ガソリン、灯油、高いですねー。

ガソリン、そして冬に必要不可欠な灯油、ずっと高い状態が続いています。お寺の本堂では48畳用の業務用ストーブを使用しています。13リットル入りますが、15時間くらい稼働すると空になります。週末の法事用にガソリンスタンドに行きましたが、灯油はIℓ110円。昨年の冬は80円台でしたから、3〜4割高です。ガソリンも1ℓ164円と高い(スタンドの会員価格は少し値段が安い)。

ほんと高いよなぁ…。と独り言をいいながら給油していると町の除雪車が給油にきました。かっこいいですねー。ドライバーの方に聞くと、満タンで180ℓとのこと。我にかえりました。自治体にとっても原油高は頭の痛い問題です。

帰ってきて、ラジオで国会中継を聞いていると、年金支給額が削減されるとのことで野党議員が質問していました。試算によると、国民年金は月259円、厚生年金は夫婦2人で月903円の減額です。しかも、10月から高齢者の病院窓口負担は2割負担に引き上げが予定されています。コロナで医療の大切さを誰もが痛感している今、急性期病棟を20万床も削減する計画もあります。

うーん。

総理が口にする新しい資本主義っていったい…。

時間のある朝は…

坊守です。

きょうは指定休でした。朝イチのゆかむり温泉に入るまではいつも通りで(1日の活動前にあたたまると体がよく動きます)その後はい本堂に出勤しました。

年末年始に立てた仏華をやり直そうかな、と本堂裏でしばし検討。
暖房をつけていない本堂は、冷蔵庫みたいな状態ですから、3週間たつのに、花たちはそんなにヘタっていません。それどころか、蝋梅(ロウバイ)などは、小さかった蕾を膨らませ、良い香りをさせながら咲き始めました。
ロウバイ…花びらを手にとると、ホントに見た目通りの名前がついたんだな、と思います。つやのある半透明な花びらは、まるで蝋でつくったようです。
江戸時代に中国から入ってきた花木だそうで、年始に花が咲く以外の時期は、至って地味に庭の片隅に植わっています。

結局、本堂のお花は、
葉牡丹は外して、菊中心にしたものの、蝋梅には居残ってもらいました。

アンネ・フランクへの裏切り

朝のBS NHK 「ワールドニュース」でアンネ・フランクの一家の隠れ家を密告した人物が特定されたと報じられていました。その人物は、ユダヤ人公証人アーノルト・ファンデンベルフ氏。研究チームのメンバーによると、自身の家族を守るために密告した可能性が高いとのことです。近日『アンネ・フランクへの裏切り』とのタイトルで書籍が出版されるそうです。日本語訳が出たら読みたいと思いますが、どうでしょうか。

『アンネの日記』は、ユダヤ系ドイツ人の少女アンネ・フランクが、ナチスから逃れるために約2年間過ごしたオランダ・アムステルダムの隠れ家生活で書いた日記やエッセーです。

以前、新聞を読んでいて知ったことですが、1万人を超えるオランダ人がユダヤ人を匿う働きをした事実があったそうです。すごいことだと感心しました。ナチスへの抵抗ですが、困った人を救いたいという善意が広く存在していたのでしょう。

単に犯人探しではなく、ホロコーストのようなことが起こらないための歴史の教訓にして欲しい、そのように思ったニュースでした。

岩井・明石家さんで新年会

昨日は岩井の明石家旅館さんにて、同じ町内の新年会でした。おいしい料理をいただいて、親睦を深めました。食べる時はマスクをして、しゃべるときはマスクをして。なかなか忙しいです。

開催は2年ぶりです。最高齢は90才の方。とてもお元気でいまも畑をつくっておられます。完食されていたので、びっくりしました。

高齢者ドライバーの方が多くいらっしゃいます。地方は車がないと移動がままなりません。いずれ返上されたとき、何かお手伝いをさせていただかないとと考えているところです。

最後の締めは、組長の私が。「浄土真宗には食事のことばというのがありまして、今日はやりませんけど」とお話ししたところ、「いいが、やりんさい」との声があがります。合掌して、「尊いおめぐみをおいしくいただき、ますます御恩報謝につとめます」と私が発声し、みなさんで、「おかげでごちそうさまでした」と唱和。「いい言葉だが」「ありがたいが」「親鸞さんの言葉かえ?」など反響がありました。

