おこうなぎ 御講凪

「俳句の本に住職のことを詠んだ句が掲載されただが」と電話をいただいたので、朝、網代のMさんのお宅にうかがいました。

俳句のことはさっぱりわかりませんが、ちょっとうれしいような。

『花鳥子』という句集もはじめてみました。高浜虚子の曽孫さんが花鳥句会を主催されていて、全国の句会に参加されている方の作品が掲載されるそうです。

Mさんの三句目にある御講凪(おこうなぎ)。親鸞聖人のご命日(陰暦11月28日)頃の日和のことだそうです。御講とは、報恩講のこと。凪がついているのは、その頃は穏やかな晴天がつづくことから来ているそうです。

報恩講は季節の言葉にもなっていたのですね。いいことを教えていただきました。

潜在保育士、出動しました

坊守です
引き続き、コロナ問題で職場の方はバタバタです。

行政も対策を懸命にしてるんだろうと思いつつ、医療や介護現場からは当事者として必要な発信をせねばならず、緊急の要望をしました。
通常でも無保険状態であったり経済的困難という理由で「医療機関に行けない」という方は居ます。そういう「受診抑制」が今のような緊急時にも生じてしまうと、感染拡大にもつながりかねませんから、医療にアクセスしやすい措置を、ということと、休むに休めない業種の労働者や事業所の支援が必要!
という二本柱でまとめました。

そして事業所は、「はよう対処せよ」と、机をたたいてるだけではいきませんから、今日からスタッフのための臨時託児所を開きました。週末に決めて今朝からですから、会議室に急ごしらえしたものです。
さらに、保育スタッフも急ごしらえ。保育士資格(ペーパー保育士です)のある私にも「午後から入れるか?!」と、出動要請が来ました。
保育所バイトや子ども会のお姉さんをしていた20年前の感覚をたぐりながらの半日…。

迎えにきた保護者から、朝は知らない子たちと過ごす不安でベソをかいていた子が多かったことも分かりましたが「明日も来たい!」「学校より楽しい!」と叫んで帰る子もいて、ホッ。
7時前に最後の子を見送って(やっぱりドクターでした)、これを春休みまで続けるのは容易ではないぞ、と、同じく保育士資格を持つ同僚と話しました。


手のあいた職員がみる、といっても5時以降は時間外になりますし、かといって管理職の人数も限られていて、こんごも夕方からの時間帯に出動することがありそうだな、と。
そんなこんなの努力、いまのところ、とりあえずすべてが事業所の自腹です。後追いでもいいから、公的援助、要ると思うなぁ。

お寺の掲示板(3月)


人間が世間の隅で苦労して生きてゆく姿はあの国宝の仏像より尊い


仏教詩人・榎本栄一さんの詩を3月のお寺の掲示板に掲げました。榎本さんは、熱心な念仏者であった方です。
2月は法事、そしてご葬儀も多くありました。故人の苦労話をご家族からうかがう機会もありました。
天台宗を開いた最澄のことばに、「一隅(いちぐう)を照らす。これ則ち国宝なり」とあります。私も大変好きなことばです。一隅を照らす人たちの生き様にふれることができるのは、僧侶のいいところかもしれません。
榎本さんは最澄のことばから発想を得たのでしょうか。日々の生活と重ね合わせ、その思いを一層深くされたのかもしれません。3月は、榎本さんの詩をかみしめつつ、つとめていきたいと思います。

つくしが顔をだしてきました

布マスクを生産

店頭からマスクが消えていることを住職がボヤきますので、半ドンで帰宅後、縁側が明るいうちに、先日に引き続き、古ミシンを相棒に、布マスク生産にとりかかりました。


※ちなみに、マスクは、風邪っぴきさんが周囲にうつさないようエチケットとしてつけるもので、今回の新型コロナ予防には大して効果はありません。でも、ないのも困りますもんね。

