富ということ

昨日、お通夜でご門徒さん宅にうかがいました。送迎をしてくれたのは坊守です。さて帰宅しようと車に乗るとエンジンがかかりません。バッテリーが上がってしまったようです。

困りました。近くの自動車整備会社に電話しましたが、営業時間外でつながりません。

ご近所のご門徒さんのところに、「○○さん、助けてー」とお邪魔したところ、すぐに軽トラで来てくださいました。

復旧作業をしていただいて、無事エンジンがかかり、ホッとしました。

「お礼なんていいけぇ」

先日、Eテレ「100分de名著」『資本論』をみました。そこで講師の斉藤さんが、富と商品はイコールではないのに、資本主義社会ではあらゆるものが商品化され、それに私たちは踊らされると話していました。マルクスの言うところの商品の物象化です。医療や福祉や図書館などは社会的な富であって、商品化、もうけだけで突き進むと歪みも生まれます。しかし、いまや、あらゆるものが商品化される世の中になっています。そしてお金のあるなしで生活は左右されます。

昨日のことから学ばされました。つながって支え合い、助け合って生きていくこと。これも富なのだということを。

商品の豊かさだけでなく、富のゆたかな社会こそ、コロナを体験した(している)私たちがめざすべき道なのかもしれません。

名前を喚ぶ声

お通夜のおつとめがありました。

Aさんは、亡くなられる1時間ほど前にリモートで映し出されたお孫さんの顔をみて名前をよばれたそうです。お孫さんがそのことを覚えてくれていたらいいなあとお話を聞いて思いました。

親鸞聖人はなもあみだぶつのお念仏を、仏さまの喚び声と受け止めておられました。悩みも苦労も多い人生を皆が生きています。

その私をめがけて喚ぶ声であると。

知らない街を歩いている時に、私の名を喚ぶ人に出会えたらどんなに安堵することか。その感覚に近いのかもしれません。

名という漢字には、夕方に口をあけて喚ぶという意味があるそうです。それに号がつくと、名号=なもあみだぶつですが、もともと号は號を略した漢字だそうです。虎のように大きな声で私に向かって喚びかけつづけてくださっているということになります。

私のことを心配し、大切に思い、名を呼んでくれる人を、そして仏様との出会いを胸に刻んでいくことは別れという悲しみに向き合う糧になるのではないでしょうか。

そんなことを感じさせられた今年最初のお通夜のおつとめでした。

また、またの雪

今朝起きてみると25センチほどの積雪です。

我が家の中庭はゆうに1mをこえるでしょう。

午前に予定していた法事を後日に変更していただいて、昼まで雪をかきました。

地域の雪かきは強力な助っ人に要請。

ユンボで雪をとってもらいました。

それにしても、あと何回積もるのでしょうか。

御正忌報恩講が始まりました

報恩講インターネット中継

親鸞聖人は現在の暦で1263年1月9日に体調をくずし、16日に御往生されました。

「報恩講(ほうおんこう)は、親鸞聖人のご遺徳を偲び、そのご苦労を通じて、阿弥陀如来のご本願によるお救いをあらためて心に深く味わわせていただく法要です」
(本願寺ホームページより)

様々なお聖教、作法に触れることができます。内陣のお飾りも見事です。

コロナ禍のなか、沈みがちな心も、少しは和らぐのではないかと思います。

私も可能な限り視聴します。

報恩講は16日まで行われます。

スケジールは中継ページの下部にありますので、ご確認ください。

雪のなかの訪問者

昨日の夜、勝手口に足跡が。

ダブのものです。寒いなか、ごはんを求めてやってきたのでした。縁の下で寒さを凌いでいたようで、ごはんを食べて去っていきました。雪のなかを健気に生きているのです。

そして本日は雪景色。積雪は20センチほど。

私も8時前から2時間半ほど、雪かきにあたりました。

年末に除雪機を購入したのですが、よく働いてくれます。

暴風雪です

10時前から雪に加えて暴風が吹いています。12月から3度目の雪。今回もかなりの積雪になりそうです。

雪という漢字、ヨの部分はホウキで掃き清めるという意味があるのだとか。たしかに一面真っ白に覆われるときれいですが、きょうは怖くなるような天候です。

十分気をつけて過ごしましょう。

神社にお参りしました

区内の組長の仕事で御湯(みゆ)神社さんにお参りし、お札を授かりました。

神主さんが、太鼓を叩き、祝詞を読み、お祓いをされます。間近で見るのは初めてで新鮮でした。

お祓いを受けるときには、心の中で、なんまんだぶなんまんだぶとつぶやいていました。八百万の神様は寛大ですから許してくださるでしょう。

神主さんは、町内を始め、県東部の神社にも出仕しておられるそうです。

私もまた機会があればお参りさせていただきます。

ナモの日記(1月)

ナモです。

このごろ、しろいものがおそらからおちてきて、とてもさむいので、ぬくいはこ(坊守注:ストーブ)のまえで、おすわりしたりねんねしたりしています。
おひるまに、おいたんがいないときは、ぬくいはこがきえるので、おいたんがくれたふわふわのべっどでまるくなっておくの。
よるはおばたんのおふとんのなかにもぐっています。あたいは、ぬくぬくがすきです。

このごろ、ねこのおともだちができました。「このさむいのに、おそとでねんねしているのよ」とおばたんがいって「ナモちゃんがたべなくなった、こねこようのカリカリをわけてあげようね」ときめました。

あさとばんに、おぶつまのえんにきて、えさがおいてないと、ニャーン!となきます。あたいがいちばんにききつけて、にゃーにゃーとはなしかけるので、おばたんもきがついて、おおきなまどをがらがらがらとあけて、ごはんをあげます。あたいはそのとき、となりのおざしきにとじこめられるので、しょうじにたいあたりして「あけてよ」と、おこります。

おいたんとおばたんは、ダブちゃんとよぶことにしました。
あたいの倍くらいからだがおおきくて、おかおもおおきいおにいちゃんです。
「さぶいけど、がんばっていきろよ」と、おいたんがはなしかけています。さいしょは「きたないねこだな」と、いっていたけど、おうえんしてくれるようになってうれしいわ