持続可能な仏教寺院へ

冷たい雨降りの3連休明けです。風が冷たく、肌寒く感じます。明日から雪予報。大雪にならないといいのですが。

今日は、法事のお礼葉書を書いたり、事務作業をしつつ、読書も少し。

タイトルに掲げた連載が、本願寺発行の月刊誌『宗報』(2021年11-12月合併号)にありました。3回シリーズのようです。第1回目の筆者は龍谷大学社会学部教授の猪瀬優理さん。

持続可能な開発目標(SDGs)について取り上げていますが、中でもジェンダー平等の視点が特に強調される内容となっています。

日本は現在、少子高齢化が進んでいます。経済が縮小し、人口が減少する負のスパイラルです。猪瀬さんは、このような状況を変えるために重要なのが「ジェンダー平等の視点」と強調します。

ジェンダーとは、社会が構成員に対して押し付ける「女性はこうあるべき、男性はこうあるべき」などの行動規範や役割分担などを指し、一般には「社会的・文化的につくられた性差」と定義されています。

猪瀬さんは、日本のジェンダー平等に向けた改革スピードは遅く、特に「母子家庭」の所得が極端に低い状況にあることを指摘します。

「男性が『政治』や『経済』の場でリーダーシップをとること、その仕事に多くの報酬が払われることを前提とする一方で、子育てや介護などの『ケア労働』を女性の役割として女性の賃金労働市場への参入を阻み、女性の担う賃金労働の給与を低く抑える、というこの社会におけるジェンダーの不平等・不均衡の影響」よって母子家庭の貧困が生じていると猪瀬さん。

ジェンダー不平等の縮図が、母子家庭の置かれた厳しい状況という事なのでしょう。


子育てや介護など「ケア労働」は必要不可欠な仕事であるにもかかわらず、「『ケア』に対する『報酬』をまともに支払ってこなかった結果、この社会は少子高齢化に向かっている」(猪瀬さん)

そのような中、「ケア労働」を性別役割分業のもと担わされた女性たちが抱える苦悩や苦難は「見えないもの」「隠されたもの」となり、声をあげようにもあげられない状況に置かれてしまっていると猪瀬さんはいいます。

お寺はどういうスタンスでのぞむ事が求められているか。「『声なき声」に耳を傾ける姿勢を根底に持つこと」と指摘されています。

考えさせられる内容です。

「職場や学校」ももちろんそうですが、いちばんは「政治」の世界があまりにも遅れているのではないでしょうか。(ジェンダーギャップ指数でみると、「政治」は156カ国中147位です)。

経済的な成長を持って分配にあてるなどという従来型の発想(トリクルダウン。滴り落ちるという考え方です)では、ますます取り返しのつかない状況に自らを追い込んでいくのではないでしょうか。

名前を喚ぶ声

昨年の今日、ご往生された方の一周忌をお勤めしました。お通夜の際に、亡くなる1時間ほど前、リモートで映し出されたお孫さんの名前をよばれたというお話をうかがいました。印象深いエピソードで、よく覚えています。

阿弥陀さんとともに、お参りのご家族のお名前を一人ひとり喚んでおられるのかなと思いつつ、読経しました。

「あっという間に一年が経ちました」と息子さん。小さなお孫さんたちもおじいちゃんを思ってか、手をあわせていました。

本山の報恩講視聴できます

本願寺の御正忌報恩講インターネット配信で視聴することができます(16日まで)。さまざまなお聖教、作法にふれることができます。雅楽の入るお勤めもあります。私も可能な限りパソコンからお参りしたいと思います。

おすすめは13日午後2時からの音楽法要です。親鸞聖人の和讃を歌にしてのお勤めとなります。

時間についてはホームページで確認してください。

寒かったけどあたたかかった


坊守です。タイトルは、昨日のクイズの続きみたいですけど、無関係です。なぞかけのこたえは最後にあります。


4日の仕事始めから、毎日おせおせのペースだったので、年末の食料支援の結果の報告がすっ飛んでおりました。

12月25日、公営住宅のある2地域で、午前・午後「年越し応援食料無料市」のネーミングで行いまして、それぞれの場所で食料セット100個ずつ用意して、170セット無くなりました。
基本の食材セットは、コメ2キロとお餅、パスタ500グラム、5袋入りのインスタントラーメン、カレールー。これに加えて、お野菜や雑貨類を好きなものを選んで持ち帰ってもらいました。

また、当日は留守だけど食料は欲しい、という方や荷物を自宅まで持ち帰れない方のために「お届け隊」をつくってみたら大好評。シンママや身体の調子が悪い人やお年寄り、障がいをお持ちの世帯を中心に、需要がありました。

それにしても、下準備の段階から、人のあたたかさをありがたく思う場面が多々ありました。
まず、開催地域の自治会関係者の皆さん。当初、どこを拠点にモノを配るか、当てがありませんでした。それで現地にとびこみで相談に行ったところ、団地集会所と地区公民館の駐車場という格好の場所を即座にあっせんしてくれました(「怪しい人たちだな」といわれることも覚悟してたのに!)。
また、400キロ必要だったお米は、すべて寄付でととのいました。大根や白菜、白ネギなどの立派なお野菜も何十個、何百本と寄せてもらえました。

