三連休最終日

雨が続いたこの数日でしたが、今日は晴れ間もあり、お墓参りをされた方もいらしたことでしょう。

お寺の方は午前中、祖母の13回忌をお勤めしました。昨日書いたように、祖母に「おかげさまで僧侶にならせていただきましたよ」と報告することのできた法要となりました。この春から高校生になる姪っ子は、念願のスマホを持つことになったようで、嬉しそうでした。坊守からお祝いを渡し、私から本をプレゼントしました。『ソフィーの世界』。難しいかもしれないけれど、何かの機会に開いてくれたらと思います。

午後は、27日に予定しているお寺の役員会に向けて、私含めた4人の責任役員で事前の相談をしました。ある役員の方は、「武力で解決できることなんて何もない」とロシア侵攻に憤っておられました。この間、入院されていた役員さんも退院後、体調は良好とのことで一安心です。

会議の途中、鳥取の歯科医師さんのご門徒さんがマスクを届けてくださいました。昨年、法事でお参りの際にもたくさんいただいて本当に助かりました。実は同じマスクを購入しようと考えていたところでした。マスクをいただいたことはもちろん嬉しいのですが、わざわざ届けに来ていただいたことがとても嬉しく、ありがたい気持ちでいっぱいです。

忙しい中にも嬉しいことも多かった三連休でした。

殺すなかれ

お彼岸です。

すでに人生を終えた縁ある方々のことを思い、手をあわせる特別な時間です。

西法寺の境内には納骨堂以外に墓地がありませんが、境内の近くに墓地があり、お墓参りされる方の姿が見受けられます。昨日はある方から、「今月はこれですよね」と声をかけられました。

「殺すなかれ」。お釈迦様の平和思想をあらわす言葉です。

約2500年前、当時のインド社会は奴隷制と身分差別があり、領土を武力で奪いあっていました。だからこそお釈迦様は世間から出て、距離を置いた平等な人間関係の集団をつくったのです。サンガ(僧伽)です。

 その晩年には、大変な悲劇が襲います。出身の釈迦族が隣国に攻め亡ぼされてしまうのです。このときお釈迦さまは侵略者にたいして非暴力だったと伝えられています。

ロシアは今回の侵略を特別軍事作戦などと呼び、事実を正反対に描いて、国民をだましつづけ、武力行使をやめません。

しかし、世界中でも、ロシア国内でも反対する声は止むことはありません。

なぜ、殺してはならないのか。お釈迦様はおっしゃいます。

「すべての者は暴力におびえる。すべての生きものにとって生命は愛しい。已が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ」

これは真実です。戦争は真実に反する行為です。

時間はかかるかもしれないし、目の前の悲惨な現実に無力を感じます。けれども、あきらめてはいけません。

戦争反対 世界から戦争をなくしましょう。

3連休は法事がつづきます

今日から3日間は午前中法事です。

21日は祖母の13回忌にあたります。1周忌は2011年3月12日に予定されていました。東京の亀有に当時住んでいたのですが、11日の寝台列車で帰る予定でした。しかし、東日本大震災が発生。首都圏も交通機関はストップして帰ることができませんでした。

祖母は、兵庫の播州のお寺からこんな田舎に嫁ぎ、幼いころの私からみてもかなり気難しかった前々住職を支え、苦労も多かったことでしょう。時々、小銭のお小遣いをくれることもありました。家をでてからはあまり会うこともありませんでしたが、明るい性格の人で、90歳まで生きました。

考えてみると、祖母には僧侶になったことを報告していませんでしたので、「おばあさん、思いもよらなかったけれど、僧侶としてお寺に帰ってきましたよ」と胸の中でつぶやきつつお勤めすることになりそうです。

時が経過すると忘れてしまうこともありますが、こうして節目節目に仏事がやってくることには意味があるなと、自分のこととして受け止めています。

ご命日のお勤め

東北地震で被害にあわれたみなさんにお見舞い申し上げます。

ワクチンの副反応もほぼおさまり、今日は朝から法務です。

朝は、2年前にご往生された方のご命日でお勤めをしました。「お参りできませんが」と数日前、親戚の方から連絡があり、お布施をお預かりしました。その親戚の方が関西の方に出向かれて火葬を済ませ、町内にご遺骨を持って帰られ、自分の家のお墓に納骨されました。2年前の3月のことです。法名も私が付けさせていただきました。私はお会いしたことはなかったですが、こうして亡き方のことをしのぶ時間を与えられたこと、感謝しています。ご命日にお勤めをさせていただいたことを、後日、葉書でお知らせしたいと思います。


NHK「連続テレビ小説」『カムカムエブリバディ』では、「終戦の年に死んだ者は、みんな今年が50回忌」とのセリフがありました。本当に、ハッとするようなセリフでした。ドラマで描かれたのは1994年の8月15日のことです。

命日。昔は、捨命日、命過日と呼び、そこから命日になったそうです。
若くして失われた父の命について思いを馳せ、そして生き別れた母に思いを馳せ、るいは母との再会を誓うシーン。よかったですよね!!

