ぎゃーていぎゃーてい

習字教室で書いている『般若心経』もいよいよ終わり近く。天台宗の僧侶でもある先生のもとでなければ書く機会もなかったことと思います。貴重な時間でした。

さとりの智慧を得るための呪文としての「ぎやーていぎゃーてい…」の部分は、玄奘三蔵があえて訳さず、もとの音が残りました。『般若心経』といえばこの部分ですから、彼のねらいは大当たりだったわけです。

仏教にはさまざまな宗派がありますが、智慧と慈悲がその根本だと思います。

お釈迦さまは縁起・私が先にあるのではなく、無量ともいえるようなつながりのなかに私もまた存在している、という真理を発見されました。なんでも自己中心的に捉える私たちにその真理を説いて回られたのです。ですから、真実を見極め(智慧)、人を思いやる(慈悲)ことは仏教では一体です。

『般若心経』はそれを自らの修行によって完成させることをめざす自力の道です。それができない私のようなもののためにあるのが、智慧と慈悲を備えた阿弥陀仏による救い=浄土教の教え、ということになるのでしょう。

さて、次回以降は、なにを書いていきましょうか。先生は「なんでもいいですよ」というスタンスですから、『阿弥陀経』をお願いしてみようかな。

いわみ支えあいクーポン

網代にあるなだばたさんで昼食を食べようと入ったところほぼ満席。昨年9月、NHKの「小さな旅」で紹介された直後のよう。

「すごい大繁盛ですね」と漁協婦人部の会長もつとめるSさんに話しかけると、「町のクーポンだか」と。

そうでした! 岩美町は9月より町民一人あたり5000円分のクーポンを配布していたのです。

正式名称は、「食べて応援!泊まって応援!いわみ支えあいクーポン」

「あー、持ってくるの忘れたー」と嘆いてみても後の祭り。

「お弁当もはじめただが」とSさん。

500円のクーポン券と同じ値段にしているのがさすが!

支えあいクーポンって、響きがいい♪

次はお弁当を買ってみようかな。

ちなみに、私の昼食はカレイ唐揚げ餡掛け定食(800円)です。いつもながらに美味でした。

家に帰って、町のホームページで確認したところ、町内ほぼ全ての飲食店と宿泊施設で利用できるようです。岩美町、なかなかやります。

今月から2年生

9月になった途端、
坊守宛の荷物が、どさりと届いておりました。去年から始めた仏教学院通信制の二年次スタートであります。

コロナの影響で、夏に予定されていたスクーリングはレポート1本提出にかわり、連休に書いたレポート6本が1年次の評価となりました(成績は特別公開。レポートは返ってこないので、何が書き足らんかったかは本人には分かりません)。

届いた教科書を数えると、昨年より一冊増えて、それぞれページ数も増量。しかも、今年からスクーリングはインターネット受講になり、おつとめと筆記試験だけ、2日間のスクーリングで行うことに変更したとの通達が。
なんだか寒気がしてきました。
記憶力・読解力とも劣化し、1年後に進級するには、少しずつ勉強するしかないと確信しましたので、これから毎週末、教科書を開きます。

涙の『しんらんさま』

葬儀の後の還骨法要の最後に、ご遺族のリクエストで『しんらんさま』を歌いました。

そよ風わたる あさのまど

はたらく手のひら あわせつつ

南無阿弥陀仏 となえれば

しんらんさまは にこやかに

わたしのとなりに いらっしゃる

亡きYさんが「この歌は、いい歌だ」とご自宅でよく口ずさんでおられたそうです。ご家族には、その姿が、良き思い出としてのこっておられるのでしょう。

息子さんはお亡き父さんのご遺骨に「しんらんさま、かけてもらうで」と声をかけていらっしゃいました。

今月号の『大乗』(本願寺派の月刊誌)には、「古関裕而さん作曲 島倉千代子さんが歌う 仏教讃歌『しんらんさま』」という記事が掲載されています。

島倉千代子さんは、「私の一生に、きっと何か大きな力となり、光となってくださるものがあるという感激をもって歌わせていただきました」と語っています。

きょう、涙しつつ歌われるご遺族の姿にふれ、たくさんの方たちの力となり、光となっているのだなあと胸が熱くなりました。

絆と伴

東日本大震災と原発事故を東京で体験し、さまざまな書籍を手に震災や原発事故についてどう考えたらいいのかと模索したことがあります。

月刊誌『世界』の別冊、『破局の後を生きる』。2012年、出張先の沖縄でたまたま書店に入ったら目に留まり、それから数日間、那覇市泊港近くの喫茶店で朝ごはんを食べつつ読みました。

被災者の手記を集め、識者が手記を読んだうえで短いテキストを寄せています。

尾木直樹さんの手記のこの部分を、私は何度も何度も読み返しました。

「つい最近、中国の上海で中学生に講義を行う機会をもちました。その時知ったのですが、『絆』という言葉は中国語にはないそうです。それに匹敵する言葉は『伴』だということです。被災地の悲しみに優しく寄り添い、ともに未来を歩むこと。それが私たちに一番必要な構えではないでしょうか」

