7万8千年前のヒトのこころ

科学誌『ネイチャー』に、興味深い研究報告が掲載されているそうです。その内容は、7万8千年前のアフリカで子どもを埋葬したと思われるお墓の跡が発見されたというものです。残念ながら有料会員ではないので原文は読んでいません。「アフリカにおける現生人類の既知最古の意図的な埋葬」「中期石器時代の人々が死者をどのように扱ったかについて新たな光を当てるものである」とのことです。すごく興味深い話です。

こんな話を本で以前読みました。

「死」のうちの「歹」の方、つまり肉をそぎ落として残った骨の右側にある「ヒ」とは、生きている人間なのだと言います。生きている人間が、死者の骨の前にひざまずいている。この二つが合わさって「死」という漢字ができているのでした。ところが、現代人はその漢字が読めても骨の前にひざまずく心、合掌する心がないのです」(高史明『世のなか安穏なれ』より)

死という漢字の成り立ちには、とても人間的ないとなみが、こころがあるのです。

昔の人たちはどのように弔うこころを育ててきたのでしょうか。

そのこころが希薄になっている現代社会の私たちは、死者を埋葬した私たち共通のご先祖さんの姿から学ぶべきことがあるのではないでしょうか。

黄砂がふいています

法事でこられたご門徒さんにお礼の葉書を書いて郵便局のポストまでもっていきました。すると局長さんがポストに雑巾掛けをしています。はるかタクラマカン砂漠からやってきた黄砂を落とされているのでしょう。私も早朝、車を拭きました。人間にとっては迷惑ですが、自然とのつながりを感じさせられます。

「いつもご利用ありがとうございます」と局長さん。「お寺はアナログなので、はがきを出すことが多くなりました」と私。「はがきはもらうと嬉しいものですよ」と局長さん。

はがきは感謝の表明であったり、つながりを確認したりという役割がありますよね。

デジタルでのつながり、アナログでのつながり、自然とのつながり。つながりのなかで人は生きているわけですから、対立したり、排除したり、他者をおとしめたり、優劣をつけたりなんて、ほんとうにもったいないことだなと思います。

ネコとつながる我が家です

尾崎翠の詩の朗読が聴けます

「尾崎翠の詩がラジオで読まれたよ」と、絵描きのmさんから連絡があり、スマホから「聴き逃し」放送を楽しみました。

女優の満島(ましま)ひかりさんが、「神々に捧ぐるうた」を朗読しました。詩の選者は、クリエイターのいとうせいこうさん。長めの推薦文も紹介されますので、条件のある方はぜひ聴いてみてください。

ビューティフルレディオ「満島ひかり」

聴けるのは12日午後10時55分までです。

岩井温泉区の草刈りデー

きょうは岩井温泉の町会組長を中心とした草刈りデー。スポーツ公園の草を刈りました。

昨年秋以来の清掃で、ずいぶんスッキリしました。

この辺りは、車は家族の人数分、草刈り機はひと家族に1台といったところでしょうか。みなさん朝早くからお疲れ様でした。私はかえってお勤めです。

本堂に新コーナー

坊守です。
きょうの午前中はオフ。わたしの仕事もお寺のお勤めもないので、本堂で作業しました。
作ったのは書籍コーナー。住職がこのところ「本を置きたい」としきりに言っていたのです。

それまでお知らせ類を置いていた小さな机を長机に換え、更紗の布や、古い帯など、テーブル掛けにできそうなモノを持ち込んで試し(住職が選んだのは黄色い古帯でした)…仏事の入門書や歎異抄を分かりやすく書いたものなど、手に取ってみていただけるように、ささやかなスペースをつくりました。読書していただけるとうれしいです。

さて、私の近況は(完全に余談)昨日までなら、中央仏教学院通信教育部の2週間後に迫る学年末テスト対策でお尻についた火がボーボーと燃えさかる状態でした。それが、緊急事態宣言延長を受け、今月のスクーリング中止、7月初旬に仕切り直しの連絡が入りました。思わぬ時間が得られましたので、真面目に自習したいと思います。

5月は草刈りの季節?

