夕食のあとは読書の時間

坊守です。

大した仕事もしていないのに、くたびれる季節です。岩美の本日の最高気温は25℃、カラダが暑さに順応するまで、気をつけて過ごしましょう。

午前中、草引きや、お寺フェス用の長机を蔵からひっぱり出して以降は左手に本を持ってウロウロして過ごしました。又吉直樹さんのエッセイ本『月と散文』です。

もともと読書好きでしたが、クルマ社会に来てからは、必要に迫られた本くらいしか開いていませんでした。
移動中にラジオ番組を聴くようになり、又吉さんがパーソナリティをしている「あとは寝るだけの時間」(NHK R1 月曜夜9時5分から放送)という番組が面白くて、そこからこの本を手にすることに。

お勤めが終わった住職も合流して、夕食後の食卓は、テレビも音楽も無しの静かな読書の時間です(住職が開いているのは、自由律俳句の尾崎放哉について又吉さんと金子兜太さんが書いたもの)。住職は放哉が好きなのです。

仕事や課題ではない、読むこと自体が目的の読書時間の面白さを久しぶりに味わっています。物語に没頭して文字が見えなくなって初めて日が暮れたことに気づいたり、ご飯に呼ばれても生返事でしまいに怒られたり、大学生の頃も降りるはずのバス停をすっ飛ばしたりしていました。

久しぶりのこの感覚、忘れていたのはもったいなかった。読書再開だな。

小径のなまえ

ケガを負い、体力回復のためなのか、数日、前庭と中庭にじっとしていたシマちゃんが、昨日の夕方、新しい小径の石の上に座っていました。そして、しばらく様子をうかがったのち、駐車場の方に出ていきました。ナワバリを見はる気持ちになったのでしょうか。

知り合いの方にこの写真を送ったところ、「ジブリみたい!」

以前から、この通路を一番利用していたのは、間違いなくシマちゃんです。小径が新しくなったことに気がついたでしょうか。

シマちゃん、この道の名前を「ネコの小径」にすることにしたので、どうぞ遠慮なく使ってください。

103歳のご生涯を想う

103歳のご門徒さんが往生され、午後、臨終のお勤めにうかがいました。
大正10年生まれ。6人兄妹の3番目、きょうだいの一人は戦死されています。
「きょうだいで80まで生きたもんは他におらん。ばあさんは、他のもんの分まで生きた」と甥っ子のYさん。

若い頃から働き、同じ集落内に嫁がれました。昔は、嫁ぐ際に、箱仏壇を持たせたそうです。小さい仏さんのこと。私は見たことがありません。仏さんを大事にする風習があったのでしょう。「学校に行く前に、仏さんを拝んでいかなかったら、親から怒られたと母が言っとりました」と娘さん。娘さんといっても、お孫さんもいらっしゃいます。103年の人生というのは、なかなかすごいです。


3人の子どもを育て、おばあちゃんになってからは、お孫さんを長く育てられたそうです。「何をしても怒られた」「甘やかされました」。おばあちゃんは、厳しくも優しかったのではないでしょうか。明日は、そのお孫さん2人が枕元で一緒に過ごすそうです。

娘さんがおっしゃいました。「入院した時に、『京都参りに行ってきたで』と手紙を託したら、『2人(夫婦)で参っただか』と言っていたそうです。最後まで頭ははっきりしていました。父も大谷本廟(京都)に納骨したので、母もそうしてあげたい」

5月末、漁の時期が終わり、お盆が過ぎ、8月31日には、また漁がはじまるというのが海のサイクルです。以前は、お盆が過ぎたあと、多くのご門徒さんが本山参りをされていたそうです。故人様も、ずいぶん前に生前法名を本山からいただいていました。今、法名が記された紙を眺めて、そこに込められた仏さまの願いを味わっているところです。

