今日から確定申告

昨年も書いたように思います。お寺はお布施への税はかかりません。固定資産税も必要ありません。しかし、僧侶の収入には当然ながら税がかかります。

その額がいくらになるのかをあきらかにする確定申告がきょうからはじまりました。私の場合はパソコン上で書類を作り、それを打ち出して郵送しています。計算はパソコン上で済みますから、楽と言えば楽です。

会社なら厚生年金、社会保険(被用者保険)がありますが、一部の大きなお寺以外、僧侶は個人事業主のようなものです。年金は国民年金で2階部分はなし。国保は勤め先のとの折半がありません。全額自己負担です。不安定かつ、自費負担分がかなり多いのが実情です。

経費もなかなかのものです。本山に納める賦課金(コンビニのロイヤリティーみたいなもの)、本堂の保険(掛け捨て)、お花や仏具など日常経費もけっこうかかります。

昨年びっくりしたのは国民健康保険料の高さでした。国は制度を支える気があるのかとふだんあまり頭にくることのない私ですら腹が立ちましたから。

今年もさらに値上げをする自治体が多いそうです。岩美町がそれに当てはまるのかどうか確認はしていませんが、皆保険を支える財政をもっと手厚くと願わずにはいられません。

などなど、愚痴めいたことも記しつつ、今から申告の準備をします。

堂内に響く『阿弥陀経』

昨日、因幡組に所属するお寺の本堂でお通夜がありました。お寺に関係される方のお通夜にお参りするのはまだ2回目です。そうそうあることではありません。

コロナ禍のなか、本堂に収容できる人数の半分ほどのお参りに制限されていました。それでも僧侶は十人近くはいたのではないでしょうか。僧侶とご門徒のみなさんが声をそろえて『阿弥陀経』を読むと堂内に響きわたりました。私もつられるように大きな声を出していました。

ご往生された方と、もういっしょに読経することはできないけれど、その懐かしい声は、このお堂の中にきっと残っていくに違いないと思いました。

合掌

お礼のはがき

昨年から年回法要にお参りいただいたご門徒さんにお礼の葉書を送っています。文面は何度か変えてきましたが、2月から写真にあるような内容にしました。

いつも親鸞聖人の和讃を一つ紹介していますが、今回は、

曠劫多生のあひだにも 出離の強縁しらざりき
本師源空いまさずは  このたびむなしくすぎなまし

を紹介しています。

曠劫(こうごう)とは、きわめて長い時間のことです。その間じゅう阿弥陀仏のみ教えに触れる機会がありませんでした。このたびの人生においても、もし法然聖人に遇うことが出来なかったら、むなしい人生で終わっていたでしょう。

そのように師匠との出遇いを喜んでいます。

年回法要というのは別れたことからはじまります。悲しみとともに、出遇えたことを喜び、営まれるのではないかと思います。そして、その機会をご用意くださったのは亡き方に他なりません。

コロナ禍のなか、お参りされる人数は減っていますが、きていただけること自体ありがたいことです。

来週は平日もお参りが続きます。気持ちを込めてお勤めさせていただきます。

お念珠をいただきました

島根のお寺さんよりお念珠をいただきました。私と坊守に一つずつ。ご自身で糸を通されたお手製です。ありがたく使わせていただきます。

ひらめきました。今年どこかで、お念珠を手作りする機会をもちたいと思います!

その前に私も作り方をマスターしなければ。

笑ってはいけない話です

昨日の坊守に続いて住職からもひとこと。

「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」

森喜朗氏の、この口にするのも恥ずかしい女性蔑視発言。その場で誰かからいさめる発言が出ても良さそうですが、笑いが漏れたということも報道でみなさんご存知だと思います。

「何を笑うかによって、その人の人柄がわかる」。フランスの劇作家マルセル・パニョルのことばです。

その通りではありませんか。

高まる抗議の声のなかで森氏はオリンピック・パラリンピックの組織委員長を辞意を固めたそうですが、それだけで済ませてはいけない問題のように思います。

日本は政治・経済の各分野で指導的地位を占める女性の割合が極めて低い。男女の違いにより生じる格差(ジェンダーギャップ指数)は世界121位と後進国です。

笑っている場合ではないのです。

世界から、男性中心主義がはびこる日本が笑われているという自覚をもたないといけない。そう思います。

あの方の辞任に思うこと

坊守です

1月に引き続き押せ押せの状態で仕事をしている今月ですが、きょうのように休日があると助かります。庭の手入れが少しできました。

さて、きょうも葬儀で、合間に昼食に戻った住職がテレビをつけたら、ニュース速報が流れました。東京五輪・パラ会長が辞任するとのこと。のけぞるような差別発言をした人物には当然の結果で、むしろ遅すぎるくらいに感じます。

わたしも社会人なので「男性はずいぶん下駄を履かせてもろてはるやないの」とアンフェアを感じる場面は、何度も経験しています。
今回は謝罪会見しても幕引きできないくらいに内外の世論が形成されたことに、一方でホッとしたのでした。

