3回忌、四十九日、そして百箇日と

今日は3件の法事をお勤めしました。
週末でも、1日3件というのは、そうあることではありません。

午前から3回忌、四十九日、そして午後、百箇日という流れでした。
親鸞聖人の記された「正信念仏偈」を読むことはかわりありませんが、お話しする内容はそれぞれです。

3回忌は、亡き方をご縁に、仏さまの教えに触れていただく機会として。南無阿弥陀仏の意味、仏さまがかけられた願いなどについてA4の表面に記した原稿をお配りしています。

四十九日は、亡き方とのこれからの関わり合いについて、何人かのご門徒さんのお話も交えてお話しさせていただいています。A4の両面いっぱいに文書を記していますので、少し時間がかかります。


百箇日は、悲しみから日常への節目として。卒哭忌ともいわれます。そっこく=泣くのを終わりにしようという意味あいです。ご自宅でのお勤めになりますので、そのことをお伝えして、ご家族の今の思いを聞かせていただくようにしています。「朝夕、仏壇に手を合わせています。生きていた頃よりも母に話しかけることが多くなった気がします」と息子さんはおっしゃいました。

お参りのみなさんがふれている日常的な情報の中で、仏教の情報というのは、ほとんどないのではと思います。せっかくこうしてお参りいただいているので、何かあとからでも見返していただけるものをと思い、今年の法要では基本的に原稿をお配りするようにしました。

いい点としては、勉強しないと書けないということでしょうか。意識していることは、なるべく仏教用語を使わないということです。それと、自分が学ばされれたこと、気がつかされたことを記すということです。

外してしまった、、、と思うこともあります。でも、それはやってみたからわかることでもあります。

原稿がもし途切れるようなことがあれば、住職が勉強していないという証ですので、どうかその際はご指摘ください(^^;)

法事での一コマ

昨日のこと。法事でお参りのご門徒さんが、本堂から退出される際、「阿弥陀さまありがとうございました」とお礼を述べられました。なんとも心暖まるひとこと。私も真似しないとと学ばされました。

今日のご法事は、亡き方から見るとひ孫さんが大集合でした。小さい子どもたちは、本堂を駆け回っていました。「走り回ったらいけん」と、いちばんはしゃいでいたお子さんが口にされたので、思わず笑ってしまいました。小学生には、阿弥陀さんのポーズの真似をしてもらいました。仏さまは私たちのことが心配で前屈みということを覚えておいてくれると嬉しいですね。

午後は、事務作業でした。5月28日に行う本堂での帰敬式の関係書類を作りました。月曜に郵便局から送りたいと思います。最終的に24人のご門徒さんより申し込みがありました。もう一つは、確定申告の作業です。マイナンバーカードはこの時にしか使う機会がありません。計算はソフトがやってくれるので、間違いがありません。政府は、ポイントを煽って健康保険証との一元化を進めています。来秋にも健康保険証は廃止するとか。ポイント第2弾のCMが流れていますが、請け負ったのはオリンピック談合で揺れる電通です。銀行口座とのひも付けなどは、個人のプライバシーが筒抜けになる危うさを感じ、申請していません。ただ政府の説明だと、本人が拒否しない限り自動登録する計画のようです。そして、マイナカードを取得していない人には様々な支援から排除する動きがあるようです。強制ではなく、任意の制度のはずだったと思うのですが、おかしなことが起こっています。

おやすみの過ごし方

坊守です。

今日は仕事をサボっ…いや、指定休をいただいていました。職場は完全週休2日ではないので、お休みは「4週7休」とか「4週6休」などという取り方です。

朝はマイナスの気温で、ストーブにはりついていましたが、お日様が出るとぐんとあたたかくなりました。雪もほとんど消えたので、読もうと思っていた本は置いて、働くことにしました。
まずは、毛布類やコタツの上掛けなどの大物の洗濯。家の中に陽だまりができて、ごきげんな猫たちの執拗なつきまといにあいました。
午後は庭に出て、草取りの小さなカマをふりまわして我が家の枯れ草集め作業を決行。数分でマフラーを外すことになりました。東京下町のマンション暮らしだったころ、庭はあこがれでしたが、こちらにきて前庭と中庭と裏庭ができると、なかなか手がまわりません。
昨年はツル性の植物が元気だったのと、ススキがあちこちから出てきたため(それはそれで使えたのですが)、作業のやり甲斐がありました。

