東日本大震災と原発事故から10年

東日本大震災から10年。いのちを奪われた方々への哀悼を、そして被災者の皆様へお見舞い申し上げます。記憶して、忘れず、災害からいのちとくらしを守る社会に向かわなければと思います。

朝、毎日みているNHK BS1のワールドニュース。France2は、震災と原発事故を報じていました。被災者の声、そしてドイツが来年で原発から完全に撤退しようとしていることを報じていました。ドイツ・メルケル首相は原発推進派でしたが、フクシマを受けて原発からの撤退を表明たのです。

日本はどうでしょうか。

福島原発の廃炉は当初最長40年とした計画でしたが、高い放射線量に阻まれ、計画は破たんしています。

世論調査では圧倒的に原発からの撤退が支持されるようになりました。しかし、自民公明政権は原発からの撤退を考えていません。

本願寺派前門主の大谷光真氏は2014年3月初版の著書のなかで、「私の考え」としつつ踏み込んだ発言をされています。

大谷氏は、「人間のすることには完全ということはありえません。絶対安全もありえません」「人間の知能は不完全であり、欲望の実現から生じる負の結果を十分制御することができません。その極端なものが核エネルギーの利用でしょう」「欲望をなくすのではなく、調和できる方向に導くことこそ課題です」と記しています。

絶対安全という思考停止に対して、仏教は諸行無常こそが真実であると説きます。常はない、ということです。

大谷氏は、「諸行無常が当てはまらない場所などあるでしょうか」と問いかけます。

私がこの発言を知ったのは僧侶になってからのことです。宗教者として社会的な課題にどのようにアプローチするのか、たいへん学ばされました。

興味のある方は、『いまを生かされて』で検索してください。古書で手に入ると思います。

2つの名前

先日、ご門徒さんより「古い戸籍をとりよせたところ過去帳に記載されていない名前があり、調べて欲しい」との依頼がありました。


今日、分かったことをお伝えしました。それは、過去帳に記載してあった古いご先祖さんの名前は通称で、本名が記載されていなかった、古い戸籍にあった名前が実はご本名だったということです。


今ではないことですが、船主さんが乗組員の子どもさんに戸籍上とは違う別の名前をつけることが数十年前まであったそうです。通称の方が戸籍上の名前よりも使われていたということなのでしょう。名子(なご)というそうです。

ちょっと謎解きができたような気分でした。

網代を歩く

4月のお参りの案内のため朝から網代を歩きました。

ナモのふるさと「猫の泉」には3匹いました。歓迎してくれる様子はなし。2匹はナモのきょうだい? サイズがまったく違いますが。ナモと同じサイズのきょうだいの姿を最近見かけません。元気にしていればいいのですが。

久しぶりに網代の隧道を抜けました。

歩いていたらご門徒さんとばったり。「あら、御袈裟を着てないとわかりませんね」。話題は葬儀のこと。「最近は家族葬ばかりですね。しかたないのかもしれないけれど、どなたが亡くなったのかもわからなくなってきましたなあ」

さらに網代を歩いて、あるお宅に案内を配ろうと思ったら宛名に誤字を発見。「あー帰って書き直さないと。なだばたでご飯食べて出直そう」と向かってみると、「しばらくのあいだ土日のみの営業」との貼り紙が。コロナの影響なのでしょう。

食べて応援することもなかなかままなりません。岩井温泉共同浴場もなだばたさんも持続化給付金の対象とならないみなし法人です。

くらしと営業を守る社会にかわっていかないといけないなと思わされました。

4月のお参りに向けて

4月5日から数日間、網代のご門徒さん宅にお参りする法談があります。まわる軒数は約百。昨年はコロナで直前に中止しました。今年はいまのところ行う予定です。

従来、午前中と案内を差し上げていましたが、もう少し詳しい時間の目安をお知らせしたいと地図とにらめっこをしつつ、お参りする順番を決めました。

こちらに帰ってきて4年となりますが、ようやく網代の地図が頭の中にインプットされました。

時間を記入して、あした網代の世話方さんにもっていく予定です。時間通りにはいかないかもしれませんが…。

それぞれ午後は網代道場でのお勤めです。ことしはちょっと趣向をかえて、お釈迦様の誕生日である4月8日に、ささやかではありますがプチ花まつりをしようと思っています。幼い頃に飲んだ記憶のある甘茶を飲みつつ、すこし話し合える時間ももってみようかなと。甘茶がおしいかった記憶はないのですが、どんなものなのでしょうか。

どなたでもお参りできます。マスク着用でお願いします。

日曜細工?

