お寺フェスに向けて⑤森と緑と風工房さん

今日は午前中、地元岩井の森と緑と風工房さんに来ていただきました。自宅の工房でウッドバーニングによる作品づくりをされています。お寺フェス当日は作品の展示販売とコーヒー係をお願いしています(コーヒーは無料です)

木に焼き付けて絵や模様を描くアートのことをウッドバーニングというそうです。写真を参考に、お子さんの顔やペットの表情を木目のうえで表現するほか、オリジナルの表札、お店の看板なども作成しています。

他にも、丸太のスツールやカッティングボードなども。

丸太のイス
まな板です

私も、「小物入れを作ってもらえませんか?」とオファーしました。

当日楽しみにしています。よろしくお願いします!

「法名はパスポート」

午後は、4月発行のお寺の通信に登場していただくご門徒さんのインタビューでした。5月28日にお寺で行う帰敬式で生前法名を受けられます。

「お浄土に行く名札、パスポートをもらうようで、とっても楽しみにしているんです」

パスポートという言葉が出てくるのには理由があります。
20代の頃は、大阪の旅行会社で海外旅行担当の仕事をされていました。
女性として入職した1期だったそうです。

1970年代は団体旅行が主で、営業は飛び込み、そこから関係を作ってツアーにという流れだったとか。1日の仕事終わりには、今日は何軒訪問したかという報告を求められたそうです。

「度胸がついたのは、旅行会社のおかげです」

「随分、たくさんの国に行かれたんですか?」とうかがうと、「イタリア、フランス、スイス、ギリシア、オランダ」とたくさんの国名が。

「ローマは目をつぶっていても歩けるくらいでした」

旅行会社での勤務を終えて故郷に戻って以降の話が本題でしたが、若い頃の話を印象深く聞かせていただきました。

「いいことも悪いこともいっぱい経験する、それが人生のプラスになるし、だから人を好きになれたのかなと思います」

東日本大震災から12年

3月11日を迎えました。あれから12年。この春は、13回忌の節目の年でもあります。あの日、尊いいのちを奪われたみなさまを思い、朝、手をあわせました。3月17日から1ヶ月半ほど、被災地で仕事をしたことは今でも忘れません。

東日本大震災による死者は1万5900人、行方不明者は2523人。災害関連死は3789人。福島県では2万7399人が県内外で避難生活を送っています。

先日、確定申告を済ませました。
所得税とともに、所得税×2.1%を復興特別税として納付することを改めて自覚しました。僅かな金額ではありますが、被災地のために使ってほしいなと思いました。

そしてやっぱりおかしいよなとも。特別税の納付は2037年までがその期間とされていますが、政府はこの特別税を14年間延長し、その半分を防衛費の増強のために使うとしているからです。この制度をそのまま延長すれば、国民も痛みを感じにくいという思惑があるのでしょう。

復興税を転用してミサイルを買う。そんな悪知恵を働かせるのは、一体誰なのでしょうか。

原発事故により自坊が立入禁止区域に指定され、その後、本堂が全焼したという話を怒りを滲ませて話してくれたSくんのことも、今日は思い出しました。その後、自坊は再建されたのでしょうか。

南海トラフ大地震のことを描いたNHKの番組も話題になっていました。震災からいのちと暮らしを守ることを最優先にする社会をつくることにこそ、人の知恵とお金を注いででほしい。


ズームで無料市実行委員会

数カ月に1度、鳥取市内で開催している食料無料市。次は4月15日(土)に予定しています。今日はその実行委員会がありました。

次回は病院の新入職員のフレッシュな方たちも参加するそうです。
社会を知るいい機会になることでしょう。

またまた、配布用のお米が必要となります。
お世話になっている町内岩常のコメ農家Yさんに会議後お願いの電話したところ、「待っとりました。ええですでー」と今回も美味しいお米を安く提供してくださるとのこと。前回などは、生産費分にしかならないような価格を提示されたので、「いや、ちゃんと儲けの出る金額で請求してください」とお願いをしたくらいです。

こういう方の勤勉さや優しさによって、この社会は回っているということを実感しますね。

昨日、久しぶりにこの1年ほどのブログを見返していたのですが、
NHKの連続テレビ小説『カムカムエブリバディ』のセリフを記していたことを思い出し、唸っていました。

松重豊さんが演じた伴虚無蔵のセリフです。「おひな。そなたが鍛錬し、培い、身につけたものはそなたのもの。一生の宝となるもの。されど、その宝は、分かち与えるほどに輝きが増すものと心得よ。御免」

