法事で苦労話をうかがう

本日は彼岸の中日です。あちこちでお墓参りされる方の姿を見かけます。

コロナがあって、お一人でお参りいただく法事があります。今日は、「親鸞さんに、『助けてほしい』って思うことがあるんです」とこぼされる方の苦労話を聞かせていただきました。介護の苦労です。

私がお経を読んだのは10分ほど。あとは話を聞かせていただいて、少しばかり「仏教ではこんなふうな話が伝わっているんですよ」とお話ししました。

「こういう話はする機会がなくて、自分の中で溜め込んじゃって。なんでこんなことになっちゃったんだろうって落ち込んだり。でも、今日は話せてスッキリしました」と帰っていかれました。

いえ、こちらこそ。またなんでも言ってください。浄土真宗は、御同行・御同朋です。同じ念仏をとなえ、同じお浄土にお参りする仲間なのですから。

2日続けて入仏法要

2日続けて入仏法要でした。ご自宅にご本尊(阿弥陀如来)をお迎えし、お仏壇の前でのお勤めです。

新しく購入されたご家族、そして親から受け継いだ古いお仏壇をきれいにされて法要を迎えられたご家族です。

「仏壇があると部屋が違いますねえ」
「なんだか、ありがたいって思えます」
「仏さんに見られているような気になります。悪いことはできませんね」

そうした感想を聞かせていただけるのも嬉しいことです。

新しくご本尊を迎えられたご家族には、お経本と、お経CDを差し上げています。

仏様に見つめられている自分、そして時間を1日の中で持つことは、心穏やかに生きていく力にもなると思います。

それにしても、古いお仏壇が新品のようにきれいになっていて、驚きました。


実は近々、古いお仏壇を譲り受けることになっています。業者さんにキレイにしてもらって、お寺にしばらく置いて、欲しい方がいらっしゃればお譲りしようかと考えているのです。

廃棄せざるを得ないこともありますが、次の居場所があれば守ってきてくださった方にもご報告できますから。

同性婚の否認は憲法違反

札幌地裁が、同性婚の否認は違憲であり、「法の下の平等に反する」との判決を下しました。画期的な判決だと思いました。


この判決を受けて、あらためて日本国憲法第14条と第24条を読みました。
第14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

第24条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

法の下の平等、性別による差別を禁止、個人の尊厳をうたっています。


なお、両性の合意とあるのは、普通に読めば男女です。しかし、戦前、当事者間ではなく、とくに家長である男親が婚姻を決めていたことに対する両性の合意と解釈すれば、婚姻は当事者間で決めるということになります。当初のGHQ案の第24条は次の通りでした。「婚姻は、両性の法的・社会的平等にもとづいてなされるものとする。そして親による強制ではなく2人の合意に、男性による女性支配ではなく2人の協力に基礎を置く」。わかりやすいですが、長いことから削られてしまったそうです。


朝のお勤めでいいニュースだなあと思いつつ、「阿弥陀経」の一節を口ずさみました。

青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光
みなそれぞれの光で輝くことこそ、本当のいのちの姿だぞ、と阿弥陀さまはお示しです。


現実の世界ではすぐにそうはなりません。だからこそ、そこをめざしてがんばっておられる皆さんに心から敬意を表します。

民法、戸籍法では同性の結婚を認めていません。この判決の方向で法改正・整備が進むことを期待します。

西法寺通信第8号作成中です

3ヶ月に一度発行している通信づくりにとりかかりました。ご門徒さんのインタビューも終え、あとはパソコン作業です。雪の影響で本堂の屋根瓦がズレたり、裏山の杉の木の伐採に向けて少し動き始めたり。ことしは境内の整備が大きな課題となりそうです。

通信、来週頭には印刷に回したい!

