東日本大震災から11年

今日で日本大震災から11年となりました。昼から網代で配り物。その途中、なだばたで黙祷しました。

2011年3月17日から5月の初めまで、仙台にいました。そのとき見たこと、体験したことを思い返しているところです。不眠不休で岐阜から牛乳パックを届けてくれた酪農家の方の姿、今も忘れることができません。

災害と関わりのないところは全国どこにもありません。なによりも被災地の復興と被災者への支援、そして、災害につよりまちづくりが急がれます。

久しぶりの習字教室

久ぶりに網代での習字教室でした。4月に網代のご門徒さん宅へのお参りを予定しています。その案内づくりをしばし中断して1時間半、筆をとりました。

お参りは2年続けて中止。今年もこのままでは、まず案内をして、次に中止の案内をしてまわることになるかもしれません。

と、なかなか思うようにいかないわけですが、そんななかでの書道教室はありがたいひと時でした。

尾崎放哉の句「流るる風に押され行き海に出る」

海辺の情景が目に浮かびます。

さて、お寺に帰って仕事の続きを。岩美町内に降った雪は平野部ほぼ解けて、お寺の前もこの通り。雪かきから解放されました。

同じ県東部でも若桜町のお寺さんの前は、まだこんなに雪があるそうです。本堂の屋根まで届きそうなくらいの積雪!

毎日、雪かきをされているとのこと。ごくろうさまです!

本願寺派がロシアへの抗議声明を発表

昨日、本願寺派の石上智康総長が、ロシアのウクライナ侵攻に抗議する声明を発表しました。

https://www.hongwanji.or.jp/news/cat5/001745.html

朝、世界のニュースを見るにつけ、胸が痛みます。ロシアでも拘束を覚悟しての抗議の声が上がっています。プーチン政権は弾圧と情報統制を進め、真実を覆い隠しています。恐ろしいことです。

プーチン大統領による蛮行を一刻も早くやめさせるため、世界各国が、そして私たちが侵攻の中止を求め声を上げ続けなければ。

本願寺派寺院と戦争

宗派10137のお寺を対象にした調査がこのほどまとまり、本山より一冊いただきました(有効回答数3823)

梵鐘のあった寺院のうち、84.9%が戦争に供出した。

門徒の軍人戦没者数は、1〜9人が540寺、10〜19人が381寺、20〜29人が222寺、30〜39人が148寺、40〜49人が87寺、50〜59人が62寺…。

戦争の悲惨さを記録し、再び繰り返すことのないよう努めなければなりません。

俳句王国から春の句

坊守です。
少し暖かくなったかと思うと、冷え込んで雪さえチラつき、春はまだか、とがっかりしながらコタツにあたったりするわけですが、中庭の梅がようやく咲きました。例年より半月遅れです。

そんな時、俳句王国・愛媛のまあちゃん先輩(京都の某真宗系大学の…)から、「お寺のことを俳句にしたよ」と連絡がありました。

【牡丹の芽 寺に法衣の御用聞き】

「牡丹の芽」は春の季語。冬の間ずっと寒さに耐えて、春に蕾が膨らみます。そんな山陰のお寺の景色と、暖かくなると京都からやってくる法衣屋さんの姿が重なりました、

先輩は以前、京都の法衣屋さんが御用聞きに回ってきてくれる、というわたしの話をおもしろく聞き、心に留めてくれていたそうです。
これから大きく華やかに咲く牡丹と、京都から届く法衣のとりあわせ…なんとも豪華です。

法衣屋のご店主も自分のことが俳句になるとは思ってもみますまい。

俳誌「百鳥」3月号に掲載されているそうです。詠み人は、上田こまさん。
作り手の印象に残った情景や話題を五七五の17文字におさめながら、解釈やイメージは受け手によって様々に拡がっていくのが俳句です。私も作ってみたくなりました。

戦争体験をうかがう

ご門徒さんの親類にあたる方がご往生され、葬儀の依頼がありました。
午前中にご家族からお話をうかがいました。亡くなられたAさんは9人きょうだいの三男。長男さんは大正生まれで戦争体験者です。長男さんの息子さんから貴重な話をうかがいました。

「生前、父は、戦争を取り上げた映画やドラマを見て、『これはウソだ』というんです。『甲板なんかは血がべっとりとついていて、とても歩けたもんじゃない』『爆弾にやられると身体はバラバラになって、飛び散ってしまう。戦争はひどい』とよく聞かされました」

「呉の軍港で建造されていたヤマトのことも話していました。大きな囲いがしてあって、造っている途中は見えなかったそうです。完成して、囲いが外された時、『こんな大きな船があるなら、戦争に勝つかもしれん』と父は思ったらしいです』

海軍兵として戦い、仲間の多くが亡くなったそうです。

戦争が終わり、乗っていた軍艦は、進駐軍によって海で爆破されたとのことです。

戦争を体験された方の記憶をしっかりと記録しておかないといけないと感じさせられました。

ナモの日記(2022年3月)

ばんなりました。
ナモです。

みんながばんごはんをたべて、りびんぐでゆっくりするときが、だいたい、あたいのぱとろーるのじかんです。

このごろ、あたいたちのおにわに、シマちゃんじゃない子もくるので、ぱとろーるきょうかげっかんです。


ター坊はあんまりやくにたちません。イタズラしたり、あたいをぷろれすのあいてにしようとするので、こんやもおいたんにおこられて、おりにいれられました。でもほんにんはごきげんで、ねんねしています。
ター坊がねんねになったら、りらっくすたいむです。カリカリをたべたり、おにかいのろうかで、おばたんとおにごっこします。おばたんをつかまえたら、かかとをガブリとするるーるです。
「ター坊がいないと、こねこにもどるね」と、おばたんにわらわれました。

ふだんは、おねえさんらしくしてます。「ねーちゃんはつらいよ」

ついしん

おいたんはさいきん、とおいくにのにゅーすをあさみています。「ねこあるきのいわごうさんは、『ねこはへいわをあいするいきものです』っていってたよ。ねこはけんかをしてもころしあうようなことはしないのに、なんでひとはするのかな」とあたいにはなしかけました。

さるべき業縁のもよほさば

毎朝見ているBS NHKのワールドニュース。
今日はイギリスBBCのニュースのウクライナ現地リポートが詳しく報じられました。

サイレンがなるたび、地下の倉庫に避難する若い母親と2人の小さな娘さんの姿。
西に向かう列車に乗り込もうと殺到する群衆。妻と子どもを乗せ、国内に止まる男性の姿。
18歳から60歳までのウクライナ人の男性は、国外に出国することは禁じられています。手製の武器の部品として、家から釘を持ってきた障害を持つ男性の姿も。

市民を巻き込んだ悲惨な戦争です。胸が詰まります。

「一人にてもかなひぬべき業縁なきによりて、害せざるなり。わがこころのよくてころさぬにはあらず」(思い通りに殺すことのできる縁がないから、一人も殺さないだけである。自分の心がよくて殺さないのではないのですよ)
「さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまいでもすべし」(その状況に置かれたなら、我々はいかなることにだって手を染めてしまうのである)

ーー「歎異抄」(第13条より)

プーチンに命令されたロシア兵も、侵略から祖国を守るために戦わざるを得ないウクライナの人々も、「さるべき業縁もよほさば」の中で、厳しい現実に立たされているのではないでしょうか。

戦争はむき出しの人間の本性を暴き出してしまいます。

「業縁なき」状態を、どんなに苦労してでも作り出し、持続させないといけません。

そして、たとえ戦争がはじまったとしても、それに反対し、侵略をやめよと叫ばないといけないのだと思います。