その後は、鳥取東部の本願寺派寺院の集まり・因幡組の会計作業。とりあえず1円のズレいもなかったので、一安心。ついで、21日に予定しているお寺の責任役員会の準備、そして西法寺通信の続きです。

外は、強い雨降りで気温も低く、冬に逆戻りしたような天候です。みなさん、体調管理に気をつけてください。

2回目の食料支援に向けて

坊守です。

帰宅すると、きのう3度めのワクチン接種をした住職が、熱さまシートをおでこに貼って安静にしていました。そんな事情で、ブログは代打です。

このところ、公私ともやること満載で、同時並行で複数の課題をすすめることに比較的強い私も、仕事の夢を見始めました(笑)。仕事とは違いますが、追われてくると「運転がうまくできない」という夢も、多めになります。
しかし、今月のヤマのひとつだったお彼岸の法要と、学習企画の二本立てだった昨日を乗り越えましたので、あとは26日の食料支援第2弾に向かって走っています。
実現までいろんなハードルが出現するのですが、その道程には、誰かの手助けや応援があり、こんな時代だけど、人間は本当は捨てたもんじゃないんだよな、と確認する場面が必ず、ちりばめられています。
今日も、県中部に会議に行き、帰りは私の小さなクルマに食品や雑貨や絵本などを積んでいくことになりました。
絵本を持ってきてくれたママは、「わたしはたくさんの周りのかたに助けてもらったんで、今度はわたしが世の中に恩返しする番」と、言ってくれました。
協力してくれる人たち自身も、いろんなしんどさを抱えて踏ん張っていたりするのです。
「恩送り」という言葉を被災地できいたことがあります。人生には苦労がたえませんが、この世のあちこちで恩送りがあれば、少しはそんな生きにくさもマシになると思います。

さて、もうひと仕事。住職よ、明日は元気になってくだされ

春の彼岸法要をお勤めしました

午前中は春の彼岸法要でした。その後は納骨堂前でのお勤め。お参り希望の方には事前に連絡をいただいて11名での春彼岸となりました。

魚のあきんどさんからハタハタ、エビフライなどいただきました。いつもありがとうございます。

午後は西法寺通信第12号の作成。4ページ分の半分をなんとか目処をつけました。

夕方はコロナワクチン3回目の接種のため岩美病院へ。副反応がなければ明日、通信作りをしたいところですが、どうなるでしょうか。

明日は春彼岸会です

今年の彼岸の入りは18日ですが、当西法寺では16日に春彼岸会をお勤めするのが恒例となっています。コロナの感染状況が改善しない中、ご講師さんは残念ながら来られなくなりました。ご講師さんにかわり、私の方から短時間ですが、お話しさせていただく予定です。

10人ほどの少人数の春彼岸会になりますが、春のはじめのひとときを共にできたらと思います。お勤めの後は、納骨堂前でも短い法要を予定しています。

そして夕方、岩美病院で3回目のワクチン接種です。1、2回とも副反応はあまりなかったのですが、どうなりますか。

今年初のウグイス

昨日のブログで、まだウグイスの鳴き声がしないと書きましたが、今日の午前中、はじめて鳴き声を聞きました。ごくごく短く鳴いて、また山の方に帰っていきました。いよいよ春の訪れでしょうか。

何度かここでも書いていますが、ウグイスの鳴き声

「ほーほけきょ」

「法、法華経」

「法を聞けよ」

と色々、聞き方によって聞こえ方が違います。

午前中、春の彼岸法要で、お話しすることを考えている最中だったので、ウグイスの鳴き声を、

蓮如上人がおっしゃったように、私も「法を聞けよ」と聞かせていただきました。

春の訪れを感じる1日です

午前中は四十九日と納骨のお勤め。きょうはあたたかく、本堂に暖房を入れなくても寒さを感じませんでした。墓地に行くと、施主さんの家のお墓は、先日、新しくお墓を建てたご門徒さんの隣にありました。小さなお子さんたち3人も手をあわせ、無事、納骨を終えました。

午後は、お寺の前の西法寺農園を耕運機でおこし、花を植える下準備です。

今年はまだウグイスの鳴き声を聞きませんが、確かに季節の移りかわりを感じる1日でした。

ター坊の大仕事

坊守です。
木曜夕方に3回目のワクチンを打って、昨日は終日ノックアウト。副反応にはかなり個人差があります。みなさんはいかがでしょうか。私の場合は毎回、カラダの節々の痛みと発熱がついてきます。
それはあっても、自分と自分の大事な人たちのために打っております。


寝こんでいる間はナモもター坊もお布団の近くにいて、お利口だったのですが…。今日は目覚めると37度まで下がっていたので、障子の破れ(誰が破るのでしょうか!)を直す作業くらいしようかと派手な破れをカットして、修繕の下準備をしました。
そして、障子紙や糊を取りに行っている間に事件は起きました。
ドカーン!という大音響が窓際で起き、急いで見にいくと、障子のあいたマスから、黒い顔が。
高い場所なので、ジャンプをしてからよじのぼった際にできたとみられる新しい穴があちこちに。

ちょこっと修繕…ではなく、大幅に直すことになりました。とほほ。

なお、ター坊本人はお腹がつかえて前にも後ろにも動けず、黄色い目玉をまん丸にしていましたので、両前脚をつかんで引っ張り出してやりました。