スマホ利用料が安くなったので年金削減?

今日も午前、午後と1時間ずつ雪かきです。朝は除雪機を動かし、駐車場の雪をかき、昼間は、納骨堂周辺の雪をかきました。雨が降ってくれることを期待したいところです。

そうそう。全くの私事ですが、4年前に購入したスマートフォンの機種代請求がこの春からなくなります。毎月2000円ほど安くなりそうです。あと1年ほどはこのまま使いたいと考えているところです。

その、スマホのことで思い出しました。
先日、知り合いの70代の方が、「安くなったで」と喜んでいました。地元のケーブルテレビ局が運営する会社でスマホを契約したところ、これまでよりも利用料金が下がることになったそうです。こういう方は少なくないと思います。何でもスマホ利用料金の値下げは、昨年の物価を0.9%引き下げたとか。

しかし、喜んでばかりはいられません。電気、ガスから、生鮮食料品など軒並みの値上げラッシュ。いつもここでこぼしていることですが、ガソリン代や灯油代も高値が続いています。

さらに先日、2022年度の年金支給額が0.4%削減されることが決まりました。物価と賃金が減っているので、年金支給額も減らすそうです。物価を引き下げた最大の要因は、スマホ利用料金が安くなった! 

生活防衛、節約のために「自助努力」をして、スマホを安いプランに切り替えたら、年金支給額を削減する…。

非正規雇用を拡大し、働く人たちの賃金は増えず、保険料収入は伸びず、お年寄りの年金額は減っていく。ですから、現役世代も老後が心配です。その割合は84.5%にも。「心配」の主な理由は、「十分な金融資産がないから」66.7%、「年金や保険が十分でないから」54.8%【金融広報中央委員会『家計の金融行動に関する世論調査』(2021年)】

現在のお金の余裕のなさが、将来の年金、老後への不安に直結しています。
なんとかしないといけない、大きな課題です。

最後に仏教の教えから一つ。

お釈迦様は、「財」(お金)の意義について、自分と家族、使用人の幸福を守り、災害から身を守り、人々に安らぎを与えると説明されています。

私たちがお金(年金に置き換えてもいいかもしれません)に何を求めているのか、言い当てていると思うのです。

山陰の雪景色

坊守です。

「20センチくらいかな」と、手慣れた様子で赤い除雪機の手入れをする住職と、お寺の前で話しました。


きょうは指定休を入れていたので、朝は愛車ミドリガメを雪から掘り出すことはせず、隣の天台のお寺のおばさまと並んで、たっぷり1時間、雪かき作業に情熱をそそぎました。

テコの原理を意識して、雪のかたまりを溝に放り投げる運動は、なかなか楽しいもんです(私のことは雪だるま製造係あらため「雪上のブルドーザー」と呼んでいただきたい)。

住職は、お参りの予定のない寺まわりはそこそこに、組(自治会)内をひとまわりして除雪にあたりました。
太平洋岸しか知らなかった者には、日本海側の冬は驚きの連続ですが、雲間から青空がでて、キラキラと反射する雪の景色の美しさといったら。

なお、黒猫は、2階の小窓から雪かきする隣人に釘付けです。
さて、このあとはお茶を飲んで勉強でもします。

大雪注意のお知らせ

今日は朝から冷たい強風が吹き、時折、雪も舞っています。午前中は法事が一件。元漁師さんがお参りでした。船から降りて10年経ったとのこと。底曳船に乗っていた頃は県西部の境港で生活していたそうです。8月末から次の年の5月までですから、なかなか大変なことです。岩美町は県の東端です。カレイ、ハタハタ、そして山陰の味覚松葉カニ。これらは漁師さんの仕事があって私たちは口にすることができるのです。