新緑の季節。裏山では藤が所々咲いています。

お寺の駐車場もいつのまにか新緑の季節を迎え、草で覆われました。午後は草刈り機と人力で草刈りです。これが全て地面に生えていたとは…。駐車場はアスファルトではないので、草にとってはよい環境なのかもしれません。

日曜は町内会の組長ミッションで裏山(愛宕山)の草刈り日になっていています。

そして、15日はご門徒さんにも手伝っていただいてお寺の清掃日。境内の草刈りを予定しています。駐車場までは手が回らないと思われるので、時間を見つけて続行します。

さまざまつながっています

網代で法事があり、道場によったところ草が元気いっぱいに育っています。連休は雨続きで予定していた草刈りと花壇の土おこしができませんでした。

当分、雨予報はなし。時間がとれそうな週末にちょっと頑張ってみたいと思います。

法事では住職の妹夫婦の同級生とお会いしました。軽トラックの荷台に乗って遊んだことや、いっしょに友達の家に泊まりにいった思い出を懐かしそうに話されました。妹が町内に住んでいることを知らなかったようです。幼なじみ同士、これから再会することもあるのではないでしょうか。同級生に会ったことを伝えると妹も喜んでいました。

さまざまなことがつながっているものです。

意見交換会について

鳥取市内の葬儀会社、メモワールイナバさんが呼びかけて始まった意見交換会。今月27日が第5回目となります。今回の会場は市内の黄檗宗「興禅寺」さんです。鳥取池田藩の菩提寺であり、見事な庭園でも知られたお寺さんです。

↓尾崎放哉ゆかりの地(鳥取県ホームページ)↓
https://www.pref.tottori.lg.jp/73376.htm

興禅寺さんには行ったことがないので、半ば観光気分で楽しみにしています。

樹木葬に力を入れておられるそうです。墓石とそれ以外のお墓(樹木葬、納骨堂など)の割合は現在、半々ほどです。家族の形態が変わっていく中で、お墓のカタチも変化しているということです。

もう一つ。

尾崎放哉の歌碑がこのお寺さんにはあります。尾崎家の菩提寺でもあるそうです。

他宗の僧侶の方々との意見交換ができる貴重な場ですが、あわせて放哉の歌碑を楽しみに参加したいと思います。

ナモの日記(2021年5月)

ナモです。

おうちのしゅとーぶが、ひとつだけになりました。もうふはとられないように、まいにちつかっています。

このごろ、すぐにおなかがへります。あさばん、カリカリをおさらにいれてもらうけど、おいたんやおばたんがねんねしているあいだに、おさらがからっぽになることがあるの。

おとついもそうで、ねているおばたんを、おこそうとおもったけど「ナモちゃん、まだ、あさやないで」と、むにゃむにゃねてしまったの。
それで、じぶんでごはんをたべました。

あたいのものがはいっているひきだしをあけて、かりかりのふくろをくわえてひっぱりだして、ビリビリビリとやぶりました。


たたみにこぼしたカリカリを食べていると、おばたんが起きてきました。
「なにを破ってるかとおもったら、おなかすいたんか?」
といって、うでぐみして、おおきくあいたひきだしをみていました。
つぎに起きてきたおいたんは、
「ナモ、ごはんをぬすんだんか」といって、あたいをつかまえました。

ひとりでごはんをたべて、えらかったね、てほめてくれるかとおもったけど、そうでもなかったわ。
おいたんがだっこしてくれたのはよかったけどね。

ものをつなぐ人の営み

今日は初夏の陽気です。午前中にお参りの田後方からサザエをいただきました。弟さんが城原海岸でとられたそうです。

午後は畑で花を植えました。ひまわり、グラジオラス、アガパンサス。

咲きはじめたダッチイリスは、仏花として本堂の花瓶に。

サザエもお花もいただき物です。商品ではない、値段はついていないけれども値打ちのあること、そのありかださを感じられるところに田舎暮らしのよさがあります。その方のご苦労を思うことができます。ものをつなぐのは人の営みです。自然への感謝の気持ちもわいてきます。みなさま、いつもありがとうございます。