坊守です。
きのう、庭掃除をしていたら、ウグイスのさえずりを聞きました。まだ遠慮がちなホーホケキョ。もう雪は降らないだろうか。
さてきょうは、午後に役員会がありました。張り切って色々飲み物を用意し、みなさんの好みを聞きながらお出ししました。コロナ対策でお寺参りの方々にお茶を出せなくなって1年近くになります。
意識はしていませんでしたが、おいしいものを食べて、話し合うことがはばかられる生活に、さみしさを感じていた自分を発見しました。

夕飯後は、器の修理を。お皿やお茶碗は、大事に扱っているつもりでも、割れたり欠けたりしてしまいます。
器は気に入りのモノばかりなので、修理でもできたら…と、保管してありました。


本来なら漆で接着して、ゆっくり乾燥して…と、素人には大変な作業になるようですが、この辺には金継ぎ屋さんも見つからない。簡単で安全な方法を調べて、チャレンジした次第です。
今夜接着して、乾燥させたら、次のステップにうつります。


練り込みという技法でつくられているオトウト(牧谷窯という陶工房の主)の器の断面はちゃんと色が分かれていました。

お寺の掲示板(2021年3月)

スーパーマーケットでたまに会うご門徒さんがいらっしゃいます。
昨年、おはがきを差し上げた際に、「スーパーの友ですね」と書いたのですが、その後はお互いに顔を合わせることもありませんでした。それが先ほど、やはりスーパーで久しぶりにお会いしたのでした。

「あっ、○○さん、久しぶりです。やっぱりスーパーの友ですね」
「先生ですかな。買い物ですか」

先生はやめて欲しいのですが…。

その方がおっしゃいました。
「葬儀のときに先生が赤い本(経本)をくれて。それから毎日、朝晩、お経を読むようになって。だいぶ覚えましたで。毎日すると習慣になりますなあ」

初めてお聞きした話でした。
4月は地域の宅参りを予定しています。「今度ぜひ、いっしょに読みましょう」と別れました。

3月はお彼岸です。そして、もうすぐ東日本大震災から10年を迎えます。

3月のお寺の掲示板は、このブログでも紹介したことがある中西智海さんの詩を書きました。

「人は去っても その人のほほえみは 去らない
人は去っても その人のことばは 去らない
人は去っても  その人のぬくもりは 去らない
人は去っても  拝む掌の中に 帰ってくる」

ほとけさまとして、私たちのところに帰ってきてくださっている。ご門徒さんは寂しい中にも、そのように感じられて毎朝晩、お仏壇に手を合わせられているのでしょうか。

ジーンときました。

そらしさん

うちのお寺の裏側に大きな杉の木が2本、そしてあいだに一本はえています。

傾斜地にあり、災害の心配もあります。

そこで先日、日頃からお世話になっている大工さんにみに来てもらいました。

「こんど、そらしさんにみてもらうようにしましょうか」

「そらし???」

漢字が全く思い浮かびません。

「空に師ですよ。実は私も最近そういう仕事があることを知ったんです」

なんでも高いところにある木を剪定したり、伐採する仕事だということです。林業の盛んな智頭町を拠点にされているそうです。

伐採するかどうかはまだ決まっていませんが、間近で拝見する機会ができれば、またここで報告します。

ナモの日記(2021年3月)

ナモです。

ぬくい日がふえてきて、あたいはきげんがいいです。

とくに、あさ、おいたんがおきてねんねのおへやからでてくるときが、さいこうのきぶんです。おしっぽがしらんまに、ぴーんとなります。それから「にゃーん」といい声でごあいさつします。
それから、ダブにいちゃんのあさごはんをおいたんがあげるのを、みています。にいちゃんはがぶがぶいいながらたべます。おいたんがにいちゃんをなでてあげていると、あたいもだっこしてもらいたくなるの。しょうがないから、おばたんによじのぼります。

ダブにいちゃんは朝おねんねしてます

しばらく、ニンゲンのあさのしたくにひっついていますが、またねむくなって、ベッドにはいります。ねんねしているあいだに、みんないなくなります。

おるすばんをしているあいだは、おにわのとりをみたり、ぱとろーるにくる、おそとのねこと、おはなししたりします。このまえは、かおがくろくて、おなかがしろいおにいちゃんがきました。

これが、あたいの朝のすごしかたです。

そして、夜のおしごとしました。

桃の節句ですが

我が家(古民家)の庭先のこれまた梅の古木が満開です。

そして桃の花は、いま蕾です。

椿、梅、桃と、前に住んでいた方は、こうして冬から春への移り変わりを楽しんでおられたのでしょう。

明日はもう4日です。最近はダブに主役の座をすっかり奪われたナモの日記の日です。お楽しみに!

昔からのご縁で

2日間で3件の葬儀が終わりました。

私が勤めた葬儀にお参りされた、亡き方のご近所さんに、「町会の代表ですか?」とお尋ねすると、「実は遠い親戚にあたるんだが。昔からなにかと関わりがあって」とのこと。その方は14代目。昔は宿屋をされていたそうです。亡くなった方のご先祖はそれとは別の宿の関係者で、名字もその屋号の漢字を2つに分けてつけられたそうです。どうもその当時に親戚関係があったようなのですが、詳しくはわからないのだとか。

それからのご縁でなにかと世話になったり、お世話したりの関係が長きにわたって続いてきたそうなのです。

江戸時代の地図には、亡き方の関係の宿名、そのご近所さんのご先祖の宿名が記してあるそうです。機会があればぜひ拝見したいと思います。