健康診断に行きました

きょうは健康診断に行ってきました。大の苦手の胃カメラは昨年よりはスムーズにいったように思いますが、やはり苦戦。「目を瞑らないでなるべく遠くを見る、そして息をゆっくり吸ってリラックスして受けてください」と事前に説明をうけたのですが、なかなかその通りにはいきません。「鼻から入れる胃カメラの方が楽かもしれないですよ」と看護師さんがいわれてました。来年は先生にお願いしてみようかな。

検査の結果は良好でしたが、「適度な運動をして痩せる努力をがんばって」と医師からアドバイス。昨年の秋ごろには網代から田後まで往復のウォーキングをしていたのですが、寒くなって中断してしまいました。

先日、朝、車で網代から田後の海岸線の道路を走っていると網代のご門徒さんのKさんが歩いていました。「雨や雪以外は毎日歩いてるで。最近は歩いてないんですか?」と逆質問されました。80歳を越えても元気なのは日々の反復があるからなのだなあと感心したわけです。

季節も良くなってきたので、健康診断の結果もうけてウォーキングの再開を誓うのでありました。

身近で広がる影響

庭の桃の木がピンク色の花を咲かせています。数日前からウグイスも鳴き始めました。

なんとなく気分がのらないので、久しぶりに砂丘まで行ってきました。

気分を入れ替えて作業をしようかなと思ったところ、網代のOさんから留守中に連絡があったようです。

「ハタハタ寿司を作ったので食べんさらんだか」とのことでさっそくうかがいました。網代に着くと、これまたお世話になっているKさんが外仕事をされていたのでごあいさつ。「朝、船が漁から帰ってきたばかりだから、魚を持っていって」。いや、ほんとにありがとうございます。最近、魚の値段が下がり気味だそうです。そういえばニュースでカニの値段が安くなっているとありました。

ハタハタ寿司。詰めてあるのはおからです。

そしてOさん宅へ。「公民館行事がみんななくなって寂しいだか」と。いただいてばかりで恐縮なので、道の駅に寄って地元のイチゴを買ってもって行きました。初物を食べてもらって、ちょっとでも気が晴れてくれるとよいのですが。

その道の駅ではご門徒さんとばったり。農協関係の方です。

「どうですか?」とうかがうと、「生鮮食料品は厳しいですわ。どうなっていくでしょうか」と心配そうです。学校給食もありませんし、この時期に行われる宴席なども減っているわけですから。

社会の各方面にさまざまな影響を与えている新型コロナウイルス。感染者がまだでていない鳥取でもくらしと営業、そして人と人との触れ合いにも大きな影響を与えていると痛感した1日でした。

震災と原発事故から9年

東日本大震災と原発事故から9年、震災関連死を含めると犠牲者は2万2000人、原発事故の影響で、避難指示が解除された自治体の居住率は28%と、帰りたくても帰れない方が多数いらっしゃいます。

私自身は当時、東京に住んでおり、当日は亀有駅前にいました。当日の夜、寝台列車で鳥取に帰省する予定でした。12日が祖母の法事であったからです。昼間、仕事から帰って駅前を歩いていた時に、経験したことのない激しい揺れを感じました。街灯がぐにゃぐにゃと揺れていたことを今もよく覚えています。

東京はその日、「帰宅難民」が多数生まれ、計画停電のため公共交通機関はマヒしました。翌日、私は出勤することができませんでした。

原発事故も起こり、なんとも言い難い不安な日々が過ぎていったわけですが、3月17日より宮城県仙台市に出張することとなり、山形空港経由で仙台市に向かいました。

被災地で見たことや体験したことを一言ではいえませんが、今ある事は、実は当たり前のことではないということを深く学ばされました。また、被災者のためにと遠くからボランティアに駆けつけたり、物資を運んでくださる方々の姿にふれ、どう生きるのかを深く考えさせられました。

原発再稼働反対の大きな市民運動が起こり、友人から誘われてその運動にも参加するようになり、出会った方たちから多くのことを学びました。

それらすべてのことが僧侶となった今の自分に生きていると思います。

改めて犠牲となられた方々に哀悼の意を表するとともに、被災者のみなさんにお見舞いを申し上げます。

名乗りをあげる

法名というものがあります。亡くなってからつけられると思われている方が多いかもしれませんが、法名は生前に授かることはできます。浄土真宗本願寺派では、西本願寺でのおカミソリ(帰敬式)をへて、生前法名をいただきます。私も、僧侶になる際に釋大朗という法名をいただきました。

ご門徒さんのなかにも生前法名をお持ちの方がいらっしゃいます。
「諦」(たい)という文字の入った法名を拝見する機会がありました。
「あきらめる」という意味で一般的には使われる言葉ですが、「諦」は明らかにする、真実という意味がもともとあります。

仏教を開いたブッダは、四諦という真理を明らかにされました。
①苦諦 この世は苦(思い通りにならないこと)に満ちたており、思い通りにはなかなかならない人生を私たちは歩んでいるという真理。
②集諦(じったい) その苦しみには原因(欲望や執着や怒りなど)があるという真理。
③滅諦 その原因を取り除くことができれば、苦もまた取り除くことができるという真理。
④道諦 その原因を取り除くためには8つの方法(八正道)があるという真理。

