
淡如雲
空に浮かぶ雲のように淡々としているということですが、物事に執着しないという意味とのことです。先生によると、書で好んで書かれる言葉の一つでもあるそうです。唐の詩人・杜牧(とぼく)の言葉です。
今日は忙しくて、休もうかなと思っていたのですが、気分転換の時間は大事にしようとやってきたのでした。
この言葉ではありませんが、何事も、あまりこんをつめすぎないで取り組んだ方がいいかもしれませんね。
空を見上げる余裕を持って過ごしたいものです。


淡如雲
空に浮かぶ雲のように淡々としているということですが、物事に執着しないという意味とのことです。先生によると、書で好んで書かれる言葉の一つでもあるそうです。唐の詩人・杜牧(とぼく)の言葉です。
今日は忙しくて、休もうかなと思っていたのですが、気分転換の時間は大事にしようとやってきたのでした。
この言葉ではありませんが、何事も、あまりこんをつめすぎないで取り組んだ方がいいかもしれませんね。
空を見上げる余裕を持って過ごしたいものです。

今日の午前中、本願寺より大きな荷物が届きました。28日の帰敬式にお参りされる24人分の法名とお扱い品(式章、念珠など)です。

本山がつけてくださった法名は、このような形になります。解説を読んでいるだけでも勉強になります。

こちらから希望する文字で申請した分については、法名の解説はありませんので、お一人お一人について、私からの短い解説を差し上げようと思います。
今日は午前中、駐車場のロープを引き直しました。3時間ほどかかりました。キレイに引けたように思います。

私は計測を主に。ご門徒さんに杭を打っていただいたのですが、土の下に石がゴロゴロしているようで、杭がなかなか真っ直ぐに打てません。その度に、石を砕く鉄の棒(先っぽが尖っています)をハンマーで打ち込んで穴をつくり、それから杭を打っていただきました。
「なんちゅうかたいだいや」「親の仇だと思って打たんと」
誠にご苦労さまでした。

作業が終わり、お寺フェスの打ち合わせを兼ねてAprilさんへ。当日は、短時間でたくさんのカレー弁当を作っていただくことになりそうです。フェスのスタッフが会計などのお手伝いさせていただくことになりました。

チキンカレー、いつもながら美味しかったです。
その後は、鳥取因幡組の会議へ。対面開催は4年ぶりです。今年は研修会なども再開されそうです。帰りに「勉強会せんだか?」と声をかけられました。秋ごろからお寺の勉強会も再開したいと思います。
帰ってきたら、ナモが家に侵入してきたムカデを退治していました。ムカデには悪い気もするけど、この古民家もフェスの昼食会場です。ナモも張り切っているのだと思います。

昨日はお寺の責任役員会でした。目前に迫ったお寺フェスと慶讃法要の相談です。次の土曜日はお寺の清掃、日曜は役員会です。
連休明けで、今日は休み疲れの方もいらっしゃるでしょう。
昨日、一昨日と雨ばかり。今日も朝から雨でしたが、昼から晴れました。昨日に引き続き、ご門徒さんが駐車場の線の引き直し作業にきてくださいました。今日は下準備とのことです。ありがとうございます。

引き直せば20台は停められそう。ただ、足りないかもしれないので、岩井温泉の駐車場も借りることにしました。
雨になると姿を見せないシマちゃんも午後、お寺の駐車場で日向ぼっこしていました。近づいてみると、風邪をひいている様子。目やにがでて、半目になっているし、鼻はズルズルのよう。ちゅーるをあげてみたのですが、ふた舐めほどして古家の庭の奥に座り込んでしまいました。休むことが回復につながればいいのですが。

シマちゃん、元気になってよ!

