昔からのご縁で

2日間で3件の葬儀が終わりました。

私が勤めた葬儀にお参りされた、亡き方のご近所さんに、「町会の代表ですか?」とお尋ねすると、「実は遠い親戚にあたるんだが。昔からなにかと関わりがあって」とのこと。その方は14代目。昔は宿屋をされていたそうです。亡くなった方のご先祖はそれとは別の宿の関係者で、名字もその屋号の漢字を2つに分けてつけられたそうです。どうもその当時に親戚関係があったようなのですが、詳しくはわからないのだとか。

それからのご縁でなにかと世話になったり、お世話したりの関係が長きにわたって続いてきたそうなのです。

江戸時代の地図には、亡き方の関係の宿名、そのご近所さんのご先祖の宿名が記してあるそうです。機会があればぜひ拝見したいと思います。

葬儀がつづきます

きょうあすで葬儀が3件つづいています。前住職も「記憶がないこと」とおどろいていました。

本来なら私が勤めなければなりませんが、相手のご家族の希望日程もあることです。うち1件は80歳をこえた前住職にお願いしました。葬儀をつとめるのは3年ぶりです。今日の朝に予定されていた法事は前坊守につとめてもらいました。

前住職は昨日、通夜の数時間前までベットに横たわっていたので、いささか不安でしたが、導師を勤めた通夜以来、いたって元気なようす。「しんらんさまを歌った」とのことです。この感じだと、もう少し法務にあたってもらっても大丈夫かもしれません。

今日、私は別の葬儀をお勤めしました。ご主人を亡くされた奥さまは80代。現役で裁縫の仕事をされています。背広の裏地を縫っているそうです。「これからはお寺参りもさせてもらいますのでお願いします」と声をかけていただいて恐縮しました。

死というのは誰しも避けられません。だからこそ生きていることはありがたい。悲しみは悲しみとして消えることはありませんが、自分のやるべき仕事・役割をもっていることは悲しみを抱えて生きていく上でも支えになると思います。

モノは巡る。心と共に

坊守です。
午後はお寺の会議や葬儀が入っていたため、午前中にあちこちにおつかいをしました。


先日、遠くの先輩から美味しい文旦がひと箱届いて、いつもいただいてばかりの我々なので、少しお裾分けしましょう、となりました。

今朝の一軒目は住職が親友と呼ぶAさん宅へ。いちどお裾分けしたそうなのですが、電話がかかって「あとふたつ皮が欲しい」とおっしゃった気がするけど、どういうことだろう?と謎が残ったまま住職から投げられた案件。とりあえず2個持っていったところ「それそれ」とAさん笑顔になりました。3月にある地域の文化祭で、自作の籠を出すのだけど、気の利いたものを入れて展示したかった…ということでした。住職にはカゴが皮に聞こえたのでしょう。笑笑

謎が解明されたあとは、ナモの「実家」でもあるご門徒さんのところへ。先日立派なカレイをたくさんいただいたのでそのお返しも兼ねて。すると、「そんなお返しなんて考えたらいけんでと住職に言っといて」と。

さらにもう一軒、ご門徒さん宅へ。玄関をあけると「正信偈」が聞こえてきました。「家で流してたんですよー」とのことでした。

この冬は雪であんまり出歩かなかったので、顔が見られただけで、お互いニコニコになりました。

おつかいが済んだら、大急ぎで岩井に帰って、きょう傘寿のお誕生日を迎えるBさんにあげる、ちらし寿司づくり。盛りつけたタイミングで、住職がお勤めから帰ってきたので、2人でお届け。


わぁ!嬉しいなあ、と涙ぐみながらストレートに喜んでくれました。


もう少し若かった頃のBさんは、お寺のお参りだけでなく、境内の草引きをよくして下さっていました。こんな風に支えてくれる人がいるんだ!と、法事くらいでしかお寺の門をくぐることのなかった私には、驚きの存在でした。

お隣さんの顔も知らないことは珍しくない東京からこちらにきて、田舎はお裾分けや、助け合いが残っているなあ、と思います。

なにより、
「あの人たちに…」と思ってくれる心がありがたいなあ、と思います。月並みな表現ですけれど。

手をあわせる姿にふれるということ

今日は33回忌のお参りでした。お孫さんたちは小、中、高校生です。亡くなられたおじいさんと面識はありません。それでも、おばあちゃんが毎日、仏壇の前で手を合わす姿にふれています。こういう環境で育っている若い人たちは落ち着いた感じがします。

