5月3日は憲法記念日

 今日のご法事で、久しぶりに『阿弥陀経』を読みました。このお経は、お釈迦さまが阿弥陀仏のみ教えを1250人の高僧方に説法するという内容です。阿弥陀仏とは、量ることのできないいのち(無量寿)をもち、さえぎられることのない光(無量光)を放つ仏様です。その救いを信じてお念仏するものは、みな救っていく、という教えです。

 なぜ、そんなことを阿弥陀仏は誓われたのでしょうか。それは、私たちが煩悩を捨てきれない人間であるからです。その私たちを救っていくためには、改心を待っていては間に合わない、だからこそ、自ら救っていくのだということです。

 煩悩とは、貪りの心、怒りの心、自分本位に物事をとらえる心のことです。自分の心というものはなかなかコントロールが難しいものです。みなさんはそう思いませんか。

 『阿弥陀経』には、印象的な言葉がたくさん出て参ります。

 「共命鳥」(ぐみょうのとり)。この鳥は、体は1つ、頭(首)が2つある奇妙な鳥です。首同士、仲が悪く、しょっちゅう争っています。あるとき、片一方の首の方がもう一方の首をかみみってしまいました。これで自由になれたと思ったら、自らも死んでしまいます。体は一つしかないのですから。この鳥はお浄土で、「あなたがあるからこそ私がある」という真実を歌っています。 

 時として、人間の激しい煩悩は相手を傷つけてしまいます。その最たる例が、戦争ということになるでしょう。いま、プーチン政権は、侵略を禁ずる国際ルールに真っ向から背いてウクライナ国土で破壊の限りを尽くしています。この戦争によって、ヨーロッパ、そして世界は不安定化しています。日本政府や自民党などの中からは、防衛費をGDPの2%水準に引き上げる、攻撃される危険のある時は相手国の敵基地や政府の中枢部を先制攻撃できるようにするなどという発言も相次いでいます。仮に現実のものとなれば、東アジアはいっそう不安定になることは確かでしょう。

 親鸞聖人は、「さるべき業縁もよおさば、いかなるふるまいをもすまじ」とおっしゃいます。私たちが人を殺さないのは、いい心があるからではなく、そういう関係性にいないからである。もし、そのような関係性の中に置かれれば何をしでかすかわからない、それが人である、とおっしゃいました。

 そういう面がある私たちであるからこそ、阿弥陀仏は私たちを放っておけないのではないでしょうか。私自身は、仏さまが悲しまれるような選択は決してしてはならないと思って生きています。

 2件の法事が終わり、日本国憲法を通して読みました。
 歴史の大きな曲がり角に私たちは立たされているのだ、と自覚する今日の憲法記念日です。

戦争は女の顔をしていない

『戦争は女の顔をしていない』の漫画版を読んでいます。原作は、スヴェトラーナ・アレクシェーヴィッチによるノンフィクションです。第二次世界大戦の独ソ戦に従軍したソビエトの女性たちからの聞き取りがまとめられています。原作を読んだことはありませんが、漫画版がいま話題になっているとニュースで知って手に取りました。

戦場は女性を変えてしまうことが描かれます。初めて敵を撃ち殺した狙撃兵は、衝撃で泣き出します。しかし、しばらくしてそういう感情はなくなってしまうのです。

戦場であっても、女性として変わりようがない部分があることが描かれます。生理用品などありません。真夏の行軍の最中、赤いシミが砂に付きます。履いているズボンは乾ききってガラスのようになり、擦れて傷ができるのだそうです。

記憶をたどり、戦争を語り、戦後を語る従軍した女性たち。原作者は感情をあらわさず、聞き手に徹していますが、第1巻の最後で涙します。

「戦争で一番恐ろしかったのは、男物のパンツを穿いていることだよ」と話す女性。4年間ずっと男物を支給され、ソ連との国境を超えたポーランドで、はじめて女物のパンツとブラジャーが支給されます。

「ハハハ。あたしたち初めてあたりまえの女物の下着をもらったんだよ」と笑う女性。その証言を聞いて号泣する作者の姿。

人間であること、そして、女性であることを否定する戦場の悲惨さに、作者は涙したのではないでしょうか。

原作も機会あれば読んでみたいと思います。

法名に学ばされる

GWのお勤めは、普段のお勤めよりもお参りされる方が多いように思います。
お互いに感染拡大に気をつけつつのお勤めです。

今日の午前中は、「釋専志」とのご法名を生前に本願寺から授与されたご門徒さんの13回忌でした。生前のお名前から一文字をとっていない法名は、本山から授与されている場合がほとんどです(事前に希望すれば一文字入った法名を授かることもできます)。どこに「専志」の言葉があるのだろうかと、朝から『無量寿経』を読みました。最初からずっと目で追っていると出てきました。

「一向専志 荘厳妙土」

「ひたすらすぐれた国土を飾ることに勤められました」という意味です。

国土とはお浄土のことです。はかることのできない光、はかることのできないいのち輝く世界。

優劣や、損得でしか生きられない私たちを救わんと懸命に、お浄土からよびかけ続けておられる、そのように「専志」に込められた思いを受け止めました。

それにしても、この間、『無量寿経』を何度か読み返しているのに、全然、頭に入っていないのは何故なのででしょうか…。

わけもんをいただきました

今日で4月も終わりです。一年も1/3がすぎました。早いですねー、

網代の底曳船の船主さんご家族から、ハタハタとカレイ、エビをいただきました。底曳漁は5月末で今シーズンは終了。解禁は9月1日となります。

沿岸部には「わけもん」といって海の幸をおすそわけしてわけあう風習があります。私も網代を歩いていると、「お寺さん、○○○もって帰らんだか」と声をかけられることがあります。支え合い、助け合いの精神です。お金を出して買うのとはまた違う、ありがたさ、うれしさがあります。心づかいをに感謝、そしていのちに感謝です。

