坊守のやり残しランキング

坊守です。
昨日の食料無料市が済んで、2022年は済んだような心持ちですが、あと1週間で除夜の鐘…やり残したことが多すぎて、考えると震えそうです。

しかーし!逃げないでおきましょう。
ありのままのワタシを直視して、目標も立てられず終わる2022年をステップに、新しい年を迎える勇気をふりしぼりたいと思います。

ということで、
「2022年坊守のやり残しランキング」(これを知りたい人が居るだろうか、いやしらない)を発表します。一部で大人気(?)のター坊の写真も併せてどうぞ。

第3位…歯の治療
詰め物がとれて、痛み始めたので、夏に受診しました。治療の回数が多いので、中断には注意だぞ!と思っていたら、9月に職場異動して、環境が変わったとたん、予約が取れず3か月。年が明けたら再開しようと思います。

第2位…新しいクルマの確保。愛車ミドリガメこと緑色のミラジーノが10月に走らなくなりました。世界情勢も影響して、何でも手に入りにくくなっているそうで「納車が早い」ということを重視して、乗るなら何が良いかなあ、などと妄想を楽しむ余地もなく、住職と同じ軽自動車の色違いにしました。
色は緑。ミドリガメ2世は、まだ届きません。 

第1位…通信学校の卒業。中央仏教学院の通信部門の学生ですが、2022年は日程調整できず、スクーリングに行けませんでした。卒業を見送り、足踏みしたままで、教科書も1ページも開いていません。
そこで、午前中に家事やおつかいを済ませ、午後から講義を聴き始めました。教科書を見るのも今年度初でした。筆記試験は6つくらいありそうなので、まあまあピンチです。

以上。
大晦日の除夜の鐘でお会いできるみなさんは是非、ふがいないワタシをどやしつけて下さい。

食料無料市を開催しました

市内の立川団地集会室にて今年最後となる食料無料市を開催。約70人の方が利用されました。私は食材の配布係です。若桜町の肉屋さんが提供してくれたスネ肉は、瞬く間になくなりました。季節柄でしょうか、お餅も人気でした。

NPOの活動をされている団地在住の方たちがサポートしてくれたので、スムーズにすすんだと思います。

看護学生の方が8人、ボランティアで参加していました。受付や血圧測定などがんばっていました。ふだんより血圧が高かった方が多かったようです。若い方に親切にされて、うれしくて、ちょっと上がったのかもと医療にうとい住職は想像しております。

スタッフは総勢35人。仏教的にいえば、この方達は布施をされたということです。物が必要な方に届けることを財施といいます。また、だれかのために身体を使うことを身施といいます。クリスマスイブということから考えてみますと、住職がいうのもなんですが、みなさんこそサンタさんなのです。

外はとても寒かったですが、人のこころ、つながりを感じるひとときでありました。

通信の発送作業Day

寺報(西法寺通信)の第15号が完成し、今日は早朝から発送作業です。夕方までかかって160通ほど封筒に詰めました。あした運送業者さんに引き取りにきていただぎす。

今号は2ページ増やして6ページになりました。前住職から「尾崎翠について連載したい」との話があり、4回連載する予定です。

なるべく字数は少なくしてもらって、旅行誌のようなレイアウトにしてみました。

新年号、全体的によくできたんじゃないかなと自画自賛しています(笑)

あしたは無料市です。日曜は法事が2件あります。

引き続き、雪が降らないことを願うばかりです。

雪の予感…。

今日は午前中、地域のよりあいに顔を出し、ライングループを作りました。私以外は70代の方、みなさんスマホ所持者なので大変喜ばれました。電話番号をお互い知ってはいるもののラインが通じていなかった2人の方もめでたく開通し、早速写真を送って楽しんでおられました。講師料(?)として立派な白菜を2株、自家製たくあん、柚子の皮の砂糖菓子などをいただきました。ありがとうございます。白菜とたくあんは、無料市に供出させていただきます。

昼からは葬儀を勤めました。一緒に声を出してくださるご門徒さんがいらっしゃり、とても心強かったです。難しい節回しのところも少し遅れて声を出しておられました。

葬儀が終わり、火葬場へ。強い風と雨。道路の電光掲示板には明日から山間部で70センチ平野部で40センチの積雪と表示されていました。不安がよぎります…。

夕方はお寺でのお勤め(還骨法要)です。帰りがけに、経本と経本のCD、仏事のことがわかる本をご家族に差し上げました。ぜひ、お経のCD、かけてみてください。心が落ち着くと思いますし、お聖教の節回しがきちんと称えられるようになると気持ちがいいですから。

終わって、天気予報を確認したところ、今日の夜から大荒れの天候のようです。岩美町も大雪の緊急情報を発表し、注意を呼びかけています。夕方5時半を過ぎましたが、相変わらず冷たい雨が降っています。「雨は夜更け過ぎに雪へと♪」といったロマンティックな気分には雪国ではなかなかなれませんね。

24日には、食料無料市があります。とんでもない大雪にだけはなりませんように。

いくさのない世を想って

今日は朝、蛇口からお湯をくみ、道に流すことからスタート。お寺の玄関に通じる坂道が凍りつき、滑りそうだったのです。何回も給湯器と道を往復し、滑らない程度にはなりました。雪も怖いですが、この凍りついた道が厄介なのです。