ひと段落したので、いまはコインランドリーで毛布を乾燥機にかけながら、ホットカフェラテを一杯。最高気温は10度となっていましたが、体感は、もっとあたたかかったよなぁ〜。

これから本が読めるでしょうか。居眠りしそうです。笑

習字教室にて春を書く

今月は変則で、2週続けての習字教室でした。

春暉とは、春の暖かい日差しのこと、祥雲とは、太陽の光に照らされて色とりどりに輝く雲のこと、鮮雲とは、鮮やかな雲のこと。いずれも春を連想させる言葉なのだそうです。

ここ数日、冷え込んでいます。時折、雪も舞っています。それでも、春は確実にやってくることでしょう。

網代公民館では3月に公民館の作品展があり、私の書も、教室の方たちの作品とともに展示してくださるそうです。

網代のみなさんの公民館活動の成果を見学したいと思います。

お寺の掲示板(2023年2月)

真宗教団連合法話カレンダー「月々のことば」。ひと月ごとに短い法話が掲載されています。その3月のページにあるのがこのことばです。みた瞬間、グサっときました。浅原才市さんは妙好人として真宗では有名です。もとはひらがなですが、漢字にしました。

この言葉には続きがあります。

ありがたいな をやさまが、わしのこころい、

なむあみだぶつと、とろけやい、

ごをんうれしや、なむあみだぶつ、

なむあみだぶつ。

瞋(いかり)という煩悩に引かれて、身を焦がしている「いのち」のあり場を地獄と呼びます。

仏の救いに出遇った者が、本当の自分の姿に気付かされる、その吐露を才市さんはされています。だからハッとさせられ、我が身を振り返ることになります。

才市さんは、各地の凶作や天災被害に何度もお見舞い金を送られたそうです。いま生きておられたらどうされるのかなぁ。そんなことを想像し、わずかですがトルコ・シリアの大地震の救援募金を送りました。

郵便局にて

朝、法事でお参りされたご門徒さんへのお礼ハガキを書きました。お参りされた次の週に自宅に届くことを目標にしているのですが、最近は1ヶ月近くあとになっていたので、今日で追いつくことができました。このペースを維持したいものです。

ポストに投函し、窓口でハガキを30枚ほど購入。すると、昨年春に入職された職員さんからチョコのプレゼントが。あっ、2月14日だったんですね。今日は来局する方にプレゼントするそうです。

以下は昨年の今日、ブログに書いたことです。


3世紀、ローマ帝国の時代。当時の皇帝は兵士の結婚を禁止していました。それに抗して、バレンタイン司教が兵士たちを結婚させます。皇帝の怒りを買い、処刑されてしまったその殉教の日が、西暦270年2月14日です。プレゼントを送る習慣が始まったのはずっと年代が経ってからのこと。日本では戦前に神戸モロゾフが、欧米の習慣を紹介して広まったそうです。

ちなみに、ホワイトデーは、お返しの文化がある日本からはじまり、中国や韓国にも広がったとか。知りませんでした。

つながりが人を生かす

午後、市内でシンポジウムがありました。

孤独・孤立対策 官民連携プラットフォームシンポジウムin鳥取

孤立や孤独に官民あげて取り組むこと、本当に大切だと思います。いま38%が単身世帯(1980年は、夫婦と子ども世帯、3世代で暮らす世帯あわせて6割を占めていたそうです)。誰にでも起こりうることです。

基調報告された奥田知志さんは、困難に置かれ、「どうでもいい命」と自暴自棄ですごしていた若い女性との関わりを紹介しました。その彼女が、「死んだらあの子に悪い」と自死を踏みとどまり、「3割くらいは生きていきたい気持ちがある」といっているそうです。「あの子」とは、抱っこしてあやした奥田さんの同僚のお子さんのことです。

「出会いが、つながりが人を変える」「つながりが人間を生かす」と強調しました。

奥田さんは牧師さんです。聖書の一節「人はパンのみにて生きるものにあらず」を紹介されました。イエスの言葉は素晴らしいです。

私も仏教徒の端くれです。「この世のものは全て持ちつ持たれつで、たった一つで存在するものはない」。これはブッダの教え、「諸法無我」です。

その精神で、自分にもできることを見つけていきたいと思います。

てっぺんにいってきました

午前中、法事をつとめ、勢いそのままに郵送作業にかかろうと思ったら、プリンターのインク切れ。買い物に出かける必要があるので、どうせならと、隣町の新温泉町のお蕎麦屋さん、「てっぺん」に坊守とともにいってきました。岩井から車で30分ほどかかります。

ここは、地元の自治会が出資をしてつくったお店です。久しぶりの来店となりました。てっぺんのある春来(はるき)は、山道を登ったところにあり、雪深い地域です。春来、実にいい地名だと思いませんか?