○多くのいのちとみなさまのおかげにより、このごちそうをめぐまれました。

◯深くご恩をよろこび、ありがたくいただきます。

山より高い鯉のぼり♫

岩井集落の愛宕山山頂に鯉のぼりを掲揚しました。あいにくの雨、風もなく残念ですが、ゴールデンウィークは晴れの日が多いようですから、風になびくこともあるでしょう。「屋根より高い鯉のぼり」と歌詞にありますが、「山より高い鯉のぼり」なのです。朝から4000歩ほど歩いていい運動になりました。山から降りてすぐ雨が落ちてきたので、いいタイミングでした。

 

山の直下にある東源寺さんの境内では見事な牡丹が咲いています。

明日からゴールデンウィークですね

今日は早朝から境内を清掃し、その後、法事を1件お勤めしました。
午後は網代の習字教室に参加。終了後、ご門徒さん宅で相談事をしつつコーヒーをよばれ、お寺に帰って法事のお礼ハガキを作成。夕方、家に帰ってネコのトイレ掃除&夕ご飯。そして人間の夕ご飯づくりと、なかなか慌ただしい1日でした。

明日は、朝から町内会の仕事で、山の上に鯉のぼりをあげにいきます。

明日からWithコロナのゴールデンウィーク。県外から観光や帰省で来られる方もたくさんいらっしゃることでしょう。

今日、ご門徒さんから、「ご院家さんは感染しないように気をつけないといけませんで」との言葉をいただきました。

私自身は、ほぼ毎日、法事がありますので、出歩くこともほとんどなさそうです。そんな中でも、畑(西法寺農園)、網代の花壇づくりは時間を見ながら取り組みたいと思います。

その様子は、また後日。

寺院と過疎問題

4月13日にスタートした、広島仏教学院の「オンライン仏教・真宗講座」。今日が3回目です。

本日2つ目の講義は「寺院と過疎問題」でした。西法寺がある岩美町も過疎指定地域ですから、講義を興味深く聞きました。

過疎という言葉は、古くからある言葉かと思っていましたが、昭和40年代に島根県匹見町の町長が国会で「過疎」という言葉を使用したことが始まりだそうです(諸説あり)。

都市部への移動、そして日本社会全体の人口減少というものは止めようがありません。しかし、田舎には田舎のよさがあります。山間の集落に住むご門徒さんは、「ご院家さん、ここは山は青きふるさと、水は清きふるさとですけえ」とおっしゃいます。

町内のご門徒さんの顔を思い浮かべると、一人、あるいは二人暮らしという方が少なくありません。ですが、お子さん世代は、同じ町内、あるいは鳥取市内で生活されている方が多く、親もとにすぐ帰って来ることができます。

田舎のよさを発信すること、そして、家から出られて生活されている方との関わりを持っていくこと。これが、地域を守るとともに、お寺を活性化させていく上で大切であると、改めて学ばされました。

講師の方は、「ふるさと」のお寺として、地域とともに存続することが、「ふるさと」を求める人たちの心の支えになる、と強調されましたが、全く同感です。

そうした視点もさらに意識して、寺院活動の活性化、地域社会への貢献をめざしていきたいと思いました。

日中国交正常化50年

昨日のニュースで北京の方達が満開の桜を楽しんでいる様子が報じられていました。日中国交正常化を記念し、1972年に中国で植えられた桜だそうです。日本からは桜の苗木が、そして中国からはパンダが日本に贈られ、大ブームとなったわけです。そうか、今年は国交正常化50年にあたるのか、と気付かされました。国と国との関係は友好的とは言い難い現状ですが、桜は中国の方達に愛されているのかと、なんだかホッとするニュースでした。

今からもう24年も前のことですが、2週間ほど中国を旅行したことがあります。北京、上海、南京、天津と見て回りました。南京では南京大虐殺記念館も見学する機会がありました。侵華日軍南京大屠殺遭難同胞紀念館が正式な名称です。旅の通訳をしてくれた、「日本が好き」という現地の若い女性が、涙ながらに展示について通訳してくれたことをよく覚えています。

当時の日本はいまのロシアのようだったのでしょう。ロシア兵のウクライナの人々への蛮行にふれるにつけ、そう思わされます。

「歴史は繰り返すで」ではなく、「繰り返さない」ために、私たちには何ができるでしょうか。

お寺の境内では牡丹が咲きました。中国の国花です。中国から伝わり、8世紀頃から栽培されるようになったそうです。

ホームページ開設4年目です

お寺のホームページを開設したのは2019年4月24日のことでした。昨日で丸3年を迎え、4年目のスタートです。見てくださっているみなさんありがとうございます。住職一人では毎日更新し続けること難しかったと思います。坊守さん、ナモちゃん、ター坊のおかげです。

これからも、鳥取の田舎の小さなお寺の日常をお伝えできればと思います。今後ともよろしくお願いします。

いっせい清掃はじまる

今日は朝早くから地区の清掃日でした。2期目の組長をつとめている私も、軽トラに同乗して刈った草を集めて回るなどしました。忙しくて作業の写真撮れず。集落を流れる蒲生川河川敷も草が刈られてきれいになりました。

ちなみにこの清掃には、県から参加者一人当たり100円、草刈機一台あたり100円の補助があります。ささやかですが区の財源にもなります。

みなさん、朝からご苦労さまでした。