さっきまで寝ていたナモは、目覚めた瞬間からパソコンにたたかいを挑んでいます。

閉じたらこの顔です。邪魔するなと言う方が無理ですね。

春の彼岸会をお勤めしました

午前中、春の彼岸会のお勤めでした。寺族ふくめ14人のお参りでした。
「正信偈」をあげ、ご講師のお話を聴聞しました。

「当地にうかがったのは初めて」とおっしゃる窪田英俊さん。
島根県太田市の願林寺のご住職さんです。

窪田さんは、金子みすゞさんの「大漁」という歌を紹介されました。ご存知の方もいらっしゃるでしょう。
「浜は祭りのようだけど 海の中では何万の 鰯のとむらいするのだろう」

窪田さんは、「彼女が生きた時代、震災や食糧難、世界的な感染症の広がりがあった。
そんな中だからこそ、大漁はみんな嬉しい。けれども彼女は、誰も見向きもしなかったいのちへの愛しみをうたったのです」

なるほど。そういう時代背景を耳に入れると、また違った味わいがあります。

そして、「コロナは小さきいのち、弱い立場を暴いた」と。

そうかもしれません。強い人はより強く、弱い人はより弱く、悲しいけれども、コロナはその世界の現実を映し出しました。

窪田さんは、親鸞聖人の言葉から「凡夫(ぼんぶ)というは、無明煩悩(むみょうぼんのう)われらがみにみちみちて、欲(よく)もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして臨終(りんじゅう)の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえず」を紹介されました。

窪田さんは、その私を心配して、まさにいま、ここで阿弥陀仏が私に「なんまんだぶ」と喚んでくださっておられるのではないか。しかし、その救いを拒絶し、生きているのが私です。でも、そうじゃないでしょう(それではいけないでしょう)

そのように話されました。

そして、「喚んでくださる思いが、私の生きる糧になる」「普段の生活の中で阿弥陀様のお心をいただいて、そのお心にそえるような生き方をしないといけないじゃないですかね。つまらんことで争っている場合じゃないですよ」と。

浄土真宗のみ教えにふれていただくと、我が身を振り返る、我が身に、自分は何のために生きているのか自然と問いかけている自分に出会うことができる、そのように私は思っています。そういう時間を、ご門徒のみなさんに持っていただけるよう、あなたも努めていきなさいよと背中を押される気がした春の彼岸会でした。

お参りいただいたみなさま、そして遠路、ご講師で来てくださった窪田さん、ありがとうございました。

月曜日はおっくう

サラリーマンの方々は、月曜日はなんとなくやる気が起きない、休み明けで気持ちがのらないということはないでしょうか。お寺は曜日はあまり関係ありませんが、土日がいちばん忙しいので、月曜はなんとはなくおっくうなのです。明日は彼岸法要だというのに、この有様。

そんなことを思いながら今、ブログを書いています。

みなさん、「おっくう」と打って見ると、億劫と変換されますか?

実はこのおっくうという言葉、もともとは仏教語の億劫(おくこう)から読みと意味が転じた言葉です。

仏教の億劫とは、果てしもなく長い時間のことです。劫とは、途方もない長さの時間、それに大きな単位である億を加えて億劫となります。世界のはじめから終わりまでという意味でしょう。

そんなところから、時間のかかることは「おっくう」だなったのでしょうね。さらに、様々な場面で使われるようになったのでしょう。若い人は「おっくう」と言わず、「めんどくさい」と言うのでしょうが。

そのように考えると、「おっくうだ」とは言えないようなことを、「おっくう」だと思っているだけなのかもしれません。

さて、仕事にかかりますか。

納骨堂を掃除しました

16日の彼岸法要のあと、納骨堂のお勤めです。きょうはたわしと墓石用の石けんを手に墓石についた汚れをとりました。

本来なら墓石は水洗いで汚れが落ちるくらいの頻度で掃除をすべきなのでしょうが、昨年11月以来の数ヶ月ぶりの掃除となってしまい、水垢などで汚れが目立つ状況でした。昨日、納骨堂にお参りの方もいらっしゃったのに…。

