6メートルの自撮り棒

以前、ブログでも本堂の鬼瓦が大雪の影響でズレてしまったことを記しました。本日、保険鑑定人の方が見にこられました。

6メートルを超える自撮り棒の先にデジカメをセットし、スマートフォンでデジカメをズームさせ、鬼瓦の写真を撮影されていました。「ドローンは上からの画像は得意なんですが、横から撮るのが難しいんです。道具がよくなって随分と楽になりましたよ」

島根県の松江市から鳥取県の東端の岩美町へ、さらにこれから鳥取県西部の大山町に向かうそうです。鑑定しているより運転時間が圧倒的に長い! 

「ことしは雪の影響による家屋の破損が多いですね」とのことでした。

保険の保の字のつくり呆は弱い人という意味があります。それを人が支えるから保つになります。

保険屋さん、頼りにしてますよ!

葬儀をおつとめして

昨日、お通夜、そして本日は葬儀でした。お通夜はご自宅でした。ご近所の方も参ってこられ、別れを惜しんでおられました。

両方とも葬儀会館でとなるとお参りしたくてもできない方がいらっしゃいます。お勤めの前にご近所の方が、「お世話してもらって、ありがとうございました」と、伝えることができなかったことばをもってこられる姿にふれることができます。悲しいなかにも人と人とのつながりを感じさせられます。自分はどう生きていくのか考えさせられます。お通夜をご自宅で勤めていただくと、ご家族の思いにふれることもできます。

本日、葬儀を勤め、その後、ご遺骨を前にお寺でお勤めする還骨法要です。これまで、お寺をこれまで護持していただいたことに感謝申し上げるとともに、これからいよいよ仏さんとして導いてくださいと頭を下げる気持ちでお勤めしました。

自由で、のびのびと生きた、楽しい方でした。昨年、お孫さんと一緒にお寺にお参りいただいたことを思い出していました。そうそう。きょうお孫さんはあなたを思って小さな手をあわせていましたよ。

合掌

ナモの脱走未遂日記

夕方、お勤めの予定ががあり、日中はその準備もあって家にいました。そして2時間ほどお勤めで外出して帰ってくるとナモが見当たりません。

「おーい、ナモー。どこにいったー」と呼んでも家の中から声がしません。そして、なぜか外から鳴き声がします。びっくりして庭に出てみると、大きな身体のオスネコ・シマといっしょにナモがいるではありませんか。シマは私をみると逃げていきました。

ナモは私が呼ぶと人間向けにニャァと鳴くものの、身体の方は逃亡を試みてブロック塀に飛び乗ります。あーあ、逃げるかなあとなかばあきらめかけましたが、なんとか捕獲に成功しました。

どこから逃げたのかと家の中をくまなく確認してみると、縁側の戸が15センチほど開いていました。ナモが動かしたとは思えません。疑いは大きな身体をほこるシマに向けられます。

そして、脱走に失敗したナモはいつものように襖をムシって遊んでいます。

ナモさん。あなたにとって幸せなのは家のなか? それとも外? 

法名の意味を学ぶ

この前の日曜、永代経法要にお参りのご門徒さんから、「本願寺からいただいた法名について、詳しい意味とお経のどこに書かれているか調べて教えていただけませんか」とのご依頼を受けました。

本願寺にご夫婦でお参りになった際に法名をいただかれたそうです。法名とともに本願寺から手渡されたコピーも見せていただきました。お経のどの部分にあるか、その意味することについて簡潔に記されています。それを頼りに、この本で調べました。