昼には役場の防災無線で、今日の夜から明日にかけて寒気が流れ込み、大雪に注意をとのお知らせがありました。

それは大変と、除雪機にガソリンを入れ、オーガ(回転部分)のボルトを締めなおしました。ですが、雪は積もらないで欲しいが本音です。

そして午後からもう一仕事。通販で買った整理棚を組み立て。整理整頓と断捨離を心がけます。

2月15日 今日は何の日

旧暦の2月15日(新暦3月15日)は、釈尊(お釈迦さま)入滅の日と伝えられています。

釈尊が明らかにしたことは、私たちの苦しみ(思うにまかせないこと)の根本的な原因が「無明」=人間の奥深い愚かさであり、喉が乾いた時に水を必死で求めるような「渇愛」という激しい欲望にあることを発見しました。そして、釈尊も、その弟子たちも、戒律を守り、禅定(瞑想する事)を深め、智慧をみがき、無明を叡智に転じ、渇愛をコントロールすることによって、現世での苦しみから抜け出すことを目指しました。

当初、釈尊は説法を拒んだと伝えられています。「法を説いたとしても、他の人々は私のいうことを理解してくれないだろう」。なぜなら、「貪りと瞋(いか)りに打ち負かされている者たちは、この理法をさとることができないからだ」(カッコ部分は、仏典『ヴィナヤ・ピタカ』より)

しかし、釈尊は衆生への説法を決意します。ご自身の心の中の葛藤が、有名な梵天の勧請です。古代インドの神(梵天)が、釈尊に説法をするように三度要請し、ついに決意するというお話です。釈尊は、葛藤の末、説法を始めることを決断されました。

「世尊が仏眼をもって世間を観察したところ、衆生には汚れが少ない者も、汚れが多い者も、鋭敏な者も、鈍重な者も、性根の善さが様相に表れている者も、性根の悪さが様相に表れている者も、導きやすい者も、導きにくい者もおり」(同上)

さまざまなタイプの人がいる中で、導きやすい者から説法していこうと決意されます。「耳を持った者たち、その者たちに、甘露の門は開かれた」「(それまでの)信仰を捨てよ。人々を悩害するおそれがあると考え、私は勝れた法を説くことを躊躇っていたのだ」(同上)。

意外に思う方がいらっしゃるかもしれませんが、みんなを最初から救おうと思い、説法を始めたのではありません。釈尊がどんなに慈悲深いお方であったとしても、「聞く耳」が全くない人に語っても届きません。まずは「聞く耳」をもった人からです。ただし、仏教は「諸行無常」の教えです。いつまでも「聞く耳がない」ののかといえば、そうとも限りません。この私もそうでした。全く聞く耳などなかったのに、いまこうして聞いているのですから、変わりうるのです。

このブログを読んでくださっている方は、もちろん「聞く耳」を持っていらっしゃる方ですから、どうか安心してください。

釈尊の生まれた日は4月8日、悟りを開いた日は12月8日、そして入滅の日は2月15日。ぜひ覚えておいてくださいね。

【本日の原稿を書くにあたって、『ここにしかない原典最新研究による 本当の仏教』(鈴木隆泰著、興山舎)を参考にさせていただきました】

2月14日と15日

今週は平日もご法事があります。この時期の法事でしかしない話をしようと思っています。こんなふうに。

「みなさん、2月14日はなんの日ですか?」

「では、2月15日は何の日ですか?」

14日はみなさんご存知です。しかし15日が何の日かご存知の方は、いらっしゃいません。

そのことを確認してから、14日と15日について、少しお話しすることになると思います。

今日は2月14日です。大半の方が、何の日かはご存知でしょう。
バレンタインデーです。
3世紀、ローマ帝国の時代。当時の皇帝は兵士の結婚を禁止していました。それに抗して、バレンタイン司教が兵士たちを結婚させます。皇帝の怒りを買い、処刑されてしまったその殉教の日が、西暦270年2月14日です。プレゼントを送る習慣が始まったのはずっと年代が経ってからのこと。日本では戦前に神戸モロゾフが、欧米の習慣を紹介して広まったそうです。

では、2月15日は何の日でしょうか。(ただし、旧暦の2月15日です。何の日なのかは、以前、このブログでも書いたことがあります)