掃除前
掃除後

境内に隣接する墓地でもお墓掃除されている方の姿が。お彼岸前の日曜日。全国的にも今日はお墓掃除をされた方も多かったかもしれませんね。お疲れ様でしたー。

仕事が休みの土曜日は

坊守です。


きょうは仕事が休みでしたので、終日、お寺の仕事でした。


午前中は、お寺の新聞のインタビュー(面白かったです。内容は紙面を乞うご期待)。


お昼をかきこんでいるところに、住職に着信が。お誘いいただいていた網代の文化祭の参加確認でした。
会場になっていたコミュニティーセンターに行ったのは初めてでしたが、入口で記帳したとたん、「ああ!」と受付の男性が反応されたので、どなたか良くわからないまま(あとで、館長さんと判明)
「住職がお世話になっとります」とごあいさつし、お誘いくださったAさんのもとへ。

エコクラフトの籠や、切り絵、カラフルな石鹸…などなど力作が何点も展示されて、大きな部屋では、トレーナーさんの指導で何十人かが体操のまっただなかでした。


座って体操する何十人かを後ろから見ていましたが、男性は1人確認できた程度で、女性の元気さを再確認。
書道や俳句も見せてもらって「はよ帰りんさい。お姑さんたちに怒られたらいかん」と、心配していただき、滞在時間10分で、見学を終えました。それにしても、呼んでもらえて嬉しかったです。

そのままお花やお供え物を買い物して、16日の支度にかかりました。花は桜を入れました。

夕飯は、2人とも足が棒で、近所のラーメン屋さんに駆け込みました。

届け物でウォーキング

先日、田後のご門徒さんからウォーキングを日課にしているとうかがいました。

「田後の家から陸上(くがみ)のトンネルまで往復するんですが。途中の駐車場で休憩して、駐車場内もぐるぐる歩いて。往復で2時間ぐらいですかなぁ」

帰って調べてみると片道3.5キロです。

いやーすごい。刺激を受けました。

今日は朝、届け物で岩井を歩きました。距離にして1.5キロ。その5倍を歩いていらっしゃる。

ウォーキング中にクロネコ発見。どこにいるでしょうか?

一昨年は網代⇄田後間を何回か歩きましたが、続きませんでした。これも往復で7キロほどになります。

季節もよくなってきました。今年こそは、と意気込んでいます。

東日本大震災と原発事故から10年

東日本大震災から10年。いのちを奪われた方々への哀悼を、そして被災者の皆様へお見舞い申し上げます。記憶して、忘れず、災害からいのちとくらしを守る社会に向かわなければと思います。

朝、毎日みているNHK BS1のワールドニュース。France2は、震災と原発事故を報じていました。被災者の声、そしてドイツが来年で原発から完全に撤退しようとしていることを報じていました。ドイツ・メルケル首相は原発推進派でしたが、フクシマを受けて原発からの撤退を表明たのです。

日本はどうでしょうか。

福島原発の廃炉は当初最長40年とした計画でしたが、高い放射線量に阻まれ、計画は破たんしています。

世論調査では圧倒的に原発からの撤退が支持されるようになりました。しかし、自民公明政権は原発からの撤退を考えていません。

本願寺派前門主の大谷光真氏は2014年3月初版の著書のなかで、「私の考え」としつつ踏み込んだ発言をされています。

大谷氏は、「人間のすることには完全ということはありえません。絶対安全もありえません」「人間の知能は不完全であり、欲望の実現から生じる負の結果を十分制御することができません。その極端なものが核エネルギーの利用でしょう」「欲望をなくすのではなく、調和できる方向に導くことこそ課題です」と記しています。

絶対安全という思考停止に対して、仏教は諸行無常こそが真実であると説きます。常はない、ということです。

大谷氏は、「諸行無常が当てはまらない場所などあるでしょうか」と問いかけます。

私がこの発言を知ったのは僧侶になってからのことです。宗教者として社会的な課題にどのようにアプローチするのか、たいへん学ばされました。

興味のある方は、『いまを生かされて』で検索してください。古書で手に入ると思います。