きょうは阿弥陀さんのお引越しのお手伝いをしてきました。
仏壇をしまわれたご門徒さんより寄贈された御本尊(阿弥陀さん)と脇掛を、この度、仏壇を購入されたご門徒さんのところにお届けしたというわけです。
サイズが合うのか、若干不安だったのですが、

ピッタリでした。
阿弥陀さんの新居が見つかってよかった!
いっしょに『正信偈』を読み、仏壇と阿弥陀さんについて少しお話をさせていただきました。
ご門徒さん、ぜひ大事になさってください!
きょうは阿弥陀さんのお引越しのお手伝いをしてきました。
仏壇をしまわれたご門徒さんより寄贈された御本尊(阿弥陀さん)と脇掛を、この度、仏壇を購入されたご門徒さんのところにお届けしたというわけです。
サイズが合うのか、若干不安だったのですが、

ピッタリでした。
阿弥陀さんの新居が見つかってよかった!
いっしょに『正信偈』を読み、仏壇と阿弥陀さんについて少しお話をさせていただきました。
ご門徒さん、ぜひ大事になさってください!
全国的に厳しい暑さが続いています。
本来なら昨日からお盆参りの予定でしたが、県のコロナ警報発令のもと中止に。初盆と法事のお勤めを中心としたお盆となりそうです。
10日ほど前にご門徒さんのところに届けたお手紙をブログでも紹介します。来年はこのようなことにならなければよいのですが。


朝、ニュースを見ているとオンライン法事が取り上げられていました。コロナを体験し、仏事のあり方は、簡素化に拍車をかけていくことでしょう。
ウチのような田舎のお寺でも対応が必要なことも生まれることでしょう。どんなことも実務的にしないでこころを込めるという姿勢を堅持して事にあたっていかなければと思います。そのなかから見えてくることもまたあるような気がしています。
坊守です。残暑お見舞い申し上げます。きょうは8月9日、長崎忌でした。
6日と同じく、「平和の鐘」の一環でお寺の鐘をつきました。役員のMさんも参加してくださいました。

いまから75年前の今日、アメリカは広島に続いて、長崎に原爆を投下しました。3000℃から4000℃の熱線と、街ごと吹き飛ばすような爆風、そして放射線による急性症状のために、その年(1945年)の年末までに約7万4000人が死亡しています(広島の犠牲者は同期間で14万人)。
生き延びた被爆者も、後遺症やいつ発症するか分からない原爆症の恐怖を背負ってこられました。
ここ数年、長崎の日に手にする一冊があります。東京に居たころ、ある看護師さんが私に下さった『松尾あつゆき日記〜原爆俳句、彷徨(さまよ)う魂の軌跡』(長崎新聞新書)です。筆者は尾崎放哉と同じく、自由律俳句の作り手です。長崎の原爆で妻と3人の子どもたちを失い、その体験から原爆句をつくりました。