お寺の駐車場の線(ロープ)が劣化して、ほとんど見えない状態になっています。この数年は、滅多に使うことはありませんでしたが、お寺フェスと慶讃法要には数十台の車を駐車するスペースが必要です。
そこで、ご門徒さんにお願いして、ロープを引き直すことになりました。朝、下見に来ていただいて、どうするか相談。線の位置を見直して、20台停められるようにしようということに。
作業日には住職もお手伝いします。よろしくお願いします!
坊守です。
今日からお仕事を再開された現役労働者の皆さん、お疲れ様です。
私も半ドンで助かった〜(リハビリ勤務?)と思いながら仕事しました。帰宅し、コーヒーをいれていたら、ター坊が中庭に向かってウウウー!とうなりました。中庭から、お客さんの登場です。
お寺フェスの食事場所が足りなそうなので、住職の古家を使ってもらうことにしました。それで、緑風園さん(造園業)が、打ち合わせにきてくださったのでした。
足元を危なくないように、中庭が気持ちいい庭になるように、段取りを話して…ホッ。初めてのお寺フェスの強力助っ人です。
「では、中でお茶でも」と会場下見も兼ねてあがっていただきました。「ここなら好きに座ってもらえばよさそうですね」
「ハイ」
その会話に割り込んできたのが「ニャーン!」
猫のナモでした。
緑風園さんは我が家には何度もお越しですが剪定作業では、縁に腰掛けるくらいだったので、ナモとは初対面です(ちなみに、ター坊はとっくの昔に2階の押入れに駆け込んでいました)。
今日もお客様にご挨拶に行き、シッポをからかってもらったりして、上手にお接待できました。

ター坊は、お帰りになってじきに階下に降りてきて、大きく寝転びました。
「やれやれ!」
とでも言っているようです。

昨日は午前・午後と法事が3件となかなかの忙しさでした。ゴールデンウイークの法事は5件ですから、昨日に集中していたのです。
法話の最初に、「今日は忙しいんですけど、休み中の住職の主な仕事は網代道場と寺の駐車場の草刈りです。すっかり日に焼けてしまいました」と話すと、顔見知りの網代のご門徒さんは爆笑していました。それと、何がおかしかったのか、ツボに入ったのか、私の話に終始、笑っている方が。どうもお寺フェスということがおかしかったみたいです。お寺で祭りが意外な組み合わせだと思われたのかもしれません。
コロナ禍の頃は、町内と鳥取市内に住んでいる方が主にお参りされていたように思います。今年のゴールデンウイークの法事は、県内でも岩美町からかなり離れたところ、また、県外から帰って来られた方もいらっしゃったようです。
ただし、法事の後にお茶を飲んだり、集会室で会食したりということはまだありません。みなさんマスク着用でお参りされることにも変化はありません。これが連休明けからどうなっていくのでしょう。
それでも、なるべくご門徒さんとことばをかわすように心がけています。
7回忌のお参りの網代の方から、「お寺フェス楽しみにしとります」と声がかかりました。その娘さんから、「旦那の実家も浄土真宗なんです。お経の意味を知りたいと思っていたんです」との話がありました。今度、参考になる本をお貸しすることになりました。
毎日、ウォーキングされているご門徒さんに、「私も真似したいんですが、できません」と話しかけると、「なんだぁ、住職はよう網代を歩いているけぇ、それでいいが」。
納骨や墓じまいで悩んでおられる方もありましたので、「なんでもいってください」とお話ししました。
この冬、お母さんの7回忌の法事にお参りされた女性は、昨日、おじさんの1周忌にもお参りでした。法事の最後に「しんらんさま」(古関裕而さん作曲)を一緒に歌いますが、泣いておられました。胸に去来することがおありなのでしょう。
大人が涙を流してもいい時間。それが法事の良さだとあらためて思いました。
ナモです。
おばたんは、きょうもおうちにいて、おそうじしたり、おにわのつちをほったりしていました。
おでかけしなかったけど、おきゃくさまがきました。