実はこのおばあちゃんの前でお経を読んで冷や汗をかいたことがあります。いまから4年前のお盆参りの際、ご自宅の仏間で「讃仏偈」という短いお経をあげました。「それなら私、暗記しています」と私の後ろに座られて、経本をひらくこともなくいっしょに読まれるのです。

当時の私といえば、中央仏教学院の生徒で、「讃仏偈」を暗記していませんでした。すらすらとでてくる偈文に、「かなわないなあ」と冷や汗ものでした。

その姿にふれているから、目にしているからなのか、お孫さんたちはていねいに手をあわせていました。おばあちゃんは寄り添って焼香のしかたを教えられていました。微笑ましい光景でした。

「夫が亡くなってからです。お経を読むようになったのは」とおばあちゃん。

33回忌。

こうして仏縁をご用意してくださった亡き方に感謝申し上げたい気持ちです。

引き続き放哉を書く

本来なら月2回の習字教室は、コロナや大雪の影響で、昨日がことし2回目。新たな会員の方が加わって少し賑やかになりました。

引き続き放哉の句を書いています。

「犬が覗いていく垣根にて何事もない昼」

「あらしの中のばんめしにする母と子」

非常に孤独であったであろう放哉ですが、句で切り取っている風景はどこかあたたかい。

「打ちそこねた釘が首を曲げた」

誰でも経験あることではないでしょうか。私にももちろんあります。

筆が上手くなりたいと思って書いているのですが、先生の見事な筆によって書かれた放哉の句をながめているだけでも楽しいものです。

雪のつめあと

先週降った雪はすっかりとけましたが、思わぬ事態に。

本堂の瓦が雪の重みでずれてしまったようです。本堂を改修した際にお世話になった宮大工さんに、前住職があわてて連絡していました。

見たところはそれ以外の目立った被害はなさそうですが、素人目なのでよくわかりません。いずれにしても、雪の力は凄いものです。

中央仏教学院からの便り

2017年度に1年間、浄土真宗について学ばせていただいた中央仏教学院より学院報が届きました。コロナが学院に大きな影響を受けたことを北搭学院長が記しています。

前期はオンライン授業、寮を開くことができず、入学を辞退する方も。後期は対面授業に戻ったものの、三密を避けるために1クラスを2グループに分け、半数は教室、半数は別教室でリモートになっているそうです。

学友会会長さんの手記によると、学園祭、本山参拝、比叡山への研修、学内の愛好会活動もなく、京都府下で感染者が増加した11月にはふたたびオンライン講義に戻ってしまったそうです。

先生方も、生徒さんもさまざまな創意工夫をして苦労の多かった1年間の学院生活を乗り切ってこられたことと思います。

この学院には幅広い年齢層の人たちが集まってきます。海外から僧侶になることをめざしてこられる方もいらっしゃいます。お寺の後継者の方が多いですが、人生経験豊かな方が、いかに生きるのかの問いを抱えて真摯に学ぶ姿にふれることもできます。広告大手に勤めていた方が「虚業に疲れた」と学院に来られ、僧侶になられました。衝撃を受けたひとことでした。

情熱を持ち、博識なベテランの先生たち。若くて一生懸命に作法指導をしてくださる先生たちがいます。

学んだ1年間につけたノート、いただいた資料は私自身の糧であり、見直すこともしばしばあります。

ご門徒さんの子弟が自死され、その葬儀を勤められた先生が授業の際、その体験を涙ながらに語られたことをよく思い出します。

年下の先輩たちが何も分かっていなかった私に親切に接してくれ、お経が読めるようになりました。

ここでの1年間のあいだに、「あぁ、自分は他者によって生かされているのだ」という当たり前であり、しかし気づくことの難しい真実に気付かされました。学院の本堂には「学佛大悲心」との書が掲げられています。その意味を一生かけて問い続けていかなければかなりません。

2021年度も、それ以降も、仏教学院が発展されることを願っています。

気候がおかしい

昨日は岩美町の最高気温23℃でした。2月に長袖を捲り上げるというありさまです。今日は一転して最高気温7℃です。

「おかしいですなあ」。会う人会う人、口にします。

このまま温暖化を食い止められないと2100年には最大風速90メートルの台風が襲来したり、山陰でも夏の最高気温は42℃を超えると予想されています。関東以北でもバナナ・パイナップルが栽培できるほど気候は熱帯化します。稲作の中心は東北・北海道に移ります。熱帯性の感染症がまんえんします。

その頃には、お坊さんの袈裟も半袖・短パンスタイルになるのでしょうか???