より詳しく知っていただければ、法名が生きていく上での励ましにも、目標にもなるのではないかと思います。

久しぶりに『無量寿経』を読む機会となり、たいへん勉強になりました。こんなことではいけないのですが…。

蓮の観察日記

蓮の葉が芽吹いてきました。

古物屋さんで購入した火鉢に、植木屋さんが泥と蓮の苗をセットし、ウチで水を一杯に入れて3週間というところです。

「譬えば高原の陸地には蓮華を生ぜず。卑湿の淤泥にすなわち此の華を生ずるが如し」と『維摩経』にあります。これからうまく花が咲いてくれるときれいでしょうね。

蓮は菩薩のシンボルでもあります。欲望うずまく世間にあって、人々のために働き、しかも世間の汚れには染まらず仏道の道を歩むことを菩薩道と言いますが、泥の中から咲き、泥には染まらない蓮の花に重なるのでしょうね。

変化があったら、また観察日記を記します。

永代経法要をお勤めしました

梅雨のはじの雨の中、永代経法要と納骨堂法要をお勤めしました。本堂の外ではかえるの大合唱。つい先日まではウグイスの鳴き声が響いていましたが、季節もめぐったのでしょうか。

県に警報が出されたことも受け、こまめに消毒、距離をとり、換気に気をつけつつのお勤めでした。ご家族とのお別れという悲しみのなか、はじめて法要にお参りされた方もいらっしゃいました。

法要の後、もう一つ法要をお勤めました。いま他県での葬儀にお参りすることは難しい状況です。「葬儀に行くことができないけれども、手をあわせたい。本堂でお経を読んでほしい」とのご希望を受けてのことです。葬儀で読む『正信念仏偈」をいっしょにあげました。こういうお勤めもあるのですね。儀式を行うことの意味をご門徒さんから教えていただきました。

お寺の清掃日

ご門徒さんにきていただいてお寺の境内を掃除しました。中国地方はきょうから梅雨入りです。雨が降らないうちに作業は完了しました。今は農繁期です。みなさん畑、田んぼ仕事の合間に来ていただきました。ありがとうございました。

雨予報に押されて

明日からしばらく雨予報。今日しかないと思い立ち、法事が終わった午後、網代道場の草刈りへ。

ビフォー
アフター
ビフォー
アフター

伸び放題で気になっていたのですが、ゴールデンウィークは雨続きでできませんでした。次回は花壇をおこしてひまわりを植えたいと思います。

きょうは筆の日

午前中は依頼をうけていた過去帳を書き、午後は習字教室で尾崎放哉の詩を書きました。

1日に5時間近く筆を持つという経験ははじめてかもしれません。一人で書いていると肩が凝ってきますが、教室で書いていると気分がいいものです。

教室でご一緒しているかたが、「先生の筆づかいを眺めているだけでも楽しい」と話されました。私もそうです。

放哉の句

あすは雨らしい 青葉の中の堂を閉める

情景が目に浮かびます。うちの本堂もいま青葉に包まれています。週末は天気が崩れそう。15日には掃除を予定していますが、堂を閉めてということになるでしょうか。

永代経法要に向けて

次の日曜日は永代経法要をお勤めします。
永代経というお経があるのではありません。永代に渡ってお経を読んでいきましょう、阿弥陀仏のみ教えにふれる時間を子々孫々まで大切に伝えていきましょう、という意味です。

西法寺も今の場所に本堂が建立されて150年ほど経過しています。
たくさんの方が、本堂でお念仏を称えられたことでしょう。
それを未来に渡って受け継いでいこうということです。

受け継いでいくためには、お参りいただく方が絶えないようにしなければなりません。
今、よくお参りしていただくご門徒の方達は、亡きご両親やお姑さんの姿にふれ、お参りされるようになった方が多いようです。それを次の世代の方に、あるいは新しい方たちに広げていくことは、なかなか挑戦しがいのある課題のように思われます。

読経の後には住職の法話(おはなし)もありますので、にわか勉強をしているところです。さて、どうなりますか。

なお永代供養と永代経法要は字は似ていますが、別物です。
こんにち永代供養という場合は、墓や信仰を受け継ぐ人がおらず、お寺の納骨堂や共同のお墓に遺骨を納め、それをお寺が管理することを指すことが多いのではないでしょうか。