓しまいを考えている方への対応、お寺で発行している通信にどなたに登場していただくかなど、話し合いました。お寺を預かるのは住職ですが、みんなのお寺ですから、何事も合議が大切です。

私としては、この役員会を軸としつつ、ことしも、地域にでかけていく、横のつながりをつくることに注力したいと思います。

阪神大震災から25年

阪神大震災から25年目の1月17日です。当時、京都に住んでいましたが、下宿が激しく揺れ、みんな共用の廊下に出て無事をたしかめあったことを思い出します。

直後から何かできないかと友人たちと募金を集め、買えるだけ、持てるだけの物資をもって1月20日に仲間とともに神戸に向かいました。大阪から西には行けず、北から回って神戸市内に入りました。2月には寒い避難所に寸胴鍋一杯にシチューを作ってもっていきました。高速はあちこち倒壊し、通行可能な区間をパトカーが先導してくれました。見ず知らずの私たちに頭を下げる被災者の方たち。寒さで凍え、困っている方に温かい食事すら提供できないこの国は、果たして経済大国なのか、そんなことも感じました。

96年の夏には仮設住宅で住民の方から話をうかがったこともあります。仮設住宅で孤独死された方は1400人以上とみられます。

“私有財産の補償はしない”としていた政府の姿勢をくつがえし、神戸で被災された方たちが声を上げ、被災者支援の法律が作られたことも忘れてはならないことです。阪神・淡路は対象外とされましたが、こんにち住宅再建には最高300万円が支給されるようになりました。

震災から人とくらしを守る地域と社会へ。1月17日に誓いたいと思います。

こだわらない、とらわれない

隔週開催の習字教室が、1月は変則で2週続けてありました。

引き続き『般若心経』です。浄土真宗では読む機会のない『般若心経』ですが、書いては意味を考えるという作業となっています。

『般若心経』は空の思想が語られます。執着やこだわりを捨て、とらわれのない心で人のためにつくすことを説いていると思います。仏をめざす仏道です。

容易な道ではもちろんありませんが、仏教の思想、スタンスをよく表していると思います。この精神が世界中で発揮されれば、苦悩の大部分はとりのぞけるのでは?

それが自力ではできない私でありますから、「誰でも、どんな人でもすくいとってゆく」とする浄土教・阿弥陀如来の教えもまた頼もしいとも思います。

仏教には、般若心経のような自力の道、如来の力(他力・本願力)の道がありますが、めざす道は一つであると思います。

–今どこかで流される血、流される涙。この世界苦をすべての人びとが我がもの、自分の苦悩として感じ取ることができますように。私たちがそれぞれに、誰かの痛みは、私の痛みだと感じ取ることができますように。少しでも、世界の誰かの痛みをとりのぞこうと、みながそれぞれに努力できますように。–丘山新『菩薩の願い』より。

違いの強調よりも、共通する点で力をあわせないともったいないですよね。

字の方はたいして上達しませんが、いろいろと考えさせられます。

今を生きるための仏教100話

NHK-Eテレ「100分de名著」の『法華経』の回で指南役も務めた植木雅俊さんの『今を生きるための仏教100話』を読んでいます。

植木さんは、「思春期の悩みで、自信喪失や自己嫌悪に苛まれた」時に、中村元博士による原始仏典の翻訳を読み、「鬱状態を乗り越えることができ、仏教に興味を持った」といいます。仏教は「人間を信頼し温かい眼差しで見ている」。植木さんはそう書いていますが、私も3年前に初めて仏教を学んでみて、そう感じることがありました。

植木さんは法華経研究が専門ですから、『法華経』の大事なところのエッセンスを知ることができ、勉強になります。

また、

「釈尊のジェンダー平等」

「科学と宗教」

など、現代的なテーマも触れられています。

今を生きるために仏教の精神を大いに活用してほしい、活用したいと思わせられる一冊です。

こおり多きにみず多し

きょうは17回忌のお参りがありました。長年、氷河の研究をされてきた方がお越しだったので、親鸞聖人が詠まれたこおりをあつかった詩を紹介しました。

「罪障功徳(ざいしょうくどく)の体(たい)となる こほりとみづのごとくにて こほりおほきにみづおほし さはりおほきに徳おほし」

仏になるのに罪になり障りとなる煩悩(むさぼり、怒り、おろかさ)が、そのまま功徳になる。ちょうど氷が解けて氷となる関係のように、氷が多ければ解けた水も多い。同様に罪障深き者ほどその罪障が転じて成る功徳が大きいということです。

もっとも、地球環境との関わりでみれば、氷を溶かしすぎないようにしなければなりません。

私たちの煩悩が大きくなりすぎて、地球の将来を危うくしないよう、煩悩との向き合い方を変えていく必要もまた、ありそうです。そうした分野にも、仏教の出番が、がんばりどころがあるように思います。