ついで、西法寺通信を送るための事務作業。100通ほどはメール便で送ります。封筒を打ち出し、メール便のシールを貼るところまで。通信はあさって到着予定です。

11時頃からはお通夜の準備です。法名板に法名を書き、お通夜と、葬儀の後の還骨法要でお話しすることの内容を考えていたら2時過ぎに。昼は久々にコンビニ弁当を食べました。

短い休息の後は、本山に提出する寺院運営計画書にとりかかりました。○年後にはこういうお寺にという目標と、実現のための計画を記載します。これまで3回受けた寺院サポート講座ですが、最終回の1月16日はズーム上での発表会です。第一次の締切は明日です。23時59分59秒までにはなんとか送りたい! 前後しますが、何人かの役員さんにはみていただきたいと思います。

夕方はお通夜です。一世紀近いご生涯をまっとうされご往生されました。故人様はお花の師範を90歳までつとめたそうです。やさしく、おだやかで、地域の方達から相談事を持ち掛けられるなど、頼りにされ、慕われていたそうです。戦争も体験されています。大正13年生まれ。少年時代に義勇軍に志願して満州に渡り、そして終戦。満州に渡った日本人は27万人、うち8万人が亡くなっています。混乱のなか、引き上げてこられたのかもしれません。一度お話をうかがってみたかったです。いくさのない世をとの想いを込めて「阿弥陀経」をあげました。

雪の怖さ

2日ほど降り続いた雪も、今日はおさまりました。雪かきをしようと境内に行くと、かわいそうな光景が目に入ってきました。

夏に咲く百日紅がこんな姿に。

大きな枝があちこち折れています。人間の力ではこんなことは到底できません。

気温も低かったので、見事なつららができています。

庭木にかかった雪をどけてあげないと、更なる被害が出かねないので、小一時間ほど、雪をはらいました。

坊守からの情報では、道から田んぼにトラックが落ちていたそうです。

雪はキレイだけれど、怖いのです。

除雪機を初稼働

朝、積雪は10センチほど。試運転をかねてこの冬、除雪機を初稼働。ご門徒さんに先日、メンテもしていただいて、なかなか快調な動きです。真価を発揮するのはもっと大雪になってから。1時間ほど動かして歩数は5000歩、朝からいい運動になりました。でも、雪はあまり積らないで欲しいですね。

西法寺通信新年号もなんとか完成しました。出ていただいたご門徒さんに昨日、原稿のチェックをお願いしました。「自分で読んでも涙が出そうです」とおっしゃっていました。何かの本に書いてありました。「立派な人は身近にいる」と。ほんとうにそうだなと思える方々にお寺はお世話になっているのだと通信を作るたび感じさせられます。

では、ネコたちの様子を。

ター坊には2度目の冬です
ナモ。いい顔してくれました。

お寺の忘年会でした

雪模様の岩井です。

今日は午前中、役員会、そして昼はお寺の忘年会でした。役員会では、来年5月28日の法要に合わせ、地域に開かれた企画として「お寺フェス」を開催することことを確認しました。楽しいイベントになるよう、みなさん、力をあわせましょう。

昼食はお弁当を黙食。そして、お寺の1年を振り返るクイズ、カラオケと続きました。

鳥取大三郎を名乗るご門徒さんが自慢のノドを披露され、鳥羽一郎さんが大好きというご門徒さんは、鳥羽さんが漁師を辞めて歌手を目指したストーリーを情感込めて語り、熱唱されました。坊守もマイクを握りました。カラオケはお試しも兼ねてでしたので、3曲で終了。

短い時間でしたが、楽しいひと時でした。

来年もよろしくお願いします。

本堂にゴスペル響く

本日は、寒い中、午後から岩美町まちづくりの会による「朗読と音楽 奏で」が開催されました。
演目は、
岩美の民話の読み聞かせ
ハーモニカ演奏
前住職による尾崎翠さんについてのミニ講演
市内の教会のグループ・ラブ&グレイスによる「ゴスペル」
でした。

ゴスペルを歌われたグループの方に、お話をうかがったところ、リーダーは市内の教会の牧師さんでした。歌の合間に、ご自身のキリスト教との出会いを語られました。歌とともに、そのお話が胸に響き、刺激を受けました。

住職も最初に挨拶を、とのことで、例年はあまり考えないで短い挨拶をしておりますが、今年は、まじめに考えまして、以下のような挨拶となりました。

みなさまようこそお越しくださいました。
尾崎翠さんは、昭和7年、東京から郷里鳥取に戻されました。大正デモクラシーが終わり、表現や心の自由までが奪われていく時代の進行と、彼女が筆をおいた時期は重なっているように思えてなりません。昭和16年、寄稿文を新聞に掲載したことが発表された文書としては最後となります。そこに翠さんは、「多弁は鉛、寡黙は銀、沈黙は黄金」という言葉を記されています。どのようなお気持ちだったことでしょう。
時を経て、翠さんもご縁にして、この会が催されております。
寒い中ではありますが、楽しいひと時を過ごしましょう。