悲しみを悲しみとして

本日、お通夜のお勤めがありました。

以前勤めていた職場の大先輩から頂いた、「あなたの仕事は人の人生のいちばん悲しい瞬間に立ち会う仕事になりますね」とのことばをいつも思い起こしながらお勤めに臨むようにしています。

「人生に常ということはありません」などといったところで、悲しみが消えるわけではありません。

私のような経験の浅い僧侶が、最もらしく喋るのは申し訳ないと思い、そうした話をするのは最近、控えるようにしています。

うまく喋るということではなく、私も、遺族のみなさんと悲しみをともにすること、故人の人生に敬意を持って法要に当たること、これだけは曖昧にしてはいけないと今日も言い聞かせながら、短いお話をしました。

遺されたみなさんの声に、悲しみに耳を傾けつつ、今後の法要に臨んで行きたいと思います。

二千万に程遠く

還暦を迎えた方の25パーセントが貯蓄額100万円未満という調査結果が発表されました。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190616-00000069-kyodonews-bus_all

政府は二千万円足りないとした金融庁の報告を握りつぶしてしまいましたが、庶民のおかれた実情はあまりにも深刻です。

昨日は東京で二千人が集まり、政府に抗議するデモがあったことをニュースで知りました。

不作為に対して怒ることを慈悲の怒りとダライ・ラマ氏は表現されますが、いまの日本はまさにそういう時であると思います。

ユリを掘ったのは?

道端にヒメジョオンが咲いています。「こんなにぎょうさんあるなら、いけてしまえ」と雨の晴れ間に刈ってきました。

寺の玄関は今、花屏風なので、飾るのは我々の古家です。

だが待てよ、これはヒメジョオンで良いのだろうか?ハルジオンとの違いは?と、インターネットで調べるも、確定的な情報が得られず、それどころか、ヘラバヒメジョオンなる近縁種がさらに出現し「まあ、ええか」と、追究を辞めました。

なお、ユリ根を盗み食いしたと思われる野生動物を目撃。白昼堂々、境内をウロつこうとしているところを見つけた前坊守が金切り声をあげたので、かろうじて撮影に成功いたしました。これは何でしょうか?(坊守)

鼻が下に向いとる

昼から大雨です。

「ご院家さん、が下向いとるで、ありがたいぞなあ」

妙好人として知られる足利源左さんのことばです。

びしょ濡れになって帰ってきた源左さんを見て、住職は気遣います。

それへの返答として源左さんが呟かれたのがこのことばです。

当たり前だと思っていることが、実は手回しによってそうなっていた。

源左さんの気づきと、深い感謝のこころに唸ってしまいます。

それにしても降りしきる雨に、昨年の豪雨被害を思い出します。

自然災害には十分、気をつけたいものです。

世界第55位に

持続可能な開発目標(SDGs)をご存知でしょうか。

国連2015年に採択されました。加盟国が2030年までに達成することを掲げた目標です。

本願寺派も、この動きに賛同し、さまざまな取り組みを開始しています。

本願寺総合研究所のホームページに、その活動やキャンペーンが紹介されています。

17の大きな目標があり、13番目には気候変動への具体的な対策が掲げられています。

今日、新聞に、米ブラウン大学のある調査結果が紹介されていました。それによると、アメリカ軍のCO2排出量は国に換算すると世界第55位に当たるというのです。

国ではありませんが、国以上に米軍は排出しているということです。

ちなみに57位はポルトガルだそうです。

調査をまとめた同大学のクロフォード氏によると、09年以降、米国防総省は燃料消費量を大幅に減らしているそうです。作戦行動をもっと減らせばさらに大幅な削減ができるとし、「そうすれば世界はより安全になる」とコメントしています。

持続可能な世界のために、何を見直す必要があるのでしょうか。

やられました

やられました!

1号、2号が咲いて、次は何色?と楽しみにしていた畑のユリが、

なぎ倒されていました。

夜の間に何者かが、球根をムシャムシャした模様です。

植え付けの際、わたしでさえ「美味しそうなユリ根…」と思ったのだから、野生動物が狙うのも無理はありません。

それにしても、ユリ専門に食べる虫の被害をかいくぐり、開花まであと少しだったのに。

「月に叢雲 花に風」とはいいますが、花咲く前に野生動物、でありました。ユリたちは、とりあえず水をはったバケツにさしてあります。

腹ペコだった彼か彼女のお腹が満たされて、良かったと思うべきか?住職、どうですか?