「分ち与えるほどに輝きが増す」

仏教でいうシェアの精神と重なります。

自己責任論が吹き荒れる社会の中で、ささやかな抵抗を、少し心があたたまる時間を、若い人たちと共有できたらと思います。

そして、物には書いてはないけれど、無料市で配布する商品・物の背後には、人の思いや優しさがあるのだということも、若い方たちに知っていただけるとうれしいですね。

見落とし注意です

今日は午前中、日本交通さんと打ち合わせでした。3月30日〜31日の京都旅行でバスを運行していただくことになっています。旅行の主な目的は、親鸞聖人誕生850年と浄土真宗の開宗800年をお祝いする法要にお参りすることです。

こういう手引があり、昨日から目を通していたのですが、事前に申し込みが必要なことをしていなかったことがわかり、「おっ」というところでした。京都国立博物館で同時期「親鸞展」が開かれています。貸切バスで訪れる際には事前の申し込みが必要と手引きあったのです。随分前から告知されていたようですが、見落としていました。直ちに申し込み、セーフでした。

貸切バスの本願寺への乗り入れについては、決まり事がありますので、手引に書かれていることをバス会社さんとも確認しました。

参拝を申し込んだのは去年の4月だったでしょうか。1年というのは本当にあっという間にたつものです。

午後は、網代の仏教婦人会の会長さんと、4月5日〜7日に予定している宅まいりと、午後の法要の内容について相談しました。5日は住職の法話、6日は念珠あみ、7日は茶話会ということになりそうです。私の話については、毎日更新しているホームページからピックアップしてお話できればと思います。スクリーンとプロジェクターを持っていって、パソコン画面を映し出してみていただくことにします。念珠あみは以前からやってみたかったのですが、コロナで出来ずじまい。随分前に購入していたパーツの出番がようやくきました。茶話会では、今後の活動について意見交換できればと思います。

見落としてませんか? 何かいますよ

お寺フェスに向けて④ 猫パンカー登場

お寺フェスに猫がやってきます。

左・猫のイラスト、右・肉球

県内のイベントなどに猫パンカーで出店されているnatorine2 さん。ギターユニットiC’e(あいす)としても音楽活動中です。

各種イベントの企画や運営にもあたられています。お寺フェスでは音響設備のセッティング、ステージでの演奏とお世話になります。

今日はお寺まで下見で来ていただきました。

「お寺さんの役に立てるならうれしいです」

ありがとうございます。よろしくお願いします!

中央仏教学院からの便り

良書との出会いというのは、人生に大きな影響を与えることがあります。

『菩薩の願い〜大乗仏教のめざすもの』

40代後半で僧侶の道をめざすことになった私を、励まし、そして、今も照らしてくれる1冊です。

いくつかの仏教経典を取り上げ、その要点を記した書です。仏教の知識がなくても十分読めます。

執筆されたのは丘山新さん。残念なことに昨年の4月、ご往生されました。

昨日、京都の本願寺派の僧侶養成機関である中央仏教学院より同窓会報が届き、そこに丘山さんの名前がありました。

昨年3月、丘山さんは中央仏教学院の院長に就任されたばかりであったそうです。私は全く知りませんでした。

新院長が不在の中、記念行事を執り行ったことを7年間院長をつとめた北塔光昇さん中心にあたられたことが記されていました。

2018年の春、住職資格を得るための合宿がありました。講師として丘山先生がお見えになりました。その時、お話しされたことでとても印象深く覚えているのは、浄土真宗の社会性ということです。そういう言葉をつかわれたわけではありませんが、「社会に開かれた浄土真宗をめざしましょう」というメッセージを随所に感じました。いただいた資料は今も大事にとってあります。

その半年後くらいだったでしょうか。週に1回、龍谷大学で開かれる宗学院別科という学びの場に、鳥取から通っていました。本願寺の近くを歩いていた時、偶然、丘山先生の姿を見かけ、「丘山先生ですか。去年、中仏に通っていたんですが、講師の方から丘山先生の『菩薩の願い』をすすめられて読みました。とても励まされて、線を引いて何度も読んだんです」と話しかけました。先生は、「嬉しいなあ。いつでも研究所に遊びに来てください」とおっしゃいました。当時、丘山さんは本願寺総合研究所というところの所長をされていました。