本書は生き残った長女・みち子さんを看病しながら2人で生活した10カ月間をまとめたもの。挟みこまれた原爆句からは、作者の慟哭とともに、当時の匂いや気温、風までがたちのぼってくるようで、ページを開いている自分が1945年8月に連れて行かれたような気にすらなるのです。
【こときれし子をそばに、木も家もなく明けてくる】
【すべなし地に置けば子にむらがる蝿】
…8月10日に帰りついた自宅跡には、横たわる妻の横で死んだ2人の幼子が。この日、さらに長男が生き絶えたが、3人の兄弟の遺体を炎天下に並べておくしかすべがなかったそうです
【まくらもと子を骨にしてあわれちちがはる】
…子どもには7カ月の乳児もいました。臥せっていた奥さんも終戦を待たずして亡くなります。
【なにもかもなくした手に四枚の爆死証明】
【炎天、妻に火をつけて水のむ】
家族を失ったあまりの寂しさに、何度も自死を考えながら、句を作ることで生きた…と、本人は綴っています。
実は、この本をくれた看護師さんは、あつゆきさんのお孫さんにあたります。長女みち子さんが生き延びて彼女が生まれ、いのちを守る仕事に就いたことも偶然ではないように思います。
いま、地球上にある核兵器は1万3410発。かつては7万発超だったので、ずいぶん減りましたが、まだまだ。保有国は多い順に、ロシア、アメリカ、中国、フランス、イギリスと続きます。「そんなの捨てちゃいなよ」と要求する相手は巨大にみえます。でも、原爆が、ひとりひとりの人生から何を奪ったか〜死んだ被爆者も生きている被爆者も〜を考えれば、核兵器の廃絶は、人類があきらめてはいけない課題のひとつであると思います。
私も、色々な機会に、できることをやっていこうと、あらためて考える1日でした。
本日は午前と午後に墓前での納骨のお勤めがありました。
仏教徒のお墓の起源は釈尊の遺骨(仏舎利)を納めた仏塔にあります。庶民がお墓を持つようになったのは江戸時代からです。
お墓は、私と亡き先祖とのつながりを考えさせてくれる場です。また、横のつながりというのか、家は違っても同じ地域で歴史を重ねてきた方たちとのつながりを感じる場です。網代や田後地域の墓地に行くと、この人たちと私は決してアカの他人ではなくどこかでつながってるよなぁと思うのです。
そういえば、昨年のこと。盆参りが終わって帰ろうかなという時に、あるご門徒さんと道端で出会い、「お出かけですか」と訪ねると、「お盆は親戚のお墓を参って回るだが」とおっしゃいます。
その方もそうなのですが、亡き人のことをしばしば思い出しつつ、寂しい中にも感謝を忘れない人は心穏やかな人が多いと思います。
手を合わせる行為がすくなくなっているいま、お盆のお墓参りは貴重な時間です。ことしは帰省できないという方も、お盆の期間中に手を合わせてみられてはいかがでしょうか。
方便ということばがあります。ウソも方便というように、大抵の場合、独立した言葉として使われることは少ないような。
仏教において方便とは、真実に引き入れるためのたどるべき道(教え)のことをさす場合があります。
例えば、①いい行いを積めば、その分だけあの世で幸せになれる。
②何度も何度も何度も念仏を称えれば仏になれる。
それを信じるか信じないかはともかく、仏教とはそういうものじゃないのと思われるかもしれません。しかし、浄土真宗においては、それができない私のために、阿弥陀仏の方から救いとってゆく、それが仏のもっとも大きな願いであると味わい、自らを省みて生きていこうよ、というスタンスなのです。
親鸞聖人は幼少から青年期にかけて、①②の修行をされましたが、自らに仏になる種を見出せず、比叡の山を下り、法然さんのところで、阿弥陀仏の救いに出あい、1201年、29歳のときに帰依したと書に記されています。
聖人にとっては①も②も決して無駄ではなく、必要な道であったということでしょう。
ところで、最近、うがい薬が話題です。吉村大阪府知事は、「ウソのような本当の話」と。しかしうがい薬にはコロナに効くというのは根拠なしと各方面から指摘されています。
うがい薬は、仏教がいうところの方便、つまり真実につながってゆく道ではなかった。どうやら誤りのようです。
だいたい、ウソのような本当の話って、本当の話より、ウソだったという落ちになることが多いと思うのですが。
8時15分、平和の鐘をつきました。

1945年8月6日、午前8時15分、アメリカにより広島市に投下された原子爆弾は10数万人の命を奪いました。その痛みを、その事実を忘れずに記憶しましょう。
「戦争を終結させるため」という理屈をアメリカは今も掲げ続け、現在は核兵器は抑止力であるという立場、さらには先制使用もありうるとの立場に立ち、核兵器の小型化などを進めています。日本政府は核抑止力を肯定し、核廃絶の条約に被曝国でありながら反対しています。その事実を知り、記憶しましょう。
世界的なパンデミックの前に、各国が軍事力や軍事・防衛に莫大な予算を注ぎ込んでいることはこのままでよいのでしょうか。その事実を記憶し、どうすれば良いのか考えましょう。
当寺院の鐘には、「昭和十七年 第十三世代 供出」と刻まれています。聖戦により大東亜に平和をもたらすという時流のなかに当時の浄土真宗もありました。戦争の鐘の事実を記憶し、平和の鐘を鳴らしましょう。
次は8/9 午前11時2分につきます。
きょうは午前中、25回忌の法事でした。お参りの方も声を出して『阿弥陀経』を読まれました。クーラーもよく効いて、暑さを感じることもなく、夏のお勤めも熱中症の心配なくできそうです。
お盆について短い話をしました。『盂蘭盆経』には目連尊者のお母さん・青提女(しょうだいにょ)が餓鬼道に落ち、釈尊の力を借りて救うようすが記されています。
浄土真宗では盂蘭盆経は読みません。というのも阿弥陀仏は私たちを餓鬼道に落とさないために働き続けているからです。
しかし、私たちのありようはどうなのでしょうか。
貪(むさぼり)という煩悩に引きずられて、よろこびを失い、不足だけで生きている「いのち」を餓鬼といいます。そこに浸かって生きているのが偽らざる私の姿ではないかと。
そのように自らを見つめてみたときに、餓鬼道に落とさないぞと働き続ける仏の慈悲をありがたく感じられるのではないでしょうか。
といったことをお話ししました。
お参りになった方が、「今日のような話を学校で子どもたちが聞けたらいいでしょうなあ。日本は学校で宗教を教えたらいけんことになってるけど」と。
これは中央仏教学院の講義で知ったことですが、イギリス、ドイツ、トルコ、インドネシア、タイ、韓国の公立校に宗教科の授業があるそうです。(韓国は制度上はあっても、実際にはない)
トルコ、タイ、インドネシア、ドイツの多くの州では、それぞれの信仰に応じた講義形式だそうです。
イギリスでは、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、シーク教、ユダヤ教、そして仏教を学びます。小学校から中学校まで「宗教」は必修。大切にしているのは、相互理解ということです。また、いま宗教者は何をしているのか、から学ぶそうです。
イギリスのような宗教教育は、日本でも求められているのではないでしょうか。歴史の一コマとして創始者や出来事について教えるのが日本の宗教教育ですが、いかに生きるのか、そして世界の人たちを知る、という意味でも有益ではないかなと思います。
ナモです。