型紙は手芸家の方がフリーで公開してくれている立体型のもの。「ダブルガーゼ」という布地の端切れを買って、何枚も切って、ミシンを走らせてと、同じ工程をひとまとめにしながら、ひとりマニファクチュア状態。
途中で例によって悪いネコの乱入が何度もありつつ、1ダースと少し、日暮れるころにできあがりました。


小物の縫い物ですが、アイロンは3回、まち針も打ちながら10工程ほどありました。「下準備がいちばん大事」と、自分に言い聞かせての作業でした。

「下準備」といえば、作業が最終コーナーに入ったあたりで、総理の記者会見がはじまりました。
このお人こそ下準備が足りてない…
学校を閉鎖して学童に行けというのは逆に感染リスクを高める処置でないのか? 共働きやシングル家庭、医療現場を守っている保護者はどうするの?
なんで?と思う方針が連打され、新型ウイルスより、人災にふりまわされてるんちゃうか?と思うここ数日でしたので、原稿まる読みの会見にイラっ。
そのせいか、最後の最後でミシンの針が折れました。

コロナウイルスの影響

小中高の休校、イベントの中止と影響が広がっています。あす予定されていたお寺関係の研修会も中止となりました。法事や葬儀は一律中止というわけにもいきません。感染予防に力を入れたいところですが、アルコール消毒液やマスクがまったく足りないのが現状です。

子どもが1ヶ月もの春休みとなれば仕事を持つ親は大変です。きのうの全国一律休校の要請はあまりにも唐突な印象でしたが、きょう安倍首相は柔軟にと発言を修正しています。責任者が右往左往しては不安と混乱はますばかり。みんなが在宅ワークともいきません。医療従事者が仕事を休めば診療ががなりたちません。

暮らしと営業にも深刻な影響が広がっています。個人に負担をかぶせるようなことになってはたいへんです。

台湾では日本円にして2200億円もの特別予算をくんだとニュースで報じていました。内訳は、感染の影響で困難に陥った事業者への補助、医療従事者の給与引き上げ、医療従事者が感染・死亡した場合の補償金、感染者を看病する家族への補償金などです。世論調査で高い支持がよせられているそうです。マスクを買える枚数を一人あたり週2枚に制限し、多くの人にマスクが行き渡るようになったというのもなるほどと思いました。

政府の来年度予算にはコロナウイルスの対策費が計上されていないので、政府・与野党とも知恵を出し合うときだと思います。

葬儀が終わりました

お寺に帰ってきてから約2年、初めて2日続けての葬儀を勤めました。

火葬場でのお別れの様子をじっと見つめていました。
荼毘にふされるお母さんの名前を呼ぶ息子さん。
亡き夫を思い、「お父さん、お父さん」と叫ばれた奥さん。

何度立ち会っても、その度に胸に詰まるものがあります。

安楽浄土にいたるひと 五濁悪世にかえりては
釈迦牟尼仏のごとくにて 利益衆生はきはもなし

親鸞聖人の詩(和讃)を還骨法要で読みます。
阿弥陀仏の浄土に往生した人は、さまざまな濁りと悪に満ちた世に還り来て、釈尊と同じようにどこまでもすべてのものを救うのである(本願寺出版社『三帖和讃』16ページ)

悲しみが癒えない還骨法要で読むにはちょっと早いのではないかと思うこともありました。しかし、今はこの法要になくてはならない和讃であると感じるようになりました。別れは悲しい、けれど、仏様として、私たちのために働いてくださる。親鸞聖人は、「いのち」をそのように受け取っておられます。「死んだら終わり」という今日の常識的な価値観とはかなり違います。

死んだら終わりという考え方は、いま楽しければということであり、死の恐怖はものすごいのではないかなと思います。以前の私はこれに近い感覚であったと思います。しかし、この和讃を繰り返し読むなかで、「あなたは、この社会では助け切れなかったいのちさえ、救っていけるような仏さんにならせていただくいのちなんですよ。そのような気持ちで、このありがたいいのちを生きているのですか」と親鸞聖人に問われているような気がするようになりました。字面だけ追っているような読み方ではなく、本当に、いのちって何なのか、よくよく考えなければならないと思うのです。