「…………」

答えは、また明日に。

中央仏教学院からの便り

京都の中央仏教学院から便りが届きました。創設100年、本願寺派の認定校として僧侶の育成に取り組んでいる学校です。私も2017春から1年間お世話になりました。

学院長さんの手記によると、今年も前期はほとんど対面授業ができず、後期に入って対面授業ができるようになったとのこと。寮も2年間閉鎖が続き、今後の開寮も困難なようです。大変な状況が続きますが、引き続き、教職員のみなさんの奮闘に期待したいところです。

いい知らせもありました。これまで学院で開いていた真宗講座を、公開講座をオンラインにて開講するとのことです。2022年度は「浄土三部経」、2023年度は「正信念仏偈」を月1回開講し、期間中であれば繰り返し視聴も可。私も受講させていただこうと思います。

興味がある方がいらっしゃれば、学院のホームページにアクセスしてください。

http://www.chubutsu.jp/important/557/

お母さんの念仏が受け継がれる

きょうは四十九日のお勤めでした。お参りされたご夫婦は、夕食のあと、2人でお経を読むことが日課になったとお話しでした。ご往生されたお母さんも、よく仏壇の前で手を合わせていたそうです。「法事に参って涙が出たのははじめてです。いろいろ思い出してしまって。『しんらんさま』が歌えませんでした。どうしてくれるんですかご住職」と施主さん。涙交じりの苦笑いをされていました。

念仏の教えはこんなふうに受け継がれるのか、これまで受け継いでこられたのかと、勉強になったお勤めでした。

本堂裏で「ラジオ深夜便」。ほのさんのこと

坊守です。

今日から三連休なので、朝は本堂裏で仏華の作業をしていました。このごろ住職がストーブを持ってきてくれるので、手もかじかまずスムーズです。


この時、スマホで音楽を流すことが多いのですが、今朝はラジオがきけるアプリ(らじる)をつけました。NHKで今朝放送のラジオ深夜便の「人生のみちしるべ」の話し手が、よく知る人だったからです。
西村理佐さん。障害児の中でも医療的ケアが欠かせない超重症障害児の娘・帆花さん(現在14歳)と首都圏で暮らしています。
この理佐さん夫婦とほのさん(小さい頃からの呼び方を私は今だにしてしまう)一家の日常を取材したドキュメンタリー映画が年明けから公開されましたので、近ごろ彼女たちはメディアに出ることが多いのです。今朝のラジオもその一環とおもわれます。

https://www2.nhk.or.jp/radio/pg/sharer.cgi?p=0324_04_3759407

医療技術がすすみ、救える命は増えたものの、重い障害を抱えた乳幼児のケアの制度や受け皿づくりは追いついていません。理佐さんたちはそうした問題をひとつひとつ乗り越えながら歩いてきました。人工呼吸器をつけ、24時間目が離せない子を育てている日々の中でも「こうした命があることを知って」と発信することが、やさしい社会をつくる一助になると考える理佐さんなのです。

出会いは、当時担当していた雑誌の編集部に届いた理佐さんからの分厚い手紙でした。臓器移植法の「改正」案が国会に出て、それまでできなかった15歳以下の臓器移植が可能にされるかも、という局面でした。ほのさんは生まれた時に「脳死に近い状態です」と、医師に告げられていました。法改正でほのさんやほのさんのような子どもたちの命はどう扱われるのか、そんな立場にいる子どもたちの存在を知ってほしい、と切々と訴える内容でした。
会いにいったほのさんの小さな手はあたたかくて、脳死の定義はどうでもよくて、目の前に居る確かに生きている子や家族の毎日が大事にされないと話にならへん、と、考えたものでした。
このころ出版された『ほのさんのいのちを知って』(エンターブレイン)の編集作業を手伝ったり、シンポジウムのスタッフをしたりと貴重な経験もさせてもらいました。