ほんと、なんとかしなければ!と痛感します。

オラはネコだ

「きょうはネコの日だから、にいちゃんが出るのよ」と、シマシマのチビっ子がうるさいので、でてきたぞ。
オラは、ネコだ。

ことしの冬は、フサフサの毛皮が自慢のオラにもこたえる寒さになった。

 ナワバリには、ほかの雄ネコもいるので、暑い日も寒い日もパトロールが必要だ。胴体まで埋まるほどの雪がある時は、肉球を通して芯から冷えるし、吹き降りのみぞれの日に腹が空いていると、歩くのもおえりゃあせん。腹はいつも空いている。野良ネコ稼業は、ひよひよした家ネコたちにはつとまらん。

命がけで生きるオラの毎日に、楽しみができた。いつもパトロールしていた空き家に、ニンゲンが住みはじめて、ここでおまんまを食べてやることになったのだ。


ニンゲンなんて何をするか分からん生き物だけぇ、本当は近づいてはいけん。だが、ここの家のニンゲンたちには、チビネコがいつもくっついてるのでネコに悪さはできまいとオラの本能が許可を出したのである。

窓越しに「ニャア」鳴いてやると、まずチビネコが座敷から走ってくる。そいつがニャアニャア騒ぐと、ニンゲンも気づいて、おらの皿にカリカリを入れる。香ばしいカリカリは大好物だ。たいがい、おかしらつきの小魚ものっている。
変わり映えしないな、と思う頃に、なんとも言えんうまい缶詰の餌も出る。
寒さが厳しかった晩は、縁側にあがってチビネコの寝床に入ってみた。ニンゲンたちは見ていて追い出さなかった。チビネコのやつが小さすぎるので、極めてきゅうくつだったが、びっしょり濡れた背中やドロドロの後足が乾いてくれた。
そのあとで、外のオラの藁ベッドに、屋根がついていた。雪も降り込まないので朝飯前や晩飯後の居場所にしている。

それにしても、オラが行くとニンゲンたちは嬉しいようだ。何を考えているか分からない。
ニンゲンの雄は、このまえ、おらのアタマやカラダについた草の種を取ってくれた。雌は頬をマッサージする大胆な行動に出たので、ガブリとしてやろうと指を口に入れてみたが、カリカリの粉がついていたので、不覚にもぺろぺろ舐めてしまった。それ以来、ニンゲンにマッサージされると、どうッとカラダが横倒しになってしまう。

そんな風に縁先ではリラックスしているオラだけど、外でニンゲンをみたら、逃げることにしている。ただ、きのうは「ダブちゃん」と呼ばれたら、足が止まって、ニャーン!と高い声で返事してしまった。
オラ、どうしただか?


とりあえず、ニンゲンはうまく利用しながら、岩井のネコ社会の平和とオラの自由を守っていくのだ。


以上

一周忌のおつとめ

3日前に積もった雪も、この2日間の春のような天候で一気に溶けていきます。

今日は一周忌の法事が2件ありました。亡くなられてから丸一年のお勤めです。

お通夜と葬儀のあとにつとめる還骨法要の際に短い法話をします。話す内容は原稿にしていますので、一周忌の前にはそのときの内容を読み返してのぞみます。私は長くお寺にいませんでした。通夜・葬儀の際に初めてお会いするご門徒さんもいらっしゃいます。臨終勤行にうかがって、その際お聞きした思い出を原稿に落とし込むようにしています。読みかえすと1年前の記憶が蘇ってきます。

メモを見直さなくても覚えていることもあります。「母は大八車をおして魚の行商をしていました。自分が教育を受けられなかった分、教育熱心な母でした」。長男さんからうかがったお話です。

なぜ覚えているのか。それは何度もそのことを思い出すからだそうです。

そうなのです。地域を歩いたり、折々の法要であったり、お見かけすると、その時うかがった話を思い出すのです。

忘れてもいいことはあります。しかし、忘れてはいけないことを受け継いで人は生きていくのではないか。

きょうの一周忌でそんなことを考えさせられました。