今日は午前中に法事が2件ありました。時折、強い雨が降り、肌寒さを感じます。
9月末まで本堂はクーラーを稼働していました。今日は早くも暖房を稼働です。
10時からは3回忌のおつとめです。お参りのご門徒さんも一緒に親鸞聖人の「正信偈」を読まれました。網代の方でしたので、西法寺通信の「なもなもサロン」を紹介。「いいことをされてますな」と帰りがけに男性から声がかかりました。「女性ばかりなので、ぜひ参加してください」とお願いしました。またお誘いしたいと思います。
11時からは17回忌のおつとめです。山あいの銀山からお参りのご門徒さんは農家です。「今年の収穫はだいたい終わって、あとは豆と大根です」。11月の報恩講の懇志もあわせてお預かりしました。「仏さんのことは早い方がいいと思って」。「ありがとうございます」とお礼申してお預かりしました。「正信偈」も声を出して読んでおられました。お参りの方の中には小さいお子さんも。法事の最中、ずっと駆け回っている元気な子もいました。それでもお父さん、お母さんに促されて小さな手をあわせていました。
10月も後半になり、年回法要をおつとめする機会も少なくなってきました。今日のように複数の法事がある日は、もうなさそうです。これまでに100件近い法事がありました。それだけの方がすでにご往生されたということです。そのことをご縁にして法事という時間は成り立っております。
短い時間ではありますが、「南無阿弥陀仏」についてお話しします。以前、その意味について、「ありがとう仏さまという意味でいただいております」と話される僧侶の方からお話を聞いたことがあります。なるほど、とうなずかされました。
ありがとうという言葉、仏教から生まれといわれます。
「盲亀浮木(もうきふぼく)のたとえ」という話が「涅槃経」にあります。
100年に一度、盲目の亀が海面に上がってきます。その時に、海面に浮いていた木の穴に頭が入りました。滅多にない、「有り難い」ことです。お釈迦様は弟子の阿難に、それよりも人として生まれることは「有り難い」ことなのですよとお話しされるのです。
有り難い→ありがとう ということばになったそうです。
小さいお子さんには、「有り難い命をいただいて、ありがとうございます」という感覚はまだないでしょう。大人になる中で、そういう心を育てて欲しいなあと願います。