トウキョウにいたときのキシャなかまだそうです。トウキョウてなんだろう。
あたいのわからんことをワーワーおしゃべりしながら、ハタハタをいっぱいやいていました。
そのおねえちゃんは、こちらにおとうちゃんとおかあちゃんがいて、かえってきたときは、ハタハタをあたまからかじるくらいすきだそうです。
あたいはえんがわのべっどでねんねしてたところをおこされて、だっこされました。そのあと、かつぶしをもらえたので、おせったいしてよかったです。
ター坊は、どこかにかくれてでてきませんでした。おきゃくさまがかえったあと、おばたんといえのなかをさがしあるいたら、おにかいのおしいれのとがあいていました。なかにくびをつっこんで「たーちゃーん!」とおおきなこえでよぶと「にゃーん」と、ちいさいこえがしました。おしいれのおくの、にもつのすきまにはいりこんでいたみたいです。

いちじかんほどしてやっとざしきにでてきたので、なめなめしてやりました。

午前中、京都の本願寺から電話がありました。28日に予定している帰敬式の進行などについての確認です。帰敬式とは法名を授かる式のことです。生前に受けることができ、通常は本願寺にお参りして式にでていただくものですが、一般寺院も記念の法要などにあわせて式を開くことができます。
当日は3人の方が来寺されます。11時50分に最寄りの岩美駅までJRで来られるとのこと。昼食はキッチンカーのカレーを食べていただくことになりました。
頭の中に占める割合でいうと圧倒的にお寺フェスです。しかし、午後の法要も、その後の帰敬式も、それぞれ大切な行事です。にわかに、「帰敬式の手引き」を開いて、当日の流れを確認しました。

計画した当初は、ずいぶん先だと思っていた5月28日も、ゴールデンウィークが終わればすぐやってきそう。
帰敬式を西法寺で行うのははじめてのことですし、この先も当分はないと思います。本願寺から電話をいただいて、いささか緊張しましたが、これは、いい緊張といえるでしょう。
24人の方が法名を授かることを楽しみにしておられます。
3つそれぞれ、連休中にできることはやって、直前になって慌てることを少なくしなければ。
今日は食料無料市の実行委員会がありました。
4月15日に行った無料市の振り返りでしたが、参加された鳥取生協病院の新入職員の方たちの感想が資料にあり、じっくりと読ませていただきました。
「物価高や光熱費の高さから、生活費の支払いに困っていると知った。食品だけでもお届けできて、しっかりと食べていただきたいと思った」(検査技師)
「普段、病院では出会えないような、何らかの理由で病院に来られない人の生活が少し見られて、そういうところにも目を向けていかなければと感じた」(研修医)
「病院では知ることのできない在宅生活ならではの困りごとなどが知れた」(看護師)
「『ありがとう』『助かります』と言っていただけて、人に、地域によりそうとはどういう意味があるのか、活動を通して学ぶことができました」(介護福祉士)
「心なしか笑顔で帰られていくのを見られて、参加できてよかったと感じました」(事務員)
「たくさんの人が来られて、自分が想像していた以上に、生活に困っておられる方がいると気づくことができました」(作業療法士)
それぞれの方が、大事なことを学ばれたようです。
これまで勉強されたこと、これから勉強することを生かして、よき医療人になっていただきたいと心から思います。
2ヵ月ほど前、Twitterで『ヒトラーに抵抗した人々』という本が話題になりました。その裏表紙に、反ナチ市民グループのメンバーが処刑前に11歳になる娘に宛てた手紙が記されています。
「いつでも人には親切にしなさい。助けたり与えたりする必要のある人たちにそうすることが、人生でいちばん大事なことです。だんだん自分が強くなり、楽しいこともどんどん増えてきて、いっぱい勉強するようになると、それだけ人びとを助けることができるようになるのです。これから頑張ってね。さようなら。お父さんより」
極限の状況で、こんな言葉を遺されたその人間性に深く感動しました。学ぶこと、生きることの意味を改めて教えていただきました。
「助けたり与えたりする必要のある人たちにそうすることが、人生でいちばん大事なこと」「いっぱい勉強するようになると、それだけ人びとを助けることができるようになる」 この言葉が、それから頭の片隅にあります。
今日、新人さんたちの感想を読んで、そうだ、この無料市という場も、そういうことなんだなあと思った次第です。