今日の葬儀では、長年連れ添った御主人を送った奥さんが、大きな声で『正信偈』をあげられました。しょっちゅう読んでおられるということは声を聞いていれば分かります。

念仏のちから、信心ってすごいなあと横で声を聞きながら感動していました。ご本人が誰よりいちばん悲しいであろうはずです。しかし、誰より亡き夫に、そして仏さんに感謝されているのが奥さんなのです。僧侶はこのような方たちに育てていただいているのです。その姿を忘れないために、ここに記しました。悲しみとともに、感謝、感謝のご葬儀でした。

合掌

葬儀がつづきます

同じ日に亡くなられたご門徒さんが2人いらっしゃり、昨日から明日にかけてお通夜と葬儀がつづきます。

昨日のお通夜はご自宅でありました。ご近所さんが集まり、多くの方がいっしょに『阿弥陀経』を読まれました。はじまる前に「東と西はなぜ別れたんですか?」と話しかけてこられる方も。こういうやりとりは葬儀会館ではなかなかできません。自宅での通夜はお互いが近い関係となり、つながりの中で生きた者同士、悲しみの中にもあたたかみを感じられます

2日続けての葬儀ははじめてのことですが、大きな声でお経を読む、そして、心をこめてお話をさせていただきます。

壁新聞を更新

久しぶりに本堂の「壁新聞」を更新しました。写真さえプリントアウトすれば、ものの1時間でつくれますのに、モタモタしました。

町内のケーブルテレビでも、12/21の様子が現在放映されています。住職もチラッと登場しています。

修正会ははじめての取り組みでした。年明けに年頭の挨拶をかねて集まって、ストーブを囲んで楽しくおしゃべりもできて案外よかったです。

日々、忘れていくので、ブログもそうですが、記録しておくのは大切ですね。

つづき)こういう場面に必ず鼻を突っ込んでくるナモ。新聞の上を歩きます。
題字は墨で書いているので、次号には足跡がついているかもしれません。

前かがみの訳は

きょうの法事には小中学生もお参りでした。本堂の内陣に入ってもらって、仏さんが前かがみになって立っている訳はといった話をしました。

そして、右手と左手がどうなっているか見てもらい、そのポーズをとってもらって、意味するところを少しお話しました。

子どもたちよりもお父さんがいちばん熱心に聞いてくださったようでした。

興味のある方はこのホームページをクリックして探してみてください。

春のような陽気の休日。来週はもう3月です。早いですねー。

岩井窯さんにうかがう

岩井窯の山本さんのお宅におじゃまして、さまざま興味深い話をうかがいました。

亡きお母さんが浄土真宗の熱心なご門徒であったそうです。「同行といって、お坊さんではないけれど、熱心な信者の方がはなしに来ていました。母は、よく行っていたようです。昔の農家は貧乏で子だくさん。その日暮らしのなかで癒しがなくてはならなかったのだと思います」

知り合いの業者さんに方にお願いして作っていただいたというけやきづくりのお仏壇も見せていただきました。「子供も孫もここに来ると自然と手を合わせるようになり、いただいた品はまず阿弥陀さんにお供えするということが当たり前になりました」

岡山で千日回峰行を二度、万行した大阿闍梨・酒井雄哉さんの講演会に参加した際、知り合いの方の中立で、楽屋でお話を聞いたことがあるそうです。酒井さんは、厳しい修行を通じて、「おかげさまということがわかりました」とおっしゃったということです。

山本さんは若い頃より「おかげさま」との民藝の思想を大切に、喜びを共有する場づくりを進めてこられました。

短い時間でしたが、お話から刺激を受けました。

今度はコーヒーをいただきに喫茶の方におじゃましたいと思います。