京都から帰ってきました

本山の西本願寺の朝のお勤めに寄って、7時過ぎの特急で帰ってきました。

京都は海外からの旅行者いっぱいで、コロナ前に戻ったような雰囲気。

券売機の前で悩んでいる若いグループがいましたが、駅員さんが流暢な韓国語で声をかけていて、すごいやと思いました。
英語や中国語や韓国語が飛び交う人波にまぎれて歩くのも楽しいものでした。ヒンドゥやタイ語も聞きました(たぶん)。
ただ、人との距離が保てる田舎の方が空気が良いです。

3日ぶりに古家に帰宅したら、寝ぼけまなこで起きてきた猫たちにまずは抱っこを要求され、その後はつきまとわれています。

住職は「もうどこかにいかないように見張ってるんだよ」と言いますが、ナモは確かにそうかもしれない。

縁側に並んで寝る2匹ですが、寝相がぜんぜん違いました。

責任役員会の後、おつとめに出た住職はそろそろ帰るかな? バタンと寝てしまう前に、日曜のルーティンの掃除洗濯くらいはやっつけましょう。

「本当に降参」京都白旗スクーリング日記②

右京区角坊付近にいまだに足留め中の坊守です。

朝8時半から夕方5時までテスト満喫しました。
筆記試験5つと法話の演習は、なんとかなったような気がします(が、判断能力がかなり落ちているので、フタをあけてみるとどうでしょう)。

で、きょうのタイトルの「本当に降参」は、おつとめ(お経)でした。
2教科以内で落とした場合は、追試があるそうなので、そちらまで練習し直すことにします。
今回は1日だけのスクーリングだったので、友だちづくりはできませんでしたが、帰りのバスで新潟のお寺の坊守さんと同道できました。
難しい勉強だと思いますが、学校に来られていた皆さんは人生の先輩も多くおられて、いま勉強しましょうという心意気に脱帽であります。

さて、猫とおじさんの待つ我が家に帰りたいけれど、この時間ではそれもかないません。
いまのうちに京都駅でお土産でもみて、明日の朝の本山のお勤めに出て、予定より早い特急に乗ろうと思います。

さて、ワタシのナンマンダブの世界は少しは広がったり深まったりしたのだろうか。
追試をやっつけても、学習は続けていかないと

京都(白旗)スクーリング日記①

京都(白旗)スクーリング日記①

坊守です。
本山脇の聞法会館に3時から潜伏中です。

明日が中央仏教学院通信教育部のスクーリングという名の期末試験です。仕事が忙しかったり、お寺フェスがあったりで、こんなに勉強の時間がないまま試験を受けることがあっただろうか?いやない(思わず強意表現)。

白旗をあげながら突入するやりきれないこの気持ちは、高校2年生の時の物理のテスト以来かもしれません。
あの時は、時間はあったけど、理解出来なかっただけですけれど。

ダメなら来年もまた来ましょう。
えーん

気になっていたことが

今日は朝からお寺の納骨堂にご遺骨を納骨するために、遠路、お客さんがお見えになりました。ご往生されたお母さんの出身地が町内で、ご門徒さんの家から出られた方です。お母さんのお墓はここになりますので、またお参りいただけたらと思います。

お寺にお参りされたことがある方から、「しょうがせんべい楽しみにしていたのですが」という声が。法事後のお茶タイムも再開しつつあるので、また注文しないといけませんね。

先日、社会福祉協議会のサロン情報交換会に参加した際、私のことをご存知の方から、「西法寺さんはこんなこともされるんですか」と話しかけられました。会では名簿が配布されていたので、Mさんというお名前はわかったのですが、最初にどこでお会いした方なのかがどうしても思い出せません。法事か葬儀でお会いしたことは間違いないのですが…。

昼過ぎにお寺の役員の方に教えて欲しいことがあり電話したのですが、話の中で、Mさんは、今日明日がお通夜・葬儀となるAさんの親戚にあたる方だったということがわかりました。役員さんとその方は、同じ集落に住む気の合う友人同士で、昨日、久しぶりに話す機会があったそうです。その際、「西法寺の法要にお参りしてもいいだろうか」「『秋にもお寺でコンサートがあるから、一緒にいこうで』と誘った」といったやりとりがあったそうです。