立派な梁です

私は海老天そばセット、坊守は蕎麦セットを注文しました。硬めのそばが好きなので、私の好みにもバッチリ。

尊いおめぐみをおいしくいただきました。

むずかしいことをやさしく

午前中は25回忌のお勤めでした。おそらく中学時代以来の再会となった同級生も。「変わってないなあ」とお互いに確認しあいました。

今日は、年回法要というお勤めをご縁に、一、永六輔さんの「南無阿弥陀仏」について、二、「恩」と「報」という二つの内容についてごく短くお話ししました。A4の紙を1枚、お配りして読み上げるスタイルです。

永六輔さんの「南無阿弥陀仏」については、著書にあるこんな説明から。
「ナームというのはサンスクリット語で、(南無)は当て字です。(あなたについていきます、あなたを信じます、あなたがすきです)という意味。アイラブユーでもナームでもいいです。つまり、阿弥陀仏が好きです、阿弥陀仏を信じますと、いうこと。仏さまは阿弥陀仏だけじゃないんですね。日本の神さまと同じで、いっぱいいて、その中のお一人が阿弥陀さん。この阿弥陀さんの教へのなかで、阿弥陀さんご自身がいちばん大事にしているのが、(誰かを救うことによって、自分も救われる)という考え方なんです。そうすると、(南無阿弥陀仏)と言うのは、誰かを救うことによって自分も救われるという考え方を信じます、ということでしょ。みなさんがたとえばお寺さんの前だったり、ご法事があったときに言っている、ナマンダブ、ナマンダブというのは、そういうことです」(永六輔著『伝言』より)

好きだからこそ、少しでも真似して生きていきたい、生きていこう。それがお念仏申すものの生き方ではないかと思っています。

「恩」と「報」は親鸞聖人の和讃
「如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も 骨をくだきても謝すべし」
を引用させていただいて、

「恩」には「誰かが私にしてくれたことを覚えておく」という意味が、「報」には「報いる」とともに「報せる」という意味があります。誰かに受けた恩を、今度は、また誰かに渡して(報せて)生きていきましょうということです。法事とは、そういう集まりではないでしょうか。

といった内容をお話ししました。

日頃お世話になっているご門徒さんが、「なんだあ、ええことが書いてあるで。持って帰ってよう読ませてもらいます」とおっしゃっておられました。

永六輔さんのように、難しい仏教用語を使わず、わかりやすく楽しく仏の教えを伝えることは容易なことではありません。

「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」

こちらは井上ひさしさんの言葉です。

そのためにも勉強、ということですね!


親鸞さんのお墓であり、私たちのお墓でもあり

ここでも何度となく記していることですが、西本願寺での法要参拝を主な目的とした旅行を3/30〜31に計画しています。最終的に19人での旅となりそうです。先日、参加予定のご門徒さんに行程表をお配りしたところです。考えてみると、一泊旅行に出かけた最後は2019年秋の本山参拝旅行以来です。

30日の早朝出発し、昼に京都市内へ。ランチのあと西本願寺の書院や飛雲閣を見学、境内とその周辺をぶらりしてから宿へ。

31日午前中の法要のあとは、大谷本廟に参拝し、あわせて納骨を行います。さらに京都国立博物館で『親鸞展』を鑑賞し、鳥取に帰る予定にしています。

大谷本廟は、親鸞聖人のお墓でもあり、全国のご門徒さんのお墓でもあります。希望する方は納骨ができます。団体さんは事前に申し込みをと呼びかけられていますので、今日はその作業をしました。

「お側に納骨したい」という気持ちになるのは、親鸞聖人が時代を超えて親しまれているという証ではないのかなと思います。それと、永代にわたって墓地としてありつづけるだろうという大きな安心感があります。

昨年の5月、網代のご門徒さんと、日帰りでお参りしたことがあります。その日も、全国からたくさんの方がお参りでした。ご門徒さんが、長い時間、手を合わせ、なんまんだぶと称えていたことも記憶しています。

はじめてお参りされるご門徒さんもいらっしゃいます。ここなら安心ときっと喜んでいただけることでしょう。