納骨のため京都へ

朝から網代のご門徒さんと京都大谷本廟へ。ドライバーはお寺の役員さんが引き受けてくださいました。

岩美町から4時間ほどかけて到着。お二人のご門徒さんのご遺骨を無事納骨できました。

大谷本廟は、親鸞聖人の墓所であり、全国の門信徒のご遺骨を納めるところです。

故人さま、そしてご遺族の希望にこたえることができ、ほっとしています。

明日は念のため、コロナの検査を受ける予定です。

おるすばん

たあちゃです

きょうは、おいたんがいません。あじろのだんかさまと、おこつをもって、きよとにいくでした。
きよとはブッブでながいことはしるとつくそうです。
あさ、いすのうえでねんねしてたら、おひるになって、おばたんがおるすばんにかえってきたので、おひるごはんはもらえました。
おひるからは、えんがわのねどこにねました。なもちゃが、おなじとこにねようとして、ぎゅうぎゅうになりました。

おひるからすこししたら、おばたんがぱそこんで、おしごとのかいぎをしていました。なもちゃがまた、うつりたがって、うろうろしてたけど、ぼくは、きょうみがないのでねんねしていました。

ゆうがたのかねがなっても、おいたんはかえらないので、まどのそとをみてまっています。
おるすばんは、つまらないな

読経と健康

今日の朝、網代のご門徒さんから聞いたことですが、毎朝、25分間、読経を日課とされているそうです。今年87歳。お元気そう。しばらく世間話をしていたのですが、近所にお住まいの今年90歳になったお姉さんがお見えになりました。うかがうと、やはり、毎日のように短い読経をされているとのことです。そして、仏壇の上に飾られた夫の写真をながめて話しかけているのだとか。

明日、京都・大谷本廟への納骨をご一緒するTさんは80代後半です。「境内を少し歩くことになりますが、大丈夫でしょうか」と今朝うかがったところ、「住職さん、私は毎日、歩いてますけえ、構いません」とのお返事でした。この方も毎日、読経されています。

私の知る限り、ご門徒さんの最高齢は102歳のYさんですが、やはり、日課は読経です。

職業別長寿の統計調査では第1位が宗教家(僧侶)です。粗食であることや規則正しい生活、瞑想や読経などを通して心身を整えていることなどが理由としてよく言われます。

私の場合、粗食といえるような食生活は送っていませんので、当てはならない気がするのですが、元気でお過ごしのご門徒さんにとって読経は何らかのプラスに働いているのかも。私が思うのは、読経というのは、ストレス発散、気持ちがスッとするということです。

高齢者のみなさんにとって、健康であることは大きな欲求、願いです。読経を健康法にするのはよくないと思いますが、健康にもよい、ということはいえるのではないでしょうか。

GWが明けて

長い休みをへて出勤された方は、今日は足取りも重いのではないでしょうか。

お寺はGWといっても休みではありません。この間、6件の法事がありました。お参りされる方も今年は多かったように思います。

それでも昨日、一昨日は法事もなく、休みモードでした。今日はいつものように午前5時前にナモに起こされ、早めに朝ごはんを食べてまた横になるという低空飛行です。朝は寒くて久しぶりに暖房を入れました。7時半前によっこいしょと腰を上げて本堂で朝のお勤め。しばらくして帰ってきてBSでメジャーリーグをつけていたのですが、大谷翔平くん所属のエンゼルスは最終回、大谷くんの活躍もありサヨナラ勝利。すっかり気をよくして、法事のお礼ハガキを書いたり、会計をしたり、銀行や郵便局に行ったりと朝から始動できました。

昼、最近よく日向ぼっこをしているシマちゃんが、室外機の上に置いた箱にすっぽりおさまっていて、思わず笑ってしまいました。恐らく寒いんでしょうね。

シマちゃんも毎日お疲れのことでしょう。みなさんも、今日はゆっくりいきましょう。

母の日の山菜ちらし寿司

坊守です。
レポートを1本書きましたので(残り1本。どう書いたらいいか、来週〆切でいまだノープラン。崖っぷちではなかろうか?)久しぶりにブログ当番です。

週末、食料無料市の利用者さんが、採ってきたワラビをくださいました。ご自分の分はあるかしら?と心配になるくらい、どっさり!「皆さんに知りあえて嬉しかった」というお気持ちごと本当にありがたくいただきました。