森喜朗氏の問題発言はこれまでも多くありました。
「日本は神の国」
「子どもをつくらない女性を税金でみるのはおかしい」
「大事な時に必ず転ぶ」(ソチ五輪で転倒した浅田選手に)
仏教では智慧と慈悲が重要な要素ですが、この方に関しては、知性も情も足りてないな、と思います。差別発言に遭遇した時は、相手が誰でも笑って済ませるもんかと再確認しました。

ただ、クリントン大統領夫妻が来日した際のやりとりには、笑わせてもらいました。

森「フーアーユー」 (how are youを間違えたらしい)
クリントン「アイム ヒラリーズ ハズバンド」(私はヒラリーの夫です:相手のミスをジョークで返したつもり)
森氏「MeToo!」(わたしも同じです)

こんな落語みたいなこと、ほんとにあったんでしょうか。
うーむ

米アマゾンに労組ができるかも

岩美町に帰ってきて、買い物は明らかにアマゾンを利用する機会が増えました。市内まで出かけるとそれだけで往復1時間以上かかります。アマゾンは古本も取り扱っていて新書や文庫も安く買えたりします。その点でも便利で、いきおい、スマホをクリックして買い物することが増えたのです。

国際NGOオックスファムの報告によると、アマゾン創始者のベゾス氏の資産額は昨年3月から9月の間に急激に増加したそうです。パンデミックの影響です。その額たるや、アマゾンの全社員87万6000人に10万5000ドルずつボーナスを支給してもまだ、パンデミック前と同レベルの資産が残るというのですから。想像もできません。

その米アマゾンで労働組合をつくる動きが始まっています。アメリカ・アラバマ州のアマゾンで働く6000人の倉庫従業員の間で、労組を作ることへの賛否を問う投票がはじまりました。

アマゾンは労組結成に反対しています。ワシントンポストによると、トイレに反組合のポスターを掲示したりしているそうです。

びっくりしたのは、バイデン大統領もツイッターで、「われわれの政権は労組結成を激励する立場だ」と表明していること。日本の首相ならなんというでしょうか? 「いずれにいたしましても、個別の事案には、、、」でしょうか。

開票は3/30。巨大な富を少しでも働く人にシェアしてほしい。米アマゾンにはじめての労組ができるのかどうか、注目しています。

(真宗大谷派(東本願寺)には労組があるときいたことがありますが、本願寺派(西本願寺)にはあるのでしょうか?)

葬儀がつづきます

岩美町は雪混じりの雨降りです。

きょうから3日間は通夜・葬儀が続きます。昨日と今日の朝は臨終勤行のおつとめでした。

「人の悪口を言わない母でした。誰に対しても、『きんさい、きんさい』と声をかけていました」「母が他界した以降、家事をこなす器用な父でした。カラオケが好きで、老人会の集まりでよく歌っていたようです」

人となりを聞かせていただくと考えさせられることがしばしばあります。

「前に生まれん者は後を導き、後に生れん者は前を訪(とぶら)え」とのことばがあります。

故人の姿を、遺された方々に記憶された思い出を、私も胸におさめてお勤めさせていただきます。

ダブにいちゃんの家

うちにいつくことが多くなったダブにいちゃんは、坊守がつくった藁のベットがすっかりお気に入りのご様子です。

喧嘩でもしたのか、どうやら右の目が開けにくいようです。

そして、ダブのベッドはさらに進化して、こんな風になりました。

「いいなぁ」といっているような

家や軒下を提供することを房舎施(ぼうじゃせ)といいます。

家主さんはパトロールに出かけたようですが、うまく入ってくれるでしょうか。

姑さんの記憶

本日は50回忌のお勤めがありました。お亡くなりになられたのは昭和47年です。
昭和30年に嫁いできた義理の娘さんが、法要後、ありし日の姑さんの記憶を私に話してくださいました。

「嫁いで来たときはまだテレビが家にない時代でした。お姑さんが私の手を引っ張って、テレビのある家に連れて行ってくれて、一緒にテレビをみました」「お姑さんは男ばかりのきょうだいの中で女ひとりでした。私のことを本当の娘のように可愛がってくれました」

法要中は『正信偈』を大きな声で読まれていました。

長い時間が過ぎているようですが、出会ったこと、親切にされたことがきっとその後の人生に大きな影響を与えたのでしょう。

先日、NHKの「チコちゃんに叱られる」で冠婚葬祭の「冠」とは何を指しているのか取り上げていました。冠とは成人式のことです。

それよりも合点がいったのは「祭」とは四十九日、一周忌とテロップがあったことです。冠婚葬祭の「祭」とは法事のことをいうのですね。亡くなってからも、亡き人を大切に思う。そのようにして日本人は生きてきたのかとハッとしました。

そして、今日のお話も受けて、仏事というものは大切であるということを再確認することが出来ました。