臨時の学童が終わりました

職場の臨時学童保育所がきょうで終了しました。
本来業務をぬってピンポイント先生をした我々には「お楽しみ会」の招待が来たので、会議の合間にちょっと顔を出しました。

二重跳びを披露する3年生がいたと思えば、ピアニカを演奏する2年生がいたり、フラフープを上手に回したり、ブンブンゴマをまわしてみせてくれる1年生たちがおりました。初日は誰ともお話できず、ひとりで塗り絵をしていた2年生も、ピアニカ演奏をし、元気な声で曲紹介ができました。

3週間であずかった児童は、実数で30人くらい。明日からこの場が本来の会議室に戻り、ドアをガチャリとあけても、真面目な顔した大人しか居ないという現実が残念になりました。笑

突然のいっせい休校のために、行き場がなくなったスタッフの子どもたちを預かる判断を瞬時に行った法人や事業所の思いきりのよさに拍手をおくりつつ、ああいえばこう言い、時には大暴れするギャングたちをみてくださった臨時の先生たちに感謝です。

わたし自身は、大学時代に学んだことや、関わった子ども会活動、編集者時代に思いつきで取得した保育士免許がこんな背景のために、こんなカタチで役立つ日がくるとは思いませんでした。
しかしとにかく、センセ、センセと、子どもたちにひっぱりまわされる時間は、仕事抜きに楽しかったのです。

それにしても、新型コロナの問題がなるべく小さく、なるべく短期間で、片付いてほしい。世界中の医療従事者と行政担当者、患者さんに心からのエールを。

法事がつづきます

今日も法事が3件ありました。新型コロナウイルスの影響がさまざま現れていることを痛感。建設業の方からは中国からの部品が入らず仕事に支障が生まれているとの話が、飲食業を営む方からは外国人観光客、国内旅行者が減り収入が落ち込んでいるとの話が聞かれました。法事に来られるのも家族だけにされる方が増えています。法事は親族が久しぶりに会う機会でもありますが、そうもいかない事態となっています。それでも法事をしようと思われる方が多いということは、先祖をしのぶという時間を大切に思ってのことです。お寺としては不安なくお参りいただけるようにつとめるのみです。

ナモは狭いところがお気に入り

彼岸は法事がつづきます

きょう明日ともに3件ずつの法事です。めったにないことです。お日柄は快晴で申し分ないのですが、新型コロナウイルスの影響で遠方からのお参りの予定だった方が来れないこともあるようです。関西の方から法事に来られた方は、大阪–兵庫間の往来の自粛要請で困ってますと話されていました。

坊守手製のマスクは好評です。昨日は、「花粉症なのにマスクがなくて困っていたのでうれしい」と持っていかれた方がありました。坊守はこの間、70枚のマスクをつくったそうです。数に限りはありますが、お参りに来られた方で必要な方は持ってかえってください。

無慚愧は名づけて人とせず

森友学園に関する文書改竄を指示され、自死された方の手記が報じられ、あらためてこの問題がクローズアップされています。手記全文が掲載された「週刊文春」を買おうとコンビニに行きましたが、売り切れでした。

抵抗したにもかかわらず、文書の改竄を強要された職員の方は自死に追い詰められたのです。その一方で、指示したと思われる方たちは、いずれも出世しています。

「佐川理財局長の指示」で文書を改ざんしたと手記にはあります。財務省が一昨年にまとめた報告書では「指示はなかった」となっていますから重大な食い違いがあります。にもかかわらず政府は「再調査はしません」。

このニュースに触れて、この言葉が頭に浮かびました。

無慚愧は名づけて人とせず、名づけて畜生とす。

『涅槃経』にあることばです。慚愧とは恥じることです。畜生とは、愚かさにひきずられて生きることです。

国有地の売却をめぐり、安倍首相が首相も夫人も「関与はない」と答弁したことから公文書の改ざんが指示され、そのなかで改ざんに抵抗した職員が指示に逆えず改ざんさせられ、そして自死においこまれたのではなかったか。

裁判に訴えたご遺族の、「本当のことが知りたい」との叫びを無視するのでしょうか。いまからでも遅くありません。関係者は法廷で、政府は国会で何が真実なのかあきらかにしてほしい。

西法寺通信を作成中

外は20℃をこえる陽気ですが、昨日から部屋にこもって西法寺通信を作成中です。

ご門徒さんのインタビューの他は書きながら内容を考えるという進行で、かなり時間がかかっております。

書いては直しを繰り返しつつ、①子供さん向けミニ法話、②ご門徒さんインタビュー、③ホームページ記事紹介、④お寺の掲示板はじめました&西法寺ライングループに参加してください、の4ページでいこうと方向を固めました。

今週中にはつくって来週印刷、4月から配れるようにしたいと思います。

本日はたこ焼き屋さん

坊守です。
3月アタマから時々駆り出されていた、医療・介護スタッフのための臨時学童保育で、きょうはたこ焼きを焼きました。岩美町などは学校再開しましたが、鳥取市はまだ休校です…。

