
報恩講に向けて案内チラシをハガキサイズで作成し、届けはじめました。親鸞聖人のイラストを入れてみたのですが、「おじいさん?」との反応があり、明日からはイラストをかえようかと思います。

田後(たじり)の海は御講凪(おこうなぎ)です。俳句を読まれるご門徒さんに以前、「御講凪は季語だで」と教えていただきました。報恩講をお勤めする頃のおだやかな日和のことを、この言葉は意味しているそうです。当日も良い天候に恵まれますように。

報恩講に向けて案内チラシをハガキサイズで作成し、届けはじめました。親鸞聖人のイラストを入れてみたのですが、「おじいさん?」との反応があり、明日からはイラストをかえようかと思います。

田後(たじり)の海は御講凪(おこうなぎ)です。俳句を読まれるご門徒さんに以前、「御講凪は季語だで」と教えていただきました。報恩講をお勤めする頃のおだやかな日和のことを、この言葉は意味しているそうです。当日も良い天候に恵まれますように。

山陰はカニ漁が解禁になりました。こちらはズワイガニのメスです。漁師のご門徒さんが今日あがったばかりの初物を届けてくださいました。毎年ありがとうございます。
大根といっしょに味噌汁にすると美味です。
多くのいのちと、みなさまのおかげにより、このごちそうをめぐまれました。
深くご恩を喜び、ありがたくいただきます。
記載した過去帳をもって網代のご門徒さん宅へ。新しいお仏壇の前でいっしょに手を合わせ、読経しました。入院のため四十九日は前住職が勤めました。「ご住職さん、大変でしたね。無理せんと過ごしてください」と。報恩講にお誘いしたところ、「はじめてお参りさせてもらいます」とのこと。大歓迎です。「足がないからお参りできない」という方がいらっしゃるようなので、送迎できるようにしたいと思います。
その後、なだばたカフェへ。ご門徒さんが働いているので、みなさん私の入院のことを知っておられ、店主さんから、「高い熱が出たんだって。ようなっただか」と。ご心配かけたようです。退院祝いにコーヒーをいただきました。
物価の高騰で商売は大変です。ぜひ網代にお越しの際はなだばたにみなさんいらしてください。

帰りがけに、習字教室でご一緒している方と道端で立ち話。「御院家さん、ようなったみたいだが」と。やはり私のことをご存知のようでした。
みなさん、お気遣い、ほんとうにありがとうございます。
朝から冷たい雨が降っています。
この間、手についていなかったことに今日は取り掛かりました。まず、会計の実務です。先月の出雲での法要にお参りされた寺院宛に交通費の一部を送付しました。これは因幡組の事務局としての仕事です。インターネットバンキングは店舗に行く必要がないので、こういう時は便利なものです。
次に過去帳への記載です。先月から5冊、預かっていたのですが入院が長引いてまったくとりかかれずでした。午前中を使ってなんとか2冊分記載できました。お寺の過去帳と照らし合わせて間違いのないように記載しないといけません。この作業は神経を使うので、書き終えるとホッとします。
午後は、18と19日にお勤めする報恩講の案内づくりです。今年も本堂、網代道場、田後薬師堂の3会場でおこないます。昨年、案内を初めて作ってみたのですが、「お誘いいただいたので」とお参りしてくださったご門徒さんがいらっしゃいました。こちらは来週の前半、お配りしたいと思います。新たにお参りしていただける方が1人でも2人でも増えるよう声かけを広げたいと思います。
おばたんが、おぶつまとりびんぐにかーぺっとをしきました。りびんぐのしきものは、ぬくぬくになるので、あたいとター坊は、うれしくておおさわぎしてから、すわりこんでいます。おいたんも、いっしょにごろりんこしてくれることがあります。

おいたんは、びよいんで、ぽんぽんのいしをとってもらったそうです。ながいことかかったので、かえってきたとき、かみのけやおひげがちょっとのびていました。そんなおいたんをみて、ター坊はにげました。
おばたんは「やれやれ」といいました。おいたんがいないあいだ、びよいんとおてらのごようと、じぶんのおしごとがあって、あたいたちにごはんをあげられないひがあるかもしれんと、しんぱいだったんだって。ごはんをくれないなんて、わるいおばたんだ!(じっさいには、ごはんはよばれました)。

おじいさんネコのおんちゃんは、おうちのたんけんをねっしんにするようになったし、おそとのシマちゃんは、おばたんがおいた、えんのしたのべっどでひるねしています。


あたいたちのしっているひとも、しらんひとも、げんきでいるのがいちばんいいわ
光賢寺さんの継職法要にお参りしています。朝は霧がたちこめ、あたりは真っ白。そして、絶好の秋晴れの1日となりました。
法要に先立ち、稚児さんの行列もありました。その子どもたちのために本堂では影絵が上映されました。「仏さまの生まれた日」。お釈迦さんの誕生の物語です
クイズ大会もあり、子どもたちも楽しそうに参加していました。
継職法要は10時半からのお勤めでした。私の座る位置は、ご本尊阿弥陀如来の真横でした。新しいご住職とご門徒さんに向かって前屈みで立っておられる姿に触れ、仏の慈悲のお心を感じつつお勤めさせていただきました。ご住職、坊守さん、ご門徒のみなさま、本日はおめでとうございます。
今日はお招きいただきましてありがとうございました。