次は4月の花見が集まる機会です。その時にもやってみましょうか。

阪神大震災から27年

阪神淡路大震災から今日で27年を迎えました。当時は京都市内に住んでいました。友人たちと1月20日に神戸市に入り、募金で買った日用品を被災した方たちに届けたことを思い出します。大阪からのルートは寸断されていました。京都から兵庫の三田(さんだ)へ。そこからまた乗り換えて神戸市内に入った記憶があります。どこまでいけたのかはよく覚えていませんが神戸市内まで入ることができました。駅をでると倒壊した高速道路、陥没した交差点、壁だけを残して崩れ落ちたビルディングなど、信じられない光景が広がっていました。それから数回、炊き出しのボランティアにも参加しました。当時は個人補償の制度がありませんでした。被災者の方たちが声をあげ、1998年に被災者生活支援法が成立。その後の法改正により最大で300万円が支給されるようになりました。

きょうニュースで、市民団体による追悼の言葉が「忘」れないだったと報じていました。なるほどと思いました。

「すなはち人皆あぢきなきことを述べて、いさゝか心のにごりもうすらぐと見えしほどに、月日かさなり年越えしかば、後は言の葉にかけて、いひ出づる人だになし」

人は皆、やるせない世の中を嘆いていくらかは煩悩も薄らぐようにも見えたが、地震から月日が経ち時が過ぎると、もう言葉にして口にする人さえいない。

鴨長明『方丈記』の一節です。人は時が経てば忘れていくものです。

だからこそ、「忘れない」というメッセージ、大切ではないでしょうか。

お陰様、おかげさま

昨日は、町内の知り合いの方とマスク昼食会でした。
写真を撮り忘れてしまいましたが、参加者は米農家さん、家で畑を作っている方、ほぼ自給自足で生活されている方など多彩な面々です。米農家さんのお米で握ったおにぎり、ちらし寿司、畑でとれた野菜がたくさん入った芋煮汁、これまた自家製の大根と白菜を材料にした漬物など、ほぼ地産地消のメニュー。私は何も作っておりませんので、「美味しいですねー」とありがたくよばれるだけです。

(食前)
○多くのいのちと、みなさまのおかげにより、このごちそうをめぐまれました。
○深くご恩を喜び、ありがたくいただきます。

(食後)
○尊いおめぐみをおいしくいただき、ますます御恩報謝につとめます。
○おかげでごちそうさまでした。

これは、本願寺の「食事のことば」です。口にすることはしませんでしたが、この「ことば」通りの昼食会でした。

「おかげ」という言葉が2回出てきます。

漢字で書くと「お陰様」

「『お陰様で』は感謝の心を表す日常語です。お陰とは、神仏の助けや加護のことで、そこから、人から受ける恩恵や力添えをいうようになりました」(『暮らしの仏教語豆辞典』より)

その人の疲れに「お」をつけて、「さま」までつけて 「おつかれさまです」と声かけるぼくらの日々♪ こんな印象的なフレーズを含んだ歌が以前、流行しました。

「おつかれさま」と口にすることは多々あっても、「おかげさま」と口にする機会というのはあまりないのかもしれません。

みなさんも意識して、「お陰様」と口にしてみてはいかがでしょうか。実は、今日1月16日はは親鸞聖人のご命日です。私も朝、本堂でのお勤めの際、「お陰様で」とつぶやいて、手をあわせました。

大きな世界と小さな世界

今日のご法事には小中学生がお参りでした。プリントをつくって次のようなお話をしました。

親鸞聖人が書かれた『正信念仏偈』『和讃』には、漢字圏の数の単位が出てきます。

冒頭に「無量」、2行目に「不可思議」とあります。この二つはとても大きな単位です。

一 十 百 千 万 億 兆 京 垓 (がい) 穰(じょう) 溝(こう) 澗(かん) 正(せい) 載(さい) 極(ごく) 恒河沙(ごうがしゃ) 阿僧祇(あそうぎ) 那由他(なゆた) 不可思議(ふかしぎ) 無量大数(むりょうだいすう)

大きな単位・数は、私たちのいのちは数え切れないくらいのつながりの中にありますよ、ということです。親と子、友人、知人など人間同士の関係はもちろん、顔も名前も知らない人たちの仕事によって、私の生活は成り立っています。人間と自然の関係もあります。水や空気がなければ私たちは生きる事ができません。あなたがあるからこそ、私がある、ということですね。ところが人間はそのことを忘れて自分本位に振る舞いがちです。環境破壊、紛争や戦争をするのは人間だけです。無量、不可思議のいのちに支えられて、私はある。そのことに感謝し、手をあわせたいものです。