絆とは、もともと牛や犬をつなぎとめる綱をさす言葉です。私はこの言葉にもともと違和感があったので、尾木さんのコメントに深くうなりました。

一方、伴という漢字をみると、半分の横に人が立っています。半人前の私、あなたの横には、誰かがいて励まし、支え合っている、それが伴の意味なのではないだろうか。そんな風にいまも思っているのです。

最近、絆をニュースで目にすることがありました。

おそらく新しい総理になるであろう菅さん。総裁選のスローガンは「自助・共助・公助、そして絆」です。まず最初に自助。さいごが絆。そこに、コロナをはじめとした苦難に優しく寄り添う姿勢を感じないのは、私だけなのでしょうか。

お寺の会議で意見交換

台風の中心から離れた鳥取でも風が強まってきました。大丈夫と思わないで、お互いに備えをしましょう。

午前は自宅での年回法要、その後、本日朝にご往生されたご門徒さんの臨終勤行、そして、午後はお寺の責任役員の会議を短時間おこないました。

議題は、倒壊しかねないお寺の裏山の樹木への対策、秋の報恩講、10回目となるチャリティーコンサートについてなどなど。

葬儀はなんのためにするのか、直葬や葬儀の簡略化の流れをどう考えるかについても意見交換しました。鳥取市内の葬儀会社から、僧侶との意見交換の場を持ちたいとの連絡があったことを受けてのことです。葬儀の簡略化は企業にとっても死活問題でしょう。葬式仏教とやゆされることも多いお寺ですが、その場にさえ入れない状況が進行しているのです。

「お寺は社会の利益であるからお布施には課税されない。お寺がどういう役割を果たしていくのから考えないと」との意見も出されました。

私としては、経済的な理由で葬儀に僧侶を呼べないという方が町内にいらっしゃれば対応するつもりでいます。それにとどまらず、何ができるのか見聞きしつつ、できることを増やしていきたいと考えています。

お寺の清掃日

昨日は150人を超える方からアクセスがありました。1日としては最高のアクセス数です。お寺の掲示板サイトから来ていただいたみなさん、ありがとうございます。

さて、本日はお寺の清掃日でした。台風やコロナとの関係でお知らせしたのは1回だけでしたが、6人のご門徒さんが来てくださいました。

ビフォー
アフター

半分は作業、半分はおしゃべり。これがお寺の清掃の黄金比ではと思います。

暑いなか、ありがとうございました。

ナモの日記(9月)

みなさまこんにちは、ナモです。
おいたんは、まいにち「あついあつい」と、いっていますが、あたいは、おひさまがさしこんでいる、えんがわや、おだいどころのでまどにごろんとしているのがだいすきです。


「あんたはあかちゃんのころ、まなつをおそとですごしたので、あつさにどんかんなのね」と、おばたんはいいます。

そう、あたいが網代でねんねしていたころ、おかあちゃんと、おばちゃんと、きょうだいたちがいっぱいいました。あたいよりはやくに、もらわれていったきょうだいもおおいけど、まだなんびきか、網代にのこっています。
きょう、おいたんがお配りものをするときに、そこをみにいったら、きょうだいがいたそうです。

ナモのきょうだい。網代にて。

あたいとおなじくらいカラダがちいさい子です。おいたんのいうには、このきょうだいが、「ナモ」になるよていだったんだって。こえがでなくて、よわそうだから、いっぴきおうちにつれてかえるなら、この子だな、と、そうだんしてたんだそうです。
でも、おいたんがつれてかえろうとちかづいたら、この子はにげちゃって、あたいがトコトコっとよってきて、カゴにぽんとはいったんだって。

きょうも、網代のきょうだいは、おいたんからにげていったそうです。でも、あたいより太っちょで、元気そうだったんだって。おなまえは、ついてないんだろうな、って。

おいたんは、これからも、ときどき会いにいってくれるそうです。「あんたの大好きなちゅーるを、わけてあげたらどう?」と、おばたんもいっています。

お寺の掲示板(9月)

わかってないからやめられない

先日紹介した大東仁さんの著『植木徹誠の不退不転」に記されていたことばです。

分かっていれば、気がつけば修正する道も開けます。しかし、分かっていなければ、「自分は間違うはずがない」と聞く耳をもたなくなってしまいかねません。

自分自身をかえりみても、社会に山積する課題のことを考えてみても、ここに大きな問題がある。みなさん、そうは思いませんか。

初物をいただく

書き上がった過去帳をもってご門徒さん宅へ。あわせて仏壇の飾り方についてお尋ねがあったので、「花瓶の位置は左に、香炉は真ん中に、蝋燭たては右に」と実際に置きつつ説明しました。「阿弥陀さんがよう見えるようになりました」と喜んでいただいてよかった、よかった、さあ帰ろうかなと阿弥陀さんの横に目をやると、脇軸の位置が反対でした! それも直し終わり、秋の法事の予定も確認してひと段落。

すると、ご門徒さんが「シロハタ食べられんだか?」と。

一昨日、網代から見送った底びき船が運んできた日本海のめぐみです。網代に住むお子さんから朝届いたばかりとのこと。

きょうの晩ごはんにありがたくいただきます。