残念ながらそれ以降、お会いしたことはありません。

わずかの出会いであった私でさえ、大きな影響を受けたのですから、身近に接していたみなさんの悲しみはいかばかりであっただろうかと思います。

本の最後に、丘山さんはこんな言葉をつづっています。

「今どこかで流される血、流される涙。この『世界苦』をすべての人が我がもの、自分の苦悩として感じ取ることができますように」

「私たちがそれぞれに、『誰かの痛みは、私の痛みだ』と感じ取ることができますように」

「少しでも、『世界の誰かの痛み』をとりのぞこうと、みながそれぞれに努力できますように」

との言葉があります。初めて読んだとき、これが真の仏教徒というものかと感銘を覚えました。

これからも何かにつけて『菩薩の願い』を開いて、教えに耳を傾けることになりそうです。

カモにならないように

携帯に「不在でしたので荷物を持ち帰りました。詳しくはこちら」と、たまにある詐欺メールがきました。

落語のまくらに「鶴の恩返し」をネタにした小噺があるそうです。ツルを助けたおじいさんでしたが、大事な家財道具を持ち逃げされ、「ツルやなくてサギやった」と嘆き、おばあさんは、「そういうアンタはカモやった」とオチをつけます。去年の秋、出雲で開催された本願寺派山陰教区の記念法要のゲスト、落語家の月亭方正さんが笑いをとっていました。

実は1年ほど前、スマホから身に覚えのない決済をされて被害届けを警察にだしたことがあります。その後、携帯会社から被害額を弁済してもらいました。なぜそうなってしまったのか今でもわかりません。そのあとすぐ暗証番号など変更しました。

みなさん、カモにならないようくれぐれもご用心ください。

どうする家康 一揆のゆくえは

午前中の法事の際、「どうする家康」を毎週観ておられるご門徒さんがいらっしゃっしゃいました。船越英一郎さんが主演をつとめた「赤ひげ」も観られたそうです。私も熱心に観た一人ですから、大いに意気投合しました。今日は夕方6時からのBSの放送にあわせ、パッと食べることのできる食材をスーパーに買いに行きました。早めに食べてスタンバイ。

三河一向一揆の結末は歴史として知ってはいますが、ドラでどう描かれるのか注目です。

視聴した感想は、また後ほど。

「どうする家康」、視聴しました。

一揆は空誓が折れる形で終えんしました。家康は「寺を元通りに致す」と約束。また、家臣たちの謀反の罪について不問にします。

一揆勢の軍師をつとめた本多正信について、過去とクロスさせ、入信の経緯が描かれました。若き日、悪の道に落ちた正信は、念仏の中に生き、死んでいった幼なじみの影響から一向宗門徒になります。家康に捉えられた正信は、「悔いてはおらぬ。あやまちを犯したのは殿だからだ。殿は仏をすがる者の気持ちをご存知ではない。生きているのが辛いからじゃ」と家康の前で言い放ちます。

家康は、「悔いておる。ワシはずっと悔いておる。だが、この国をたてなおさねばならぬ。ワシは前に進む」と応じます。

正信は三河から追放されます。「寺をもとに戻すとは、元の野っ原に戻す」との悪知恵を家康に残して。

そういう描き方もできるのかーと。

もちろん、これらはドラマのフィクションだと思います。しかし、家康は約束を反故にして、本證寺の土塁を破壊、一向宗はそれから20年近く三河で禁止されてしまいます。

のちに帰ってくる正信ですが、本願寺の勢力をそぐために才を発揮します。その辺りがドラマで描かれるのかどうかは分かりません。

三河一向一揆を通して仏に救いを求める庶民の苦しみと願いが3週にわたって描かれました。そして、家康の苦悩や迷いも。この辺りに、単なる英雄物語ではない今回の大河のおもしろさがあるように思います。

ナモの日記(2023年3月)

ナモです。

あたい、おうちでいちばんねぼすけだとみんなにいわれます。でも、おばたんがうわぎをきて、おしごとにでるときは、もうすぴーどでついていくの。いっかいくらい、おげんかんのそとにでて、おばたんのぶっぶにのって、アタイもおしごとにいけるんじゃないかとおもうんだけど、まだつれていってもらえません。
おいかけているとちゅうでおいたんに「ナモはおるすばんだよ」と、つかまることもあります。


そして、おいたんにだっこされるととってもねむくなって、だっこのまんまネンネになるのよ。「ぼくは、ナモにはおんじんだからね」と、おいたんはニコニコします。「おんじん」は「おじい」とはちがうのかしら。おいたんは、あたいやター坊より、ずっととしよりです。

あと、このごろ、おだいどころがすきです。れいぞうこにネコせんようのかつおぶしがはいっているからです。かつおぶしなら、なんぼでもたべられるのに、ときどき、ぽっちりしかもらえません。れいぞうこのまえにすわって、ニャワーン!!アワーン!と、わめくと、またすこし、よばれることができます。
「ナモの座りこみ」「かつおぶしデモ」といわれています。