真実を目指すことを諦めず、歩んでいってくださいという意味なのかなあ、大きな一字であるなあとしばし感心させられました。

私の大の一字は、大乗仏教からとられたものです。大乗仏教は、自らのいのちを他者のために活かすことを大切に考えています。

昔は元服すると名前は変わったのでしょうが、今は途中から名前を変えることはほとんどないと思います。親からもらった名前を大事にしつつ、仏様から授かった名前に見合った生き方を目指す。そんな方が増えるといいなあと思うのでした。

コロナウイルスへの対応として

今月16日の彼岸法要を超縮小モードでとりおこなうことにしたのは残念ですが、対応すべきことには向き合って必要な決断をしていかないとあかん、ということも学んでおります。

今週末から当寺の玄関にも手指消毒スプレーを置きました。半月前くらいから、手指消毒剤かせめてエタノールをと、あっちこっち探し歩きましたが、在庫無し。掃除用に買ってあった奇跡の(?)1本が出てきたのです。10日くらい持つでしょうか。


なお、手すりや扉、テーブルや椅子など、多数が触れるモノについては、消毒液で拭くことにしました。
お勤め後のお茶の時間については、当面は、お茶碗を紙コップにさせていただきます。

また、布マスクも玄関に置いておきます。土曜に法事にお参りに来た小学生が「ぼく、マスクがない」と玄関口で言ったのです。この日は、小さい甥っ子用につくった布マスクの余りを、お裾分けしました。
そんな調子だったので、未使用のてぬぐいやハンカチを材料に、夜の間にマスクを増産、今朝、玄関に追加を置いたら、子ども用が欲しかった方が多く、あっという間に10個、引き取られていきました。

春の彼岸法要について

3月16日に予定している春の彼岸法要は、寺族を中心としたお勤めにしたいと思います。新型コロナウイルス感染に関わる状況を鑑みてのことです。参詣をご予定してくださっていたみなさんには申し訳ありませんが、ご理解のほどよろしくお願いします。

手作りパンのお供え

法事に来てくれた小中学生に坊守手製のマスクを差し上げました。法事のあとにお宅でおときをいただいたのですが、中学生のお子さんが休みを利用して焼いているパンをお土産に持たせてくれました。「ありがとう。お仏壇にお供えするから」と約束したので、帰ってからお供えしました。

そういえばパンをお供えしたのは初めてのことてす。仏さんからのお下がりとして、ありがたく頂戴しました。

坊守は「めっちゃうまかったなあー。やるなあ中学生」と喜んでおりました。

ネコのお見舞い

坊守は、今日は風邪で仕事を休みました。私は風邪を引けない仕事ですので、もらわないようにマスクをしています。


布団に入っていたところ、さっそくお見舞いの訪問があったのだとか。

ナモです。ウチにきて丸3ヶ月経ちました。少し大きくなったかな? 最近は食欲旺盛です。


ナモは部屋に上がって枕元の体温計や、水をチェックしたのちお役御免と思ったのか、先に寝てしまったそうです。

坊守は「首元があたたかくて良い」と、無礼を許しています。ネコかわいがり?

キャンセル4万4000人

1月下旬からおとといまでの県内宿泊予定者のキャンセルが44000人にものぼるそうです。報道によると中部・西部が多いようですが、県東部でも2000人近いキャンセルです。過去の自然災害でもみられなかったような落ち込みで、新規予約もほとんど入らない状況ということです。

西法寺のある岩井は温泉地です。旅館業に携わっている方たちの不安はいかばかりでしょうか。

各種イベントの中止で、音楽家のようなフリーランスとして活動する方たちが苦境に立たされています。

政府は雇用調整助成金の対象事業者を「コロナウイルス感染症の影響を受ける事業者」に対象を拡大するとしています。鳥取県は自営業者が政府の支援から漏れた場合は、独自の支援をするということです。

正規・非正規、自営業者、フリーランスとして働く方たちの不安を取り除くため、政府・与野党、そして自治体関係者の方たちに期待したいと思います。

和顔愛語 わげんあいご

お世話になっている業者の担当Oさんが郷里に帰ることになり、あいさつに来られました。

年齢をうかがうと47歳。私が家に帰ることを決めたのも47歳でしたから、他人事とは思えません。

私の場合は、帰っても仕事がありましたし、おかげさまで多くのみなさんに支えられております。

この時期は、人生の進路を決めたり、あるいは変更したりという岐路に立たれている方がたくさんいらっしゃると思います。

『無量寿経』に「和顔愛語」(わげんあいご)という言葉が出てきます。お経では、「和顔愛語にして意(相手の思い)を先にして承問す」とあります。相手の身になって穏やかな顔で接し、優しい言葉をかけ、自らが先んじて動くという意味となります。

受け止める側にできることは、よく来てくれたと歓迎し、新しい生活になじめるように気を配ることではないかと思います。私もそうした人たちのおかげで、こちらにかえってから3回目の春を迎えようとしています。

Oさん、故郷に帰られてもお元気にお過ごし下さい!