明日は同じ因幡組のお寺さんで継職法要が予定されています。昨年の予定でしたが、コロナの影響で1年延期となりました。新しいご住職さんはもちろん、内陣に出勤する僧侶もみな七条袈裟をまといます。法要に先立って稚児行列もあります。
朝7時半から差定(式次第)説明がありますので、6時過ぎには出発しないといけません。法要では作法もありますので、間違えないように確認しているところです。
西法寺でも2019年5月に継職法要をお勤めしました。前日は慌しかったように記憶しています。今ごろ最後の準備をされているところでしょうか。作法もしっかりした若い住職さんですから、いい法要になると思います。ほんとうにおめでとうございます。
南米ブラジルでの大統領選挙。ルラ元大統領が僅差で現職のボルソナル大統領に競り勝ちました。ボルソナル大統領は負けた場合、不正選挙だとして結果を認めない恐れがあるといわれていましたが、いまだに沈黙したままです。
ボルソナル大統領は、国営企業の民営化、公務員の給与凍結などをすすめてきました。経済を優先したアマゾン開発。「コロナは風邪」と、新型コロナウイルス対策を軽視して、米国に次いで世界第2位の死者を出したことなどに国内から強い批判がありました。一方、ルラ氏は、公共部門、民主主義の再建、最低賃金の引き上げ、
アマゾンの森林・先住民保護のための規制強化など訴え、幅広い共同の力で競り勝ちました。
ブラジルは2億人の人口のうち約6割がカトリック信者が占める国です。先月には、ボルソナロ大統領支持派がミサに乱入し、飲酒して暴れ、司教に野次を飛ばすなどの騒ぎがありました。ローマ法王は、「憎悪や不寛容、暴力から解放を」と大統領選挙についてコメントしていました。
どうなるのか注目していたので、今回のブラジル国民の選択が、深く分断された国の再建につながることを願うばかりです。
10月も今日で終わりです。思いがけず、月の半分を病院で過ごしてしまいましたが、これもいい経験と思うしかありませんね。退院の日の朝、泌尿器科のお医者さんからは、「山名さんは正座することの多い仕事だと思います。これは私の印象ですが、正座の体勢が前立腺を圧迫して病気になりやすいように思います。気をつけてください」との助言がありました。思ってもみないお話でした。
昨日はふさしぶりに法事をつとめ、かつ、ひさしぶりに大きな声で読経しました。なかなか声が出て来ず、焦りましたが、最後の方はだいぶ声も出て一安心でした。
今日は銀行や郵便局に用事で行った以外、引きこもって過ごしています。役員の方からお見舞いの電話をいただきました。ありがとうございます。
11月3日には同じ因幡組のお寺さんで継職法要が予定されています。当日に向けて、体調を整えていきたいと思います。
今日からぼちぼち仕事を再開しました。
午前中は50回忌のおつとめです。
以下のようなお話をさせていただきました。
仏教は縁起を説く教えです。「いのち」は、多くの「いのち」のつながりの中にあるということです。もっと噛み砕いていうならば、「いのち」とはもちつもたれつということです。ですから、「関係ない」という言葉は、仏教からはほど遠い言葉といえます。本来関係あるのに関係ない「いのち」と分けてしまうことが、いじめや差別、果ては紛争・戦争などの問題の根にあるのではないでしょうか。
「いのち」には、長い長い歴史があります。私が生まれてくるまでにすでにあったのです。50回忌は、葬儀の日からもっとも遠い年月を経て行う法事です。その間にも人は生まれ、去っていきます。それでも法事をつとめるということは、大きないのちの流れの中に私もあるということを、亡き方から教えていただいているのだと思います。故人を偲びつつ、自らの歩みを振り返ってみるという意味もあるでしょう。
そう考えてみますと、私たちは数え切れない「いのち」に護られ、支えられて生きていることがわかります。家族、友人、知人はもちろんですが、顔も名前も知らない人たちによって日々の生活は支えられています。漢字で書いてみると、「無量寿」「無量光」です。インドの言葉でアミダです。私たちは阿弥陀の世界に生きているのです。
私自身、この無量寿・無量光ということを考えてみますと、お恥ずかしい姿しかありません。こうした教えに出遇えなかったら、生涯、垣根を作って、お互いの「いのち」をそれほど気にも留めないで生きていたかもしれません。
日本人で「私は無宗教」とこたえる人は7800万人ほどいるそうです。世界で見ると中国に次いで第2位です。無宗教でも構いませんが、「無量のいのちに支えられ私がある」という自覚は、生きていく上で大切であると思います。
長きにわたってご法事をお勤め下さいまして、誠にありがとうございました。