葬儀を勤めました

本日は葬儀のお勤めでした。

元漁師さん。70代半までイカ漁専門だったそうです。夫婦で海にでることもあったとか。奥さんはすでにご往生されています。日課の散歩の前には、「行って来るで」、帰ってきたら、「帰ったで」と仏壇に語りかけていたそうです。今ごろ、二人三脚で頑張ってきた奥さんとの再会を果たされたのかもしれません。

夕方、地域のみなさんと海辺に座って語らっている姿によく出会いました。多いときは10人くらいの80代と思われる方が集まっていたりするのです。

私はその姿にふれるにつけ、田舎は捨てたもんじゃないと思っていました。

以前、東京に住んでいた頃のこと。平日にショッピングモールに行くと、一人でいるお年寄りをよく見かけるのです。「地域で、お年寄りが過ごせるところが少ないんです。巨大施設がお年寄りの居場所になっている」と知り合いの区議会議員の方から聞いてびっくりしたことがあります。

海辺に座って語り合っているお年寄りの姿は、実は田舎の豊かさを表しているのではないでしょうか。そこにはつながりがあり、仲間がいるのです。

もうその姿を海辺にみつけることはできないけれど、「あっ、○○さん」と話しかけると、ちょっとニコッとしてあいさつを返される姿を忘れず、覚えておきたいと思います。

合掌

民藝!!!

坊守です

先日、いつものように本堂の花を買い出しにパレットとっとりに行ったところ、気になる看板を見かけました。
2階のホールで民藝の陶器や型染めの展示会が開かれていたのです。器と型染めという好物が2つも揃った展示なら、休憩時間が残り15分でも、行かねばならぬ!(激しい鼻息)

………数分後。

型染めは、芹沢銈介を思い出すような色味に作家さんのユーモアが加わった絵柄が並んでおり、ストライク!!!
こうしたものを愛する友人たちの顔も浮かび、てぬぐいを何本か購入しました。

自分用にはポチ袋を。
これにお小遣いを入れて、甥や姪に渡す気はありません。職場に戻る道すがら、スマホを出し、通信販売で小さな額を2つ注文。週末に届いたのでさっそく飾りました。
うまく収まってくれて、幸せ。こうしたモノを作れる人たちをリスペクト!

時間があればやってみたいことのひとつが、型染めでした。
なんのあてもありませんが、時々図案を描いてみることから始めようかな。

そして後日、住職に依頼され、カップを四客確保しました。ブルーグリーンと黒のツートンの牛ノ戸焼。大胆なコントラストの清々しいこと。いつか窯元も、訪れてみたいものです。

雨の日、道の駅にて

午前中、町内での配り物を終えて、夕飯のおかずでも買おうかと道の駅へ。するとご門徒さんの娘さんも買い物途中でした。「あっ、お寺さん、いいところで。相談したいことがあるんです」とのことでした。内容は書けませんが、こういう悩みを抱えておられたのかと思いました。ずいぶんすっきりされたようで、今度お寺にお参りに来ていただくことになりそうです。

浄土真宗は聴聞を大切にする宗派です。以前にも書いたことがありますが、聴には聴きに行く、という意味が。聞には聞こえて来る、という意味があるそうです。お寺参りすることは聴きに行って聞こえて来ることがある、仏のみ教えを聞かせていただくという意味があります。

私自身はそれと同時に、外に聴きに行って聞こえて来ることも聴聞であると思っています。

さまざまな人生があります。どなたに対しても敬意をもって接すること、もし何か困りごとがあれば、私にできることは私が、できないことはできる方をまた頼りにして。それが縁というものではないでしょうか。

水は清きふるさと

朝、山間の銀山へ。いつ来ても和みます。ここは、山は青きふるさと、水は清きふるさとなのです。

銀山の田んぼでは稲刈りのシーズンを迎えたようです。地域のご門徒さんは田畑を持っている方がほとんどです。

この辺りを走っていると、田んぼのある風景っていいなぁとつくづく思います。あるご門徒の方が「仕事をリタイアしたら、荒れ放題になっている土地をおこそうと仲間と話し合っている」とおっしゃっていました。「私も興味があるので、その際は、ぜひ声をかけてください」とお願いしているところです。最盛期の1/10ほどにまで工作面積は小さくなり、野生動物たちが人間のすぐ近くまで下りてくるようになったそうです。

この美しい風景を未来に受け継ぎたいにゃあ。

網代のトロナマズ

午前中、網代を歩いていたところ、お店の前におかれたトロ箱に、朝、水揚げされたばかりの魚が並んでいました。

アカハタ、キス。美味しそうです。

そして大量のドギです。うーむ。

店先には網代のご婦人方が買い物に。次々に売れていきます。「ドギ、苦手なんですよ、ヌルヌルしていて」と私。実は食べたことがありません。スーパーでよく見かけますが、手がのびないんです。すると、「網代ではトロナマズっていうですが。見た目はナマズに似ていているし、トロっとしているから。網代に嫁いできた頃は鼻水を食べているようで好きじゃなかったけど」との声が。煮物が一般的ですが、干物にしても美味だとか。

それにしてもトロナマズとは、ピッタリの名前です。

ドギは日本海側での名前で、正式名称はノロゲンゲです。底曳漁であがります。魚屋さんで見たことがある方、いらっしゃるでしょうか。

ドギを見ると、ご門徒さんから以前うかがった話を思い出します。

「何か食べたいもんがあるか」と聞いたら、「ドギの煮物が食べたい」っていうですが。持っていったら「美味しい、美味しい」って食べて。その数日後に病院で亡くなりました。私の妹みたいな子でかわいがっていたから、淋しくて。