それで思い出しました。2年ほど前のことです。Aさんの弟さんが先にご往生され、葬儀をつとめました。葬儀後の仕上げ参り(還骨法要)が終わり、本堂を片付けようとしていた時、戻ってこられて、「私は西法寺さんの檀家ではありませんが、またお参りさせていただいてもいいですか」と私に話しかけられたのがMさんだったのです。

その後、スーパーでお会いしたり、集落の中でお会いしたりすることがあったのですが、どなただったかという疑問符がとれぬままでした。たずねたらよかったのでしょうけど。

これからは、「Mさん、こんにちは」と、これまでよりも親しく接することができるような気がしてきました。

縁というものの不思議さを感じています。

遠いよるでもいつかは時が

90代のご門徒さんが往生され、午前中、ご自宅にうかがいました。

昭和7年生まれ。その歩みについて、ご自身が記されたメモを奥さまに見せていただきました。

小学生時代は太平洋戦争の最中。食糧増産のため満足に勉強することができなかったことが記されています。16歳で漁師に。「45年間漁師」とありました。

また、枕元に手書きのメモを貼っておられました。その最後、「五、遠いよるでもいつかは時が 悔いを残さぬ人生に」とありました。船の上で45年もの時間を過ごされた実感がこもった言葉のように思いました。

船を降りて以降は、地域の世話役としても活躍されました。「がんばりやで、あいさつの原稿を書いては、一生懸命覚えておりました」と奥さんに教えていただきました。

明日、顔を見に帰る予定だった娘さんが到着され、涙、涙。

お通夜と葬儀、精一杯おつとめさせていただきます。

入管法改定案について思うこと

今日はかたい話です。

今国会で入管法の改定案が審議されています。新聞報道などでご存知の方もいらっしゃることでしょう。議員の数の上では成立する見込みなのでしょうが、内容は非常に危ういものがあると思います。2年前と同じように廃案になるのが一番良いと思います。

そもそも難民申請をする方というのは、母国に帰れない事情を抱えた方達です。
例えば、32年前に来日したナイジェリア人のエリザベスさんは、女性器切除の被害から逃れた難民です。1回目の難民申請は却下され、いま2回目の難民申請を提出し、現在、審議中です。

日本では難民申請をしても難民として認められるケースはものすごく少ないのが現実です(22年はわずか1.9%)。他国であれば認定されるようなケースでも、日本政府は、ほとんど却下しています。

今回の改正案は、2回申請して却下された人を本国に強制送還することができるようになります。政府の説明文を読みましたが、3回目以降の申請でも、相当の理由がある資料を提出すれば、例外中の例外として送還を停止と書いてありました。つまりほとんど認めないということです。保護すべき外国人を本国に送還してしまえば投獄や死刑になることも考えられます。

送還を拒否した場合は刑事罰を科せられ、刑務所に送られます。刑期が終われば入館施設に収容され、そこでまた退去命令を拒否すれば、刑務所へ。このサイクルを繰り返すことになりかねません。

入館施設において適切な対応をせず死亡したウィシュマさんの事件から、一体何を学んだのでしょうか

浄土教は、生きとしい生けるものがみな輝いていることを私に教えてくれました。

私も、あなたも、国を逃れて助けを求めてきた難民の方も、同じ人間なのです。

サロンの情報交換会に参加する

今日は午前中、網代でのお勤めが2件、その後、道場の草刈りの続きを若干、久しぶりに漁協婦人部の店「なだばた」さんで昼食。午後は、町の社会福祉協議会へ。サロンの情報交換会に参加しました。

会の正式名称は、「令和5年度 第1回 ふれあい・いきいきサロングループ情報交換会」です。

4月、網代道場でのお勤めの際、月1回、道場に集まっての昼食会を開こうということになりました。サロンとして申請すれば活動への助成金を受け取ることができます。その説明会も兼ねた情報交換会でした。町内では、30のサロンが活動しています。今年、新たに結成されたところもあるようです。