(坊守より)→動物が喜んでくれたのなら、植えた甲斐もあったのでは? 住職

くらしの仏教語

『大乗』(本願寺出版)という月刊誌に「ミドルエイジのための仏教語」というコーナーがあります。6月号で取り上げられているのが「玄関」です。

今は建物の入り口を「玄関」といいますが、もともと「玄妙な道に入る関門」という意味で、奥深い教えに入る手始め、糸口をさしていたそうです。

禅寺の宮殿に入る入り口を指すようになり、江戸時代になって式台(かまちの前の段)を構えている出入り口を玄関というようになり、明治時代以降は住居や公共建築などの出入り口をさす言葉となったということです。

私たちが普段何気なく使っている言葉の元を辿ってみると、結構、仏教に元があった、ということが他にも様々ありそうです。

玄関や勝手口の段差部分に取り付ける化粧材を框(かまち)というそうです。

「2000万円足りない」

「夫婦2人で2000万円足りない」

年金だけではこんなにも足りない分が生まれてしまうという金融庁の正直な試算を、政府自身が「不適切」と否定に躍起ですが、試算自体は否定できないようです。

昨日の国会では、現在41歳の夫婦では3600万円にまで拡大するという指摘が野党議員からありました。

長寿の社会を、自分の力で、才覚で生き抜けということなのでしょうか。

高齢夫婦の娯楽費は総務省の調査で月2万5千円、交際費は月2万7千円にすぎないそうです。

一日に換算すれば数百円です。経済的な理由で外出も、人付き合いも控えなければならない方も多くいらっしゃることでしょう。

政府の方達は、こうした高齢者のみなさんに、「株を買え」「試算を運用せよ」というのでしょうか。

7月は参院選挙もあります。宗教者は社会で起こっている課題に対して無関心であってはならないと思います。

田辺聖子さんのこと

田辺聖子さんの訃報にふれて。好きな作家さんのひとりでした。

未婚の中年女性、再婚同士の家族…世間の既定路線からは少し外れた人たちを生き生きと描く、関西弁まじりの、あたたかさと笑い溢れる小説で知られていますね。

私はこうした小説も好きですが、

昭和ひと桁に生まれ、戦中戦後を生きた人の証言ともいうべき自伝(『楽天少女通ります』『欲しがりません勝つまでは』)や、

阪神淡路大震災を体験して書かれたエッセイには、大きく心動かされました。

いのちのかけがえのなさ、人のあたたかさ、私たちは何を大切にしていけばエエんやろ?という問い…。

阪神大震災後のエッセイにはこんな一文があります。少し長いですが引用します。

「活断層の上であっても、また生き直せるという風な思想を私たちは育てなければいけない。(中略)それは自分だけが助かろうというのではなく、みんなで手をさしのべあって生きてゆく、という思想です。」「空襲と震災のちがうところはもう一つ。空襲にあった人たちは煤と泥だらけで真っ黒になりながら、次から次へと田舎へ脱出していきました。震災では反対に外から肉親、友人を案じて、水と食料を背負った人が、続々と阪神間や神戸をさしてやってきました。寸断された道路を歩きつづけ、瓦礫をふみこえて焦土に入ってきました。知人や身内のいない人も『おにぎりあります』と背中に書いて歩きました。それを思えば人間の原型はここにあると思います。活断層の上でも生きられる理由です」(『ナンギやけれど…わたしの震災記』より)

前の仕事の関係で、ご自宅に取材にあがったことがありました。

田辺さんが連続テレビ小説のモデルになった時のこと。〆切に追われていたにも関わらず

、対応は丁寧で優しかった。舞い上がりすぎて、サインをお願いすることさえ忘れましたが、原稿に赤入れしてもらったFAXはとってあります。

看取った旦那さんとは、お浄土で「また会える」と聴いておられたそうです。そして、「自分のお葬式にはどんちゃん騒ぎしてほしい」とも書いておられました。でも、やっぱり、身近な人たちには寂しいに違いありません。私でさえ寂しいのですから。(坊守)

研修に行ってきました

石畳と蔵の風景のある若桜町で、因幡組(いなばそ)仏教婦人会の総会がありました。

おっかなびっくりの初参加。総会自体は1年間のふりかえりと今後の活動方針の確認などで一般組織のそれと変わったことはありませんでしたが(日頃の活動に敬意を持って)。

午後から続いた研修での講話はたくさんメモをとりました。

テーマは【浄土真宗はなぜ「浄土真宗」という名前なのか?】

たくさんメモを取りましたので載せられません。

ですが、心に残ったのは、

浄土教は「万人が平等に救われる」という教えが、危険思想であった時代に生まれ、弾圧もされたが、それでも伝えようとした開祖たちに思いを馳せる時間であったこと。

また、浄土真宗という宗派の名前は「生き方」〜浄土の真実を宗(むね)とする〜を表している、という解説でした。人間の思慮や分別を超越した真実(「如」)の世界である浄土から「前を向いて胸を張れるか?」と問われる生き方。

駆け出しのワタシにはうまく説明することは難しいですが、

こんな風に心に芯を持てた人は、人生に色々あっても生き抜けるし、他者の苦しみにも心を寄せて行動できるだろうな、と考えたのでした。

(坊守)