ラジオ深夜便は、放送時間帯に意識不明の爆睡をしている私には縁のない番組ですが、きょうのインタビューは皆さんにも聴いていただければと思います。

できれば映画も。タイトルは「帆花」です。

映画の公式サイトはこちらをクリック

出会いも別れも「ありがたい」

午前中に、Yさんのご自宅で1周忌の法要を勤めました。
ご主人がご往生され、その後、四十九日までほぼ毎週、ご自宅でのお勤め。一緒にお経をあげ、またYさんご自身もCDをかけ、練習もされ、上手に読まれるようになりました。

今日のお勤めの後、少しお話をうかがいました。
毎日、朝晩と仏壇の前に座り、手をあわせ、読経されているとのこと。

「朝起きて、まず布団を畳み、洗濯機を回して、それから仏壇の前に座ります。すんだら洗濯物を干して、朝ごはんを食べます。日課になりました」

「実家の父は、しょっちゅう仏壇に手をあわせ、お経を読んでいるような人でした。私も自然と手をあわせるようになりました」

「歳をとるとあちこち弱ってきていけませんなあ。だけど、この歳まで生きさせてもらって、ありがたいです。仏さんにも、主人にも感謝しとります」

坊守の友人からいただいた高知の文旦を、私からお供え。

「まあまあご住職さん。ありがたくいただきます。お父さん、仏さんと一緒によばれてな」と仏壇に黄色い文旦を供えられました。

Yさんは、出会にも、別れにも、「ありがたい」と手をあわせ生きてこられたのでしょう。

大いに刺激を受けました。

『人は死んだらどこに行けばいいのか』

『人は死んだらどこに行けばいいのか』(佐藤弘夫著)というタイトルの本を数日かけて読みました。
各地の史跡や神社仏閣をめぐり、過去の人びとが、死んだあとどこをめざしていたのかを解き明かしていく内容です。

大変勉強になりました。以下、関心を持って読んだ内容について少し。

中世において個人の墓はほとんど存在しません。墓参りもなかったそうです。当時の人々にとって最も重要な関心は、浄土への往生でした。「この世を遠い浄土に到達するまでの仮の宿り」と見るというのが中世の世界観だったということです。空海が開いた高野山、その「奥の院」への納骨が中世ではブームとなったそうです。真言宗は密教ですから意外に思ったのですが、浄土の仏たちは、娑婆世界に降り立ち、衆生を往生させるために働くという考え(「垂迹」といいます)が広がり、空海もその有力な一人と考えられていたそうです。それが江戸時代になると、同じ奥の院でも、戦国武将のお墓が作られるようになります。著者は、「匿名化する中世の死者から、記憶される近世の死者への転換」と記しています。

江戸時代になると、「来世での救済よりも、この世での幸福の実感と生活の充実を重んじるように」なり、他界観が劇的に変化したそうです。救済者としての仏は後退し、それに代わって死者供養の主役は遺族がつとめるようになります。「家」(いえ)の観念が庶民まで浸透し、家ごとのお墓が定着し始めます。17世紀の日本では、都市の内部に大量のお寺が計画的に造られ、本堂と墓地がワンセットで造られていることに特色があるそうです。また、お墓参りや、お盆の精霊棚が設けられるようになったのも江戸時代からで、「死者と生者との定期的な交流が、国民的儀式として定着し」ました。

そして現代です。「死は忌避すべき暗黒の領域と化し、死に行く者を少しでも長くこちら側に引き止めることが現代医療の目的となりました」「生と死を峻別する近現代に固有の死生観が存在する」からです。また、江戸時代から続く伝統的な家制度が大きく変容し、孤人化社会が進んでいます。著者は、日本人が長年に渡って共有してきた生と死に関わる言説そのものが急速に説得力を失いはじめている」ことをあげ、かつ「死の儀礼と文化をもたない民族は、いまだかつて地球上に存在しませんでした」と強調します。そして、「どのような死者との関わり方が可能なのでしょうか。私たちはいま、死者から重い問いを突きつけられているのです」と本を結んでいます。