まだ網代でのサロンの名称は決めていませんが、私の案は、「なもなもサロン」です。
第1回目は6月26日(月)です。

網代にはカニカニサロンという先輩サロンが活動されています。知り合いの方ですから、ご挨拶。これから協力して活動することもあると思います。お世話になります。

帰りがけ、地元、岩井のサロンの代表のご近所さんが、知り合いの代表の方に、「お寺でこの前、健康チェックやっただが。よかったで」と宣伝してくださり、2人の方が、「うちでもぜひ」ということになって連絡先を交換しました。

鳥取医療生協の健康チェック人気恐るべしです。

ナモの日記(2023年6月)

ナモです。

このごろ、おげんかんや、おぶつまのえんがわでねんねしています。
あたいたち、しゃむいのはにがてですが、あついのもすきじゃないのです。
いま、きせつがかわっているので、けぇもぬけています。ふゆげからなつげにかわるところです。おばたんにぶらっししてもろても、つぎからつぎへぬけています。


きのうは、おふろにいれられて、さんざんだったのに、そのあともいっぱいぬけていました。
「おへやは、おそうじすればいいねんけど、あんたたちがたくさん毛をのみこむと、こまるんやで。びょうきになることがあるんやで」。
といいながら、きょうは、あたらしいクシで、ぶらっしぶらっししてくれました。


ねこは、そとにみえているけぇのしたに、もういっしゅるい、ふわふわのあたたかいけぇがはえているんだそうで、それをとるせんようのクシなんだって。
あまりにたくさんとれるので、しあげにコロコロをかけてくれました。きもちよくて、あたいののどは、ごろごろなりました。

ター坊は、みなれないものはこわいので、あたらしいクシをもっているおばたんから、にげていました。
きれいにしてもらったら、いいのにね。おかしいね。

お礼申し上げる

中央仏教学院の通信教育を受講している坊守は次週の京都でのスクーリングに向けて勉強中。ター坊は講師さんの声明(しょうみょう)が気になるようです。

私の方は午前中、チラシづくりです。6月の下旬に網代道場で昼食交流会(サロン)をはじめる予定です。次の月曜は社協で町内のサロンの集まりがあり、網代のご門徒さんと参加します。仮称「なもなもサロン」です。

午後は百箇日のお勤めです。お会いするのは四十九日以来。月日が経つのは本当に早いです。施主さんは、この間、通院治療を受けていたとのこと。快復されたようでなによりです。自筆の南無阿弥陀仏の掛け軸は初盆までかざられるそうです。

先日の慶讃法要でご講師さんが、「仏さんにお礼を申し上げる気持ちで手を合わせましょう」とお話しされました。動作の問題じゃないんだなぁと学ばされました。

先週からお墓やお仏壇(お内仏)にかかわるおつとめがつづいています。来週以降もお墓・仏壇じまい、建碑・入仏のおつとめ。お寺の納骨堂への納骨法要も予定されています。

今日も意識したのですが、お礼申し上げる気持ちでおつとめさせていただきます。

明日はナモの日記です。お楽しみに。

岩美町が尾崎翠記念イベント

西法寺で生まれた作家・尾崎翠記念イベントが今月24日に開かれます。映画上映、ミニコンサート、朗読と充実の内容です。

先日、網代の方から、「亡くなられたNさんから、傘踊りを教えてもらったことがありまして。翠さんの『初恋』にも出てますよ」と教えていただきました。Nさんは先月ご往生されたご門徒さんです。

今日は雨。読書でもしようと、翠さんの全集をめくって「初恋」(『随筆』1927年7月号)を読みました。短編です。

ここには漁村A(網代)の当時の生活の一端が描かれています。若い漁師さんは名前をかえ、結婚までの期間、寝泊まりの宿に寄宿するのです。

盆踊りがユニークで、恋人のいる男性は、長襦袢を着流して、手ぬぐいを被って踊ります。この扮装をしてない男性はみじめ。恋人がいないということです。傘踊りについての記述もありました。

さて、「初恋」の方はというと、長襦袢を着流し、男装して踊っていた女性に興味を惹かれ、あとをおいかけてみると、なんとその女性は実の妹。僕の初恋は凍りついてしまうという結末を迎えるのでした。