まいつき4にちがあたいのおとうばんだそうです。12がつ4にちに、いまのおうちにきたからだそうです。
そして、あじろのおかあちゃんのおなかからでてきたのはひとつまえのなつの、いまごろでした。あたい、1つになったそうです。
あかちゃんのころから、おひさまがかんかんにてりつける日も、おそとにいたので、なつのあつさもへっちゃらです。
あさはやくおきるのがとくいなので、おいたんとおばたんがねんねしているあいだに、いろんないたずらをしてやります。
このまえのよなかは、おなかがペコペコだったので、ごはんのはいっているひきだしをあけて、そのなかにあった、カリカリのふくろをひっちゃぶいて、たべてやりました。

おきて2かいからおりてきたおいたんが、気がついて「じけんだ!」とさけびました。それをきいたおばたんがいそいでやってきて、あいたカリカリのふくろをはかりにのせて「ぬすまれたのは30グラム」と、いいました。
そして「ねこの手で、ひきだしをあけられるなんて、びっくりやな」と、くすくすわらいながら、おいたんとはなしていました。
あたいがやったと、どうしてばれたのか、ふしぎです。
けさも、おげんかんのかびんをかしゃーんとひっくりかえしたら、おばたんがしんぱいして、おきてきました。おばたんは、ついでにおにわにでて、くさひきをしましたが、かたつむりのなる木を拾ってきました。

おいたんは、「『かたつむり どこでしんでも わがやかな』 これは、こばやしいっさだよ」といいました。
はやおきのあたいがいると、いいことがあるでしょう?
みなさんもあつさに気をつけて、おすごしください。

町内を回ってお盆の宅参りの中止案内を届けました。
8月はお寺にとって、ほんらい1年で一番忙しい季節です。県内にコロナ警報が発令された場合は中止すると役員会で決めていましたので、致し方ありませんが、やはり中止は残念です。田後で初開催となるお盆の法要もできなくなったことも残念でなりません。こういうのを脱力というのでしょう。やる気が湧いてきませんでした。
そんな私を、まず励ましてくれたのは、熱心なご門徒さんであった源左さんのことばです。

たいぎなのを勤めるのが 勤めだけのう
通知の案内を全ての門徒さんに届けるのは結構手間ですが、源左さんのことばをかみしめつつ、重い腰をあげたのでした。
たいぎは大儀からきているのでしょうね。重要なこと、苦労が大きいことから、大変なこと、めんどうなことといった具合に。
町内を走っていると網代・田後の海岸線を走ったり、山間地の銀山では家々に植えられた草花をながめたりするなかで気分も晴れてきました。
お盆の最中は初盆のお勤め、すでに入っている法事は勤めますので、暇というほどではありませんが、時間を有意義に使えたらと思います。
さて、あしたはナモの日記の予定です。ご期待ください。
3日前に何をしていたか、何を食べたのか、きっちり説明できる人は少ないと思います。人は大半の出来事を忘れつつ、生きているのではないでしょうか。
けれども、8月は記憶しないといけない、そんな思いから、「八月を記憶する」としました。

先人が遺した戦争の記憶を私たちの記憶に。
いま世界が直面しているパンデミックを記憶し、次の世代へ。
平和とひとのいのちを大切にする社会へ、たとえそれが少しずつであっても、ゆっくりとした歩みであっても、諦めず、お互いに努力しましょう。