ところがわたくし、ながらく都会暮らしだったので、山菜は子どもの頃に祖父母が扱っていた記憶くらいしかありません。
スマホで「わらび 下ごしらえ」とこっそり検索し、数あるアク抜き方法から、失敗しにくそうなもの(重曹をワラビにふりかけ、熱湯をかけ回して放置)を選んで作業しました。
夜間は鍋という鍋にワラビが浸かっていましたが、とりあえず成功。

今日は母の日なので、前坊守さまのお昼に山菜のちらし寿司を作りました。
具は、高野豆腐とシイタケ、ニンジン、ゴボウ、ワラビ、豆腐ちくわにフキのおひたし。これを甘辛く炊いて、酢飯に混ぜ、中庭で自ばえした山椒の葉を飾って完成(たいへん便利な場所に山椒の種を運んでくれた野鳥たちにも感謝)。
酢飯は、祖母の調合で、安定の味。

住職が町内のひとりぐらしの門徒さん宅にもちらし寿司を届けてくれたので、おおぜいで春の味を楽しむことができました。

ウルトラマンの微笑み

13日から「シン・ウルトラマン」が公開されます。鳥取でも上映される予定です。

朝から、「月刊住職」を読んでいたのですが、その付録の法話中に面白い話がありました。紹介しているのは、村越英裕さん。イラストレーターの住職さんです。本もたくさん出しておられます。

こんなお話です。

国宝第1号の広隆寺の弥勒菩薩。口もとの微笑みはアルカイック・スマイルとして知られます。微笑みは頬で笑うが語源です。意識するのは口元ではなく頬です。頬を少し上げてみましょう。すると、口元が自然に上がります。

ウルトラマンはアルカイック・スマイルがヒントになっています。デザインを担当した成田亨氏は、「本当に強い人間は、戦うとき、かすかに笑うと思うんですよね」と述べています。

興味深いお話でした。

マスク着用のいま、アルカイック・スマイルは難しいですねー。せめて、ウルトラマンの微笑みを拝みに映画館に行くというのはどうでしょうか。

期待はずれでした

何のことかというと、電気料金が安くなるどころか高くなったからです。この冬、大手の電力会社から地域の電力会社に契約を変更しました。幾分か安くなるのではないかと思っていたのですが、そうはなりませんでした。

電力使用量が増えたわけではありませんでした。3月の消費者物価指数上昇率(前年比)は電気代21.6%。お寺の電気代も去年より2割ほどあがっていましたので、物価高が主な要因なのでしょう。

経済活動の再開による需要の増加、ロシアによるウクライナ侵略による小麦や原油高、そして円安となどにより物価が急騰しています。

燃料油価格の激変緩和措置が実施されない場合、今年の家計の支出増は平均で7万3千円にも。政府の物価対策で緩和されるのは1万3千円と試算されています(みずほリサーチ&テクノロジーズ)。

6万円の支出増はあまりにも痛い。削るにも限度があります。負担増を軽減するためには、当面、消費税の税率を軽減するのがもっともスムーズではないかと思うのですが。

網代へ草刈りに

今日はこどもの日。網代のなだばたでは鯉のぼりが風に泳いでいました。

午前中は草が伸び放題になっていた網代道場へ

坊守と2人で約2時間、草を刈りました。ずいぶんキレイになりました。

これから、ますます草が生い茂るシーズンになります。この状態をキープできるようにしたいものです。

正面に見えるのは鳥取砂丘です

ナモの日記(2022年5月)

ナモです

おいたんもおばたんも、まいにちおそとにでています。れんきゅうなので、おにわのくさをひいたり、はたけのくさをかったりしてるんだって。おにわがきれいになったら、あたいたちも、えんにいるじかんがながくなりました。