Aさんの好きだったドギ。この秋はいただいてみましょうか。

法事のない日曜日

今日は法事のない日曜。事務作業に取り組んでいます。

例年、9月にお寺の会費(護持会費)を各ご門徒さんより納めていただいています。そのための準備作業です。

今年は冬に雪に何度も見舞われました。雪の重みで本堂の瓦が一部ずれて修復が必要です。保険が適用され、あとは瓦職人さんに工事に来ていただく段取りとなっています。

みなさんに納めていただいた護持会費を保険料にあてています。ご門徒さんによってお寺は守られているのだと実感する出来事でした。

実際に集金で回っていただくのは岩美町内の場合、世話方さんとなります。20名をこえるご門徒さんに担っていただいています。

明日はお一人お一人のお宅にうかがう予定にしています。

ナモの日記(2021年9月)

ナモです。

このごろ、あたいのごはんのおさらに、くろくてちいさいむしがたかることがあります。ありんこというなまえだそうです。
おいたんやおばたんが、おそうじするけど、またじきにはいっています。
おうちがふるいからすきまからくるんだって。かりかりをたべると、アリンコもお口にはいるわ。わけてあげてもいいからおさらにのらないほうがいいわよ、とおしえたいけど、ねこのことばがつたわりません。

そして、あたいのごはんをたべちゃう、くろくてちいさいこが、もういっぴきいます。
タリぼうです。
ごはんは、ちょびっとずつたべたいから、だいじにおいてあるのに、ぼうは、ぜーんぶたべちゃうの。
きょう、おいしゃさんにいったら、8月のばいのおもさになってたんだって(おばちゃん注:2.08㎏)

ワクチンをうちました
おかえりー。


このまえも、おばたんのおちゃわんからごはんをたべて、おいたんのべーこんをぬすみました。

それだもんで、このごろあたいもぼうのおりのなかにはいって、おみずやごはんをよばれます。こねこようのカリカリはおいしいです。

きょうは、びょうきにならないおちゅうしゃをチックンとしてきたそうなので、ぷろれすはやめておきます。びょういんでは、しんさつだいのうえで、おりこうにおすわりして、ニャーンもいわなかったので、せんせいとかんごしさんにほめられたそうです。えらかったね、ぼう。

しょうじはこうしてやぶるのよ

携行用のアミダさん

お墓参りの時などに持っていくことのできる小さなアミダさんがあるといいなあと以前から思っていました。

この度、西本願寺より携行本尊が交付され、さっそく申込みました。タテ90ミリ✖️横55ミリ✖️厚み2ミリです。名刺サイズです。

写真立ては100円ショップで購入しました。

一つは私用に、もう一つは入院などで自宅を離れる方に貸し出し用として利用したいと考えています。

家に仏壇を置くスペースのない方、お子さんなどへの贈り物しても携行本尊、いいと思います。

本山(ほんざん)から購入できます。

西法寺のご門徒さんで、欲しい方、興味のある方は住職まで連絡ください。

バイデン大統領の演説を読んで

8月31日、アメリカのバイデン大統領が行った演説を新聞で読みました。

「他国を立て直すことを目的とした大規模な軍事作戦の時代の終わりを示すものだ」

米軍統治が失敗したことを事実上認める発言だと思います。

大統領によると、アメリカは20年間に、20兆ドルを注ぎ込みました。2461人の米兵が命を落とし、退役軍人が毎日18人、自殺しているそうです。

武力によって何が成し遂げられたのでしょうか。残されたアメリカ製の最新鋭の兵器や車両がタリバンに押収されました。アメリカ国民の税金によってタリバンが強化されています。なんという皮肉でしょう。

タリバンの支配がどう進んでいくのか。人権、とりわけ女性の権利がいちじるしく損なわれる恐れがあります。長い戦争で国土は荒れ、貧困も深刻です。学校に通えない子どもが370万人にものぼります。うち6割は女性です。

「怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない」

お釈迦さまの言葉です。敵対するものも、私たちと変わることのない、全く同じ存在ではありませんか。

学校に行って学ぶこと、安心して生活できる環境があること、仕事をして社会参加すること。

私たちが普段あたりまえとして享受していることがアフガンでもできる未来が一刻もはやく訪れますように。

お寺の掲示板(2021年9月)

いじわるされるたびに、しんせつにしてやったらどうだろう(ドラえもん)

「ジャイアンの心の友」というエピソードでのドラえもんのセリフです。

いつものようにジャイアンにいじめられ、「ばくだんをくれ!」「ジャイアンにぶつけてぼくも死ぬ」と興奮するのび太くん。

ドラえもんは、「しかえししても、またしかえしされるからきりがない」「いじわるされるたびに、しんせつにしてやったらどうだろう」とのび太に提案し、ジャイアンの歌をレコードにする道具をだします。

喜んだジャイアンは、「今からおまえは、おれの親友だ!心の友だ!」とのび太に感謝するのです。

憎しみに対して憎しみではない方法で返すこと。それができずに混迷を深める事例があちこちに見られます。

それだけにドラえもんの金言にハッとさせられます。

今月は筆ではなくマジックで。字体もかえてみました。