なにより、ボランティアに駆けつけてくれた医療スタッフや家族は50人を超え(我ら西法寺住職も含みます)、誰かのために何か役立とうと自分の時間を使ってくれる仲間がいることに、寒い日でしたがずーっと心はあたたかでした。

荷物お届け隊

さいきんのニュースで、「子どもの貧困」に関して政府が初めて実態調査をしたところ、貧困世帯の4割近くがこの1年で「食料を買えない経験があった」と答えたそうです(調査は2021年2~3月に中学2年生とその保護者を対象に行われ2,715組から回答)。

ましてや今のようなコロナ禍で、お仕事などに影響があり、困っている人が増えていそうだとは分かっていますが、「困っている」とはなかなか口にできないものです。こういう形で知り合えた方たちには、今後もしもの時の相談先に思い出してほしいな、と考えています。

「また3月にやろうでー!」ということになりましたので、ひと肌脱ぎたい門徒さま、お寺さまがありましたら、ブログ経由でご連絡下さい。大歓迎です。

昨日のなぞかけの答え。①縄、②氷

寒くなるほどあつくなるもの

お正月の間、目を通せていなかった新聞を、朝、一気に斜め読みしました。
気になるニュースをいくつか。

コロナ感染の急拡大。特に米軍基地で感染拡大が顕著。
ワクチン接種者が持つT細胞に、オミクロン株重症化を防ぐ効果か?
中央アジアのカザフスタン、燃料高騰への抗議デモ。弾圧により数十人が死亡。
香港の民主派寄りメディア停止に。
米スターバックスで労働組合結成の動き。
年越し大人食堂(東京池袋)に400人超。
上野動物園で12日から双子のパンダ公開。

では、新聞に出ていた「なぞかけ」をどうぞ。

拝めば拝めば長くなるもの(青森)
寒くなるほどあつくなるもの(富山)

柳田國男さんの『なぞとことわざ』(1952年)という本に出てくる「なぞかけ」なのだそう。みなさん、考えてみてください。答えは明日!


神社におまいりする

昨日は町内の組長仕事で神社にお参りしてきました。神主さんは中学時代にお世話になった元教員の方。お元気そうでなにより。

神社は自分のお願い事をする場です。

お寺は仏様の願いを聞く場です。

僧侶は神様にお願いをして、その見返りを求めたりはしませんが、神様を信じる方たち、先人がいらっしゃいます。願わずにはいられない私たちのありようについて思いを馳せ、頭を下げてきたのでした。

お正月に葬儀を勤めました

元日にご往生されたご門徒さんがあり、2日通夜、3日葬儀を勤めました。いずれもご自宅でのお勤めです。

葬儀が終わり、節目ごとに親族で集まってお経を称えるとのこと。町内には、家族、そして隣近所の方も集まり念仏を称える文化が今も残る地域があります。

今日は息子さんがお経本をとりにこられました。CDをお渡ししようかと用意していたのですが、お母さんがかけておられた古いカセットテープがあったそうです。念仏が次の世代にも継承されていくのだなあ、これも亡きお母さんのお導きだなあとしみじみ思います。

子どもよりも「夫いのち」のお母さんであったそうです。漁師のご主人と二人三脚の人生。火葬場に行く前、懐かしい故郷の漁村を経由しました。私は後ろから車でついて、車内でCDをかけてお経を称えておりました。火葬場に到着し、息子さんはお母さんに言葉をかけられました。「オヤジと会ってこいよ」。

ご主人が先に往生され、仏壇によく手をあわせられておられたそうです。お母さんの念仏と、手をあわせる姿は、きっとよい思い出として残ることでしょう。

ご家族の思い出話をお聞きして、親鸞聖人の和讃が頭に浮かびました。

南無阿弥陀仏をとなふれば
 十方無量(じつぽうむりょう)の諸仏(しょぶつ)は
 百重千重囲繞(ひゃくじゅうせんじゅういにょう)して
 よろこびまもりたまふなり

修正会をお勤めしました

坊守です。

2022年もよろしくお願いいたします。
今日は、網代と田後の2カ所で修正会(しゅしょうえ)をおつとめしました。


この、お正月のお勤めは、今年で3年目。正信偈を皆でよんで、住職からプチ法話をして少しお茶を飲んで、1時間と少しの集まりです。
プチ法話では、詩人の金子みすゞの「お仏壇」という詩をとりあげていました。

みすゞの詩には、ハッとさせられる視点がありますが、この詩は念仏者だった彼女のおばあさんの信心が、孫娘のみすゞにもしっかり伝わっていることがあらわれています。

修正会に出てみて、年末からバタバタ落ち着きなく過ごしたせいで、新年の抱負に考えが至っていないことに気づきました。ことしは、家族も自分も病気をせず、微力ながらお寺のことに関わっていきたいです。あと、コロナ禍で困難に陥っている方の支援も続けますが、新型コロナは、今年で収まってほしいと思います(これは、新年の決意でなく願いですね…)。


なお、田後では、いつもの薬師堂さんをお借りしての実施で、たくさんの階段をあがって、息もあがったままでお経本を開いたので、調子っぱずれになりました。体力維持も課題です。