来週は、娘さんと旦那さんが揃って、西法寺で法名を受けられます。

「28日だったら、大変なことだったで。ばあさんは、ちゃんと分かってる。大したもんだ」と、同じく法名を28日に受けられる甥っ子さん。

念仏者の大先輩でもある故人さまの思い出をうかがい、本当に気持ちが入りました。

小径ができました

庭師さんの手によって、中庭につづく小径ができました。風情があって古民家にぴったり。なんだか、この先に何かありそうな期待感が高まるような。

紫陽花もきれいに刈り込まれました。「どうしても枝が横に広がるので、竹などで支柱をして、ヒモで結ぶといいですよ」とのことです。

ご近所の方が見学に来られ、「なんだあ、料亭につづくようだで」と。お祝い?に無農薬の小松菜をいただきました。

おまけも一つ。手水鉢には竹細工が施されました。さっそくカエルがどこからかやってきて、ザブンと水に入りました。

田植えの季節

暑いですねー。夏のようです。

朝、ご門徒さんが除雪機(十方)のメンテナンスにきてくださいました。今年の出番は4回だったでしょうか。次の冬もよろしくお願いします。

役員さんへの届け物で、山あいの銀山集落へ。田植えのシーズンを迎え、農家の方たちは忙しそうです。小さい田んぼに手で植えている方の姿も。

この2日ほど、法要でお配りする経本を作る関係でほぼインドア生活でした。それだけに、銀山の田んぼの風景にこころ和みました。

お寺フェスの方は申し込みが101人になりました。ふらっと来られる方もあるかも知れませんが、事前の予約は終了とさせていただきます。

吾輩はシマである その② 闘病記

岩井温泉をナワバリにする吾輩が、ここに登場するのは久方ぶりだ。諸兄におかれては、息災に過ごされていただろうか。

そう尋ねる吾輩は実は養生中だ。ここの家猫どもが「びよいん」と呼ぶところでおばさんがもらってきた粉を、毎朝毎晩、なめさせられている。


半月ほど前に、他所から遠征してきた猫とのたたかいで傷を負い、たいしたことないとおもっていたら、重い風邪をひいてしまったのだ。
もともと左目から目ヤニがしょっちゅう出ていたが、今回はそれが両目をふさいでしまった。鼻詰まりのせいで、口で息をしていたら、ヨダレが垂れ放題、威厳もなにもない情けない姿となってしまった。
なにより、食べ物が喉を通らない。坊さんが差し出したスペシャル食(注:ちゅーる)でさえ、ふた舐めして苦しくなってしまった。庭の奥の雑草にしゃがみ込んで過ごした日もある。

だが、この家のニンゲンたちが口にもってくる猫の介護食を舐めながら、バイキンをやっつけるという朝晩の粉で、いまは回復の途にある。

ニンゲンなど信用してはいかんが、このところ日中は軒下に寝そべり、「シマちゃん」と呼ばれた時は玄関前の食事処に急行できるようにしている。
庭には吾輩のために枯れ草が積んである場所があちこちにあるので、低空飛行でも過ごせるのである。

あやめが満開です

ほとんど手入れもできていない西法寺農園ですが、それでもあやめは見事に花を咲かせています。次々に鮮やかな紫色の花が咲き、なんだかこの一角だけ華やかです。

しばらく本堂の仏花としても活躍してくれそうですが、28日までは持たないかなあ。

しょうぶの方も、急速につぼみがふくらんできました。こちらもしばらくすると咲いてくれそうです。

この数日、庭師さんに、私と坊守の住む古民家と寺の駐車場を結ぶ通路を作り直していただいています。もともと通路はありませんでしたが、古民家をリフォームするにあたって、駐車場とうちの中庭をつなぎました。段差があり、通りづらかったので、このほど段差解消をお願いしたというわけです。今日は昼から外出していて、途中経過は見学できませんでしたが、いい感じに作業は進んでいるよう。完成が楽しみです。

お寺フェスにむけて11 見取り図をつくる

きょうは28日のお寺フェス、慶讃法要、帰敬式に向けた役員会でした。自分にもみなさんにもフェスの全体がわかるようにと午前中、見取り図をつくりました。ある役員の方からは、「つくるの大変だったんじゃないか」と労われ、坊守からは、「こういうのがあったら分かりやすいなぁ」とお褒めをいただきました。

便利なソフトが仕事をしてくれるので、そんなに難しい作業ではありません。昔とった杵柄が、いま、こんな形でいきております。

山門から本堂にかけて、日除をかねたタープ(布)をかけることしています。坊守のアイディアですが、どうすればうまくできるのかなと思っていたところ、2人の役員さんが知恵をだしてくれました。

会議では、28日の流れと役割分担を確認。「成功のためにがんばりましょう!」と力を込めて閉会。

あと2週間を切りました。私は抜けが多いので、小さなミスはやらかしそうですが、大きなことではしくじらないよう準備をすすめたいと思います。

お寺の清掃日

今日はお寺の清掃日でした。本堂と客間3部屋の掃除、そして境内の草刈りと1時間ほど精を出しました。総勢19人、ふだん掃除が行き届いていない箇所までキレイになりました。

漁師さんが生ワカメをたくさんもってこられました。はじめてきてくださった方におみやげとして持ち帰っていただきました。

気持ちよくお寺フェスと法要を迎えられそうです。みなさん、ありがとうございました。

過去帳を記載する

昨日、お預かりした過去帳に朝、ご法名を記しました。

網代出身で、他県で長く生活し、働かれたAさんが先月、ご往生されました。
実家のお寺である西法寺に過去帳を記載してほしいとのことで、縁者の方に事付けされ、昨日、お預かりしたのです。

私はAさんとお会いしたことはありませんが、砂丘という店名の小料理屋を長く営まれていたそうです。砂丘とは、鳥取砂丘のことでしょう。網代から海を眺めると、視界の先には鳥取砂丘があります。

人あたりがよく、優しい方だったとうかがいました。

法名もつけてほしいということでしたので、砂丘から丘の文字をとりました。

丘の文字、仏教に関わりが深かったんじゃないかなあ、どこかで見たことがあるようなと考えておりましたら、昔、僧侶を比丘(びく)、比丘尼(びくに)と呼んでいたということを思い出しました。

法名とともに、このこともご家族にお伝えしたいと思います。