タコやウインナーやチクワなどの具を入れて、ひっくり返す工程は子どもたちに任せました。
「ひっくり返す」は、たこ焼き屋さんのように…と思ってもなかなかできない作業です。
案の定、低学年も高学年も大興奮。
電気のたこ焼き器を囲んで、夢中の彼らの背後でわたしは、継職祝いに和歌山の弟がくれたカセットコンロ式のたこ焼き機を稼働。足りない分の補充作業をひたすら行いました。

さて、子ども16人で、いったい何個分焼いたでしょうか…?
こたえ、80個用の粉を3袋使い切り、さらに、用心に持ってきた120個用の粉を3分の1使いましたので、計280個分!
あの子たち、夕飯は食べられたんだろうか?と心配ですが、それはもう、ヨシとしましょう。

この職場の託児は春休みまでの予定なので、残り数日ですが「こんなことしたよ!」と、迎えにきた保護者に、生き生き報告できるようなひとコマがつくれればなぁ…と思います。
そうそう、昨日は因幡組の僧侶のYさんが、お抹茶をたてに来て下さったようです。あとで写真をみて「Yさん!?」と、叫びました。なんちゅう偶然、そして、なんとありがたい。

仏さんの誓い

昨日、春の彼岸法要をつとめました。新型コロナウイルスとの関係で規模を縮小せざるを得ず残念で下が、今回は致し方ありません。

門徒総代を引き受けてくださっている方中心に4人の方がお参りでした。あとは住職・坊守、そして前住職・前坊守です。

お参りになった田後(たじり)の方からは立派なカニをいただきました。

その方は、数年前に連続研修会を受講されています。仏教、浄土真宗について学び、交流する場です。鳥取県東部の浄土真宗のお寺のご門徒さんが集まり、毎月1回、1年間をかけて各お寺を会場に開催されています。

「毎朝、讃仏偈をとなえ、真宗宗歌を歌いますよ」とのこと。『讃仏偈』とは『仏説無量寿経』というお経のなかの一節です。「真宗宗歌」は1923年に作られました。浄土真宗のテーマソングといってもいいような歌です。

私も朝のお勤めで『讃仏偈』をよく読みます。

昨日の法要では短いお話をさせていただきました。ちょうど『讃仏偈』について触れようと思っていたところでした。

「仮令身止 諸苦毒中 我行精進 忍終不悔」

「たとえこの身を、どんな苦しみや毒の中に止め置いたとしても、それによって救われていくものがいるのならば、私はその苦しみを引き受けて、耐え忍んで、決して後悔はしません」

「これが仏様の決意です。讃仏偈のこの最後の4句を読むときに、私はブルっと震える事があるんですよ」とお話ししました。ここには仏様の慈悲の心が現れています。その慈悲に照らされ、自らのカゲも見据えて生きていく。浄土真宗という教えを暮らしに生かす道があると感じます。同じようにはできませんが、真似事をすることは私にもできるはず、と背中を押される思いがします。

家族葬のための会館

先日、葬儀を勤めました。会場は鳥取市内にある家族想こやまです。はじめてうかがいました。家族葬のための小さな会館で、ご家族が宿泊することもできます。会館の方は「家で通夜・葬儀をするようなかたちになっています」と説明してくださいました。約40人はお参りできるようになっているようでした。


会館はホテルの一室のよう。段差のないバリアフリーの部屋。斎場のスペースとリビングとの間には可動式の間仕切りがありました。小上がりに畳スペース、そしてベッドルームも用意されています。


私が今住んでいる古民家には蔵があります。ご近所で冠婚葬祭があったときのための茶器や食器が以前はたくさん収納されていたようです。家で通夜と葬儀をだし、それを地域でささえあっていたのでしょう。その当時から考えると家族の形が変わり、必然的に葬儀のあり方も変わってきています。そうであったとしても、人が人と別れていく節目を大切にしたいと多くの方がお考えです。

儀式は人間としてのあかしです。一回一回、真剣にのぞまなければと改めて思うのでした。

あすは彼岸会です。

春が来るのかと思えば、霙まじりの雨が降る1日となりました。あすは規模を縮小して寺族中心の春の彼岸会です。
中国の善導大師は、この日 太陽は 真東より昇り 真西に沈むその日の沈む彼方十万億の仏国土を過ぎて阿弥陀如来の浄土はましますとの言葉を遺しています。


古来、浄土を願う人々は春と秋に彼岸会をつとめ、はるか西の方に浄土をのぞんだのです。
亡き人をしのび、いのちの行方をみつめるのが彼岸会です。しっかりとお勤めをしたいと思います。

通信教育のお題は

イレギュラーな日常がつづき「気持ちが暗い」という人がチラホラ出ているのが気になります。
わたくしのスケジュール帳にも、たくさんバツがつき、2020年内に辻褄があわせられるとは思えない気がしてきました。鼻風邪で滝のようにハナが出るのもあってボーっとしていると、通信教育のレポートのお題と原稿用紙が届いてちょっと目がさめました。
「真宗」の教科のお題は、【信心の人は無量の徳を得ることについて】を800字程度で書くことになるようです。教科書通りだとおもしろくないし、先輩たちはどんなふうに解答するでしょう?

こんな調子でレポートはありますが、4月の京都でのスクーリングは中止になると連絡が入りました。
宿もキャンセルしないといけません。学校がなくても予定通り行って、レンタル自転車で鴨川沿いを走るのも良いんちゃうかなあ?と妄想中です。