きょうは、りびんぐのしきものをおそとにほしたので、おへやになんにもなくなって、はしりまわりました。
ター坊は、くっしょんであたまをかくしただけで、あたいからかくれたつもりだったの。そこからばあっ!と、とびだして、びっくりさせようとするんだけど、うまくいきません。ター坊は、5月うまれのようなので、やっと1さいになります。からだはおおきいけど、まだあかちゃんです。

おばたんは、おにわからもどるとき、ススキをきってきて、かびんにさしてくれます。とがったはっぱを、しゃくしゃくとかじるのが、すきです。


それよりすきなものは、ちゅ〜るです。このまえ、クロネコヤマトさんが、はいたつしてくれた、おおきなかみぶくろに「山名様方 ナモ、タリ、シマ」というあてなのがありました。おばたんにあけてもらったら、60ほんも「ちゅ〜る」がはいっていました。
おれいをいおうとおもったら、くれたひとがじぶんのなまえをかくのをわすれていました。あとで、おいたんおばたんの京都のおともだちがくれたとわかりました。
そのおじさんは、ター坊がすきで、くいしんぼうなのに、あんまりおやつをたべさせてもらえないのがかわいそうだとぷれぜんとしてくれたそうです。

あったことのないのに、ぷれぜんとをくれるひとがいるのは、なんでかわかりません。ター坊が食いしんぼうで、だいえっとしているのも、どうしてしってたのかしら?

おばたんが、あしたまでに、おべんきょうのれぽーとをふたつかかないといけなくて、うんうんうなっているので、にっきはこれでおしまい。

5月3日は憲法記念日

 今日のご法事で、久しぶりに『阿弥陀経』を読みました。このお経は、お釈迦さまが阿弥陀仏のみ教えを1250人の高僧方に説法するという内容です。阿弥陀仏とは、量ることのできないいのち(無量寿)をもち、さえぎられることのない光(無量光)を放つ仏様です。その救いを信じてお念仏するものは、みな救っていく、という教えです。

 なぜ、そんなことを阿弥陀仏は誓われたのでしょうか。それは、私たちが煩悩を捨てきれない人間であるからです。その私たちを救っていくためには、改心を待っていては間に合わない、だからこそ、自ら救っていくのだということです。

 煩悩とは、貪りの心、怒りの心、自分本位に物事をとらえる心のことです。自分の心というものはなかなかコントロールが難しいものです。みなさんはそう思いませんか。

 『阿弥陀経』には、印象的な言葉がたくさん出て参ります。

 「共命鳥」(ぐみょうのとり)。この鳥は、体は1つ、頭(首)が2つある奇妙な鳥です。首同士、仲が悪く、しょっちゅう争っています。あるとき、片一方の首の方がもう一方の首をかみみってしまいました。これで自由になれたと思ったら、自らも死んでしまいます。体は一つしかないのですから。この鳥はお浄土で、「あなたがあるからこそ私がある」という真実を歌っています。 

 時として、人間の激しい煩悩は相手を傷つけてしまいます。その最たる例が、戦争ということになるでしょう。いま、プーチン政権は、侵略を禁ずる国際ルールに真っ向から背いてウクライナ国土で破壊の限りを尽くしています。この戦争によって、ヨーロッパ、そして世界は不安定化しています。日本政府や自民党などの中からは、防衛費をGDPの2%水準に引き上げる、攻撃される危険のある時は相手国の敵基地や政府の中枢部を先制攻撃できるようにするなどという発言も相次いでいます。仮に現実のものとなれば、東アジアはいっそう不安定になることは確かでしょう。

 親鸞聖人は、「さるべき業縁もよおさば、いかなるふるまいをもすまじ」とおっしゃいます。私たちが人を殺さないのは、いい心があるからではなく、そういう関係性にいないからである。もし、そのような関係性の中に置かれれば何をしでかすかわからない、それが人である、とおっしゃいました。

 そういう面がある私たちであるからこそ、阿弥陀仏は私たちを放っておけないのではないでしょうか。私自身は、仏さまが悲しまれるような選択は決してしてはならないと思って生きています。

 2件の法事が終わり、日本国憲法を通して読みました。
 歴史の大きな曲がり角に私たちは立たされているのだ、と自覚する今日の憲法記念日です。