小さい方(少数)は、どうなるでしょうか。
分(ぶん)、厘(りん)、毛(もう)、糸(し)、忽(こつ)、微(び)、繊(せん)、沙(しゃ)、塵(じん)、埃(あい)、渺(びょう)、漠(ばく)、模糊(もこ)、逡巡(しゅんじゅん)、須臾(しゅゆ)、瞬息(しゅんそく)、弾指(だんし)、刹那(せつな)、六徳(りっとく)、虚空(こくう)、清浄(せいじょう)、阿頼耶(あらや)、阿摩羅(あまら)、涅槃寂靜(ねはんじゃくじょう)

お聖教から清浄、塵、刹、涅槃、寂静、虚空などを見つける事ができます。
前に立っておられる阿弥陀さまは、煩悩(むさぼり、怒り、自分本位の考えや行動)のない世界からこの私を見つめていらっしゃいます。そして、この私たちが煩悩を捨てきれないことをご存知です。虚空、清浄といった小さな単位は、煩悩がほとんど存在しないということです。そして涅槃寂静は全く存在しない。そういう世界から、私たちを見つめ、心配されています。なんとか救いとりたいと願っておられます。南無阿弥陀仏は、仏さまからのメッセージ、必ず救うぞという呼びかけです。そう気付かされると、やはり手があわさるのではないでしょうか。

法事の後、ご家族に内陣に入っていただいて、阿弥陀さまが私たちを心配し、救いとりたいと前屈みになっておられる姿を見ていただきました。

お参りの小学生は、ちょうど数の単位を覚えようとしていたとのことで、プリントを持って帰ってくれました。

またぜひお参りください。

 

ネコの足跡

朝、岩井は10センチほどの積雪でした。道に出ると小さな足跡が。野良のシマちゃんだと思われます。うちにやってきて、また出かけて行ったことがわかります。足跡はお寺の方に続いていました。

日中は本山の報恩講を視聴しつつ年頭に懇志をいただいたご門徒さん宛の受領証づくり。他、依頼されていた過去帳への記載、明日のご法事の法話づくりなど。

あすは雪も降らない予報です。受領証は午後にお届けしたいと思います。

音楽法要にお参りする

今日は朝から雪です。網代で予定されていた習字教室は悪天候のために中止です。

お昼からは、本願寺の報恩講のライブ配信を視聴しました。

今日は音楽法要です。親鸞聖人の『正信念仏偈』、そして和讃を歌うようにお勤めします。私も画面越しに声を出しました。

2018年1月、本願寺の報恩講(音楽法要)にお参りしました。当時は京都の中央仏教学院学院に通っていました。右京区の下宿から下京区の本願寺まで、自転車を飛ばしてお参りしました。

本堂は超満員。1000人をこえる方達と一緒にお聖教を読みました。本堂中に声が響き渡り、雅楽も入り、なんともいえない不思議な高揚感がありました。

十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなはし
摂取してすてざれば 阿弥陀となづけたてまつる

煩悩にまなこさへられて 摂取の光明みざれども
大悲ものうきことなくて つねにわが身をてらすなり

弥陀の本願信ずべし 本願信ずる人はみな
摂取不捨の利益にて 無上覚をばさとるなり

その時に称えた親鸞聖人の和讃(85歳の時に詠まれた)は、深い感動を持って胸に迫ってきました。

来年春には、親鸞聖人生誕850年、浄土真宗が開宗して800年となる記念の法要がお勤めされます。ご門徒さんと一緒にお参りして、あの空間でしか味わうことのできない感動を共有できればと思います。

富の独り占めは破滅への道

新型コロナ、鳥取でも感染の再拡大が続いています。
3回目の接種についても、町内の防災無線でアナウンスが始まっています。
ただし2回目から8カ月を経た人が対象です。6カ月ほどで中和抗体の値が下がると言われているわけですから、迅速な接種を進めることが感染予防には欠かせなくなっています。

同時に世界に目を転じると、接種状況には大きな格差があります。

世界の接種状況はアメリカやヨーロッパ、日本などの高所得国は6割を超えています。
一方で、低所得国は5%に過ぎません。

今日は、中村元さんの『原始仏典を読む』(岩波現代文庫)に目を通していたのですが、「おびただしい富あり、黄金あり、食物ある人が、ただひとりおいしいものを食べるならば、これは破滅への門である」とのブッダの言葉に出会いました。

仏教では分ち与えることを重視します。それを「ダーナ」と言います。「檀那」(旦那)はここからきています。漢訳では布施という訳語があてられました。

世界全体でワクチン接種をはじめとした対策を講じない限り、終息には程遠いことは、もう明らかです。国際機関や先進国が途上国へのワクチン供給と国内で行き渡るための仕組みづくりに力を尽くしてほしいと願うばかりです。